第49話「執事のプロポーズは「無期限の服従」
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「……来るわね」
塔の最上階、吹きさらしのバルコニー。
私は冷たい手すりに手をかけ、眼下に広がる森を見下ろしていた。
夕闇が迫る中、森の木々が不自然にざわめいている。
鳥たちの声が消え、代わりに重低音のような地響きが大気そのものを震わせていた。
毒(魔力抑制剤)で鈍った私の感覚でも分かる。
あれは、ただの包囲網じゃない。
森全体を埋め尽くすほどの悪意と魔力が、
この塔一点を狙って凝縮されているのだ。
まるで、世界の終わりがそこまで来ているような圧迫感。
「ええ。予定時刻通りです」
私の隣に、アルフォンスが音もなく並んだ。
彼はいつものように完璧な燕尾服を纏い、
乱れ一つない銀髪が夕風に揺れている。
片手には銀のトレイ。そこには、戦闘開始の合図代わりの食前酒――色鮮やかなルビー色の液体が揺れていた。
「魔法省の正規軍、ヴァイゼ家の私兵団、さらには傭兵ギルドの混成部隊……。総勢、およそ三千。ルシウスが動かせる最大戦力ですね」
彼はまるで今日の天気予報を告げるように、
平然と言ってのけた。
「……三千人?たった二人のために?」
「光栄なことです。貴女という『至宝』には、それだけの価値がある」
アルフォンスはグラスを私に手渡すと、夜用の上着をふわりと私の肩にかけた。その動作は優雅で、眼下に軍隊がいることなど微塵も感じさせない。
「寒くはありませんか、エルカ様。……指先が冷えています」
「……平気よ。あんたがいるもの」
「ええ。私がいます」
彼は私の手を両手で包み込み、ゆっくりと温めるように摩った。
手袋越しに伝わる熱。そのアイスブルーの瞳には、一切の動揺がない。
あるのは、冷徹な計算と、私への底知れぬ執着だけ。
「……勝てるの?」
私が恐る恐る尋ねると、彼はふっと表情を緩め、私を見た。その瞳が、とろけるように甘く、獰猛に歪む。
「愚問ですね。……私が誰だと思っているのですか?」
彼は包んでいた私の手を引き寄せ、掌に唇を寄せた。
「私は貴女の執事です。たとえ相手が三千の軍勢だろうと、神だろうと、貴女の安眠を妨げる『騒音』である以上、すべて排除いたします」
頼もしい言葉。でも、彼の手はいつもより少し冷たく、そして…微かに震えていた。
武者震いじゃない。これは――「喪失への恐怖」だ。彼が私を失うことを恐れているのか、それとも……。
「……アルフォンス」
「エルカ様。……一つ、お願いがございます」
彼は私の言葉を遮り、その場に静かに跪いた。
夕日を背負ったその姿は、お伽話に出てくる騎士のように美しく、そしてどこか悲壮だった。
彼は懐から、小さなベルベットの箱を取り出した。 深紅の箱。
金の縁取りが、傾いた陽の光を受けて鈍く輝く。
「……なに、それ」
「本来なら、平和な日常の中で、然るべき手順を踏んでお渡しする予定でした。最高のレストランを予約し、貴女の好きな花で部屋を埋め尽くして……」
彼は自嘲気味に笑った。
「ですが、状況が状況ですので。……少し、強引な手段を取らせていただきます」
パカッ。箱が開かれる。
中に収められていたのは、宝石などついていない、シンプルなプラチナの指輪だった。ただ、その表面には、肉眼では追いきれないほど微細な文字で、びっしりと魔術式が刻み込まれている。
見ているだけで吸い込まれそうな、重厚な魔力を放つ指輪。
「……指輪?」
「はい。『永遠の服従の環』と名付けました」
名前が重い。
アルフォンスは恭しく指輪を取り出し、私の左手を取った。彼の指先が、私の薬指を愛おしそうになぞる。
「この指輪には、二つの強力な術式が編み込まれています。一つは『絶対防御』。貴女の生命に危機が迫った時、自動的に障壁を展開し、あらゆる物理・魔法攻撃を無効化します」
彼は指輪を、私の薬指の先端に当てた。
冷やりとした金属の感触。
「そしてもう一つは……『強制帰還』」
「……強制?」
「ええ。貴女が世界のどこにいようとも、誰に連れ去られようとも……私の魔力を辿って、私の元へ強制的に転移させる術式です」
アルフォンスは顔を上げ、濡れたような瞳で私を見つめた。
「逃がしませんよ、エルカ様。……この戦いが終わったら、貴女の人生の最後の一秒まで、私の管理下に置いていただきます。そのための『契約書』だと思ってください」
彼の声は震えていた。それは恐怖からではない。
溢れ出しそうな愛と、それを無理やり型枠に押し込めたような独占欲の振動だ。
プロポーズ。
言葉は歪んでいるし、渡されるのは「拘束具」に近い代物だ。
でも、これは紛れもなく、彼なりの求愛だった。
一生、私を離さない。
一生、私を守り抜く。
その覚悟が、指輪を通して伝わってくる。
(……ああ、本当に)
私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
毒のせいで思考は鈍っているけれど、だからこそ、彼の「重さ」が心地よい。自由なんていらない。この完璧な男が、ここまで必死に私を縛りたがっている。その事実だけで、私は満たされてしまう。
「……あんたって、本当にバカね」
私は苦笑し、自分から指を押し込んだ。
指輪は滑るように私の薬指の根元まで収まり、
カチリと小さな音を立ててサイズを調整した。
まるで最初から、私の一部であったかのように吸い付く。
ドクン。
指輪から、彼の魔力が流れ込んでくる。
心臓の鼓動が、彼とリンクしたような錯覚。
「こんな首輪みたいな指輪、私が喜ぶと思ってるの?」
「……お嫌でしたか?」
「ううん。……嬉しいわよ」
私は左手をかざし、夕日に輝く指輪を見つめた。
プラチナの輪が、私の指を締め付ける感覚。
それは「守られている」というよりも、「所有されている」という甘い痺れを私に与えてくれる。
「一生、管理してくれるんでしょ?爪の先から髪の毛一本まで」
「……ええ、勿論です」
「だったら、文句は言わないわ。……これ、私の宝物にする」
私がそう告げると、アルフォンスの瞳が大きく揺らいだ。
彼は私の手を両手で包み込み、額を押し当てた。
熱い吐息が、指の隙間にかかる。
「……ありがとうございます、エルカ様。……愛しています」
彼は私の手を取り、指輪に口づけをした。
チュッ……。
音を立てて、金属の輪に唇を押し付ける。
そして、そのまま指の付け根、手の甲、手首へと、崇めるようにキスを落としていく。
「……くすぐったいよ、アルフォンス」
「我慢してください。……今、私の魂を貴女に刻み込んでいるのですから」
彼は名残惜しそうに唇を離すと、私の薬指をもう一度強く握りしめた。
「……もし」
彼が顔を上げないまま、ポツリと呟いた。
「もし、私が貴女のそばにいられなくなっても……。この指輪があれば、貴女を守れます。これは私の心臓の一部を切り出して作ったものですから」
「……は?」
私は眉をひそめた。
いなくなる?彼が? そんなこと、あり得ない。
彼は私なしでは生きられないし、私は彼なしでは服も着られないのだから。
「何言ってるのよ。どこにも行かせないわよ」
「ええ。もちろんです」
彼は顔を上げた。その表情は、いつもの自信に満ちた笑みではなく、どこか泣き出しそうなほど優しく、そして儚い微笑みだった。
まるで、今生の別れを告げるような。
「ですが、万が一ということもあります。……私が壊れても、この指輪だけは、貴女を守り続ける。……それだけは覚えておいてください」
不吉な言葉。
でも、今の私には、その裏にある彼の「自己犠牲の覚悟」までは読み取れなかった。
毒に侵された脳は、彼の言葉を「永遠の愛の誓い」としてしか処理できなかったのだ。
「……バカね。あんたが壊れるわけないでしょ。世界一頑丈で、しつこい執事なんだから」
「ふふ。……仰る通りです」
アルフォンスは立ち上がり、いつもの傲慢な表情を取り戻した。
彼は私の肩を抱き寄せ、耳元で低く囁いた。
「さあ、参りましょうか。……私たちの愛の巣を荒らす不届き者たちに、死という名の教育的指導をして差し上げなくては」
彼が指を鳴らすと、塔全体が青白い光に包まれた。
アルフォンスが事前に仕込んでいた、塔自体を巨大な迎撃兵器とするための術式が起動したのだ。
「部屋の中でお待ちください、エルカ様。……この騒音が止むまで、決してカーテンを開けてはいけませんよ?」
「……うん。気をつけてね」
「ご心配なく。紅茶が冷める前に、終わらせて戻ります」
彼は私をバルコニーから部屋の中へ押し戻し、
ガラス戸を閉めた。
ガラス越しに、彼が背中を向ける。
その背中は大きく、頼もしく、そして……
ひどく孤独に見えた。
ドォォォォォン……!!
遠くで最初の爆発音が響く。開戦の合図だ。
私は薬指の指輪を強く握りしめた。
銀色の金属が、彼の体温のように熱く脈打っている。それはまるで、彼が「ここにいるよ」と私の心臓に直接語りかけてくるようだった。
「……待ってるからね。アルフォンス」
私の呟きは、爆音にかき消され、彼には届かなかった。
ただ、彼が一度だけ振り返り、口パクで何かを言ったのだけは、はっきりと見えた。
――『貴女は、私が守る』。
その瞳の輝きを焼き付けたまま、私は爆風に揺れるカーテンを握りしめ、ただ祈ることしかできなかった。
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