第64話「完璧な執事の「不潔な」演技」
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別室に連行されてから数十分後。
アルフォンスは再びリビングへと戻された。
ただし、その姿はいつもの自信に満ちた「塔の支配者」ではなかった。
「……お待たせいたしました、旦那様」
彼は深く頭を下げ、直立不動の姿勢をとった。
表情は能面のように無機質で、その瞳からは私に向けられるような熱っぽい光が完全に消え失せている。まるで、感情回路を切断された自動人形のようだ。
「ふむ。やはり君の紅茶は格別だね」
ソファの特等席には、ルシウス・ヴァイゼが優雅に座り、アルフォンスが淹れた紅茶を啜っている。私はその向かい側に座らされていた。
私の隣には誰もいない。
いつもなら当然のように寄り添い、腰に手を回してくる執事は、今はルシウスの背後に控えている。この数メートルの距離が、永遠のように遠い。
「エルカ様。……顔色が優れませんね。空調を調整いたしましょうか?」
アルフォンスが事務的な口調で尋ねてきた。
目が合わない。
彼は私の眉間あたりをぼんやりと見ている。
それは、「私的な感情を持つな」というルシウスからの命令に従っている証拠だった。
胸元の服の下にある呪印が、彼を縛り付けているのだ。
「……いいえ、結構よ。……下がって」
「畏まりました」
彼は一礼し、音もなく壁際へと後退した。
心がきしむ。
私たちが積み上げてきた甘い共依存関係が、
この男の前では「主従ごっこ」として処理され、否定されている。
その事実が、何よりも悔しかった。
監査は続いていた。
いや、それは監査という名の「破壊活動」だった。
ガガンッ! ドガッ!
無機質な仮面をつけた監査官たちが、塔のあちこちに太い金属製の「杭」を打ち込んでいく。
杭には禍々しいルーン文字が刻まれており、
打ち込まれるたびに塔の魔力が悲鳴を上げて吸い取られていくのが分かる。
「ああ、そこは……!」
私は声を上げそうになった。
彼らが土足で踏み荒らしているのは、アルフォンスが毎日磨き上げていた廊下だ。
彼らが乱暴に放り投げたクッションは、私のお気に入りの場所だ。
私たちの「生活」が、愛おしい日常が、汚されていく。
「……おや、どうしたんだい? そんなに睨んで」
ルシウスがカップを置き、楽しそうに私を見た。
「君の『巣』が壊されるのが悲しいのかな?だが、これは必要な処置だ。この塔の魔力構造は古すぎる。効率的な魔力抽出のためには、一度解体して再構築する必要がある」
彼はまるで、古い家屋を取り壊す現場監督のような口ぶりだ。
そこに住む人間の感情など、最初から計算に入っていない。
「……ここは、私たちの家よ」
「家?違うな。ここは『保管庫』だ」
ルシウスは冷たく切り捨てた。
「そして君は、そこに保管されている『備品』に過ぎない。……アルフォンス、そうだろう?」
ルシウスが振り返り、控えている執事に同意を求めた。
アルフォンスの眉が、ピクリと動く。
握りしめられた手袋の拳が、微かに震えている。 それでも、彼は無感情な声を絞り出した。
「……左様でございます、旦那様」
嘘つき。あんたは毎晩、「ここは貴女と私の城です」って、嬉しそうに言ってたじゃない。
私のために窓を磨き、私のために花を飾り、私のために世界一居心地の良い場所を作ってくれたじゃない。
(……怒ってよ、アルフォンス)
私は心の中で叫んだ。
でも、彼は動かない。動けないのだ。
胸元の呪印が、彼に「完璧な道具であれ」と命じている限り、彼はルシウスに逆らえない。
ルシウスは満足げに頷き、再び私に向き直った。
「さて、建物の評価は終わった。次は……中身の評価だ」
彼は立ち上がり、ゆっくりと私に近づいてきた。
人工的な香水の匂いが鼻をつく。
生理的な嫌悪感で、鳥肌が立つ。
「見れば見るほど、良くできている」
ルシウスの手が伸びてきた。枯れ木のような指先が、私の頬に触れようとする。
「……触らないで」
「強情だね。そういうところは、昔のままだ」
彼は私の拒絶を意に介さず、強引に私の顎を掴んで上を向かせた。
「10年前、雨の中で君を見た時……私は確信したんだよ。『この娘は、最高の魔力タンクになる』とね」
黄金色の瞳が、至近距離で私を覗き込む。
「だが、まさかここまで美しく成長するとは計算外だった。……アルフォンスの教育の賜物かな?」
ルシウスの視線が、私の首元のチョーカーから、胸元、そしてスリットから覗く足へと這い回る。 それは、美術品を鑑定する目であり、同時に、
か弱い生き物をいたぶることを楽しむサディストの目だった。
「特に、この足枷……素晴らしいね」
ルシウスが屈み込んだ。
彼の手が、私の左足首――アルフォンスが贈ってくれたアンクレットへと伸びる。
「銀とアメジストか。……まるで、君自身を宝石に仕立て上げたようだ。この鎖の先には、彼の命が繋がっているんだったね?」
ルシウスの指先が、アンクレットの鎖に触れた。 その瞬間。 ドクンッ!!
足首から、強烈な拒絶反応が伝わってきた。
それは私の感情ではない。
アンクレットに込められた、アルフォンスの魔力が「悲鳴」を上げたのだ。
「……汚れる」
背後から、呟きが聞こえた。
それは、風の音よりも小さく、けれど絶対零度の冷気を孕んでいた。
「ん?」
ルシウスが怪訝そうに振り返ろうとした、その時だ。
ヒュンッ!
視界がブレた。
次の瞬間には、ルシウスの手首が、白い手袋に包まれた手によってガシリと掴まれていた。
「……アルフォンス?」
そこに立っていたのは、能面の執事ではなかった。
眼鏡の奥で、アイスブルーの瞳を狂気的に細め、
唇を歪めた「修羅」がいた。
「……何のつもりだい?私の『所有物』に触れてはいけないと、教えなかったかな?」
ルシウスは驚く様子もなく、冷ややかに問いかけた。
同時に、アルフォンスの胸元から、ジジジッという肉が焼けるような音が響く。
呪印が発動しているのだ。
命令違反に対する罰。激痛が彼の心臓を締め上げているはずだ。
それでも、アルフォンスの指は緩まない。
それどころか、ミシミシと音を立てて、ルシウスの手首を握り潰さんばかりに力を込めている。
「……訂正させていただきます、ルシウス様」
アルフォンスは、血を吐くように、けれど優雅に微笑んだ。
「貴方がこの塔を壊すのも、私を道具として扱うのも、百歩譲って許容しましょう。……それは業務の範囲内ですから」
彼の瞳孔が、針のように収縮する。
「ですが、その不潔な手で……私の『聖域』に触れることだけは、万死に値する大罪です」
バチバチバチッ!
アルフォンスの全身から、蒼い魔力が噴き出した。それは殺意の具現化だった。
彼の潔癖症と、独占欲と、そして私への歪んだ愛が混ざり合った、制御不能のエネルギー。
「エルカ様の足首は……私のものです。その曲線も、体温も、脈動も……貴方ごときが指紋をつけていい場所ではないッ!!」
彼は叫び、ルシウスの手を乱暴に振り払った。
ルシウスがよろめき、数歩後ずさる。
「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ」
アルフォンスは私の前に立ちはだかり、背中で私を隠した。
その背中は小刻みに震えている。
呪印の激痛と、理性の崩壊がせめぎ合っているのだ。
「……汚さないでいただきたい。……私の、大事な、お人形を……ッ」
うわ言のように繰り返す彼を見て、私は胸が締め付けられた。 彼は戦っている。
絶対的な支配者であるルシウスと。
そして、自分自身に刻まれた呪いと。
ただ、私という存在を守るためだけに。
「……素晴らしい」
沈黙を破ったのは、ルシウスの拍手だった。
彼は痛む手首をさすりながら、恍惚とした表情でアルフォンスを見つめていた。
「君はやはり、最高の『壊れた道具』だよ、アルフォンス。……10年前、私の粛清すら耐え抜いたその狂気。それが今、この小娘への執着という形で完成されているとはね」
ルシウスはゆらりと立ち上がり、空気を一変させた。
遊びは終わりだと言わんばかりの、圧倒的な魔圧。
「だが、躾が足りないようだ。……飼い主に噛み付く犬は、檻に入れて反省させる必要がある」
彼が指を鳴らすと、床から黒い影が伸び、アルフォンスの四肢を絡め取った。
影の拘束魔法。
「ぐっ……!!」
アルフォンスが抵抗しようとするが、呪印の激痛がタイミングを合わせて彼を襲う。
彼はその場に崩れ落ち、床に縫い付けられた。
「アルフォンス!」
私が駆け寄ろうとすると、透明な壁に阻まれた。
結界だ。私と彼は、物理的に分断されてしまった。
「……連れて行け。地下牢で、たっぷりと『再教育』をしてやる」
ルシウスの命令で、監査官たちが動けないアルフォンスを引きずっていく。
彼は必死に首を巡らせ、私を見た。
「……エルカ様ッ!目を閉じて!耳を塞いで!あいつらの言葉を聞いてはいけませんッ!貴女は……貴女は私の……ッ!」
扉が閉まる瞬間まで、彼は叫び続けていた。
自分の身の安全などどうでもいい。
ただ、私が「汚される」ことだけを恐れて。
静寂が戻った部屋に、私とルシウスだけが残された。
ルシウスは私の足元のアンクレットを見下ろし、冷笑した。
「……可哀想に。彼がいなくなって、その鎖はただの重りになってしまったね」
彼は私の頬に触れた。
今度は、アルフォンスは助けに来ない。
彼の冷たい指先が、私の肌を侵食していく。
「さあ、始めようか。……『監査』の続きを」
絶望の音が、私の足首で鳴り響いていた。
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