第74話「秘境の古塔、第二の「聖域」」
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深い霧の中を、どれくらい歩いただろうか。
視界は白く閉ざされ、方向感覚も怪しくなってきた。
アルフォンスの腕の中は快適だが、さすがに彼を疲れさせるわけにはいかない。
「アルフォンス、そろそろ降ろして。自分で歩くわ」
「お断りします。この霧には微弱な幻覚作用と、方向感覚を狂わせる磁場が含まれています。貴女の手を離せば、一瞬で迷子になりますよ」
彼は私を抱き直しながら、平然と言った。
汗一つかいていない。
彼にとって私は、荷物ではなく「体の一部」のようなものなのだろうか。
「それに、地面がぬかるんでいます。貴女の美しい足を汚すわけにはいきません」
「……過保護すぎ」
私は彼の方に顔を埋め、その匂いを吸い込んだ。
レモンと蜜蝋、そして微かに残る血と汗の香り。
その混ざり合った匂いが、今の私にはどんな香水よりも愛おしい。
ザッ、ザッ、ザッ……。
静寂の中、彼の下草を踏む音だけが響く。
やがて、霧の向こうに巨大な影が浮かび上がってきた。
「……あれは?」
「どうやら、目的地に到着したようですね」
霧が晴れると、そこにそびえ立っていたのは、苔むした巨大な石塔だった。
かつて私たちが住んでいた塔よりも古く、蔦に覆われ、一部は崩れかけている。
まるで、数百年もの間、世界から忘れ去られていたような佇まい。
「……随分とボロい……いえ、歴史を感じる建物ね」
「外壁の風化具合から見て、三百年以上前の建築様式ですね。……ですが、構造体はしっかりしています。リノベーションにはうってつけの素材です」
アルフォンスの目が、獲物を狙う獣のように光った。
彼にとって、この廃墟は「ボロ屋」ではなく「磨きがいのある原石」なのだ。
「ここを、私たちの新しい拠点にしましょう。……第二の『聖域』です」
彼は塔の入り口に近づいた。
重厚な木の扉は朽ち果て、触れるだけで崩れ落ちそうだ。
彼は私を一旦、比較的綺麗な石の上に降ろすと、手袋を嵌め直した。
「まずは、玄関の確保から始めます。少し埃が舞いますので、ハンカチで口を覆っていてください」
彼が指を鳴らす。
ドォォォォン!!
衝撃波が走り、入り口を塞いでいた瓦礫や蔦、そして長年の埃が一気に吹き飛んだ。
舞い上がる粉塵。
しかし、それらは私の元へ届く前に、見えない壁に弾かれて消え失せる。アルフォンスが私に展開している絶対防御結界だ。
「……掃除っていうか、爆破よね」
「効率化です。……さあ、どうぞ」
彼のエスコートで、私は塔の中へと足を踏み入れた。
内部は、予想通り……いや、予想以上の惨状だった。
床は見えないほど積もった埃と瓦礫。
天井からは巨大な蜘蛛の巣が垂れ下がり、壁には得体の知れないカビがアートのように繁殖している。空気は澱み、腐った木と湿気の臭いが鼻をつく。
「……うわぁ」
私は思わず袖で鼻を覆った。
元「ゴミ屋敷の魔女」の私でさえドン引きするレベルだ。しかし、隣のアルフォンスは違った。
「素晴らしい……」
彼は恍惚とした表情で、汚れた天井を見上げていた。その瞳は爛々と輝き、頬は紅潮している。
「この圧倒的な不潔感……!数百年分の汚れ……! 私の掃除魂が滾ります!ああ、どこから手をつけるべきか……全部だ!全部まとめて消滅させてやる!」
彼は完全にハイになっていた。
潔癖症の彼にとって、ここは地獄であると同時に、征服すべき「戦場」なのだ。
「エルカ様。貴女は、あちらの比較的綺麗なスペースでお待ちください。いえ、待っていてはいけません」
彼は懐から杖という名のモップを取り出し、
私に向けた。
「貴女には、椅子になっていただきます」
「……は?」
「床に座らせるわけにはいきません。かといって、家具はすべて腐っています。……ですから」
彼が杖を一振りすると、私の体がふわりと浮き上がった。重力制御魔法。
「私が掃除を終えるまで、空中で待機していてください。決して、足をついてはいけませんよ?」
私は宙に浮いたまま、彼に「待て」を命じられた犬のようにポカンとした。
過保護もここまで来るとギャグだ。
でも、彼の目は真剣そのものだ。
「掃除開始!!」
そこからは、まさに嵐だった。
アルフォンスは高速で移動しながら、魔法と物理攻撃を織り交ぜてゴミを駆逐していく。
「カビの胞子、一匹たりとも逃がしません!滅菌!」
「蜘蛛の巣、不快です!焼却!」
「床の黒ずみ、許せません!研磨!」
バシュッ!ドカッ!キュイィィィン!!
魔法の光と、掃除道具の風切り音が交錯する。
私は空中の特等席から、その狂気じみた「大掃除ショー」を眺めていた。
(すごい。あんなにボロボロだったのに)
彼が通った後には、新築のように輝く床が現れる。
壁のカビは瞬時に消え去り、代わりに清潔な石肌が露わになる。
腐った空気は浄化され、レモンと石鹸の香りに置き換わっていく。
一時間後。
廃墟だった塔の1階ホールは、王宮のダンスホールのように生まれ変わっていた。
「ふぅ。とりあえず、居住スペースの確保完了です」
アルフォンスは額の汗を拭い、満足げに頷いた。
燕尾服には埃ひとつついていない。
彼は私の方へ歩み寄り、優しく床に降ろしてくれた。
「お疲れ様でした、エルカ様。……退屈させてしまいましたね」
「ううん。見てて面白かったわ。魔法よりも魔法みたい」
私が磨き上げられた床を恐る恐る踏むと、コツンと澄んだ音がした。
「これで、ここが私たちの新しい家ですね」
「家……。そうね、私たちの『檻』ね」
私はぐるりと見回した。窓の外は深い霧。
入り口は彼が厳重に結界を張っている。
ここは世界から隔絶された、二人だけの閉じた箱庭だ。
「……不満ですか?」
「まさか。……最高よ」
私は彼に抱きついた。もう、外の世界なんてどうでもいい。
彼がいて、綺麗な部屋があって、美味しいご飯があれば、それでいい。
私は魔力を失い、生活能力もなく、彼なしでは何もできない人形になりつつあるけれど。
その無力感が、たまらなく甘美で心地よかった。
「さて、次は地下の貯蔵庫を確認しましょう。食料の備蓄場所が必要です」
アルフォンスは私の手を引き、ホールの奥にある地下への階段へと向かった。
階段も綺麗に掃除されており、カビ臭さは微塵もない。
螺旋階段を降りていくと、ひんやりとした空気が漂ってきた。
「……広いですね」
地下室は、予想以上に広大だった。
かつての住人が使っていたと思われる、古びた木箱や樽が山積みになっている。
「これは……年代物のワインでしょうか。……いえ、中身は蒸発していますね」
アルフォンスが手近な樽を確認している間、
私は部屋の奥へと進んだ。
何かに呼ばれている気がしたのだ。部屋の最奥。
そこに、異質な空気を放つ一角があった。
埃を被った古い机。
その上に、一冊の分厚い手帳と、奇妙な金属片が置かれている。
「……これ、なに?」
私は手帳の埃を払い、表紙を見た。
そこには、古代語で『掃除屋ギルド・支部日誌』と書かれていた。
「掃除屋……ギルド?」
私はアルフォンスを振り返った。
彼は私の声に反応し、すぐに駆け寄ってきた。
「何か見つけましたか?」
「うん。これ……」
彼に手帳を渡す。 彼はそれを受け取ると、一瞬にして表情を凍らせた。
「……これは」
彼がページを捲る。そこには、数百年前にこの塔を拠点としていた暗殺者集団――
通称「掃除屋」の活動記録が記されていた。
『本日、三名の不浄者を処理。遺体は地下水脈へ』
『依頼主より報酬受領。……我々は世界の汚れを拭う雑巾なり』
その文言は、アルフォンスがかつてルシウスの下でやらされていた仕事と、不気味なほど酷似していた。
「……どうやらここは、私の『同業者』たちの古代の拠点のようですね」
アルフォンスは静かに手帳を閉じた。
その横にある金属片。それは、錆びついているが、よく見ると「双蛇の紋章」――ルシウスが使う紋章の原型のようなデザインが刻まれていた。
「ルシウスの組織……『双蛇会』の前身。まさか、こんな場所でルーツに出会うとは」
彼は自嘲気味に笑った。運命の皮肉。
逃げ込んだ先が、自分を苦しめてきた呪いの源流だったなんて。
「アルフォンス……大丈夫?」
「ええ。むしろ、好都合です」
彼は金属片を手に取り、強く握りしめた。
バキッ。金属片が粉々に砕け散る。
「過去の亡霊など、恐るるに足りません。ここはもう、彼らのアジトではない。私と貴女の愛の巣です」
彼は砕けた破片を床に捨て、踏みつけた。
「過去を掃除し、現在を磨き上げ、未来を輝かせる。それが私の流儀です」
彼の瞳には、迷いはなかった。
呪いのルーツさえも、彼は「掃除対象」として処理し、私との生活のために利用するつもりだ。
「……そうね。ここにあるもの全部、あんたの好きにしていいわ」
「ありがとうございます。では、この地下室は改装して、貴女の衣装部屋と……あとは『特別な部屋』にしましょうか」
特別な部屋?
私が首を傾げると、彼は意味深に微笑んだ。
「いつか、貴女が悪戯をした時に……じっくりと反省していただくための『お仕置き部屋』です」
「……趣味悪いわね」
「フフッ。……冗談ですよ(半分は)」
彼は私の腰を抱き寄せ、地下室の冷たい空気の中でキスをした。
こうして、私たちは「忘れられた塔」を手に入れた。
世界から隠され、過去の因縁が眠る場所。
でも、ここには最強の執事と、彼に溺愛される魔女がいる。
どんな呪いも、彼の掃除の前ではただの埃に過ぎない。
私たちの、甘く、狭く、そして完璧に管理された新生活が、ここから始まるのだ。
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