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第6話「絹の拘束、香りの刻印」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

バスルームの扉が開くと、ひやりとした冷気が火照った肌を撫でた。

私はアルフォンスに抱きかかえられたまま、湯気の中から脱衣所へと運ばれた。


「……降ろしてよ。もう立てるから」


「却下します。長湯でのぼせていますね。今床に足をつけば、生まれたての小鹿のように崩れ落ちるのがオチです」


アルフォンスは鼻で笑うと、用意されていた椅子――背もたれに豪奢な彫刻が施された、ふかふかの椅子に私を座らせた。

私の身体は今、彼が用意した大判のバスタオル一枚に包まれているだけだ。

分厚く、吸水性に優れた最高級の綿。

肌触りは天国のように優しいけれど、その下は何も身につけていないという事実が、心臓を早鐘のように鳴らさせる。


「さて」


アルフォンスは手早く自分の身なりを整えた。

濡れた袖を魔法で瞬時に乾燥させ、どこからともなく取り出した新しい白い手袋を装着する。

シュッ、と布が擦れる音が、彼が「執事モード」に戻った合図のように聞こえた。


「仕上げの時間です、エルカ様」


彼が指差した先のテーブルには、見たこともない衣服が並べられていた。

それまで私が着ていた薄汚れたコットンの下着や、ヨレヨレのローブではない。

照明を浴びて真珠のような光沢を放つ、純白の布地。


「……なにあれ」


「本日の室内着ルームウェアです。東方の島国から取り寄せた最高級シルクを使用し、肌への摩擦係数を極限までゼロに近づけました」


「シルク……? 家の中で着るのに?」


「当然です。磨き上げたばかりの貴女の肌に、粗悪な布を触れさせるわけにはいきません」


アルフォンスは恭しくその布切れ――キャミソールのような繊細な下着と、ドレープの美しいネグリジェを手に取った。


「さあ、腕を上げてください」


「はぁ!? まさか着せるつもり!?」


「他に誰がいるのです」


彼は当然のような顔で迫ってくる。


「ふ、ふざけないで! 服くらい自分で着られるわよ! バカにしないで!」


私は椅子の上で身を縮め、バスタオルをきつく握りしめた。 お風呂で洗われたことだけでも、一生分の恥をかいたのだ。

これ以上、着替えまで彼に委ねたら、人間としての尊厳が消滅してしまう気がした。


「……そうですか。では、お手並み拝見といきましょう」


意外にも、アルフォンスはあっさりと引き下がった。 彼は挑戦的な笑みを浮かべ、シルクの下着を私の膝の上にポンと置いた。


「どうぞ。制限時間は三十秒です。湯冷めしますからね」


「……見てなさいよ」


私は震える手で、その繊細な布地を掴もうとした。 だが。


「……あれ?」


指が、動かない。

長風呂でふやけた指先は感覚が鈍く、しかもお湯に浸かりすぎて全身の筋肉が脱力してしまっている。 さらに悪いことに、アルフォンスが用意したシルクは、驚くほどスベスベしていて、指に引っかからないのだ。


「っ……く……」


ツルッ。

掴もうとした下着が、手から滑り落ちて床に落ちた。


「あ……」


「……ふむ。五秒経過」


アルフォンスが懐中時計を見ながら、無慈悲にカウントする。 私は慌てて拾おうと前屈みになったが、その拍子に肩にかけていたバスタオルがずり落ちそうになり、慌てて押さえる。

その隙に、視界がぐらりと揺れた。


「――おっと」


倒れそうになった私の身体を、アルフォンスの手が支えた。


「……一五秒。やはり、予測通りですね」


彼は呆れたように溜息をついた。

眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、床に落ちたシルクと、情けなく震える私を交互に見る。


「貴女は今、生まれたての赤子と同じです。熱いお湯で筋肉を弛緩させ、骨の髄まで洗浄されたことで、自律神経が『休息モード』に切り替わっている」


「うぅ……なんか、力が入らないのよ……」


「でしょうね。私がそうなるように、絶妙な温度とマッサージを施しましたから」


「はぁ!?」


確信犯か。

この男、私が抵抗できないように、お風呂の中で入念に「骨抜き」にしていたのだ。


「無駄な抵抗は終わりです。……万歳をしなさい」


アルフォンスは床の下着を拾い上げると、パンパンと軽く埃を払ったそして、有無を言わせぬ圧力で私を見下ろした。


私は悔しさに唇を噛み締めながら、ゆっくりと両腕を上げた。

バスタオルが、重力に従ってスルスルと滑り落ちる。


「……っ!」


露わになった肌に、脱衣所の空気が触れる。

けれど、それ以上に熱い視線が突き刺さる。

アルフォンスは私の裸を見ても眉一つ動かさず、事務的な手つきでシルクのキャミソールを頭から被せた。


「……んっ」


布が肌を滑り落ちる感覚。

ヒヤリとして、それでいて水のように滑らかだ。 私の肌と、布地の間にある空気が押し出され、

シルクが第二の皮膚のように吸い付く。


「……素晴らしい」


アルフォンスが低く呟いた。

彼は私の背後に回り込むと、キャミソールの細い紐を調整し始めた。


「黒髪に、白い絹。そして、湯上がりで桜色に染まった肌。……色彩のコントラストとしては満点です」


彼の手袋をした指が、私の肩甲骨あたりを這う。

紐を結ぶふりをして、わざと肌に触れているのが分かる。


「くすぐったい……」


「我慢なさい。……次は足です」


彼は私の前に跪いた。

執事が主人にかしずくポーズ。

だが、彼が手に持っているのはガラスの靴ではなく、レースのあしらわれた薄手のガーター・ストッキングだった。


「足を出しなさい」


言われるがまま、私は右足を差し出した。

彼の手が、私の足首を掴む。 手袋越しの感触。

さっきのお風呂の中での「素手の熱さ」とは違う、少しザラリとした綿の感触が、逆に神経を逆撫でする。


「……足の爪も、綺麗に磨き上がっていますね」


彼は私の足先にストッキングを通し、ゆっくりと、焦らすように引き上げていく。

足首、ふくらはぎ、膝、そして太腿へ。

薄い布が肌を締め付けながら登ってくる感覚。

彼の指が、太腿の裏側――普段は自分でも触れないような場所に触れるたび、ビクリと身体が跳ねる。


「な、なんで家の中でストッキングなんて……」


「素足を晒していいのは、ベッドの中だけです。それに、冷えは魔力の天敵ですから」


彼はガーターベルトの留め具を、パチンと音を立てて固定した。

その音が、まるで私に「所有印」を押した音のように響いた。


「反対の足も」


左足も同じように包まれる。

両足を白いレースに拘束され、私は椅子の上で小さくなった。 なんだか、自分がおめかしをさせられた人形になった気分だ。


「……私、着せ替え人形じゃないんだけど」


「人形であれば、これほど手はかかりませんよ」


アルフォンスは立ち上がり、仕上げのガウンを私に羽織らせた。 ふわりと広がるレースの袖。

彼は私の胸元のリボンを結びながら、皮肉な笑みを浮かべた。


「人形は文句を言いません。暴れません。そして何より――勝手に汚れたりしませんから」


リボンがキュッと締められる。

喉元に、軽い圧迫感。

首輪をつけられたような錯覚。


「ですが、貴女はすぐに汚れる。目を離せばゴミに埋もれ、髪を絡ませ、肌を荒れさせる。……だからこそ」


彼は顔を近づけた。

眼鏡のレンズが触れそうな距離。


「磨き甲斐がある。……汚れた貴女を、私の手で白く染め直す瞬間こそが、至上の悦びなのです」


ゾクリ。 背筋に冷たいものが走る。

この男の美学は、どこまでも歪んでいる。

けれど、その歪んだ鏡に映る私は、確かに今までで一番綺麗だった。

鏡に映る自分を見て、私は息を呑んだ。

艶やかな黒髪、血色の良い肌、そして身体のラインを美しく見せるシルクのドレス。 これが、私? あのゴミ屋敷で、ボロ布を纏っていた魔女と同じ生物?


「……悪くありませんね」


アルフォンスは満足げに頷くと、サイドテーブルから小さな陶器のポットを取り出した。

蓋を開けると、甘く、重厚な香りが漂い出した。


「……なに、それ」


「仕上げの保湿クリームです。お風呂上がりの肌は乾燥しやすい」


彼は手袋を――今度は右手だけを、口でくわえて引き抜いた。

露わになった素手が、クリームを掬い取る。


「こっちを向きなさい」


彼は私の顎を掴み、横を向かせた。

そして、クリームをたっぷりとつけた指を、私の首筋に押し当てた。


「ひゃうッ!?」


冷たい! お風呂の時はあんなに熱かったのに、

今の彼の指先は、クリームのせいか、それとも外気のせいか、ひんやりと冷たかった。

熱を持った肌に、冷たいクリームが塗り込まれていく。


「……いい香りでしょう?」


「これ……蜜蝋? それに、なんか森みたいな匂いが……」


「私の調合した特製クリームです。蜂蜜、ロイヤルゼリー、そして数種類のハーブ。……それに、私の魔力を少々」


ヌルリ。

彼の指が、耳の裏から鎖骨にかけて、滑るように動く。マッサージするように。 あるいは、何かを刻み込むように。


「……っ、ん……くすぐったいってば……」


「動き回らないで。塗りムラができます」


彼は執拗だった。 首筋だけでなく、手首の内側、肘の裏、膝の裏――脈打つ場所、香りが立ちやすい場所に、重点的にクリームを塗り込んでいく。 そのたびに、私の身体から「私自身の匂い」が消え、彼が選んだ「彼の匂い」に上書きされていくのを感じた。


「……これでいい」


彼は私のうなじに、最後にたっぷりとクリームを塗ると、鼻を近づけて深呼吸をした。


「……ッ!」


唇が触れたんじゃないかと思うほどの距離。

彼の吐息が、クリームを塗ったばかりの敏感な皮膚にかかる。


「貴女の埃臭さは完全に消えました。今は、全身から私の選んだ香りがする」


アルフォンスの声は、低く、震えていた。

それは達成感であり、そして独占欲の表れだった。


「エルカ様。貴女は今、頭の先から爪先まで、私が手入れした『作品』です」


彼は私の手首を掴み、鼻先に押し当てさせた。

嗅いでみろ、と言わんばかりに。

私は恐る恐る、自分の手首の匂いを嗅いだ。

甘い。 深くて、清潔で、どこか頭がクラクラするような、アルフォンスの匂い。

私の匂いはどこにもない。

私は、彼に塗り替えられてしまったのだ。


「……どうですか? 自分の匂いが変わった感想は」


「……なんか、変な感じ。私じゃないみたい」


「いいえ、これこそが『本来の貴女』です。……そして、これからはこの香りが貴女の標準スタンダードになります」


彼はニッコリと微笑んだ。

それは完璧な執事の笑顔でありながら、逃げ場のない檻の鍵を閉める看守の笑顔でもあった。


「さあ、着替えは完了です。……食堂へ参りましょう」


アルフォンスは再び手袋をはめ直すと、私に手を差し伸べた。 エスコートの手。

私は一瞬ためらったけれど、まだ力の入らない足では、彼に頼るしかなかった。


「……お腹、空いた」


「でしょうね。貴女の胃袋も、これから私が徹底的に管理しますから覚悟してください」


彼の手を取り、立ち上がる。

シルクの衣擦れの音が、シュッと鳴る。

その音は、私が自由なズボラ生活を捨て、彼に管理される「飼い慣らされた魔女」へと堕ちていく、最初の一歩の音のように聞こえた。


歩き出す私の足取りは、まだ覚束ない。

けれど、隣で支える彼の手だけは、恐ろしいほどに力強く、私を逃がそうとはしなかった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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