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第61話「秘密の回廊、鏡の中の双子」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

ルシウスからの「招待状」が届いた直後、私の左足首にあるアンクレットが、高熱を帯びたように脈打ち始めた。

ジクン、ジクン、と。

まるで、どこかへ導こうとする羅針盤のように。


「……アルフォンス、足が……熱い」


「恐れることはありません、エルカ様。……どうやら、このアンクレットが『鍵』となって、最後の扉が開くようです」


アルフォンスは割れた窓ガラスを一瞥もしないまま、私を抱き上げた。

彼は迷うことなく、ダイニングルームの奥にある巨大な飾り棚へと歩み寄る。

彼が棚の縁に手を触れると、重厚な木製の家具が音もなくスライドし、その奥に暗い階段が現れた。


「……こんな場所、あったの?」


「塔の最上階、『真実の間』へと続く隠し階段です。本来なら立ち入る必要のない場所でしたが……ルシウスが動いた今、貴女にすべてをお見せする時が来たようです」


彼は静かに階段を上り始めた。

カツ、カツ、カツ。

彼の靴音だけが響く狭い回廊。

空気は冷たく、どこか古い紙と、雨の日の鉄錆のような匂いがした。


「……ねえ、アルフォンス」


「はい」


「あんた、震えてる?」


私の背中に回された彼の手から、微かな振動が伝わってくる。

あの無敵の執事が、怯えている?

いや、違う。これは……「恥」だ。

自分の最も見られたくない汚点、隠し通したかった過去を、最愛の人に晒さなければならないという、強烈な羞恥と葛藤。


「……お見苦しいところを。ですが、どうか目を逸らさないでください」


階段を上りきると、そこには円形の石造りの部屋があった。窓はない。家具もない。

部屋の中央に、巨大な「鏡」だけが鎮座している。

水銀のように波打つその鏡面は、私たちの姿を映していなかった。


「これは『過去視の鏡』。……私の記憶と、貴女の記憶が交差する場所です」


アルフォンスが鏡の前に立ち、私をゆっくりと床に降ろした。

私の足が床についた瞬間、アンクレットが共鳴音を放ち、鏡面が激しく渦巻いた。


ザアアアアア……。


雨の音が聞こえる。

鏡の中に、灰色の景色が広がった。


「……あ」


私は息を呑んだ。そこは、見覚えのある場所だった。

ドレスの試着で見せられた幻影。

そして、写真に写っていたあの場所。

王都のスラム街。ゴミ捨て場の片隅。

そして、泥水の中にうずくまる、銀髪の少年。


『……汚いお兄さんね』


幼い私の声が響く。

鏡の中の私は、無遠慮に少年に近づき、白いハンカチを差し出した。


『……綺麗になりなよ』


少年が顔を上げる。

泥と血にまみれた顔の中で、アイスブルーの瞳だけが、信じられないものを見るように見開かれている。絶望と、諦めと、そして一筋の光を見つけたような縋る目。


「……やっぱり、あんただったんだ」


私は隣に立つアルフォンスを見上げた。

彼は苦痛に顔を歪めながら、直立不動で鏡を見つめている。


「……はい」


彼の声は、血を吐くように掠れていた。


「あの日……ルシウスの支配に抵抗していた私の家族は、『反体制派』として目をつけられました。ルシウスは魔力の高かった私を拉致し、『呪印』の初期実験体として理性を奪ったのです。……そして私は、命じられるままに『反体制派の粛清』を行い……罪のない同志の家族たちを、そして、私自身の両親と妹までをも、この手で焼き殺しました」


「……え」


あまりにも凄惨な事実に、私の呼吸が止まった。

彼は死のうとしていたのではない。

自らの手で全てを奪わされ、絶望の底で「死を待つしかなかった」のだ。


「精神が完全に崩壊した私は、『使い物にならない欠陥品』として全身の骨を砕かれ、ゴミとして廃棄されました。……世界を呪い、自分を呪い、泥の中で腐っていくのがお似合いだと……そう思っていました。貴女が現れるまでは」


鏡の中の私は、少年の顔を拭い、雨を弾く結界を張った。

そして、痛がる少年の肩に手をかざし、淡い光――『回復魔法』をかけた。

ほんの数分間の出来事。

私が去った後、少年は呆然とハンカチを握りしめ、私の背中を見送っていた。


そこで終われば、ただの「いい話」だった。

けれど、鏡の映像は終わらなかった。


「……ここからです、エルカ様。私の本当の地獄が始まったのは」


映像が変わる。私が去った直後。

コツ、コツ、と優雅な足音が近づいてきた。

現れたのは、仕立ての良いスーツを着た男――

ルシウス・ヴァイゼだ。

十年前の彼は、今よりも少し若いが、その爬虫類のような冷たい目は変わらない。


『……おや。まだ生きていたのかい?』


ルシウスは倒れている少年アルフォンスを見下ろし、ゴミを見る目で笑った。


『息の根を止めたはずだったのに。……ん?』


ルシウスが少年の肩に触れた。

そこは、さっき私が回復魔法をかけた場所だ。

砕かれていたはずの骨が繋がり、傷口が塞がっている。


『傷が治っている……?

誰だか知らないが、こんな廃棄物に回復魔法をかける物好きがいたのか』


ルシウスの目が、三日月のように歪んだ。

それは、興味を持った研究者の目だった。


『素晴らしい生命力だ。いや、魔法による強制治癒か。……これなら、「耐えられる」かもしれないな』


「……え?」


私は背筋が凍った。

ルシウスが、少年の胸倉を掴み上げた。


『おめでとう、少年。君はリサイクル決定だ。

これだけの治癒を受けて肉体を保てるなら……私の『完成版の呪印』の負荷にも耐えうる素体になる』


「……っ! やめて!」


私は思わず叫んだ。

ルシウスが、少年の胸元を裂き、真っ赤に焼けたナイフのようなもので、直接肌に紋様を深く刻み込み始めたからだ。


『ギャアアアアアアアッ!!』


少年の絶叫が響く。焼ける肉の音。噴き出す血。それは拷問だった。

ただ痛めつけるためではない。

魂の根幹に、絶対服従の命令を焼き付けるための儀式。


『君は今日から、私の完璧な猟犬だ。……死ぬことは許さない。私のために人を殺し、汚れ仕事をこなし、最後は誰にも知られず野垂れ死になさい』


ルシウスは血まみれの少年の髪を掴み、耳元で囁いた。


『あの通りすがりの魔法使いを恨むんだね。

その余計な慈悲ヒールがなければ、君はここで楽に死ねたのに』


映像がブラックアウトする。

後に残ったのは、私の悲鳴と、アルフォンスの荒い呼吸音だけだった。


「……これが、真実です」


アルフォンスが、ゆっくりと自分のシャツのボタンを外した。はだけた胸元。

心臓の真上に、醜く焼け爛れた古傷が浮かびあがった。

それは、二匹の蛇が絡み合う『双蛇』の紋章。


「……皮肉な話です。貴女の優しさが、貴女の魔法が……私を死なせてくれなかった」


彼は自嘲気味に笑った。

その笑顔は、泣いているよりも辛そうだった。


「あの回復魔法のおかげで、私はルシウスに『リサイクル可能なゴミ』と判断された。完成版の呪印を刻まれ、自我を封じられ……今度は本当の『掃除屋』として、何百人もの命を奪うために使われたのです。大人も、子供も……」


彼は胸元の傷を強く握りしめた。


「私は汚れています。……貴女がくれたハンカチで拭っても、拭いきれないほどの鮮血と罪悪感で、私の魂は腐臭を放っているのです」


彼は膝をつき、床に手をついて頭を垂れた。

それは執事としての礼ではない。

罪人が、断罪を待つ姿だった。


「エルカ様。……こんな薄汚い人殺しが、貴女の隣にいる資格などありません。

あの日、私を助けたことが間違いだったのです。

どうぞ、軽蔑してください。罵ってください。……私を、捨ててください」


彼の肩が震えている。ずっと怖かったのだ。

完璧な執事を演じていたのも、潔癖症なまでに掃除をしていたのも、すべてはこの「汚れ」を隠すため。

私に知られて、嫌われることを何よりも恐れていたのだ。


「……バカね」


私は彼に歩み寄った。

そして、跪く彼の頭を、優しく抱きしめた。


「……え?」


「あんたが人殺しだろうと、私が余計なことをしてあんたを地獄に落とした張本人だろうと……関係ないわよ」


私は彼を見下ろした。

眼鏡が少しズレて、涙で滲んだアイスブルーの瞳が、呆然と私を見上げている。


「私だって、ゴミ屋敷の魔女よ? 似たもの同士じゃない」


「……ですが、私は……!」


「黙りなさい。……ルシウスのせいよ。全部、あいつが悪いの」


私は彼の手を取り、自分の左足のアンクレットに触れさせた。ドクン、と二人の脈動が重なる。

私の魔法が彼を生かし、その命が汚されたのなら、それを浄化するのも私の役目だ。


「……アルフォンス。顔を上げて」


私の命令に、彼は吸い寄せられるように顔を上げた。

私は彼の手のひらを、自分の頬に押し当てた。

その手は震えていたけれど、確かに温かかった。


「私があんたを拾ったの。十年前も、一年前も。

……だから、あんたの魂の所有権は私にある。ルシウスなんかに渡さないし、あんたが勝手に捨てることも許さない」


私は強く宣言した。不思議と、力が湧いてきた。

守られているだけのお姫様気分は、もう終わりだ。

彼がこんなにも傷ついて、それでも私に尽くしてくれていたと知って、どうして黙っていられようか。


「その呪い、私が解いてあげる。……あんたが私を磨いてくれたように、今度は私が、あんたのその汚い傷跡を、跡形もなく消してあげるわ」


私の言葉に、アルフォンスの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

それは宝石のように美しく、床に落ちて弾けた。


「……ああ、私の神様……」


彼は私の腰に腕を回し、縋り付くように顔を埋めた。


「一生、お仕えします。……この命が尽き、魂が砕け散ろうとも、貴女だけが私の主です」


彼の慟哭が、部屋に響く。

鏡の中の過去の映像は、いつの間にか消えていた。

代わりに鏡に映っていたのは、泣きじゃくる銀髪の青年と、それを慈愛に満ちた目で見つめる、黒髪の魔女の姿だった。


これで、すべてのピースが揃った。

彼の異常な献身の理由も、ルシウスとの因縁も。

そして、私たちがこれから為すべきことも。


「……行きましょう、アルフォンス」


私は彼の涙を指で拭った。


「招待状の返事をしなくちゃね。……『ゴミの分別は終わりましたか?』って、あの古狸に教えてあげましょう」


アルフォンスは立ち上がり、眼鏡をかけ直した。

その目にはもう、迷いも恐怖もなかった。

あるのは、主人の敵を殲滅するという、静かで強烈な殺意と忠誠心だけ。


「御意。……最高のお掃除道具を、ご用意いたします」


二人の影が重なり、一つの巨大な影となって、塔の出口へと伸びていった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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