表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/97

第86話「白き手袋の決闘」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

重厚な鋼鉄の扉が、悲鳴のような音を立てて開かれた。 そこは、世界の心臓部。  

魔法省の地下最深部、「第零保管庫」。


広大な円形の空間。  

壁一面に埋め尽くされた魔力サーバーが、

明滅しながら膨大なデータを処理している。

その中央に、巨大な培養槽が鎮座していた。  

青白い液体の中で浮遊しているのは、無数の管に繋がれた一人の老人――

ルシウス・ヴァイゼの「本体」だ。


「……よく来たね、私の可愛い道具たち」


培養槽の前には、ホログラムではなく、魔力で構成された実体を持つルシウスの分身が立っていた。その顔には、絶対的な余裕と、勝利を確信した者の傲慢な笑みが張り付いている。


「ここが私の腹の中だ。……どうだい?世界の全てを管理する場所の居心地は」


「……空気が悪いわね」


私は鼻を摘んだ。

清潔に見えるけれど、ここには腐敗臭がする。  

長きにわたり権力を独占し、他人の犠牲の上に胡座をかいてきた、老人の欲望の臭い。


「同感です、エルカ様。……換気扇を回した程度では落ちない、染み付いた汚濁の臭いだ」


アルフォンスが私の前に立ち、白い手袋をきゅっと締め直した。  

その背中は、いつものように優雅で、けれど鋼のように頼もしい。


「減らず口を。アルフォンス、君には失望したよ」


ルシウスが冷ややかに告げた。


「君を最高傑作として作り上げたのは私だ。感情を捨て、命令にのみ従う完璧な『処刑人形』。それが、あろうことか魔女にたぶらかされ、飼い主に牙を剥くとは」


彼は右手を高々と掲げた。

その掌に、どす黒い紋様が浮かび上がる。  

マスターキー。アルフォンスの魂に刻まれた『双蛇の刻印』を起動させるための、絶対命令権。


「遊びは終わりだ。……思い出させてやろう。君が誰の所有物であるかを」


ルシウスの声が、空間を震わせた。


「コマンド・強制執行オーバーライド。……対象:アルフォンス・クライン」


空間に赤い術式が展開される。

逃げ場のない強制命令。  

アルフォンスの意思に関係なく、彼の肉体を操り、私を殺させるための最悪の呪い。


「さあ、その汚れた魔女の首を刎ねろ!私の足元に生首を転がしてみせろ!」


ルシウスが叫んだ。勝ち誇った顔。  

自分の命令が絶対であると信じて疑わない、支配者の顔。


しかし。


――静寂だけが、そこにあった。


「…………」


アルフォンスは動かなかった。  

私を殺すどころか、眉一つ動かさず、ただ涼しい顔でルシウスを見つめている。


「……な、に?」


ルシウスの表情が凍りついた。  

彼は焦ったように、再び手を掲げた。


「コマンド・強制執行!殺せ!殺せと言っているんだ!なぜ動かない!?」


何度も、何度も。必死に命令を繰り返す老人。  

その姿は滑稽で、哀れですらあった。


「……騒がしいですね」


アルフォンスが、鬱陶しそうに溜息をついた。  

彼は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、氷点下の瞳でかつての主人を射抜いた。


「誰に向かって命令しているのですか?そこには誰もいませんよ」


「な……なん……だと……?」


「貴方が支配していた『アルフォンス・クライン』という人形は、もう存在しません」


アルフォンスが左胸に手を当てた。  

そこには、私と魂を繋いだ不可視の指輪が輝いている。


「ここにいるのは、エルカ・シュヴァルツ様の忠実なる執事。……それ以外の何者でもない」


「ば、馬鹿な……!私の刻印は絶対のはずだ!魂の深層に焼き付けた呪いが、消えるはずがない!」


「消えたのではありません」


アルフォンスが、一歩踏み出した。

その足音一つで、部屋の空気が張り詰める。


「上書きされたのです。……貴方の薄汚い落書きよりも、遥かに強く、美しく、重い……私の主人の『愛』によって」


「ひっ……!」


ルシウスが後ずさった。理解したのだ。  

目の前にいる男が、もう自分の知っている道具ではないことを。  

鎖を引きちぎり、飼い主を喰らいに来た「怪物」であることを。


「おのれ……おのれぇぇぇッ!!不良品風情がぁぁぁッ!!」


ルシウスが錯乱したように腕を振るった。空間に無数の魔法陣が展開される。 炎、雷、氷、風。  

ありとあらゆる攻撃魔法が、嵐のようにアルフォンスへ殺到する。


それは、一人で軍隊を壊滅させられるほどの火力。だが、アルフォンスは止まらなかった。

避けることもしない。  

彼はただ、真っ直ぐに歩きながら、白い手袋をはめた手で、目の前の空間を「払った」。


「邪魔です」


パァンッ!!


乾いた音が響いた。

それだけで、迫りくる魔法の嵐が霧散した。  

炎が掻き消え、雷が吸い込まれ、氷が蒸発する。  

まるで、テーブルの上の埃を布巾で拭い去るかのように、彼は魔法を「掃除」したのだ。


「な……魔法を、素手で……!?」


「貴方の魔法は雑すぎます。……魔力構成に無駄が多い。美しくない」


アルフォンスは歩みを止めない。  

カツン、カツン。 死刑執行の足音。


「埃っぽい。カビ臭い。……貴方の存在そのものが、私の主人の視界を汚しています」


「く、来るな!来るなぁぁぁッ!!」


ルシウスが培養槽を守るように防壁を展開する。  

魔法省の最重要機密を守るための、絶対防御結界『アイギス』。  

核攻撃すら防ぐと言われる最強の盾。


「無駄です」


アルフォンスは結界の前に立つと、右手をかざした。

その指先には、私の魔力が青白く収束している。


「私の主人《エルカ様》の魔力は、あらゆることわりを分解する。……貴方の作った盾など、薄紙も同然です」


パリーンッ!!


ガラスが割れるような音と共に、最強の結界が砕け散った。  

破片がキラキラと舞い散る中、アルフォンスは培養槽の前へと辿り着く。


そこに浮いているのは、老いさらばえたルシウスの本体。全ての権力の源。  

そして、アルフォンスの過去を縛っていた元凶。


「……チェックメイトです、ルシウス」


アルフォンスは静かに告げた。

その声には、憎しみも哀れみもなかった。  

あるのは、仕事を完遂しようとする執事の、冷徹な義務感だけ。


「ま、待て……!待ってくれアルフォンス!」


分身のルシウスが、見苦しく命乞いをした。


「私が悪かった!謝る!だから本体には手を出すな!金をやる!地位もやる!魔法省の長官の椅子を君に譲ってもいい!だから……!」


「……地位?名誉?」


アルフォンスは、心底不思議そうに首を傾げた。


「そんなガラクタ、何の役に立つのです?それらが、エルカ様の淹れた紅茶よりも価値があるとでも?」


「な……」


「私に必要なのは、世界でたった一人。……エルカ様が笑ってくださるなら、私は泥水の中でも生きていける。逆に、彼女がいないなら、黄金の玉座もただの処刑台だ」


彼は培養槽に手を触れた。 冷たいガラスの感触。


「さようなら、ルシウス。……貴方は、あまりにも長く『汚れ』を溜め込みすぎた」


アルフォンスの手に力が込められる。

白い手袋が、眩い光を放つ。


「大掃除の時間です」


ドォォォォォンッ!!


衝撃波が走った。培養槽が粉々に砕け散り、中の培養液がぶちまけられる。  

そして、ルシウスの本体である老人の肉体が、アルフォンスの魔力によって粒子レベルまで分解され、光となって消滅していく。


「あ、あぁ……あぁぁぁぁぁぁッ……!!」


分身のルシウスが断末魔を上げ、霧のように掻き消えた。  

魔法省を支配していた絶対者が、今、跡形もなく消え去ったのだ。


静寂が戻った。

壊れた培養槽の破片と、水浸しになった床。  

警報音がけたたましく鳴り響いているが、それが逆に静けさを際立たせている。


アルフォンスは、濡れた床に佇んでいた。  

彼の燕尾服には、水滴一つ、汚れ一つついていない。あの白い手袋も、純白のままだ。


「……終わったの?」


私が恐る恐る近づくと、彼は振り返り、いつもの柔らかな微笑みを向けた。  

まるで、朝食の片付けを終えた時のような顔で。


「はい、エルカ様。粗大ゴミの処分、完了いたしました」


彼は新しいハンカチを取り出し、私の頬についた埃を優しく拭った。


「お怪我はありませんか?……怖い思いをさせて申し訳ありません」


「ううん、平気よ。……あんたが強すぎて、怖がる暇もなかったわ」


私は彼に抱きついた。 温かい。  

人を殺した直後だというのに、彼の体温は優しくて、安心する。


「……本当に、終わったのね」


「ええ。ですが、最後にもうひと仕事残っています」


アルフォンスは私を抱きしめ返すと、片手で空中に魔術式を展開した。  

ホログラムキーボードが現れる。

彼は凄まじい速度で指を動かし始めた。  

魔法省のメインサーバーへのハッキングだ。


「な、何してるの?」


「事後処理です。……ルシウスが消え、魔法省は混乱状態にあります。この隙に、戸籍データを書き換えてしまいましょう」


タタタタタタッ!

彼の指が残像を残すほどの速さで動く。


「『エルカ・シュヴァルツ』および『アルフォンス・クライン』……。検索、ヒット。……ステータス変更」


彼はニヤリと笑った。  

悪戯を成功させた子供のような、それでいて最高にクールな笑顔。


「『死亡』」


エンターキーが押された。


「……えっ?」


「これで、私たちは公式に死人となりました。……魔法省も、騎士団も、もう死人を追うことはできません」


彼はキーボードを消し、私に向き直った。


「おめでとうございます、エルカ様。これより貴女は、何者にも縛られない『真の幽霊』です。税金も、義務も、世間の目も、何も気にする必要はありません」


「……幽霊って」


「ええ。世界から忘れ去られた、二人だけの亡霊です」


彼は恭しく手を差し出した。


「さあ、参りましょう。ここはもうすぐ崩壊します。新しい隠れ家を探しに」


「ふふっ。最高ね」


私は彼の手を取った。死人として生きる。  

世界から消えて、二人だけで生きていく。  

それは、引きこもりの私にとって、最高のハッピーエンドじゃないか。


「連れて行って、アルフォンス。地獄の果てまで」


「御意、マイ・ロード」


アルフォンスは私を抱き上げ、崩れゆく第零保管庫を後にした。  

背後で爆発音が響き、瓦礫が降ってくる。  

けれど、彼の腕の中は揺り籠のように安定していた。


埃一つ被らず、傷一つ負わず。  

白き手袋の執事は、主人を抱いて炎の中を悠然と歩く。  

その姿は、この世の誰よりも気高く、美しく、

そして最強だった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ