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第48話「泡だらけの籠城戦、再び」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

籠城生活、八日目の午後。  

塔の中は、けだるい静寂と、乾燥した空気に包まれていた。


「……んー……。なんか、肌がカサカサする……」


私はリビングの長椅子に寝そべりながら、

自分の頬をペタペタと触った。  

ここ数日、アルフォンスに盛られた「特製紅茶(毒入り)」を飲み続けているせいで、私の新陳代謝は完全に彼に管理されているはずだ。

それなのに、今日は妙に肌が突っ張る気がする。


「おや、それは由々しき事態です」


キッチンで銀食器を磨いていたアルフォンスが、弾かれたように顔を上げた。  

彼は瞬きする間に私のそばへ移動し、手袋を外した指先で私の頬、首筋、そして二の腕を検品するように撫で回した。


「……ふむ。湿度が足りていませんね。外の包囲網が展開している結界の影響で、塔内部の水分が奪われているようです」


彼の表情が、まるで世界の終わりを見たかのように深刻になる。


「エルカ様の肌は、最高級のマシュマロよりも繊細なのです。乾燥などという野蛮な現象に晒して良いものではありません」


「……そこまでじゃないけど。加湿器、つけようか?」


「いいえ。通常の加湿器では追いつきません。……『特級保湿魔法』を使用します」


アルフォンスは懐から、見覚えのある香水瓶のようなボトルを取り出した。  

中には、ピンク色に輝く粘度の高い液体が入っている。


「これは以前、貴女が入浴剤として開発し、泡立ちすぎてお蔵入りになった『無限バブルソープ・改』です。これに保湿成分を加え、空気中に散布します」


「えっ、それ大丈夫?前、バスルームが泡で埋まったやつじゃ……」


「ご安心を。私が制御します。……ただ、拡散には少し風の魔力が必要です。エルカ様、そこのサーキュレーターのスイッチを入れていただけますか?」


彼は部屋の隅にある魔道具の扇風機を指差した。


「うん、それくらいなら……」


私はのろのろと起き上がり、扇風機に近づいた。  

毒のせいで足元がおぼつかないけれど、ボタンを押すくらいならできる。  

私は人差し指を伸ばし、スイッチに触れた。


――その時だった。


バチッ!


「……あれ?」


指先から、予期せぬ魔力の火花が散った。  

抑制剤で抑え込まれていたはずの私の魔力が、

行き場を失って指先から暴発したのだ。

その微弱な、しかし高密度の魔力が、扇風機の魔石と共鳴し――さらに、アルフォンスが展開しようとしていた魔法液に引火した。


ボンッ!! ピンク色の煙が爆発した。


「きゃっ!?」


「エルカ様!」


次の瞬間、リビング全体が視界ゼロの「泡地獄」へと変貌した。  

ただの泡ではない。ねっとりと肌に吸い付くような、濃厚な美容液の泡だ。

それが雪崩のように押し寄せ、私を飲み込んだ。


「ぷはっ!な、なにこれ!?」


「……想定外の化学反応ですね。貴女の暴走した魔力が、泡の増殖機能をバグらせたようです」


泡の海の中から、アルフォンスの冷静な声が聞こえた。  

視界が晴れると、そこは異様な光景だった。  

アンティーク家具も、ふかふかの絨毯も、すべてが腰の高さまであるピンク色の泡に埋め尽くされている。


「ど、どうしよう……止めなきゃ……」


「動かないでください!床が滑りやすく――」


彼の警告は一瞬遅かった。  

私が慌てて一歩を踏み出した瞬間、足元の摩擦係数がゼロになった。


「あっ――」


ツルッ! 世界が反転する。  

私は無様に宙を舞い、そのまま床へ叩きつけられる――はずだった。


ドサッ。 衝撃は来なかった。  

代わりに感じたのは、硬い胸板の感触と、甘いレモンの香り。


「……っと。危ないですね、私のお姫様は」


目を開けると、すぐ目の前にアルフォンスの顔があった。  

彼は間一髪で滑り込み、落下する私を受け止めていたのだ。  

私たちは泡の海の中で、折り重なるように倒れていた。


「あ……ありがとう、アルフォンス……」


「礼には及びません。……ですが」


彼は私を抱きしめたまま、困ったように、けれどどこか楽しげに微笑んだ。


「これでは、私も動けませんね」


彼の言う通りだった。この泡、ただの泡じゃない。美容液成分が濃縮されているせいで、ローションのようにヌルヌルとしている。  

起き上がろうとして彼の方に手をつくと、

ズルッと滑って、さらに密着してしまうのだ。


「ひゃっ……!」


「おや、積極的ですね」


私の手が彼の胸板を滑り、燕尾服越しに筋肉の形をなぞる。  

逆に、私の腰を支える彼の手も、泡のせいで滑り、際どいラインを撫で上げてくる。


「ち、違うの!滑るの!」


「ええ、よく滑ります。おかげで、貴女の身体のラインが手に取るように分かる」


アルフォンスの瞳の色が変わった。アイスブルーの中に、熱っぽい紫が混ざる。  

彼は起き上がろうとするのを諦め、私を床に縫い付けるように抱きすくめた。


「……素晴らしい保湿効果だ。貴女の肌が、吸い付くようだ」


「んぅ……っ、変なところ触らないで……」


「不可抗力ですよ。……ほら、ここも泡だらけだ」


彼の手が、泡に濡れた私のワンピースの裾から侵入し、太腿を這い上がる。  

冷たい泡と、彼の熱い指先。

その温度差が、毒で敏感になった神経を直接刺激する。


「あ……っ、だめ……」


「何がダメなのですか?……全身を洗う手間が省けましたね。このまま、私が貴女の隅々まで『磨き上げて』差し上げましょうか」


彼は私の首筋についた泡を、舌でちろりと舐めとった。


「……味も悪くない」


頭がくらくらする。部屋中がローズの香りで満たされ、視界はピンク色の泡。  

その中で、完璧な執事に組み敷かれ、全身を弄ばれる。  

逃げようにも、手足は滑るし、そもそも毒のせいで力が入らない。  

これはもう、降伏するしかないんじゃないだろうか。


「……アルフォンス、のバカ……」


「ええ。貴女を愛するバカな執事です」


彼が私の唇に顔を寄せた、その時だった。


ブーン……。ブーン……。


甘い空気を切り裂くように、不快な羽音が聞こえた。ハエ? いや、もっと機械的で、硬質な音。


「……チッ」


アルフォンスの動きが止まった。先ほどまでの蕩けるような甘い表情が一変し、絶対零度の殺気が放たれる。彼は私を抱いたまま、視線だけを窓の方へ向けた。


泡で汚れた窓ガラスの向こう。  

そこに、ソフトボールほどの大きさの「眼球」が浮いていた。  

金属製の羽で空中に静止し、赤いレンズをギョロギョロと動かしている。


「……あれは?」


「魔法省の『偵察ドローン(使い魔)』です。……のぞき魔とは、随分と趣味が悪い」


ドローンのレンズが回転し、ピントを合わせようとする。  

狙いは間違いなく、部屋の中で絡み合う私たち――正確には、無防備な姿の私だ。


「……見ないで……!」


「ご安心を。貴女の肌を1ミリでも記録に残すなど、万死に値する」


アルフォンスは私の上半身を自分のジャケットで覆い隠すと、泡の中に落ちていた銀のトレイを足の指で器用に挟み上げた。

そして。


「……失せろ、ゴミ屑」


ヒュンッ!! 彼が足を振り抜くと、トレイは円盤のように回転しながら窓ガラスを突き破り、正確にドローンへと直撃した。


ガシャンッ!!  

ドローンは火花を散らして爆散し、黒い煙を上げて森へと墜落していった。


「……ふぅ。掃除の手間が増えましたね」


アルフォンスは何事もなかったかのように溜息をつくと、再び私に向き直った。  

窓が割れたせいで、外の風が入ってくる。  

泡が舞い上がり、幻想的な風景を作り出していた。


「……怖かったですか?」


「……ううん。アルフォンスがいるから」


私は彼の胸に顔を擦り付けた。  

敵の偵察機が来るなんて、本来ならもっと怯えるべき状況だ。  

でも、彼が瞬殺してくれたおかげで、恐怖よりも「守られている」という安心感の方が勝ってしまう。

ああ、本当にダメだ。私は完全に、彼に依存しきっている。


「良い子です。……さて」


アルフォンスはヌルヌルする床の上で、器用に立ち上がると、私を軽々とお姫様抱っこした。


「害虫駆除も終わりましたし、続きをしましょうか」


「……続き?」


「はい。まだ貴女の背中もお腹も、泡まみれですからね。バスルームへ行きましょう。今度こそ、誰にも邪魔されない密室で、私が責任を持って『洗浄』いたします」


彼の眼鏡が怪しく光る。

その意味するところを理解して、私は顔を赤くしたけれど、拒否する言葉は出てこなかった。

だって、今の私は自分では体も洗えない、彼のお人形なのだから。


「……優しくしてね」


「善処します。ですが、このヌメリはなかなか落ちそうにありませんね。時間はたっぷりかかりそうです」


彼は愉悦に満ちた笑みを浮かべ、私を抱えてバスルームへと消えていった。  

リビングに残されたピンク色の泡は、まるで二人の甘くドロドロとした関係を象徴するかのように、いつまでも消えずに残っていた。


そして、森の奥で破壊されたドローンの残骸が、

最後の通信データを魔法省へと送信していたことになど、私たちは気づきもしなかった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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