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第63話「監査官の宣戦布告」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

その日の午後、塔の空気は妙に静まり返っていた。  

嵐の前の静けさ、という陳腐な表現では足りない。まるで世界そのものが息を潜め、来るべき「捕食者」の足音に怯えているような、重苦しい沈黙。


私は、相変わらずアルフォンスの膝の上にいた。  

リビングのソファに深く腰掛けた彼が、私を赤子のように抱きかかえ、ゆっくりと髪を梳いている。


「……アルフォンス。手が止まってるわよ」


「おや、失礼しました。……少々、外の埃が気になりまして」


アルフォンスの声は平坦だったが、私の髪に触れる指先は、微かに、けれど確実に緊張で強張っていた。 足首のアンクレットが、チリチリと焼けるように熱い。  

私の鼓動と、彼の鼓動が、警鐘のように重なり合って高鳴っている。


「……来るのね」


「ええ。結界の第3層および第4層が、正規の手順アクセスコードによって解除されました。不法侵入ではなく、正当な権限を持つ者による『訪問』です」


彼が眼鏡の位置を直し、私を抱きしめる腕に力を込めた。  

その瞬間。


ギィィィィィ……。


塔の最下層にあるはずの重厚な正門が、まるで紙細工のように軽々と開かれる音が、建物の躯体を伝って響いてきた。  

続いて、カツ、カツ、カツ、と、優雅で規則正しい足音が階段を上ってくる。  

その足音は、一つではない。 複数の、軍靴のような重い足音が追従している。


「……お出迎えしましょうか」


アルフォンスは私を抱いたまま立ち上がった。

リビングの扉が開く。  

そこには、レモンと蜜蝋の香りとは異質の、冷たく、人工的な香水の匂いを纏った一団が立っていた。


「やあ。……相変わらず、ここは空気が澄んでいるね。君の潔癖症も、ここまで来れば芸術だ」


先頭に立っていたのは、一人の老紳士だった。  

仕立ての良いチャコールグレーのスーツ。

銀のステッキ。  

白髪交じりの髪をオールバックにし、その顔には穏やかな笑みを浮かべている。  

一見すれば、知的な大学教授か、温厚な資産家に見えるだろう。    

だが、その瞳だけが違った。

爬虫類のような、感情のない黄金色の瞳。  

私たちが鏡の中の過去で見た、あの冷酷な男の成れの果て。


「……魔法省長官、ルシウス・ヴァイゼ閣下」


アルフォンスが、氷点下の声でその名を呼んだ。  

ルシウスは楽しげに目を細め、部屋の中を見回した。


「招待状を送ったのに、返事がないからね。……迎えに来てあげたよ、アルフォンス君」


「……お心遣い、痛み入ります。ですが、我々は出発の準備を進めていたところです。わざわざ長官自らご足労いただくまでもありません」


「ははっ、嘘はいけないな。君たちのことだ、怖くて動けずに震えていたのだろう?」


ルシウスはステッキの先で、アルフォンスが磨き上げた床をコツンと叩いた。  

その一撃で、床に泥の染みが広がるような錯覚を覚える。


「だから私が直々に、『焼却処分』の前の『最終資産価値評価(監査)』をしに来てやったんだ。感謝してくれたまえ」


彼の背後には、無表情な仮面をつけた監査官たちが控えていた。  

彼らは手にしたバインダーと計測機器を構え、

まるで屠殺場の家畜を品定めするような目で私たちを見ている。


「……監査、ですか」


「ああ。この塔を燃やす前に、回収すべき『有益な資産』と、廃棄すべき『無価値なゴミ』を、私の目で選別する必要があるからね」


ルシウスの視線が、アルフォンスの腕の中にいる私へと滑った。粘着質な視線。  

ナメクジが肌を這うような不快感に、私は思わず身震いし、アルフォンスの胸に顔を埋めた。


「……ほう。それが、あの『ゴミ屋敷の魔女』かい?久しいね」


ルシウスは興味深そうに近づいてきた。  

その黄金色の瞳が、私の全身を値踏みするように舐め回す。


「夜会の時も驚いたが……今の君は、あの時とは比べ物にならないほど『仕上がって』いるな」


彼は感嘆の息を漏らした。


「あの時はまだ、着飾っただけの『人間』だった。……だが今はどうだ。髪の一筋、爪の先まで、完璧に管理された『高級な磁器人形』そのものではないか。……君がここまで磨き上げたのかい、アルフォンス?」


「……私の主人は、元より宝石の原石でした。私はただ、その輝きを曇らせる埃を払ったに過ぎません」


「謙遜するなよ。『素材』の個性を殺し、ここまで自分好みの『作品』に作り変える手腕……。君の『掃除屋』としての狂気的な几帳面さは、私が一番よく知っている」


ルシウスは、私の足首に見える銀のアンクレットに目を留めた。  

そして、ニヤリと口角を吊り上げた。


「……なるほど。首輪に、足枷か。随分と趣味の良い『管理』をしているじゃないか。……10年前、廃棄処分に失敗した私が甘かったよ。まさか、あの時の『壊れた道具』が、ここまで優秀な『魔女の番犬』に育つとはね」


その言葉が出た瞬間、アルフォンスの体から殺気が噴き出した。  

部屋の空気が凍りつき、窓ガラスがビリビリと振動する。


「……っ!」


私は彼の胸元をギュッと掴んだ。

ダメだ、アルフォンス。

ここでキレたら、相手の思う壺だ。

アルフォンスもそれを理解しているのだろう。

彼はギリギリのところで衝動を抑え込み、能面のような執事の顔を貼り付けた。


「……過分なお褒めの言葉、光栄です」


「ふふ。いい殺気だ。……さて、仕事にかかろうか」


ルシウスが指を鳴らすと、監査官たちが一斉に動き出した。  

彼らは無遠慮に部屋の中を歩き回り、魔導書を棚から引きずり出し、家具に計測用の杭を打ち込んでいく。アルフォンスが心血を注いで整えた「聖域」が、土足で踏み荒らされていく。


「やめて……!」


私が小さな声を上げると、一人の監査官がこちらへ近づいてきた。  

手には、太い注射器のような魔力採取キットが握られている。


「被検体E-01、魔力濃度測定を行います。……執事、その個体を作業台へ」


「……お断りします」


アルフォンスは私を抱きしめたまま、一歩下がった。


「エルカ様は物ではありません。それに、彼女の肌に触れて良いのは、この世で私だけです」


「命令だ、アルフォンス」


ルシウスが低い声で割り込んだ。彼はソファに腰掛け、優雅に足を組んでいる。


「その女は、魔法省の予算を食い潰しただけの『管理ミスによる欠陥品』だ。本来なら即刻殺処分にしてもいいのだが……君に免じて、最後のチャンスを与えているんだよ」


「チャンス……?」


「ああ。君がそのゴミを捨てて、私の元へ戻ってくるなら、彼女の命だけは助けてやろう」


ルシウスはステッキを突き出し、アルフォンスの胸元――服の下にある呪印の位置を指した。


「君は優秀な掃除道具だ。こんな田舎の塔で、人形遊びに興じているには惜しい。……私の元へ戻れ。そして再び、私のために『掃除』をするんだ」


それは、最悪の取引だった。  

私を助ける代わりに、彼は再び血塗れの殺人人形に戻れと言うのだ。  

鏡の中で見た、あの地獄の日々へ。


「……断る、と言ったら?」


「簡単だ。この場で彼女を解体する。……脳の前頭葉を切り取れば、魔力供給源としては使えるかもしれないね」


ルシウスは楽しそうに笑った。  

本気だ。この男にとって、私は人間ですらない。

ただの資源なのだ。


アルフォンスの腕に力がこもる。痛いほどに。  

彼の葛藤が、アンクレットを通じて流れ込んでくる。  

怒り。屈辱。恐怖。そして、何よりも深い、私への愛。


(……アルフォンス、お願い。私のために自分を売らないで)


私は必死に目で訴えた。でも、彼は私を見なかった。

彼はルシウスを睨みつけたまま、静かに口を開いた。


「……閣下。一つ、訂正させていただきます」


彼の声は震えていなかった。  

澄み渡った冬の空のように、冷たく、冴え渡っていた。


「エルカ様は欠陥品でも、ゴミでもありません。……彼女は、私の世界そのものです」


「……ほう?」


「貴方が私を『道具』と呼ぶのは勝手ですが、今の私は貴方の道具ではありません。……私は、エルカ・シュヴァルツ様の『執事』です」


アルフォンスは、私を抱いたまま、優雅に一礼してみせた。  

それはルシウスへの服従ではなく、私への忠誠を示す、完璧なカーテシーだった。


「私の主人の価値を決めるのは、貴方ではありません。……彼女を磨き上げ、その輝きを誰よりも知る、この私だけです」


一瞬の沈黙。

そして、ルシウスが大きなため息をついた。


「……失望したよ。まさか、道具が持ち主に牙を剥くとはね」


「持ち主ではありません。元・持ち主です」


「減らず口を叩くようになったものだ。……いいだろう」


ルシウスが立ち上がった。  

その黄金色の瞳から、人間的な感情が完全に消え失せる。


「ならば、監査を続行する。……徹底的に調べろ。この塔の隅々まで、その女の細胞一つに至るまで、完全に分解してな」


彼が合図を送ると、監査官たちが一斉に魔力を解放した。  

塔の中に、どす黒い抑圧の魔力が充満する。


「アルフォンス、抵抗は無意味だよ。君の心臓には、まだ私の『飼い主としての印』が刻まれているのだからね」


ルシウスが何かの呪文を呟いた瞬間、アルフォンスが「ぐっ……!」と苦悶の声を漏らし、その場に膝をついた。胸元の呪印が発動したのだ。

激痛が彼を襲う。  

それでも、彼は私を放さなかった。

震える腕で、私を守るように抱きしめ続けている。


「アルフォンス……!」


「……お触り、禁止です……。私の主人に……指一本でも触れたら……この塔ごと……貴様らを掃除します……ッ!」


彼は血を吐くように絞り出した。

眼鏡の奥の瞳は、もはや執事のものではない。  愛する者を守るためなら、世界を敵に回すことも厭わない、狂気じみた「男」の目だった。


「ふん、威勢だけはいい。おい、彼を別室へ運べ。少し頭を冷やしてもらう必要がある」


ルシウスの命令で、数人の監査官がアルフォンスを取り押さえにかかる。  

私は叫ぼうとしたが、声が出なかった。  

ルシウスの視線が、私を射抜いていたからだ。

その目は語っていた。    

――さあ、見せてもらおうか。私の最高傑作アルフォンスを狂わせた魔女の価値とやらを。


引き剥がされる私たち。  

伸ばした手は届かず、アルフォンスは別室へと引きずられていった。  

残されたのは、私と、冷酷な監査官たち。  

そして、獲物を前に舌なめずりをする、ルシウス・ヴァイゼ。


本当の地獄が、ここから始まろうとしていた。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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