表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/122

第71話「再会の消毒、雨滴の愛撫」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

豪雨だった。  

魔法省の地下「奈落」を脱出した私たちを待っていたのは、世界を洗い流すような土砂降りの雨だった。雷鳴が轟き、稲妻が夜空を引き裂く。  

でも、その激しささえも、今の私たちには心地よい凱旋のファンファーレに聞こえた。


「……はぁ、はぁ……っ」


泥濘ぬかるみに足を取られながら、私は森の中を走っていた。  

隣にはアルフォンス。彼は私の腰を支え、まるでダンスをリードするかのように、障害物を避けながら並走している。  

ボロボロのシャツ、泥だらけの頬。  

けれど、その瞳の輝きだけは、かつての「完璧な執事」のそれに戻っていた。


「エルカ様、あちらに洞窟があります。……一時的な避難所シェルターとしましょう」


「……うん、分かった」


私たちは岩肌に口を開けた小さな洞窟へと滑り込んだ。  

外の轟音が、少しだけ遠ざかる。  

冷たい雨から解放され、私は壁に背中を預けて座り込んだ。


「……あー、疲れた。まさか魔法省をぶっ壊して逃げることになるなんてね」


私は濡れた前髪をかき上げ、隣に座るアルフォンスを見て笑った。  

彼もまた、濡れた銀髪を雫が伝い、鎖骨へと落ちていく。  

なんて色っぽいんだろう。  

血と泥に塗れていても、彼はやっぱり私の最高傑作だ。


「アルフォンス、こっち来て。……寒いわ」


私は彼に両手を伸ばした。抱きしめてほしい。

あの地下牢での再会の続きを。

もっと体温を感じて、生きてここにいることを確かめ合いたい。


しかし。アルフォンスは動かなかった。  

それどころか、彼は私の伸ばした手を見つめ、

眉間に深い皺を寄せたのだ。  

まるで、這い回る害虫を見つけた時のような、

険しい表情で。


「……エルカ様」


「な、なに?」


「……今の貴女は、私が知る限り、過去最高に不潔です」


洞窟の中に、冷たい沈黙が流れた。


「……は?」


私は耳を疑った。感動の脱出劇の直後よ?

命からがら逃げてきたのよ?  

第一声が「不潔」ってどういうこと?


「見てください、そのドレスを。……泥、血、煤。さらに最悪なことに、あの地下牢特有のカビの胞子と、下水のような湿気が繊維の奥まで染み込んでいます」


アルフォンスは私のドレスの裾を摘み上げ、汚物を見る目で言った。


「肌もです。……雨で表面の汚れは落ちましたが、毛穴の奥に、あの管理官どもの不潔な魔力の残滓ざんしがこびりついている。ああ、許せない。私のエルカ様が、こんな……こんな汚染物質まみれで……ッ!」


彼はブツブツと呟きながら、自分の爪を噛み始めた。 出た。潔癖症の発作だ。  

さらに悪いことに、今回は「私への独占欲」と「他者への嫉妬」が混ざり合い、拗らせ方が半端ではない。


「……緊急事態エマージェンシーです。直ちに、徹底的な洗浄クリーニングが必要です」


彼はバッと顔を上げ、ギラギラと光るアイスブルーの瞳で私を射抜いた。


「……脱いでください、エルカ様」


「えっ、ここで!?」


「はい。一秒でも早く、その汚れた布切れを焼却処分し、貴女の肌を無菌状態に戻さなければ……私が発狂してしまいそうです」


彼は本気だ。狂気じみた執着。

でも、不思議と嫌じゃなかった。  

彼がそこまで私の「汚れ」を気にするのは、

それだけ私を大切に思ってくれている裏返しだから。


「……分かったわよ。好きにしなさい、変態執事」


私は苦笑しながら、立ち上がった。


洞窟の一角に、淡い光の結界が張られる。  

その中だけ、外の嵐が嘘のように静かで、温かい空気が満ちた。  

さらに彼は、空気中の水分を凝縮させ、私たちの目の前に巨大な「水の球体」を作り出した。

適温に温められた、完全なる純水の湯船だ。


「さあ、どうぞ」


促されるまま、私は泥だらけのドレスを脱ぎ捨てた。  

濡れた布が肌から剥がれる音。

冷たい空気に晒された肌が、粟立つ。  

下着も、靴下も、すべて脱ぎ捨て、私は生まれたままの姿になった。


「……失礼します」


アルフォンスが私を抱き上げ、水の球体の中へと運んだ。ふわりと浮遊感。  

温かいお湯が全身を包み込む。  

冷え切った手足の先まで血が巡り、凝り固まった筋肉が解けていく。


「んぅ……気持ちいい……」


「まだです。ここからが本番です」


アルフォンスもまた、汚れたシャツを脱ぎ捨てて中に入ってきた。  

引き締まった上半身。あちこちに残る拷問の傷跡は、先ほどの生命共有で塞がっているものの、

まだ赤々として痛々しい。

私は思わず、その傷跡に指を伸ばした。


「アルフォンス、傷が……」


「お気になさらず。それより……今は貴女の洗浄が最優先です」


彼は私の手を優しく掴み、自分の唇に押し当てた後、私の背後に回り込んだ。


「……消毒を開始します」


彼の手が、私の肩に触れた。白い手袋はしていない。素手だ。  

お湯の中でも分かるほど熱い掌が、私の肌を滑る。


「……っ」


強い。いつもの優しいマッサージとは違う。  

汚れを削ぎ落とすような、強い摩擦。  

彼の指が、首筋から鎖骨、そして二の腕へと這う。


「ここ……。あの管理官が触れた場所ですね」


彼は私の右腕を掴み、低い声で言った。  

そこは、注射針を何度も刺された場所だ。


「他人の魔力が染み付いている。……不愉快だ。汚らわしい」


ゴシゴシと、親指の腹でその場所を擦る。痛い。皮膚が赤くなるほどだ。


「あ、痛いよアルフォンス……」


「我慢してください。……汚れが落ちないんです」


彼の目は据わっていた。

物理的な汚れはとっくに落ちている。  

彼が落とそうとしているのは、私が彼以外の男に管理され、傷つけられたという「事実」そのものだ。


「上書きします。私の痕跡で、塗りつぶします」


彼は私の腕に唇を押し当て、強く吸い付いた。

チュウゥゥ……ッ。甘い痺れが走る。  

唇を離すと、そこには鮮やかな赤いキスマークが残されていた。


「……これでよし」


彼は満足げに呟くと、今度は背中へ、腰へと手を滑らせた。石鹸などない。  

あるのは、魔法で生成された純水と、彼の指先だけ。  

それなのに、どんな高級なスパよりも濃密な時間だった。


彼の指が、私の背骨を一本一本なぞる。

脇腹を、太ももを、膝の裏を。  

彼の手が通った場所から、他人の気配が消え、

代わりに「アルフォンスのもの」という見えないタグが付けられていく。


「エルカ様。こっちを向いて」


彼に肩を引かれ、私は水の中で向き直った。  

目の前には、欲望と独占欲で潤んだアイスブルーの瞳。  

いつもの冷徹な執事はどこにもいない。  

ただ、私を愛してやまない一人の男がそこにいた。


「綺麗になった?」


「いいえ。まだ足りません」


彼は私の腰を引き寄せ、密着した。

肌と肌が触れ合う。熱い。  

彼の鼓動が、私の胸に直接響いてくる。


「もっと深く……貴女の芯まで、私で満たさないと」


アルフォンスの唇が、私の唇を塞いだ。

奈落での血の味のキスとは違う。  

甘く、蕩けるような、そしてどこまでも深い口づけ。舌の裏の刻印が熱く疼き、魂が震える。


「んっ……ふぁ……」


水の中で、彼の手が私の体を愛撫する。  

優しく、けれど所有権を主張するように強く。  

私は彼の首に腕を回し、しがみついた。


「……アルフォンス、好き……大好き……」


「存じております。……私も、貴女を愛しています。私の命、私の女王」


言葉は、すぐに熱い吐息にかき消された。  

洗浄という名目は、いつしか濃厚な愛の営みへと変わっていた。  

外の世界では嵐が吹き荒れているけれど、この狭い洞窟の中だけは、世界一温かくて、甘い時間が流れていた。


私たちは何度も名前を呼び合い、確かめ合った。失いかけた温もりを。  

二度と離れないという誓いを、言葉ではなく、

体温で刻み込むように。


翌朝。

私が目を覚ますと、そこは洞窟の中……のはずだった。


「……え?」


私は目をぱちくりさせた。  

昨夜、ゴツゴツしていたはずの岩肌は、鏡のようにツルツルに磨き上げられ、天井には発光苔ヒカリゴケを加工したシャンデリアが吊るされている。  

床には、どこから調達したのか、ふかふかの絨毯のような苔の加工品が敷き詰められ、部屋の隅には野花が生けられた即席の花瓶まである。


まるで、高級ホテルのスイートルームだ。


「お目覚めですか、エルカ様」


爽やかな声と共に、アルフォンスが現れた。  

彼の服も魔法で修復・洗浄されており、いつものパリッとした燕尾服姿に戻っている。  

手には、湯気の立つカップ。


「洞窟とはいえ、生活水準を下げるのは執事の恥ですから。……徹夜でリフォームしておきました」


「……あんたって、本当にぶっ飛んでるわね」


私は呆れながらも、差し出された白湯を受け取った。温かい。  

昨夜の愛撫の余韻で、体は少し気だるいけれど、

心は羽根のように軽かった。


「……ありがとう、アルフォンス」


「お礼には及びません。さあ、今日は忙しくなりますよ。髪を乾かしたら、朝食にして、それから……」


彼はいつものようにテキパキと私の世話を焼き始めた。  

指名手配犯としての逃亡生活。  

前途は多難かもしれないけれど、この過保護で完璧な執事がいる限り、私の生活は変な方向に守られ続けるのだろう。


私は磨き上げられた岩壁に映る、少し大人びた自分の顔を見て、小さく微笑んだ。  

首筋には、昨夜彼がつけた赤いマークが、勲章のように残っていた。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ