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第76話「セドリックの執念、霧を裂く剣」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

深い森の奥底、外界から隔絶された「忘れられた塔」。そのリビングで、私は優雅なティータイムを楽しんでいた。


「……ん。このクッキー、美味しい」


「ありがとうございます。森で自生していたクルミと、蜂蜜をたっぷりと使いました」


アルフォンスが、私の口元にクッキーを運んでくれる。私はソファに深く沈み込み、彼の手から直接それを齧る。  

自分で食べる必要はない。  

彼が私の手となり、足となっているのだから。


私の左手薬指には、目には見えない「不可視の指輪」が嵌められている。  

そこから、ドクンドクンと私の魔力が吸い出され、アルフォンスへと流れ込んでいる感覚。

それが、妙に心地よい。  

私がただ息をしているだけで、彼を生かしているという実感。


「おかわりはいかがですか?」


「ううん、もういい。……それより、髪。撫でて」


「御意」


彼は手袋を外し、素手で私の髪を梳き始めた。

大きな手のひらの熱。  

10メートルという移動制限リードの中で、私たちは常に密着し、体温を共有している。

外の世界がどうなっていようと、ここだけは永遠に平和で、甘い時間が流れている――はずだった。


キンッ――!!


突然、空気が凍りつくような金属音が響いた。  

それは、食器の触れ合う音ではない。  

もっと鋭利で、ドロリとした敵意に満ちた「侵入」の合図。


「……あら」


「……不愉快ですね。また、あの粘着質な気配ですか」


アルフォンスの手が止まる。  

彼のアイスブルーの瞳が、瞬時に細められ、窓の外へと向けられた。  

その目には、以前の塔に来客があった時と同じ、あからさまな嫌悪感が宿っている。


塔を包んでいた濃霧が、不自然に渦を巻いている。  

誰かが、無理やりこじ開けようとしているのだ。それも、ただの力任せではない。  

この「空白地帯」特有の磁場を解析し、執拗に結界の綻びを突く、極めて陰湿な術式。


「……しつこい羽虫です」


アルフォンスが立ち上がった。

同時に、アンクレットに引かれるように私も立ち上がる。 彼が動けば、私も動く。私たちは一心同体なのだから。


「行くの?」


「はい。玄関先で騒がれては、せっかくのティータイムが台無しです。……以前は見逃してやりましたが、二度目はありません」


彼は優雅に微笑み、私の腰を抱き寄せた。  

そして、私たちは転移魔法で一瞬にして塔の外、

霧の境界線へと移動した。



塔の前庭。

そこには、一人の男が立っていた。


以前見た時のような、仕立ての良い白のローブではない。  

ボロボロに汚れ、泥にまみれ、顔色は悪く、

目の下には濃い隈がある。  

けれど、その手に握られた白銀の長剣と、

プライドだけが高い碧眼は変わっていなかった。


「……はぁ、はぁ……ッ!やっと……やっと見つけたぞ……!」


男は血走った目で私たちを睨みつけた。

セドリック・ヴァレンタイン。  

かつて私の塔に押し入り、盗聴器入りの花束を贈ってきた、魔法省の傲慢なエリート。


「……アルフォンス・クラインッ!!」


セドリックが剣を突きつけ、絶叫した。


「よくも……よくも私をコケにしてくれたな!あの時、私の『情熱の蘭』をゴミのように燃やし、あまつさえ私を追い返すとは……!この屈辱、万死に値するぞ!」


「おやおや。まだ根に持っていたのですか」


アルフォンスは胸ポケットからハンカチを取り出し、口元を覆った。  

まるで、悪臭漂うゴミを見るような目で。


「貴方が持ってきたのは花ではなく、盗聴器と媚薬付きの産業廃棄物でしょう?適切に焼却処分したまでです。感謝していただきたい」


「き、貴様ぁ……ッ!その減らず口、すぐに利けなくしてやる!」


セドリックの額に青筋が浮かぶ。  

彼の視線が、アルフォンスの腕の中にいる私に向けられた。  

その瞬間、彼の表情が歪んだ執着に染まる。


「エルカ君!ああ、可哀想に!そんな薄汚い『掃除屋クリーナー』に囚われて……!今すぐ助けてあげるからね!君は洗脳されているだけなんだ!」


掃除屋。  

彼はあの日、アルフォンスの殺気に触れて、その正体に気づいていたはずだ。  

それなのに、まだ私を「被害者」だと決めつけている。


「……何言ってるの、あの人」


「妄想癖が悪化しているようです。やはり、以前来た時に『物理的な治療』をしておくべきでした」


私はため息をついた。囚われている?違うわよ。  

私は自分から望んで、この腕の中にいるの。  

それを「可哀想」だなんて、なんて失礼な男なの。


「エルカ君、待っていてくれ!この人殺しの狂犬を排除し、私が君を正しい道へ――魔法省の管理下へ導いてあげる!君の才能は私が有効活用してやる!」


セドリックが地面を蹴った。

速い。 腐っても「神童」。

その剣には、高密度の光属性魔力が纏われている。  

霧を切り裂き、一直線にアルフォンスの喉元へと迫る。


キィィィィン!!


衝撃音が響き渡る。  

しかし。  

セドリックの必殺の一撃は、アルフォンスの喉元でピタリと止まっていた。


「……な、に……!?」


セドリックが目を見開く。

アルフォンスは、剣を抜いてすらいない。  

ただ、左手の白い手袋――人差し指と親指の二本だけで、白銀の剣をつまんでいたのだ。


「……汚い」


アルフォンスが、心底嫌そうに呟いた。


「貴方のその剣……私怨と劣等感の臭いがします。最後に手入れをしたのはいつですか?道具一つ愛せない人間に、私の主人を愛する資格などありません」


「ふ、ふざけるなッ!これは聖剣だぞ!貴様ごとき薄汚い掃除屋が触れていい代物じゃ……ッ!?」


セドリックが剣を引こうとするが、びくともしない。アルフォンスの指先には、青白い光が集中している。  

それは、私の指輪から吸い上げた魔力だ。  

私の膨大な魔力が、彼の手袋を「絶対不可侵の盾」に変えている。


「ふざけてなどいません。……貴方は以前、私の主人に対して『所詮は田舎の塔』と言いましたね。そして今、私の大切な『聖域』に土足で踏み込んだ」


パキンッ。


乾いた音がした。アルフォンスの指が、聖剣の刀身をへし折ったのだ。


「その罪は、万死に値します」


「あ……ぁ……?」


セドリックの手から、折れた剣が滑り落ちる。  

アルフォンスは流れるような動作で、セドリックの顔面を鷲掴みにした。


「がっ……!?」


「その目です」


アルフォンスの声が、氷点下まで下がる。


「あの日、貴方は私の主人を値踏みするように見た。……その欲望に濁った不潔な瞳で、二度と私のエルカ様を見ないでいただきたい」


ドゴォッ!!


アルフォンスはそのまま、セドリックの頭を地面に叩きつけた。泥が跳ねる。  

エリート貴族の顔が、無様に地面にめり込む。


「かはっ……ぐ、ぅ……!」


「ああ、汚い。……エルカ様、ご覧になってはいけません。目が腐ります」


アルフォンスは私の方を向き、もう片方の手で私の目を優しく覆った。  

その手は温かく、ラベンダーの香りがした。  

足元で男が血を吐いて悶絶しているのに、彼の手のひらの中だけは、平和なティータイムの続きのようだ。


「……アルフォンス。早く終わらせて。紅茶が冷めちゃう」


「御意。……すぐに『掃除』いたします」


彼は私の目を覆ったまま、足元のセドリックを冷酷に見下ろした気配がする。


「き、貴様……覚えていろ……!」


泥だらけの顔を上げたセドリックが、血の泡を吹きながら喚く。


「ルシウス様は……貴様の弱点を掴んでいる……! エルカ・シュヴァルツさえ手に入れれば……貴様など……!」


「……ほう」


アルフォンスの殺気が、一段階跳ね上がった。


「私の弱点、ですか。……ええ、そうでしょうね」


彼は私を抱き寄せた腕に、ぎゅっと力を込めた。


「私の弱点は、この腕の中にある。……だからこそ、私は最強なのです」


私の魔力が、指輪を通じて爆発的に彼へ流れ込む。共鳴する心音。  

私は彼の弱点であり、同時に最強の燃料エネルギーだ。  

その矛盾こそが、私たちの強さ。


「消えなさい、不潔な蝿。二度と、私の視界に入らないでください」


アルフォンスが指を弾いた。  

足元に巨大な転移陣――「ゴミ捨て場」へと直結する一方通行のゲートが開いた。


「う、うわぁぁぁぁぁッ!!」


セドリックの体は、抵抗する間もなく黒い穴へと吸い込まれていく。  

断末魔の叫びと共に、彼は彼方へと消え去った。  

おそらく、大陸の反対側の荒野か、魔物の巣窟あたりに排出されるだろう。  

あの日、彼が私を王都へ連れ去ろうとした報いだ。


静寂が戻った。

霧が再び立ち込め、塔を隠していく。  

アルフォンスは私の目から手を離し、手袋を脱いで捨てた。


「失礼いたしました。不快なものをお見せしてしまいましたね」


彼は新しい手袋を取り出し、装着する。  

その顔には、先ほどの冷酷さは微塵もなく、

いつもの穏やかな執事の微笑みが浮かんでいた。


「……弱点って、ルシウスは私を狙ってるの?」


私が尋ねると、彼は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに首を横に振った。


「どんな策を弄しようとも、貴女が私の側にいてくださる限り、私は負けません」


彼は私の手を取り、指輪にキスをした。


「貴女の魔力が、私を生かしている。今の私は、貴女によって生かされている『不死の執事』なのですから」


その言葉に、胸が熱くなる。私の魔力が彼の中を駆け巡り、彼を強くしている。  

その事実が、私をたまらなく高揚させた。


「そうね。あんたは私のものなんだから、勝手に負けたりしたら許さないわよ」


「はい、マイ・ロード」


彼は私を抱き上げ、塔の中へと歩き出した。


「さあ、戻りましょう。……外の空気に触れて、貴女の肌が少し汚れてしまったかもしれません」


「……またお風呂?」


「ええ。念入りに洗い清めなければ。……あの男の視線が触れた箇所も、すべて消毒が必要です」


彼の目が、怪しく光った。

これは、ただの入浴では終わらないだろう。  

以前の「毒」の洗浄の時以上に、嫉妬と独占欲に火がついた執事の「お掃除」は、いつだって執拗で、甘くて、長いのだ。


私は彼の首に腕を回し、小さく笑った。  

セドリックの執念なんて、この男の重すぎる愛の前では、埃ほどの重みもなかった。  

霧に閉ざされた塔の中で、私たちは再び、二人だけの狂った楽園へと沈んでいく。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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