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第66話「自由への誘惑、支配への安息」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

翌朝、私の寝室の扉が再び開かれた。  

現れたのは、昨夜の敗北などなかったかのように涼しい顔をしたルシウスだった。  

ただし、今日は手に小瓶ではなく、豪奢な杖を持っている。


「おはよう、エルカ君。……素晴らしい天気だ。散歩にでも行かないか?」


まるで孫娘を誘う好々爺のような口調。  

だが、その背後に控える監査官たちが放つ魔力は、拒否権などないことを雄弁に物語っていた。


「……散歩?この塔の周りは荒れ地よ。見るものなんて何もないわ」


「ふふ。私の言う『散歩』は、そんな退屈なものではないよ」


ルシウスが杖を一振りすると、窓ガラスが消失し、壁一面が巨大なスクリーンへと変貌した。

そこに映し出されたのは、私が一度も見たことのない、煌びやかな王都の光景だった。

色とりどりのドレスを纏った貴婦人たち、華やかな舞踏会、宝石のように輝くショーウィンドウ。


「君は知らないだろう?世界にはこんなにも美しいものが溢れている。……君の才能と美貌があれば、この世界の中心で女王のように振る舞うことだってできるんだ」


ルシウスは甘く囁いた。


「アルフォンスという『鎖』を外せば、君はどこへでも行ける。……さあ、選びなさい。この薄暗い塔で一生を終えるか、それとも、自由な空の下で羽ばたくか」


それは、誰もが憧れる「自由」への招待状だった。  

普通の少女なら、目を輝かせて飛びつくかもしれない。  

けれど。


「……くだらない」


私は鼻で笑った。  

ベッドから降りる気配すら見せず、アンクレットをつけた左足を優雅に組んでみせる。


「あんた、バカなの?そんなものが私の幸せだと思ってるの?」


「……何?」


「外の世界?華やかな舞踏会?……そんなもの、アルフォンスの淹れる一杯の紅茶の価値にも劣るわ」


私はスクリーンを指差し、吐き捨てるように言った。


「そこには、私のためだけに温度調節された空気がない。私の肌を傷つけないように選ばれたシーツがない。……何より、私の髪を梳きながら『愛しています』と囁いてくれる、あの暑苦しい執事がいない」


私は自分の胸に手を当てた。  

そこには、昨夜からずっと、アンクレットを通じて伝わってくる彼の鼓動が響いている。


「彼のいない自由なんて、ただの虚無よ。寒くて、汚くて、退屈なだけ」


「……君は、狂っているね」


「ええ、そうよ。彼に狂わされたの。……そして、それが最高に心地いいの」


私は恍惚とした表情で、足首の鎖を指先でなぞった。


「私はこの塔という『檻』が好き。彼という『鎖』が大好き。……ここが私の世界の全てで、ここ以外に私の居場所なんてない」


私の言葉に、ルシウスの表情から余裕が消えた。  

彼は理解できないものを見る目で私を見つめ、

やがて冷たく言い放った。


「……なるほど。完全に『完成』されているわけだ。……これほどの依存、洗脳というレベルを超えている」


彼は杖を下ろした。  

スクリーンが消え、殺風景な荒れ地の景色が戻ってくる。


「残念だよ、エルカ君。……君が自由を選ばないのなら、強制的に『掃除』をするしかない」


ルシウスは背を向けた。


「後悔するなよ。……君のその愛しい執事が、君を捨てる瞬間を見ることになるだろうからね」


地下牢。

湿った石壁に鎖で繋がれたアルフォンスの前に、ルシウスが立っていた。  

アルフォンスは顔を上げない。  

乱れた銀髪の隙間から、ただ憎悪に満ちた蒼い瞳だけが光っている。


「……何の用ですか、閣下。……私を殺しに来たのですか?」


「殺す?とんでもない。君は貴重な資産だ」


ルシウスはハンカチで鼻を覆いながら、汚れた床を避けて歩いた。


「単刀直入に言おう。……私の元へ戻ってこい、アルフォンス。君の『掃除屋』としての機能が必要になった」


「……お断りします。私は既に、エルカ様のものです」


「そう言うと思ったよ」


ルシウスは懐から、一つの水晶玉を取り出した。  

その中には、複雑な魔術式が赤黒く明滅している。アルフォンスの目が、それを見て見開かれた。


「……壊死魔法ネクロシス……!?」


「ご名答。この塔の主要な魔力伝達路ラインには、既に私の『毒』が仕込んである」


ルシウスは水晶玉を弄びながら、残酷な笑みを浮かべた。


「私がこの玉を砕けば、塔の構造材は瞬時に腐敗し、崩落する。……中にいる『お姫様』ごとね」


「……ッ!!」


アルフォンスが鎖を引きちぎらんばかりに暴れた。だが、胸元の呪印が発動し、激痛で床に叩きつけられる。


「ぐぅ……ッ!き、貴様……ッ!」


「選択肢を与えよう、アルフォンス」


ルシウスはアルフォンスの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。


「選択肢A。……このままここで拒否し続け、愛する主人と共に瓦礫の下でミンチになる」


「……ッ!」


「選択肢B。……君が私の犬に戻り、大人しく私についてくる。そうすれば、彼女の命だけは助けてやろう。塔も壊さず、彼女を解放してやる」


究極の二択。

共に死ぬか、彼女を生かすために別れるか。  

アルフォンスにとって、答えは最初から決まっていた。


(……エルカ様を、死なせるわけにはいかない)


彼女のいない世界など考えられない。  

けれど、自分がそばにいることで彼女が死ぬのなら、自分の存在など無価値だ。  

執事の使命は、主人の生を全うさせること。  

たとえ、その隣に自分が立てなくなったとしても。


「……保証は、あるのですか」


アルフォンスの声が震えた。  

それは恐怖ではなく、魂を引き裂かれるような喪失感への慟哭だった。


「彼女に……手出しはしないと……」


「約束しよう。私が欲しいのは君という『凶器』だけだ。無害になった魔女になど興味はない」


ルシウスは嘘をついていない。

この男は合理的だ。

利益にならない殺戮はしない。  

アルフォンスが戻れば、エルカは用済みとなり、

放置されるだろう。  

孤独な、ゴミ屋敷の魔女に戻って。


(……それでいい。生きていてくだされば、それで……)


アルフォンスは目を閉じた。

瞼の裏に、エルカの笑顔が浮かぶ。

ボサボサの髪で笑う彼女。

美味しいと料理を頬張る彼女。  

そして、昨夜、「あんたの毒なら喜んで飲む」と言ってくれた彼女。


(……申し訳ありません、エルカ様。私は、約束を破ります)


『ずっとそばにいる』という誓い。  

それを破棄する決断。  

身を切るような痛みが、呪印の痛みさえも凌駕する。


「……分かりました」


アルフォンスは、静かに言った。  

その声からは、一切の感情が削ぎ落とされていた。かつての「掃除屋」の声だった。


「貴方の犬に戻りましょう。……ですから、その水晶をしまいなさい」


「賢明な判断だ。……さあ、拘束を解いてあげよう」


ルシウスが合図をすると、監査官が鎖を外した。  

アルフォンスはゆっくりと立ち上がり、埃を払った。  

その動作は優雅で、完璧な執事そのものだったが、瞳の光は死んでいた。


「……最後に一つだけ、願いがあります」


「何だい?」


「……荷物を、整理させてください。立つ鳥跡を濁さず……それが私の美学ですので」


「ふっ、律儀なことだ。いいだろう、5分だけ時間をやる」


ルシウスは勝利を確信し、油断していた。  

アルフォンスはその隙を見逃さなかった。  

彼は背を向け、虚空に向かって指を走らせた。  

整理魔法を使うふりをして、遠隔で「ある術式」を編み上げる。


対象は――最上階にいるエルカの、左足首。


それは、音声でも文字でもない。

純粋な魔力の塊として圧縮された、彼の遺言。  そして、彼女を塔の崩壊やルシウスの魔手から守るための、最強の「絶対防御結界」の起動コード。これを埋め込めば、アンクレットはもはやただの装飾品ではない。  

アルフォンスの全生涯と全魔力を注ぎ込んだ、神話級の守護アイテムとなる。


(……さようなら、私の愛しいお姫様)


彼は唇だけで別れを告げた。  

指先から魔力が放たれ、見えない糸となって上層階へと吸い込まれていく。


寝室で膝を抱えていた私は、不意に足首が熱くなるのを感じた。


「……っ?」


アンクレットが、カッと光った気がした。

さっきまでの脈動とは違う。  

もっと重く、静かで、そして深い……まるで「祈り」のような熱。


「……アルフォンス?」


私は足をさすった。何かが流れ込んでくる。

言葉にはならない想い。    


――愛しています。

――貴女は、綺麗だ。  

――生きてください。


そんな感情の断片が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。


「……なによ、これ……」


涙が溢れてきた。 止まらない。

これは私の涙じゃない。彼が泣いているのだ。  

遠く離れた場所で、彼が魂を削りながら泣いている。


「嫌よ……やめて……」


私は悟った。彼が何をしようとしているのか。  

彼は、自分を犠牲にして、私を救おうとしている。  

私を「自由」という名の孤独へ突き放そうとしている。


「ふざけないで!勝手に決めないでよ!」


私は立ち上がり、扉を叩いた。

ガンガンガン!


「開けて!アルフォンス!行かないで!私を置いていかないで!」


叫び声は虚しく響く。扉は開かない。  

そして、足首のアンクレットから、ふっと彼の「生体反応」が遠ざかっていくのを感じた。

繋がりが切れたわけではない。  

彼が、自らの意志で、心の扉を閉ざしたのだ。


窓の外。

塔の入り口から、数人の人影が出てくるのが見えた。  

先頭を行くのはルシウス。  

そして、その後ろに従う、銀髪の背中。


「……アルフォンスッ!!」


彼は一度も振り返らなかった。  

その背中は、私に向けられていた温かいものではなく、冷徹な殺人機械のそれに戻っていた。  

彼は行ってしまった。 私を守るために。  

私にとって一番残酷な「別れ」を選んで。


「……嘘つき……一生そばにいるって……言ったくせに……」


私は窓ガラスに額を押し当て、泣き崩れた。  

足首の鎖だけが、彼の最後の温もりを閉じ込めたまま、重く冷たく私を縛り付けていた。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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