第76話「セドリックの執念、霧を裂く剣」
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深い森の奥底、外界から隔絶された「忘れられた塔」。そのリビングで、私は優雅なティータイムを楽しんでいた。
「……ん。このクッキー、美味しい」
「ありがとうございます。森で自生していたクルミと、蜂蜜をたっぷりと使いました」
アルフォンスが、私の口元にクッキーを運んでくれる。私はソファに深く沈み込み、彼の手から直接それを齧る。
自分で食べる必要はない。
彼が私の手となり、足となっているのだから。
私の左手薬指には、目には見えない「不可視の指輪」が嵌められている。
そこから、ドクンドクンと私の魔力が吸い出され、アルフォンスへと流れ込んでいる感覚。
それが、妙に心地よい。
私がただ息をしているだけで、彼を生かしているという実感。
「おかわりはいかがですか?」
「ううん、もういい。……それより、髪。撫でて」
「御意」
彼は手袋を外し、素手で私の髪を梳き始めた。
大きな手のひらの熱。
10メートルという移動制限の中で、私たちは常に密着し、体温を共有している。
外の世界がどうなっていようと、ここだけは永遠に平和で、甘い時間が流れている――はずだった。
キンッ――!!
突然、空気が凍りつくような金属音が響いた。
それは、食器の触れ合う音ではない。
もっと鋭利で、ドロリとした敵意に満ちた「侵入」の合図。
「……あら」
「……不愉快ですね。また、あの粘着質な気配ですか」
アルフォンスの手が止まる。
彼のアイスブルーの瞳が、瞬時に細められ、窓の外へと向けられた。
その目には、以前の塔に来客があった時と同じ、あからさまな嫌悪感が宿っている。
塔を包んでいた濃霧が、不自然に渦を巻いている。
誰かが、無理やりこじ開けようとしているのだ。それも、ただの力任せではない。
この「空白地帯」特有の磁場を解析し、執拗に結界の綻びを突く、極めて陰湿な術式。
「……しつこい羽虫です」
アルフォンスが立ち上がった。
同時に、アンクレットに引かれるように私も立ち上がる。 彼が動けば、私も動く。私たちは一心同体なのだから。
「行くの?」
「はい。玄関先で騒がれては、せっかくのティータイムが台無しです。……以前は見逃してやりましたが、二度目はありません」
彼は優雅に微笑み、私の腰を抱き寄せた。
そして、私たちは転移魔法で一瞬にして塔の外、
霧の境界線へと移動した。
塔の前庭。
そこには、一人の男が立っていた。
以前見た時のような、仕立ての良い白のローブではない。
ボロボロに汚れ、泥にまみれ、顔色は悪く、
目の下には濃い隈がある。
けれど、その手に握られた白銀の長剣と、
プライドだけが高い碧眼は変わっていなかった。
「……はぁ、はぁ……ッ!やっと……やっと見つけたぞ……!」
男は血走った目で私たちを睨みつけた。
セドリック・ヴァレンタイン。
かつて私の塔に押し入り、盗聴器入りの花束を贈ってきた、魔法省の傲慢なエリート。
「……アルフォンス・クラインッ!!」
セドリックが剣を突きつけ、絶叫した。
「よくも……よくも私をコケにしてくれたな!あの時、私の『情熱の蘭』をゴミのように燃やし、あまつさえ私を追い返すとは……!この屈辱、万死に値するぞ!」
「おやおや。まだ根に持っていたのですか」
アルフォンスは胸ポケットからハンカチを取り出し、口元を覆った。
まるで、悪臭漂うゴミを見るような目で。
「貴方が持ってきたのは花ではなく、盗聴器と媚薬付きの産業廃棄物でしょう?適切に焼却処分したまでです。感謝していただきたい」
「き、貴様ぁ……ッ!その減らず口、すぐに利けなくしてやる!」
セドリックの額に青筋が浮かぶ。
彼の視線が、アルフォンスの腕の中にいる私に向けられた。
その瞬間、彼の表情が歪んだ執着に染まる。
「エルカ君!ああ、可哀想に!そんな薄汚い『掃除屋』に囚われて……!今すぐ助けてあげるからね!君は洗脳されているだけなんだ!」
掃除屋。
彼はあの日、アルフォンスの殺気に触れて、その正体に気づいていたはずだ。
それなのに、まだ私を「被害者」だと決めつけている。
「……何言ってるの、あの人」
「妄想癖が悪化しているようです。やはり、以前来た時に『物理的な治療』をしておくべきでした」
私はため息をついた。囚われている?違うわよ。
私は自分から望んで、この腕の中にいるの。
それを「可哀想」だなんて、なんて失礼な男なの。
「エルカ君、待っていてくれ!この人殺しの狂犬を排除し、私が君を正しい道へ――魔法省の管理下へ導いてあげる!君の才能は私が有効活用してやる!」
セドリックが地面を蹴った。
速い。 腐っても「神童」。
その剣には、高密度の光属性魔力が纏われている。
霧を切り裂き、一直線にアルフォンスの喉元へと迫る。
キィィィィン!!
衝撃音が響き渡る。
しかし。
セドリックの必殺の一撃は、アルフォンスの喉元でピタリと止まっていた。
「……な、に……!?」
セドリックが目を見開く。
アルフォンスは、剣を抜いてすらいない。
ただ、左手の白い手袋――人差し指と親指の二本だけで、白銀の剣をつまんでいたのだ。
「……汚い」
アルフォンスが、心底嫌そうに呟いた。
「貴方のその剣……私怨と劣等感の臭いがします。最後に手入れをしたのはいつですか?道具一つ愛せない人間に、私の主人を愛する資格などありません」
「ふ、ふざけるなッ!これは聖剣だぞ!貴様ごとき薄汚い掃除屋が触れていい代物じゃ……ッ!?」
セドリックが剣を引こうとするが、びくともしない。アルフォンスの指先には、青白い光が集中している。
それは、私の指輪から吸い上げた魔力だ。
私の膨大な魔力が、彼の手袋を「絶対不可侵の盾」に変えている。
「ふざけてなどいません。……貴方は以前、私の主人に対して『所詮は田舎の塔』と言いましたね。そして今、私の大切な『聖域』に土足で踏み込んだ」
パキンッ。
乾いた音がした。アルフォンスの指が、聖剣の刀身をへし折ったのだ。
「その罪は、万死に値します」
「あ……ぁ……?」
セドリックの手から、折れた剣が滑り落ちる。
アルフォンスは流れるような動作で、セドリックの顔面を鷲掴みにした。
「がっ……!?」
「その目です」
アルフォンスの声が、氷点下まで下がる。
「あの日、貴方は私の主人を値踏みするように見た。……その欲望に濁った不潔な瞳で、二度と私のエルカ様を見ないでいただきたい」
ドゴォッ!!
アルフォンスはそのまま、セドリックの頭を地面に叩きつけた。泥が跳ねる。
エリート貴族の顔が、無様に地面にめり込む。
「かはっ……ぐ、ぅ……!」
「ああ、汚い。……エルカ様、ご覧になってはいけません。目が腐ります」
アルフォンスは私の方を向き、もう片方の手で私の目を優しく覆った。
その手は温かく、ラベンダーの香りがした。
足元で男が血を吐いて悶絶しているのに、彼の手のひらの中だけは、平和なティータイムの続きのようだ。
「……アルフォンス。早く終わらせて。紅茶が冷めちゃう」
「御意。……すぐに『掃除』いたします」
彼は私の目を覆ったまま、足元のセドリックを冷酷に見下ろした気配がする。
「き、貴様……覚えていろ……!」
泥だらけの顔を上げたセドリックが、血の泡を吹きながら喚く。
「ルシウス様は……貴様の弱点を掴んでいる……! エルカ・シュヴァルツさえ手に入れれば……貴様など……!」
「……ほう」
アルフォンスの殺気が、一段階跳ね上がった。
「私の弱点、ですか。……ええ、そうでしょうね」
彼は私を抱き寄せた腕に、ぎゅっと力を込めた。
「私の弱点は、この腕の中にある。……だからこそ、私は最強なのです」
私の魔力が、指輪を通じて爆発的に彼へ流れ込む。共鳴する心音。
私は彼の弱点であり、同時に最強の燃料だ。
その矛盾こそが、私たちの強さ。
「消えなさい、不潔な蝿。二度と、私の視界に入らないでください」
アルフォンスが指を弾いた。
足元に巨大な転移陣――「ゴミ捨て場」へと直結する一方通行のゲートが開いた。
「う、うわぁぁぁぁぁッ!!」
セドリックの体は、抵抗する間もなく黒い穴へと吸い込まれていく。
断末魔の叫びと共に、彼は彼方へと消え去った。
おそらく、大陸の反対側の荒野か、魔物の巣窟あたりに排出されるだろう。
あの日、彼が私を王都へ連れ去ろうとした報いだ。
静寂が戻った。
霧が再び立ち込め、塔を隠していく。
アルフォンスは私の目から手を離し、手袋を脱いで捨てた。
「失礼いたしました。不快なものをお見せしてしまいましたね」
彼は新しい手袋を取り出し、装着する。
その顔には、先ほどの冷酷さは微塵もなく、
いつもの穏やかな執事の微笑みが浮かんでいた。
「……弱点って、ルシウスは私を狙ってるの?」
私が尋ねると、彼は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに首を横に振った。
「どんな策を弄しようとも、貴女が私の側にいてくださる限り、私は負けません」
彼は私の手を取り、指輪にキスをした。
「貴女の魔力が、私を生かしている。今の私は、貴女によって生かされている『不死の執事』なのですから」
その言葉に、胸が熱くなる。私の魔力が彼の中を駆け巡り、彼を強くしている。
その事実が、私をたまらなく高揚させた。
「そうね。あんたは私のものなんだから、勝手に負けたりしたら許さないわよ」
「はい、マイ・ロード」
彼は私を抱き上げ、塔の中へと歩き出した。
「さあ、戻りましょう。……外の空気に触れて、貴女の肌が少し汚れてしまったかもしれません」
「……またお風呂?」
「ええ。念入りに洗い清めなければ。……あの男の視線が触れた箇所も、すべて消毒が必要です」
彼の目が、怪しく光った。
これは、ただの入浴では終わらないだろう。
以前の「毒」の洗浄の時以上に、嫉妬と独占欲に火がついた執事の「お掃除」は、いつだって執拗で、甘くて、長いのだ。
私は彼の首に腕を回し、小さく笑った。
セドリックの執念なんて、この男の重すぎる愛の前では、埃ほどの重みもなかった。
霧に閉ざされた塔の中で、私たちは再び、二人だけの狂った楽園へと沈んでいく。
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