第69話「魔女の覚醒、愛のための破壊」
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ガンッ!!
鈍い音がして、私の体は硬い石床に叩きつけられた。
「……あ、ぐぅっ……」
口の中が切れ、鉄錆のような血の味が広がる。
視界が明滅する。
ここは塔の地下、かつてはアルフォンスが食料庫として綺麗に整頓していた場所だ。
だが今は、無機質な魔導機器と拘束具が並ぶ、
冷酷な実験室と化していた。
「被検体E-01、反応レベル低下。……チッ、脆いな」
頭上から降ってくるのは、新しい管理官の冷たい声だった。
彼は白衣の裾を翻し、床に転がる私を汚物でも見るような目で見下ろしている。
その足元には、空になった魔力抽出用の注射器と、得体の知れない薬液のアンプルが何本も散乱していた。
痛い。寒い。苦しい。
数日間に及ぶ監禁と実験で、私の体は限界を超えていた。
かつて「磁器人形」と称された肌は土気色に淀み、あちこちに紫色のあざが浮いている。
アルフォンスが「夜空のようだ」と愛でてくれた黒髪は、脂と埃に塗れ、枯れた雑草のように絡まり合っていた。
(……汚い)
薄れゆく意識の中で、私は自分の惨めな姿を嘲笑った。
今の私は、お姫様でも何でもない。
ただの薄汚れた実験動物だ。
アルフォンスが命を削って磨き上げてくれた「作品」が、こんなにも無残に踏みにじられている。
「おい、立て。次のサイクルだ」
管理官が私の髪を乱暴に掴み、無理やり引き起こした。ブチブチと髪が抜ける音がする。
「痛い……やめ……」
「黙れ。長官からのオーダーは『限界値の測定』だ。壊れるまで搾り取れとな」
彼は私の顔を覗き込み、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
「しかし、あの執事も物好きだな。こんな薄汚い女のどこが『至宝』なんだか。……中身をくり抜いて、魔力タンクにした方がよほど役に立つ」
その言葉が、私の心の奥底にある「何か」に触れた。
「……言うな」
私は掠れた声で呟いた。
震える足で床を踏みしめ、管理官の手を振り払う。
「あんたみたいな三流に……アルフォンスを語る資格はない」
「……あ?」
「あいつは……あいつだけは、私を汚いなんて言わなかった。……どんなに私がダメでも、ゴミだらけでも、あいつだけは……私を宝物みたいに扱ってくれたのよ!」
涙が溢れ出した。恐怖からじゃない。
悔しさと、そして彼への愛おしさが爆発した涙だった。胸元に隠し持っていた、あの日誌の感触を思い出す。
彼が連行される直前まで綴っていた、私への愛の記録。
『貴女は、私が磨き上げた最高の女性です』
『貴女は人形などではない。自分の足で立ち、運命を切り開くことができる魔女です』
アルフォンス。あんたは嘘つきだ。
私を「何もできない人形」にしたんじゃなかったの?
私の翼をもいで、カゴの中に閉じ込めたんじゃなかったの?
違う。彼は、私の翼をもいだんじゃない。
嵐が吹き荒れる外の世界で、私が傷つかないように。
その翼が大きく育つその日まで、優しく畳んで、
守ってくれていただけだったんだ。
(……ごめんね、アルフォンス。私、やっと分かったよ)
ドクン。心臓の奥底で、小さな種火が灯った。
「被検体、魔力反応増大……?なんだ、この数値は」
管理官が計器を見て狼狽し始めた。
針がレッドゾーンを振り切ろうとしている。
私は目を閉じた。
体の中にある「毒」の正体を、日誌で知ったからだ。
毎日飲まされていた、あの甘く香ばしい紅茶。
あれは『魔力圧縮保存剤』。
一年間、彼は私の膨大すぎる魔力を封印し、体内で熟成させ、純度を高め続けてくれた。
私の体は今、一年分の魔力を極限まで圧縮した、歩く核兵器そのものなのだ。
「……解放コード、承認」
私は呟いた。
それは呪文ではない。彼と私が過ごした日々。
散らかった部屋を片付け、汚れた服を洗い、泥だらけの心を磨いてくれた、私たちの愛の合言葉。
『――掃除完了ッ!!』
カッッッッ!!!!
その瞬間、世界が反転した。
私の中心から、漆黒と蒼銀が混ざり合った光の奔流が噴き出した。
ドゴォォォォォンッ!!
衝撃波が地下室を揺るがす。
管理官は悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされ、
壁に激突した。
拘束具が弾け飛び、魔導機器が火花を散らして爆散する。
熱い。いや、冷たい。相反する二つの温度が、
私の血管の中で渦を巻いている。
それは私の魔力と、体内に蓄積されていたアルフォンスの魔力が融合した証だった。
「……あ、ああ……」
私は宙に浮いていた。
重力という枷から解き放たれ、光の繭の中で、
私は生まれ変わっていく。
見て、アルフォンス。
あんたが磨いてくれた私が、今、本当の姿になるよ。
ボサボサだった黒髪が、魔力の風を受けて生き物のように波打つ。
汚れが剥がれ落ち、代わりに星空を溶かしたような深い光沢を纏っていく。
毛先に向かってアメジスト色の燐光を放ち、それはもはや髪というより、夜の帳そのものだった。
カサカサだった肌は、内側から発光するように白く輝き始める。
傷も、あざも、すべてが光に溶けて消え、透き通るような白磁の肌が現れる。
そして、薄汚れたパジャマは魔力の糸によって織り直され、漆黒のドレスへと変貌した。
幾重にも重なるレース、夜闇色のベルベット、
そして所々に散りばめられた銀の刺繍。
それはまるで、彼が好んで着ていた燕尾服と、
私の魔女のドレスを融合させたような、喪服のように美しく、戦闘服のように気高い装束だった。
「……ヒィッ……な、なんだ、その姿は……!」
瓦礫の中で腰を抜かしている管理官が、震える指で私を指差した。
私はゆっくりと瞼を開いた。
そこにあるのは、もう怯えた少女の瞳ではない。
アメジストの瞳孔が鋭く縦に裂け、その周囲をアイスブルーの光輪が取り囲む。
魔女の妖艶さと、執事の冷徹さを併せ持った、
魔王の瞳。
「……騒がしいわね」
私の一言で、空間が凍りついた。比喩ではない。
吐き出した息がダイヤモンドダストとなって舞い散り、床や壁が瞬時に霜で覆われていく。
「な、被検体E-01……!直ちに鎮静化しろ!これは命令だ!」
管理官が錯乱して電気ショックの杖を構えた。
バチバチと放たれた電撃が、私に向かって飛んでくる。
パキン。
電撃は、私の肌に触れる数センチ手前で、見えない「氷の壁」に阻まれて霧散した。
指輪が、アンクレットが、そして舌の刻印が、
一斉に共鳴音を奏でている。
アルフォンスの魔力が戻ってきたわけではない。
私の圧倒的な魔力が、枯渇していたアイテムたちに無理やり命を吹き込み、再起動させたのだ。
「……命令?」
私は空中で足を組み、冷酷な笑みを浮かべた。
かつてアルフォンスが、敵対者をゴミとして見下ろした時と同じ角度で。
「勘違いしないで。私に命令していいのは、世界でたった一人……私の執事だけよ」
私は右手を、管理官に向けた。
手のひらに、漆黒の雷球が収束していく。
バチバチバチッ!
黒い稲妻の中に、青い氷の礫が混ざり合う。
それは、私と彼、二人の魂が混ざり合った「絶対零度の黒雷」。
「さあ、掃除の時間よ。……私の大切な人を奪い、私の聖域を汚した不潔なゴミを」
私は瞳を細め、宣告した。
「一匹残らず、消毒してやる」
ズドンッッ!!!!
放たれた黒雷は、管理官の悲鳴ごとかき消し、
彼を瞬時に氷像へと変え、次の瞬間には粉々に砕け散らせた。だが、威力はそれだけでは収まらなかった。
黒雷は地下室の天井を突き破り、塔の上層階へと突き抜けていく。
ガラガラガラ……ドゴォォォォォン!!
轟音と共に、塔が崩壊を始めた。
私たちが暮らしたリビングが、寝室が、愛の巣が、瓦礫となって崩れ落ちていく。
でも、悲しくはなかった。
だって、アルフォンスがいない場所なんて、
家じゃない。ただの石の塊だ。
彼がいる場所こそが、私の「家」なのだから。
私は瓦礫を蹴散らし、崩壊する塔の天井を突き破って、空へと舞い上がった。
「ッハァァァァァァ……!!」
久々に浴びる、外の空気。
風が私の新しいドレスを靡かせ、艶やかな黒髪を揺らす。
眼下には、半壊した塔と、逃げ惑う監査官たちの姿。
彼らは空を見上げ、絶望の表情で私を見ているだろう。
「ゴミ屋敷の魔女」が、「破壊の女王」へと羽化した姿を。
私は王都の方角――魔法省がある「奈落」の方角を見据えた。
遠い。でも、感じる。
舌の裏の刻印が、微かだけど、確実に熱を持っている。彼が生きている。彼が私を待っている。
「待ってて、アルフォンス」
私は強く拳を握りしめた。
薬指の指輪が、プラチナの輝きを放ち、私の決意を肯定するように脈打つ。
「あんたが私を磨いてくれたように、今度は私が、あんたを助け出してあげる」
涙はもう乾いていた。
今の私にあるのは、世界を敵に回してでも愛する男を取り戻すという、燃えるような殺意と愛だけ。
「……首を洗って待ってなさい、ルシウス。あんたの自慢の『最高傑作』が、あんたの組織を解体しに行ってあげるわ」
ドンッ!! 私は大気を蹴った。
ソニックブームのような衝撃波を残し、私は流星となって空を駆けた。
行こう。私の執事が待つ、地獄の底へ。
そして、必ず連れて帰る。
だって私は、彼が手塩にかけて育て上げた、
世界一わがままで、世界一最強の主人なのだから。
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