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第75話「マーキング:愛の重さ、石の重さ」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

深い霧の森に隠された「忘れられた塔」。  

アルフォンスの狂気的な大掃除によって、廃墟同然だったその場所は、今や王族の別荘も裸足で逃げ出すほどの「完璧な聖域」へと生まれ変わっていた。


磨き上げられた床は鏡のように光を反射し、

空気中には埃一つ舞っていない。  

カビ臭さは消え失せ、代わりにレモンと蜜蝋の安らかな香りが満ちている。


「……快適すぎるのも、考えものね」


私はリビング(元・蜘蛛の巣だらけのホール)のソファに深々と身を沈め、ため息をついた。

あまりにも環境が整いすぎているせいで、ここが逃亡先であることも、私たちが世界から追われる身であることも忘れてしまいそうだ。


いや、忘れさせようとしているのだろう。  

キッチンの方からは、小気味よい包丁の音と、

スープが煮込まれる甘い匂いが漂ってくる。 

私の執事は、今日も完璧に仕事をこなしている。


「エルカ様。お寛ぎのところ失礼いたします」


音もなく、アルフォンスが背後に現れた。  

手には銀のトレイではなく、何やら怪しげな魔導具と、数種類の宝石の粉末が入った小瓶を持っている。


「……なに?もうお昼?」


「いいえ。食事の前に、セキュリティの更新アップデートを行いたいと思いまして」


彼は恭しく一礼すると、ソファの前の床に片膝をついた。  

その視線は、私の左足首――あの日、彼が一周年記念に贈ってくれた銀のアンクレットに向けられている。


「このアンクレット……。貴女の歩みを管理し、私の命と繋ぐ大切な鎖ですが、一つ問題が生じました」


彼の手袋越しの指が、私の足首の鎖に触れる。  

ヒヤリとした感触と共に、懐かしい重みが蘇る。


「問題?」


「はい。この鎖に設定された『帰還座標ホーム』は、王都の塔になっています。……逃亡中、誤作動しないように機能を抑制していましたが、このままでは貴女が守備範囲を出た瞬間、敵だらけの王都へ強制転移されてしまう」


それは笑えない冗談だ。  

つまり、今のこの鎖は、ただのアクセサリー状態だったということか。


「ですので、座標を書き換えます。……『場所』ではなく、『私自身』へと」


彼はアンクレットの鎖に、宝石の粉末を振りかけながら、複雑な呪文を紡ぎ始めた。


ジジッ、ジジジッ……。  

アンクレットのアメジストが青白く発光し、皮膚が焦げるような熱さを感じる。  

あの一周年の夜、彼に初めてこれを嵌められた時と同じ、魂に焼き付けられるような「所有」の感覚。けれど、今回はそれ以上に、物理的な圧迫感が強かった。


「……っ、なんか、前より重くなった気がするんだけど」


「気のせいではありません。以前は『塔の敷地内』でしたが、ここは危険な森の中です。……範囲を極限まで絞らせていただきました」


アルフォンスは涼しい顔で作業を終え、満足げに頷いた。


「完了です。エルカ様、少しあちらの窓際まで歩いてみてください」


言われるがまま、私はソファから立ち上がり、

5メートルほど離れた窓へと歩き出した。

特に変化はない。足取りも軽い。

なんだ、脅かさないでよ。  

私は窓の外の霧を見ようと、さらに数歩進んだ。


その時だった。


ガクンッ!!


「えっ!?」


突然、左足首を何かに強く引かれた。  

まるで、見えないゴム紐が限界まで伸びて、

バチンと縮んだかのように。  

私の体は物理法則を無視して後方へと引っ張られ――。


ドサッ。


「……きゃっ!」


気づけば私は、ソファに座るアルフォンスの腕の中にすっぽりと収まっていた。  

窓際からソファまで、一瞬で引き戻されたのだ。


「……な、なによこれ!?」


「『自動引き寄せ機能』の活性化です」


アルフォンスは悪びれる様子もなく、私の髪を撫でた。


「私を中心として半径10メートル。……それが、現在の貴女に許された自由行動範囲です。それ以上離れようとすると、アンクレットが即座に作動し、貴女を私の腕の中――つまり、世界で一番安全な場所へと強制送還します」


10メートル。

以前は塔の中ならどこでも行けたのに。  

今度は、彼が移動しない限り、トイレにすら行けない距離だ。


「ちょっと!これじゃトイレも行けないじゃない!」


「ご安心を。貴女が移動する際は、私も影のようにお供しますので」


「そういう問題じゃなくて!」


「問題ありません。……貴女の歩みは全て私のもの。そう誓ったはずですよ?」


彼は妖艶に微笑み、私の足首にキスを落とした。あの日と同じ場所。

でも、その熱量は以前よりも遥かに重く、逃げ場のないものになっていた。


「……はぁ。もう、好きにして」


私は抗議する気力を失い、彼の胸に凭れかかった。強制的に引き戻される感覚。  

それは恐怖よりも、「絶対に逃さない」という彼の執着の証明みたいで、背筋がゾクゾクするほど甘美だった。


「ありがとうございます。……では、次は『手』ですね」


彼は私を膝の上に乗せたまま、今度は私の左手を取った。  

薬指には、すでに彼がくれたプラチナの指輪(絶対防御機能付き)が嵌まっている。


「まだ何かするの?もう指輪ならあるでしょ」


「ええ。ですが、これは防御用です。今から贈るのは、私を生かすための『パイプライン』です」


彼は私の細い指を、一本一本愛おしそうになぞった。  

その指先から、青白い魔力の糸が紡ぎ出される。


「物質ではない……『概念』としての指輪を贈ります」


彼の魔力が、私の指に絡みつく。 熱い。  

アンクレットの時とは質の違う、吸い取られるような感覚。


「アルフォンス……これ……」


「じっとしていてください。……私の魔力で作った、不可視の指輪です」


彼は私の薬指の爪先から根元まで、緻密な魔術式を直接刻み込んでいく。  

プラチナの指輪の上から、さらに重なるようにして、青白く輝く光の輪が形成されていく。


やがて、光が収束し、目に見えないけれど、確かな重みを持つ「第二の指輪」が完成した。

その瞬間。ドクン。  

私の体の中の魔力が、指輪を通じて彼の方へと吸い出される感覚があった。


「……んっ?」


不快ではない。

むしろ、くすぐったいような、心地よい脱力感。  

私の膨大な魔力が、少しずつ、でも絶え間なく彼へと流れ込んでいる。


「気づかれましたか?」


アルフォンスが、少し自嘲気味に笑った。


「アンクレットは私たちの命を『繋ぐ』ものですが、この指輪は……貴女の余剰魔力を吸い上げ、私の生命力へと変換し、『奪う』ものです」


「……私の魔力を、あんたの命に?」


「はい。……私の体は、長年の酷使とルシウスの呪印によって、ボロボロでした。本来なら、とっくに寿命が尽きていてもおかしくない」


彼は私の手を頬に押し当てた。  

以前は冷たかった彼の手が、今はポカポカと温かい。それは、私の魔力が彼を生かしている熱だ。


「ですが、こうして貴女と繋がり、貴女の魔力を分けていただくことで……私は生きながらえることができます。……私は文字通り、貴女なしでは一日たりとも生きられない『寄生虫』になってしまったわけです」


寄生虫。  

彼は自分を卑下するようにそう言ったけれど、

私にはそれが、世界で一番ロマンチックな告白に聞こえた。  

彼は私を縛り付けているようで、実は彼自身が、私の魔力(命)に繋がれていなければ死んでしまうのだ。


完全なる共依存。私が彼の人形であると同時に、彼は私の臓器の一部なのだ。


「……バカね。寄生虫なんて可愛いもんじゃないわよ」


私は彼の手を握り返し、指輪の感触を確かめた。

重い。この重さは、彼の一生の重さだ。


「あんたは私の執事でしょ?主人の魔力を食い潰してでも、私を守りなさいよ。私が死んだら、あんたも道連れなんだから」


「……ふっ。……ええ、勿論です」


アルフォンスの瞳が、涙で潤んだように揺らめいた。  

彼は私の腰を抱き寄せ、さらに深くソファに沈み込ませた。  

私は抵抗することなく、彼の膝の上に丸まった。  

猫のように。あるいは、彼の大切な所有物のように。


「……もう、逃げられないのね」


「はい。10メートル以上離れられず、その指先は私の命と直結している。……貴女はもう、籠の中の鳥です」


彼の言葉は残酷なはずなのに、声色は甘いシロップのように優しかった。  

私は彼の胸に耳を押し当てた。トクトクと聞こえる心音。  

それは、私の魔力で動いている心臓の音だ。あの夜に聞いた時よりも、もっと強く、もっと近く感じる。


「悪くないわ」


私は目を閉じた。外は霧に包まれた未知の森。

世界中は敵だらけ。  

でも、この腕の中だけは、確かに温かくて、安全で、そして永遠だ。


「ねえ、アルフォンス」


「はい、エルカ様」


「お昼ご飯、まだ?」


「……ふふっ。食いしん坊なお姫様ですね。ただいま、特製のシチューを仕上げてまいります」


彼は私を膝に乗せたまま――

つまり、私を抱きかかえた状態で、器用に立ち上がった。

10メートル離れるのが嫌なら、こうして運べばいい。そんな彼の極端な理屈が、今の私には正解のように思えた。


「離しませんよ。……食事中も、このままで」


「……はいはい。あーんしてよね」


「仰せのままに」


私たちは一体化したまま、甘い匂いの漂うキッチンへと向かった。  

足首の鎖がチャリと鳴り、指輪が青白く輝く。  

それは私たちが、二度と離れられない運命共同体になったことを告げる、祝福の音色だった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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