表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/122

第68話「灰色の塔、新しい「普通の」執事」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

朝が来た。  

カーテンの隙間から差し込む光が、私の瞼を刺す。  

いつもなら、このタイミングで心地よい紅茶の香りと、「おはようございます、エルカ様」という甘い声が降ってくるはずだった。


けれど、今日は無音だ。寒々しいほどの静寂。  

空気中の塵が舞う音さえ聞こえそうなほどの孤独が、この広い寝室を支配している。


「……アルフォンス」


私は掠れた声で名を呼んだ。 返事はない。

分かっている。彼はもういない。

昨日、私の目の前で手錠をかけられ、黒い馬車で連れ去られてしまった。


それでも、私の体は「彼がいること」を前提に作られている。 喉が渇いた。

でも、水差しに手は届かない。 肌寒い。

でも、毛布を引き寄せる筋力が入らない。  

私はベッドの上で、糸の切れた操り人形のように横たわっていた。


(……そうだ。私には、これがある)


ふと、左手の薬指を見る。  

そこには、彼がくれたプラチナの指輪――

『永遠の服従のエターナル・カフ』が嵌まっている。 彼が言った言葉を思い出す。


『貴女が世界のどこにいようとも……私の魔力を辿って、私の元へ強制的に転移させる術式です』

『私が壊れても、この指輪だけは、貴女を守り続ける』


そうだ。

これを使えば、彼の元へ行けるかもしれない。  

あるいは、この絶対防御が私を守ってくれるはずだ。  

私は震える右手を、左手の指輪に重ねた。  

祈るように。縋るように。


「……お願い。連れて行って。アルフォンスのところへ……!」


魔力を込める。  

本来なら、指輪がカッと輝き、空間をねじ曲げて私を転移させるはずだ。  

しかし。


シーン……。


指輪は沈黙していた。  

光るどころか、まるで死んだ魚の目のように白濁し、氷のように冷たいままだ。


「……嘘、でしょ……?」


私は指輪を擦った。爪を立てた。

でも、何の反応もない。  

そこにあるのは、ただの冷たい金属の輪っかだけ。


(どうして……?アルフォンスの心臓の一部なんでしょ……?)


理由はすぐに思い当たった。魔力切れだ。  

この指輪は、アルフォンス本体からの魔力供給があって初めて機能する。  

今、彼は「対魔術師用拘束錠」をかけられ、魔力を封じられている。  

大元の電源が切断された端末なんて、ただのガラクタだ。


「……あぁ……」


絶望が胸に広がる。

なら、足は? 私は左足首のアンクレットに触れた。いつもならドクン、ドクンと聞こえるはずの、彼の心音。  

それも、今は聞こえない。  

ただ重い。鉛のように重い鎖が、私をこのベッドに縫い止めているだけだ。


「……嫌。いやよ……」


私は最後の手段に出た。

口を開け、舌の裏側を指で触れる。  

彼が刻み込んだ、『魂の共鳴ソウル・レゾナンス』の刻印。  


『助けてと念じるだけで、私の脳髄に響く』と言った、直通回線。


私は目を閉じ、全身全霊で叫んだ。  

声には出さない。魂の絶叫だ。


(アルフォンス!助けて!怖い!寂しい!アルフォンス、アルフォンス、アルフォンス!!)


……ザザッ……。


脳裏に、砂嵐のようなノイズが走った。

繋がらない。  

まるで、深い海の底か、あるいは世界の果てにある「奈落」という名の結界に阻まれているかのように。 私の声は、誰にも届かず、虚空に吸い込まれて消えた。


「……う、あぁぁぁ……ッ!」


私はシーツを噛んで慟哭した。

全てのライフラインが切断された。  

物理的にも、魔術的にも、精神的にも。  

私は今、宇宙の真ん中に放り出されたような、

完全なる孤独の中にいた。


ガチャリ。不意に、部屋の扉が開いた。


「……アルフォンス!?」


私は弾かれたように顔を上げた。

戻ってきてくれたのかもしれない。

あのスーパー執事なら、手錠を引きちぎって帰ってくるかもしれない。  

そんな淡い期待は、一瞬で踏みにじられた。


「……おはようございます、被検体E-01」


入ってきたのは、見知らぬ男だった。  

魔法省の制服を着た、神経質そうな眼鏡の男。  

ルシウスが送り込んだ、新しい「執事」――

いや、管理官だ。


「な、誰よあんた……出て行って……!」


「自己紹介は省略します。本日より、貴女の管理を担当します」


男は私の拒絶など聞こえていないかのように、

ツカツカとベッドに近づいてきた。  

手には、無機質な銀色のトレイ。  

そこには湯気の立つ紅茶も、焼き立てのパンもない。  

あるのは、灰色のペースト状の流動食と、数本の注射器だけ。


「本日の朝食です。栄養剤と、魔力抽出促進剤を混合してあります」


「……いらない。食べたくない」


「拒否権はありません」


男は無表情に言うと、指を鳴らした。  

見えない力に顎をこじ開けられ、無理やり口の中にスプーンを突っ込まれる。


「んぐっ……!?ごほッ……!」


灰色のペーストが喉に流し込まれる。 不味い。  

泥と薬品を混ぜたような、吐き気を催す味。  

アルフォンスの料理とは雲泥の差だ。

彼の料理は、一口食べるだけで心が溶けるような、魔法の味がしたのに。


「……オエッ……」


「吐き出さないでください。カロリー計算が狂います」


男は冷淡に私の口元を拭った。  

その手つきは乱暴で、ただ汚れを落とすだけの作業だ。  

アルフォンスのような、肌を慈しむような愛撫はそこにはない。


「次は魔力の抽出です」


男は注射器を構え、私の腕を掴んだ。

消毒もせず、乱暴に針を突き立てる。


「あッ……痛い……!」


「動かないでください。血管が逃げます」


赤い血と共に、キラキラとした青い液体――

私の魔力が吸い出されていく。  

寒い。 体の中から熱が奪われていく。  

アルフォンスが一年かけて大切に育み、磨き上げてくれた私の魔力が、ただの資源として消費されていく。


「……素晴らしい量だ。さすがは『ゴミ屋敷の魔女』。これなら長官も喜ぶ」


男は満足げに注射器をトレイに戻した。

私は腕を押さえてうずくまった。  

涙も出なかった。ただ、惨めだった。

私はお姫様じゃなかった。  

アルフォンスがいなければ、ただの実験動物。

使い捨ての電池。


(……助けて、アルフォンス……)


心の中で呼んでも、アンクレットも指輪も沈黙したままだ。  

彼がいない世界は、こんなにも灰色で、痛くて、冷たい。


それから数日が過ぎた。私の生活は崩壊した。  

新しい執事は、最低限の生命維持と魔力抽出しかしなかった。  

お風呂?入っていない。

着替え?数日前のパジャマのままだ。  

髪を梳かすことさえされないので、私の自慢だった黒髪は再び鳥の巣のように絡まり、艶を失っていた。


鏡に映る自分を見る。頬はこけ、目の下に隈ができ、肌はカサカサに乾いている。  

あんなに綺麗だった「磁器人形」は、見る影もなく薄汚れていた。


「……汚い」


私は呟いた。アルフォンスが見たら、卒倒するだろうか。  

それとも、「不潔です」と怒ってくれるだろうか。 怒ってほしい。  

どんなに厳しくてもいいから、あのアイスブルーの瞳で私を見てほしい。


男が去った後の静寂。

私はベッドから這い出した。足がふらつく。

アンクレットが重い。  

でも、どうしても確認したいものがあった。


這うようにして辿り着いたのは、部屋の隅。  

そこには、あの日のまま放置された「掃除ワゴン」があった。  

新しい執事は、ここには触れなかったようだ。  

埃を被った銀のトレイ。使い込まれたはたき。


「……アルフォンスの、匂い」


はたきに顔を埋める。

微かに残る、レモンと蜜蝋の香り。  

それだけで、枯れ果てていた涙腺が再び決壊した。


「会いたいよぉ……うっ、ぐすっ……」


私は子供のように泣きながら、ワゴンの下段をまさぐった。  

何か、彼の痕跡が欲しかった。

彼がここにいた証拠が。  

すると、指先が何かに触れた。  

雑巾の山の下に隠されるようにして置かれた、一冊の分厚い革張りのノート。


「……これ」


表紙には、几帳面な文字でこう書かれていた。  

『エルカ様・管理日誌 Vol.12(最終章)』。


彼の日誌だ。  

毎日、私の体調や食事内容、髪のツヤ具合まで細かく記録していた、変態的な観察記録。

震える手でページを開く。そこには、彼の几帳面な文字がびっしりと並んでいた。


『○月×日 晴れ。 本日のエルカ様は、苺のタルトを食べて至福の表情を浮かべておられた。その笑顔だけで、私は向こう百年は生きられる気がする。口元についたクリームを拭う際の、少し恥じらう仕草が国宝級に可愛い。』


『○月△日 雨。 雷を怖がって私のベッドに潜り込んでこられた。不潔なので追い返すべきだが、震える子猫のような姿に理性が敗北した。朝まで腕の中で眠る彼女の寝顔は、天使そのものだった。この温もりを守るためなら、私は悪魔に魂を売っても構わない。』


ページを捲るたびに、彼の愛が溢れ出してくる。  

読んでいたのは「管理記録」じゃない。

これは、私への「ラブレター」だ。  

彼はこんなにも、私を愛してくれていた。

業務でも、任務でもない。  

ただ一人の男として、私という存在に救われ、

私を愛していたのだ。


そして、最後のページ。

日付は、彼が連行される当日になっていた。  

文字が少し乱れている。時間がなかったのだろう。


『エルカ様へ。


もし貴女がこれを読んでいるなら、私はもうおそばにはいないでしょう。  

約束を守れず、申し訳ありません。貴女を残していくことだけが、私の唯一の心残りです。


ですが、私は信じています。

貴女は、私が磨き上げた最高の女性です。  

貴女の中には、誰にも負けない気高い魂と、

強大な魔力が眠っています。  

貴女は人形などではない。自分の足で立ち、

運命を切り開くことができる魔女です。


……最後に、一つだけ訂正と、秘密をお教えします。


あの日、塔が霧に包まれた時、私は貴女にこう言いましたね。

『抑制剤は魔力を溜めるダムであり、一週間分の魔力を使って霧を作った』と。


あれは嘘ではありません。

ですが、『全て』ではありませんでした。


あの時、放出スイッチとして機能した指輪が引き出したのは、貴女の魔力のほんの『上澄み』……直近の一週間分に過ぎないのです。


私が毎日貴女に飲ませていた『特製紅茶(魔力圧縮保存剤)』の真価は、そんなものではありません。

貴女の体内深層には、まだ手付かずの『一年分』に濃縮された、核兵器にも匹敵する魔力が眠っています。


新しい執事に少々魔力を抜かれた程度で、へばっている場合ではありませんよ?

今の貴女は、世界で一番巨大な魔力タンクそのものなのですから。


もし、貴女が自分の意志で立ち上がり、運命と戦うと決めた時。

この言葉を唱えてください。

それこそが、深層の魔力を解き放つ、最初で最後の『パスワード』です。』


ページの下に、大きく、太い文字で、その言葉は書かれていた。

それは呪文ではない。

私たちが過ごした日々の中で、彼が一番大切にしていた、あの言葉。


 『『――掃除完了クリーン・アップ』』


ポタリ。涙がページに落ちて、文字を滲ませた。


「……バカ……」


私は日誌を胸に抱きしめた。


「あの日……『全部使い切った』と思わせて、隠してたのね。……私が、もしもの時に一人でも戦えるように……」


底知れない過保護さ。

彼は、自分が連れ去られた後、私が絶望して無気力になることまで計算して、この「切り札」を隠していたのだ。


ドクン。


心臓が大きく跳ねた。体内を巡る血液が、熱く沸騰し始める。

アンクレットでも指輪でもない。

私自身の中心核コアにある、一年間彼が守り育ててくれた力が、目覚めようとしている。


「……待ってて、アルフォンス」


私は涙を拭った。

カサカサだった肌に、魔力の輝きが戻り始める。  

ボサボサの髪が、ふわりと浮き上がる。


「あんたがいないと、部屋も汚いし、ご飯も不味いし、お風呂も入れない」


私はよろめきながら立ち上がった。

足首の鎖は、もう重くない。


「だから……迎えに行ってあげる。私の執事を、取り戻しに」


私の瞳が、アメジスト色の怪しい光を放ち始めた。絶望は終わりだ。  

ここからは、魔女の逆襲の時間だ。  

手始めに、あの気に入らない新しい執事を「掃除」してやろう。


私は日誌を固く握りしめ、扉を睨みつけた。  

その背後で、窓の外の空が、不穏な黒い雷雲に覆われ始めていた。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ