第81話「焦土の朝食、最後の晩餐」
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世界は、一夜にして灰色の砂漠に変わっていた。
かつて鬱蒼と茂っていた霧の森は、魔法省の最終兵器『神の鉄槌』の余波によって焼き払われ、見渡す限りの焦土と化している。
地面は炭化した木々で黒く染まり、空からは雪のように白い灰が音もなく降り注いでいる。
頭上には、依然としてあの禍々しい赤い魔法陣が展開され、時折、威嚇のような雷鳴を轟かせている。
まさに、この世の終わり。地獄の風景。
呼吸をするだけで肺が焼けそうな熱気と、焦げ臭い死の匂い。
――そんな、絶望的な世界の中心で。
「……はい、あーん」
「……んぐ」
私は、純白のテーブルクロスが敷かれた円卓につき、焼きたてのふわふわオムレツを口に運ばれていた。
「ねえ、アルフォンス」
「はい、何でしょう。塩気が足りませんでしたか?」
「そうじゃないわ。……この状況、おかしくない?」
私はフォークを咥えたまま、周囲を見渡した。
黒焦げの切り株。崩れ落ちた岩。未だにくすぶり続ける残り火。
そんな荒野の真ん中に、不自然なほど優雅な
「青空レストラン」が出現しているのだから。
アルフォンスは、ここだけ空気を切り取ったような強力な「浄化結界」を展開していた。
結界の外は熱風と煤煙が吹き荒れているのに、
内側はエアコンが効いたように涼しく、ラベンダーのアロマさえ漂っている。
焦げたテーブルと椅子には、彼が即席で錬成した真っ白なクロスとクッションがかけられ、銀食器がピカピカに輝いている。
「何もおかしくありませんよ」
アルフォンスはポットを持ち上げ、高い位置から優雅に紅茶を注いだ。
琥珀色の液体が、美しい放物線を描いてカップに満たされる。
「世界が滅びようとも、エルカ様の朝食がおろそかになって良い理由にはなりません。……むしろ、これから『大掃除』に向かうのですから、栄養価の高い完璧な食事が必要です」
彼は真顔だった。本気だ。
この男は、頭上の戦略級魔法よりも、目の前のオムレツの焼き加減の方を重大事だと捉えている。
「さあ、次はサラダです。……あちらの焼け跡で奇跡的に残っていた野草ですが、私の魔力で洗浄・滅菌済みです」
「たくましいわね、あんた」
私は差し出されたフォークから、シャキシャキの野菜を食べた。
ドレッシングの酸味が心地よい。
こんな地獄みたいな景色を見ながら食べているのに、味は最高級ホテルのそれだ。
「たくましいのではありません。執事として、当たり前のことをしているだけです」
アルフォンスは微笑み、私の口元についたドレッシングを指で拭った。
そして、その指を自分の口に含み、あどけない子供のように舐めとる。
「ん……。今日も、貴女が口にしたものは全て美味しい」
「……変態」
「光栄です」
彼はナプキンを私の膝にかけ直すと、焦土と化した風景に背を向け、私だけを見つめた。
「外の世界など、所詮は書き割りの背景です。……私にとっての世界は、このテーブルの半径1メートル。貴女がそこにいて、美味しそうに食事をしてくだされば、そこが楽園なのです」
彼の瞳には、滅びゆく世界の赤色は映っていない。
ただ私のアメジスト色の瞳だけが映り込み、狂気的なまでの安らぎを湛えていた。
食事を終え、最後の一滴まで紅茶を飲み干すと、アルフォンスは手際よく撤収作業を始めた。
食器を亜空間収納(影の中)にしまい、テーブルと椅子を魔法で砂に還す。
後に残ったのは、何もない荒野だけ。
「……さて。行きましょうか」
アルフォンスが新しい手袋を装着し、パンッ、と音を立てて手を叩いた。
それが合図だったかのように、結界が解かれる。
途端に、熱風と焦げ臭い臭いが押し寄せてきた。
「うっ……」
「おっと。……失礼」
私が顔をしかめるより早く、アルフォンスが私を抱き上げた。
当然のように「お姫様抱っこ」だ。
「地面が汚れています。……貴女の靴底を汚すわけにはいきません」
「……王都までこのまま行く気?」
「ええ。貴女の足は、綺麗な玉座を踏むためにあるのですから。こんな泥道を歩く必要はありません」
彼は私を抱えたまま、瓦礫の山を軽々と飛び越え、歩き出した。
その足取りは、散歩でもするように軽やかだ。
ふと、私は背後を振り返った。私たちが暮らしていた塔の跡地。
今はもう、黒い瓦礫の山になっている。
あそこで過ごした日々。
初めて彼に料理を教わった日。
髪を梳かしてもらった夜。
そして、魂を繋ぐ儀式を行ったベッド。
すべてが灰になった。
「……あ」
瓦礫の隙間に、一輪の花が咲いているのが見えた。
真っ白な、百合のような花。
周囲の焦土の中で、そこだけが異様に白く、
儚く輝いている。
「あれは……」
「『忘却花』ですね」
アルフォンスが足を止めずに答えた。
「私がこの塔の庭園を整備した際、片隅に植えておいたものです。……住人の『未練』や『過去』を養分にして育ち、最後には燃え尽きて消える魔法植物」
花は、見る見るうちに満開になり、そして花弁の端から青白い炎を上げて燃え始めた。チリチリと燃えていく。まるで、私たちがこの塔に置いていく「隠遁生活への未練」を、代わりに燃やしてくれているかのように。
「……燃えちゃった」
「ええ。……過去は燃え尽きました」
アルフォンスは前を向いた。
その視線の先には、北の空。
魔法省のある王都の方角だ。
「これからは未来の話をしましょう、エルカ様。……貴女が女王となり、私がその足元に傅く。世界中を貴女好みにリフォームする、壮大な未来の」
彼は私を抱き直すと、少しだけ歩調を早めた。
「まずは、あの目障りな魔法省を解体し、ルシウスを『粗大ゴミ』として処分しなければなりませんね」
彼の声は弾んでいた。
過去を燃やし、退路を断った男の、清々しいほどの殺意。
私は彼の首に腕を回し、その胸に顔を埋めた。
ドクン、ドクン。
指輪を通じて、彼の心音が聞こえる。
塔はなくなったけれど、私の「家」はここにある。この温かくて、少し汗の匂いがする胸の中こそが、私の絶対的な聖域なのだ。
「うん。行こう、アルフォンス」
私は小さな声で言った。
「私のために、世界を綺麗にして」
「御意。……貴女の靴が汚れないよう、死体の山でレッドカーペットを敷いて差し上げましょう」
私たちは焦土を行く。
空には赤い瞳。地には黒い灰。
その間を、白と黒のコントラストを纏った二人が、ワルツを踊るように優雅に進んでいく。
それは、世界への宣戦布告であり、二人だけの愛の逃避行の終わりを告げる行進だった。
数時間後。
私たちは森を抜け、王都へと続く街道に出た。
そこには、予想通りの「歓迎」が待ち受けていた。
ズズズズズ……。
道の向こうから、砂煙を上げて迫ってくる黒い集団。
魔法省の機動騎士団だ。ざっと百騎。
全員が完全武装し、対魔術師用の結界シールドを展開している。
「発見したぞ!!S級指定危険因子、エルカ・シュヴァルツと、その従者だ!!」
「総員、構えッ!! 抵抗する場合は即時処刑せよ!!」
騎士団長の号令と共に、百本の杖と槍がこちらに向けられる。殺気が肌を刺す。
普通の人間なら、腰を抜かして命乞いをする場面だろう。
けれど、アルフォンスは止まらなかった。
私を抱いたまま、優雅な足取りで騎士団に向かって歩き続ける。
「うるさいですね」
彼は眉をひそめ、独り言のように呟いた。
「せっかくエルカ様がお昼寝中(嘘だ、私は起きている)だというのに。……公道で大声を出すなど、マナー違反も甚だしい」
彼は私の耳を手で塞いだ。
そして、眼鏡の奥の瞳を、氷のように冷たく細めた。
「道を開けなさい。そこは、私の主人が通る道です」
警告ではない。
これは、掃除屋による「退去命令」だ。
「撃てぇぇぇッ!!」
騎士団が一斉に魔法を放つ。 炎、氷、雷。
色彩の暴力が私たちに殺到する。
アルフォンスは動じない。
彼は私を抱えていない方の手――右手の手袋を噛んで外し、虚空を掴んだ。
「邪魔です」
彼が腕を振るった瞬間。
迫りくる魔法の奔流が、まるで濡れた雑巾で黒板を拭き取るように、空間ごと「消滅」した。
「な……ッ!?」
「魔法を……拭き取った……!?」
騎士たちが愕然とする中、アルフォンスは静かに宣告した。
「言ったはずです。……道を開けろと」
彼の右手が再び閃く。
今度は、物理的な衝撃波が街道を駆け抜けた。
騎士たちが吹き飛び、鎧が砕け、道端の草むらへと「掃き出される」。
それは戦闘ではない。
ただの「路上のゴミ掃除」だった。
数秒後。
街道には、呻き声を上げる鉄屑の山と、綺麗に掃き清められた一本道だけが残っていた。
「ふぅ。埃っぽい」
アルフォンスは新しい手袋を嵌め直し、私に微笑みかけた。
「お待たせいたしました、エルカ様。……少々、ハエがたかっておりましたが、駆除完了です」
「……あんた、本当に容赦ないわね」
「貴女の視界に入るものは、全て美しくなければなりませんから」
彼は再び歩き出した。
王都はもう、目と鼻の先だ。
遠くに見える巨大な白い塔――魔法省本庁が、
夕日に照らされて赤く染まっている。
あそこが、私たちの最終目的地。
そして、最高の「大掃除」の舞台だ。
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