第52話「禁断のデンタル・フェチズム」
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聖域での生活、四日目の朝。
朝の「全項目検品」。
つまり、アルフォンスによる執拗なボディチェックとスキンケアを終えた後、私は洗面台の前で立ち尽くしていた。
「……はぁ」
鏡に映る自分を見る。
アルフォンスの過剰なケアと、毎日塗り込まれる「魔力遮断ローション」のおかげで、肌は陶器のように白く輝き、頬は桃色に染まっている。
見た目は完璧な深窓の令嬢だ。
けれど、その中身はボロボロだ。
毎朝飲まされる「特製紅茶(魔力抑制剤)」の濃度が上げられたせいで指先の感覚は常に痺れ、
歯ブラシ一本を持つのさえ、今の私には重労働だった。
「……よいしょ」
震える手で歯ブラシを握り、チューブから歯磨き粉を出そうとする。
けれど、指に力が入らず、チューブから出たペーストは狙いを外して洗面ボウルにポトリと落ちた。
「……もう。何なのよ」
情けなくて、涙が出そうになる。
魔法を使えば「洗浄」の一言で終わるのに、その魔力すら封じられている。
今の私はただの、着せ替え人形以下の存在だ。
「お困りのようですね、エルカ様」
背後から、音もなく銀色の影が近づいてきた。
鏡越しに目が合う。
アルフォンス・クライン。
私の完璧な執事にして、この監禁生活の支配者。
彼は私の手から優しく歯ブラシを抜き取ると、
新しいペーストを完璧な量だけ乗せ、悪魔のように微笑んだ。
「お手伝いいたします」
「……いい。自分でやる」
「無理はいけません。先ほど、歯磨き粉を落としましたね?貴重な資源の無駄遣いですし、何より貴女がもたもたしている間に、口内の雑菌が繁殖してしまいます」
彼は私の腰を抱き寄せ、洗面台の縁にひょいと座らせた。私の目線が上がり、彼を見下ろす形になる。けれど、精神的な優位は完全に彼にあった。
「さあ、口を開けてください」
「……やだ。恥ずかしい」
私は口を真一文字に結んで拒否した。
着替えを手伝われるのは百歩譲って慣れた(諦めた)。
でも、口の中を見られるなんて、次元が違う。
あそこは粘膜だ。内臓の入り口だ。
そんなプライベートな場所を、他人にまじまじと見られるなんて耐えられない。
「恥ずかしい?おかしなことを仰る」
アルフォンスは心底不思議そうに首を傾げた。
そのアイスブルーの瞳が、スッと細められる。
「私は他人ではありません。貴女の執事であり、貴女の生活そのものです。……貴女の汚れは私の汚れ。貴女の虫歯は私の失態。管理させていただけますね?」
有無を言わせぬ圧力。
そして、毒に侵された脳が「彼に任せれば楽になれる」と甘い誘惑を囁く。
私は観念して、小さく口を開けた。
「あーん」
「はい、良い子です」
アルフォンスは満足げに頷くと、手袋を外した。 素手だ。あの白く、細く、美しい指が、私の唇に伸びてくる。
「では、失礼して。口腔内の徹底洗浄を開始します」
シャカ、シャカ、シャカ……。
静かな洗面所に、微かなブラッシングの音が響く。アルフォンスの顔が近い。
吐息がかかる距離で、彼は真剣な眼差しで私の口の中を覗き込んでいる。
「……ふむ。奥歯の裏側に、昨夜のデザートの糖分が微かに残留していますね」
「んー……っ(見ないでよ……)」
「動きませんように。……傷がつきます」
彼は私の顎を片手で固定し、もう片方の手で器用にブラシを動かす。
その手つきは繊細で、まるで宝石を研磨する職人のようだ。
でも、くすぐったい。ブラシの毛先が歯茎を撫でるたび、背筋がゾクゾクする。
「……んッ、ふぅ……」
「おや、感じやすいようですね。歯茎の色も健康的で美しいピンク色だ。熟れた苺の果肉のようだ」
彼は真顔でとんでもない感想を口にする。
視線が熱い。ただ歯を磨いているだけなのに、
どうしてこんなに犯されているような気分になるのだろう。
「……舌を出してください」
「え……?」
「舌苔のクリーニングも必要です。さあ、べーっとして」
言われるがままに舌を出す。
彼はブラシを置き、今度は指先に清潔なガーゼを巻き付けた。そして、その指を私の口の中に侵入させた。
「んむっ……!?」
「力を抜いて。……ああ、温かい」
異物感。男性の指が口の中に入っているという事実が、脳をショートさせる。
彼の指は熱く、私の舌を優しく、しかし執拗に拭っていく。
唾液が溢れて、口の端から垂れそうになる。
「じゅる……んぅ……」
「汚くありませんよ。貴女の体液は、私にとっては聖水と同じです」
彼はガーゼで舌の表面を撫でながら、うっとりとした目で私を見つめた。
その瞳の奥には、ドロドロとした独占欲が渦巻いている。
(……この人、本当に変態だ……)
そう思ったけれど、拒絶できなかった。
彼の指が舌の裏側や、口蓋を撫でるたび、体の力が抜けていく。
管理される心地よさ。
自分では届かない場所まで、彼に暴かれ、綺麗にされる背徳感。
「……さて。ここからが本番です」
アルフォンスの声色が、不意に変わった。
甘い響きの中に、鋭い金属のような緊張感が混ざる。
「……ほん、ばん……?」
「ええ。……少し、痛みますよ」
彼は私の舌を持ち上げ、その裏側の柔らかい粘膜――舌下と呼ばれる部分に、指先を押し当てた。そこには、太い血管が走っている。
「……んぐっ!?」
「動かないで。……貴女を守るための『楔》』を打ち込みます」
彼の指先から、微弱だが鋭い魔力が放たれた。
チリッ!と焼けるような痛みが走る。
「な、なに……したの……?」
「『魂の共鳴』を刻印しました」
彼は作業を続けながら、小声で早口に説明する。
「この指輪には『強制帰還』の術式を込めましたが、指輪は物理的なモノです。もし奪われたり、指ごと切り落とされたりしたら……私は貴女を見失ってしまう」
ゾッとする仮定を平然と口にし、彼は私の舌の裏を強く押した。
「ですが、これは違います。貴女の肉体そのものに刻んだ、私への直通回線です」
「ちょ、くつう……?」
「ええ。声が出せなくても、魔力を封じられても……貴女が『助けて』と強く念じるだけで、その心の声は私の脳髄に直接響きます」
彼の瞳が、狂気的な愛で歪んだ。
「距離も、次元も関係ありません。貴女が地獄の底にいようと、その悲鳴を聞き逃さないための呪いです」
狂っている。口の中に魔法陣を刻むなんて。
でも、それは彼なりの、悲痛なまでの愛の形だった。
私が彼なしでは生きられないように。
彼もまた、私を失う恐怖に怯えているのだ。
この痛みは、私たちが決して離れられないという証。
「……っ……」
痛みと、恥ずかしさと、そして愛おしさ。
感情がぐちゃぐちゃになって、私は反射的に口を閉じてしまった。
ガリッ。
私の歯が、口の中に残っていた彼の指を強く噛んだ。
「――ッ!」
鉄の味がした。やってしまった。
ご主人様が執事の手を噛むなんて、最低だ。
私は慌てて口を開けようとした。
怒られる。
そう思って、恐る恐る彼の顔を見た。
けれど。
「……ふ」
アルフォンスは、笑っていた。
痛みに顔をしかめるどころか、恍惚とした表情で、頬を紅潮させていた。
「……素晴らしい」
「え……?」
「貴女の歯が、私の肉に食い込む感触。……貴女の一部になれたようで、ゾクゾクします」
彼は噛まれた指を抜こうともせず、むしろさらに奥へと押し込んできた。
「もっと強く。……貴女の痕を、私に刻んでください」
「……へ、変態……ッ!」
「おや、報酬にしては少々痛いですが……悪くありません」
彼は私の唇から血が滲む指を引き抜くと、その傷口を愛おしそうに舐めた。
鮮血が、彼の唇を赤く染める。
吸血鬼のような、妖艶で危険な美しさ。
「……これで、お互いに刻印し合いましたね」
彼は満足げに微笑むと、コップの水を差し出した。
「さあ、ゆすいでください。本日の検品、およびメンテナンスは終了です」
私はふらふらとリビングへ戻った。
口の中がジンジンする。
舌の裏には、彼が刻んだ魔法陣の違和感が残り、唇には彼の指の感触が焼き付いている。
(……なんなのよ、もう)
ソファに倒れ込みながら、私は自分の口元を押さえた。悔しいけれど、安心していた。
指輪という物理的な鎖に加え、魂まで繋がれるような刻印。
私の身体のすべて、内側の粘膜に至るまで、彼に把握され、管理されていること。それが、毒に侵された私には、たまらなく心地よかった。
「エルカ様。朝食のご用意ができました」
キッチンから、アルフォンスの明るい声が聞こえる。彼は噛まれた指に絆創膏を巻き、鼻歌交じりにオムレツを焼いている。
その背中は、いつもの完璧な執事そのものだ。
でも、私は知ってしまった。
あの冷静な仮面の下に、私を「食べる」機会を虎視眈々と狙っている、飢えた獣が潜んでいることを。
「……はいはい。今行くわよ」
私は重い体を起こした。 舌の裏の刻印を舌先でなぞってみる。微かな魔力の熱。
試しに心の中で『バカ』と呟いてみる。
すると、キッチンのアルフォンスが一瞬だけこちらを振り返り、ニッコリと微笑んだ気がした。
(……聞こえてるのね、本当に)
私は赤くなった顔を隠すように俯いた。
この刻印の熱は、彼からのキスの余韻のように、いつまでも消えそうになかった。
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