第84話「禁断の手入れ、あるいは魂の剪定」
◆ 更新スケジュール ◆
この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。
「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。
魔法省の地下深く。
そこは、まるで巨大な胃袋のような不気味な空間だった。冷たく湿った石壁。
天井からは魔力を含んだ粘液が滴り落ち、地面には無数の配管が血管のように這っている。
機械音と、低い唸り声のような魔力の脈動だけが響く、無機質な迷宮。
私たちは、その暗闇の中を進んでいた。
アルフォンスの作り出した隠蔽結界に守られながら、ルシウスの本体がある「第零保管庫」を目指して。
「……はぁ、はぁ……」
前を歩くアルフォンスの足取りが、明らかに重い。
いつもなら音もなく進む彼が、時折、壁に手をついて身体を支えている。
息遣いも荒い。完璧な執事の仮面が、少しずつ剥がれ落ちていくのが分かる。
「アルフォンス、大丈夫?少し休む?」
「……問題ありません、エルカ様。……ただの空調不良です」
彼は振り返り、微笑もうとした。
けれど、その笑顔は苦悶に歪んでいた。
顔色は蝋のように青白く、額には大粒の汗が浮かんでいる。
眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、焦点が定まらずに彷徨っている。
「嘘つき。……すごい熱じゃない」
私は彼の手を取った。
手袋越しでも分かるほどの高熱。
まるで、体の中で溶岩が煮えたぎっているようだ。
「……申し訳ありません。……少々、魔力回路の負荷が……」
ガクンッ。 彼の膝が折れた。
「アルフォンス!」
私は咄嗟に彼の体を支えた。 重い。
大人の男性の体重が、ずしりと私にかかる。
いつも私を軽々と抱き上げている彼が、今は私の腕の中で力なく崩れ落ちている。
「……あ、ぐぅ……ッ!」
彼が胸を押さえて呻いた。 心臓のあたり。
そこには、ルシウスに刻まれた呪いの刻印『双蛇』があるはずだ。
私たちがルシウスに近づくにつれて、その呪いが活性化し、彼を内側から蝕んでいるのだ。
「……汚い……。私の体が……不潔な呪いに……汚染されていく……」
彼はうわ言のように呟いた。
肉体的な苦痛よりも、潔癖症の彼にとっては、他人の汚らわしい魔力に侵食されることの方が耐え難いのだろう。
「申し訳ございません、エルカ様……。貴女を、守らなければならないのに……」
「馬鹿ね。……こんな時まで執事ぶらないでよ」
私は彼を近くの配管の陰に座らせた。
ここは魔力の密度が濃く、隠蔽結界の効果も薄れかけている。
一刻も早く、彼を治さなければ。
でも、どうやって?
普通の回復魔法じゃ、この呪いは解けない。
(……私の魔力を使うしかない)
私は決断した。
塔での儀式で、私たちは魂を繋いだ。
なら、私の魔力を直接、彼の魂の深淵に流し込み、呪いごと焼き尽くすことができるはずだ。
それは、ただの治療じゃない。
彼の存在そのものを、私色に染め変える行為。
まさに「魂の剪定」だ。
「アルフォンス。……じっとしてて」
「エ、エルカ様……何を……?」
私は彼の手袋を強引に剥ぎ取った。
露わになった素手。
熱で赤く染まった指先に、私の指を絡ませる。
「あんたの汚れ、私が落としてあげる。……大掃除の時間よ」
私は彼の上に跨った。狭い通路の片隅で、私たちは密着する。
彼の熱い吐息が、私の首筋にかかる。
甘くて、苦しい匂い。
「……いけません……。今の私は……汚れています……。貴女に触れる資格など……」
「黙って」
私は彼の唇を塞いだ。
「んむッ……!?」
強引なキス。
口の中から、膨大な魔力を送り込む。
私の純粋な魔力が、彼の体内を駆け巡り、汚染された部分を探し出して浄化していく。
ドクン、ドクン、ドクン!!
心臓の鼓動が重なる。
指輪とアンクレットが激しく共鳴し、青白い光が二人を包み込む。
「……あ、あぁ……ッ!」
アルフォンスが背中を反らせた。
快感と激痛がないまぜになった声。
私の魔力が、彼の魂に刻まれた『双蛇』の呪印に接触したのだ。
(見つけた……これね)
私の意識の中に、醜悪な二匹の蛇が絡み合う黒い紋様が浮かび上がった。
ルシウスの支配の象徴。
アルフォンスを「道具」として縛り付けてきた、
忌まわしい鎖。 汚い。
私の執事の綺麗な魂に、こんな泥みたいな落書きをするなんて。
「……消えなさい」
私は念じた。怒りと独占欲を、純粋な破壊のエネルギーに変える。
ジュウウゥゥゥ……ッ!!
私の魔力が、黒い蛇を焼き尽くしていく。
ルシウスの支配が悲鳴を上げて蒸発し、代わりに私の「愛」という名の新しい刻印が刻まれていく。
「ぐ、ぁぁぁぁぁぁッ!!」
アルフォンスが絶叫した。
彼は私にしがみつき、爪を立てた。 痛い。
でも、離さない。
彼の苦しみは、私が引き受ける。
彼の汚れは、私が飲み込む。
「大丈夫……。大丈夫よ、アルフォンス……」
私は彼を抱きしめ、背中を撫でた。
汗で濡れたシャツ越しに、彼の高熱が伝わってくる。
それはまるで、高熱を出した子供をあやす母親のような、あるいは愛欲に溺れる恋人のような、
不思議な感覚だった。
「あんたは私だけのものよ。……誰にも渡さない。ルシウスなんかに、指一本触れさせない」
私は彼の耳元で囁き続けた。
呪いの言葉を、愛の言葉で上書きするように。
「……エルカ……様……」
彼の瞳から、涙が溢れた。
氷のように冷たかったアイスブルーの瞳が、熱を持って溶け出していく。
その奥にあった「ルシウスへの恐怖」や「過去への罪悪感」が、私の魔力によって洗い流されていく。
「……熱い……。貴女の魔力が……私の中を……満たしていく……」
彼は喘ぎながら、私を求めた。
それは生存本能だった。
呪いが消えた空白を、私の存在で埋めようとする渇望。
「もっと……ください……。私を……貴女でいっぱいにしてください……」
「ええ。……全部あげるわ」
私は彼の手を取り、自分の胸に当てた。
心臓の鼓動。
私の命の音が、彼の手のひらを通じて伝わる。
「……っ、あ……」
彼の手が震えた。
そして、彼は夢遊病者のように、私の胸に顔を埋めた。
「……いい匂いだ……。エルカ様の……匂い……」
彼は深呼吸をした。私の体臭、魔力、魂の形。
その全てを吸い込み、自分の血肉に変えていく。
パリンッ。
小さな音がした。
私の意識の中で、黒い蛇の紋様が完全に砕け散った音だ。
代わりにそこに現れたのは、美しく輝くアメジスト色の鎖。私と彼を繋ぐ、永遠の絆。
「……終わったわ」
私は彼の髪を撫でた。
汗で濡れた銀髪は、以前よりも強く輝いて見えた。
「……アルフォンス?」
「…………」
彼は動かなかった。
私の胸に顔を埋めたまま、静かに呼吸をしている。
熱は下がっていた。 顔色も、少しずつ赤みが戻ってきている。
ただ、気絶しているだけだ。
あまりの激痛と、魔力の奔流に耐えきれずに。
「……お疲れ様。私の執事」
私は彼の額にキスをした。
今度は、私が守る番だ。
彼が目覚めるまで、この暗闇の中で、私が彼を守り抜いてみせる。
私は彼を膝枕の状態で寝かせ、周囲に警戒の視線を向けた。
指先には、まだ彼の中に入り込んだ時の熱い感覚が残っている。
私たちは本当に一つになったのだ。
もう、ルシウスの呪いなんて怖くない。
だって、彼の魂の所有権は、完全に私のものになったのだから。
地下の冷たい風が吹く。
けれど、私たちの周りだけは、まるで春の日溜まりのように温かかった。
それは、共依存という名の歪んだ愛が、ついに完成した証だった。
――数十分後。
「……ん……」
アルフォンスが呻き声を上げ、ゆっくりと目を開けた。
その瞳は、澄み切ったアイスブルーに戻っていた。
いや、以前よりも深く、鮮やかな色をしている。
迷いや曇りが一切ない、研ぎ澄まされた刃のような輝き。
「……気がついた?」
「……エルカ様」
彼は体を起こし、自分の手を見つめた。
握りしめ、開き、また握る。
その動きには、以前のような重苦しさはなく、
羽のように軽やかだった。
「……体が、軽い。……あの不快なノイズ(呪い)が、消えています」
彼は驚いたように私を見た。
「貴女が……やってくださったのですか?」
「当たり前でしょ。私の所有物に、勝手な落書きなんて許さないわよ」
私が得意げに言うと、アルフォンスは一瞬きょとんとして、それから深く頭を垂れた。
それは執事の礼ではない。
騎士が主人に忠誠を誓う、最上級の敬意だった。
「……感謝の言葉もありません。貴女は私の魂だけでなく、過去からも救ってくださった」
彼は私の手を取り、甲に唇を寄せた。
そのキスは、熱く、そしてどこまでも敬虔だった。
「私の命、私の魂、私の全ては……今この瞬間から、永遠に貴女のものです。……ルシウスでも、神でもない。ただ貴女だけが、私の絶対的な主人です」
「……知ってるわよ。今さらね」
私は照れ隠しにそっぽを向いたが、頬が熱くなるのを止められなかった。
重い。やっぱり、この男の愛は重すぎる。
でも、その重さが心地よい。
「さあ、行きましょう。……掃除の続きです」
アルフォンスが立ち上がった。
その背中からは、先ほどまでの弱々しさは消え失せ、圧倒的な覇気が立ち昇っていた。 完全復活。 いや、覚醒だ。
呪いという足枷が外れた「最強の執事」が、今ここに誕生したのだ。
「ルシウス様……いえ、ルシウス。……覚悟してください」
彼は暗闇の奥、第零保管庫の方角を睨みつけた。
「貴方が汚した私の魂は、私の主人が綺麗にしてくださいました。……次は、私が貴方を『洗濯』する番です」
私たちは再び歩き出した。 足取りは軽い。
もう何も恐れるものはない。
私たちは最強の共犯者であり、最強の恋人同士なのだから。
読んでくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。




