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第46話「執事、嫉妬に狂う」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

「……エルカ様」


籠城生活、五日目の朝。  

私の安眠を破ったのは、小鳥のさえずりでも、

目覚まし時計のベルでもない。地獄の底から響いてくるような、絶対零度の執事の声だった。


「……んぅ……おはよう、アルフォンス……。今朝の紅茶は、まだ……?」


私が重い瞼を擦りながら身じろぎすると、ベッドサイドに立っていたアルフォンスは、いつもの「おはようございます」の代わりに、深い溜息をついた。 部屋の温度が、体感で五度くらい下がった気がする。毒(魔力抑制剤)のせいで私の体感温度がおかしいだけかもしれないけれど、それにしても寒い。


「……おはようございます。ですが、爽やかな朝とは言い難いですね」


「え……なんで? 敵が攻めてきた?」


「いいえ。……貴女の神聖なベッドの中に、極めて不快な『異物』が混入しているからです」


アルフォンスの視線が、私の腕の中に突き刺さる。眼鏡の奥のアイスブルーの瞳は、ルシウスを見る時と同レベルの、冷徹な殺意を帯びていた。


「……その、薄汚くて、綿が飛び出し、目玉が一つ欠損している茶色の物体は……一体、何なのですか?」


彼が指差した先。  

私が抱きしめていたのは、昨日「秘密の書庫」のガラクタの山からこっそり救出してきた、古びたクマのぬいぐるみだった。


「あ、これ?『クマ吉』よ」


「クマ吉……?」


「そう。昨日見つけて、なんか可哀想で捨てられなくて……。洗ってないから少し埃っぽいけど、抱き心地がいいのよ」


私は愛着を込めて、クマ吉のボロボロの頭を撫でた。長年放置されていたせいか、毛並みはゴワゴワで、カビ臭いような古本の匂いがする。

でも、薬の副作用で心が不安定な今の私には、

この独特の重みとくたびれた感じが、妙に落ち着くのだ。


「……信じられない」


アルフォンスが額に手を当て、よろめくような素振りを見せた。演技派だ。


「私が……この私が、毎日三時間かけて磨き上げ、最高級のシルクと薔薇の香りで包み込んだ貴女の寝床に……そのような産業廃棄物を持ち込むとは……!」


「ひどい言い方しないでよ!クマ吉は廃棄物じゃないわ、友達よ!」


「友達?いいえ、それはダニとハウスダストの集合住宅です」


彼はスッと手を伸ばし、私の腕からクマ吉を奪い取ろうとした。


「直ちに焼却処分が必要です。……貸しなさい」


「やだ! 離してよ!」


私は必死に抵抗し、クマ吉を胸に抱え込んだ。

毒のせいで力が入らないけれど、これだけは譲れない。


「籠城生活で不安なんだから、これくらいいいじゃない!夜だって、薬のせいで変な夢見るし……何か抱きしめてないと落ち着かないのよ!」


「……落ち着かない?」


アルフォンスの動きがピタリと止まった。  

彼は奪い取る手を引っ込め、代わりに眼鏡の位置をクイッと直した。レンズが白く光り、表情が見えなくなる。


「……エルカ様。貴女は、寂しいからその物体を抱いていると?」


「そ、そうよ。悪い?」


「なるほど。寂しい、ですか」


彼はゆっくりと、私の方へ顔を近づけてきた。

その顔には、完璧な営業スマイルが張り付いているけれど、目の奥は全く笑っていない。

むしろ、嫉妬という名のどす黒い炎が渦巻いている。


「寂しいのなら、私がいます」


「……はい?」


「その不衛生な物体よりも、私の腕の方が清潔です。筋力トレーニングによって適度な弾力を維持しており、体温も貴女が好む36.5度に調整可能です。抱き心地という機能面において、私がそのボロ雑巾に劣る要素など一つもありませんが?」


アルフォンスは真顔で、とんでもない対抗意識を燃やしていた。ぬいぐるみ相手に、本気でスペック勝負を挑んでいる。


「い、いや、そういう問題じゃなくて……。アルフォンスは人間だし、ずっと抱きついてるわけにはいかないでしょ?」


「構いません。二十四時間、貴女の抱き枕として機能する用意があります」


「私が困るのよ!……それに、クマ吉にはこの『くたびれた哀愁』というか、癒やしがあるの!」


私が力説すると、アルフォンスの視線がクマ吉のつぶらな瞳(片目)に向けられた。  

ギリリ……と、彼が嵌めている革手袋が軋む音がした。


「……癒やし、ですか。……私では、貴女を癒せないと?」


「だ、だからそうじゃなくて……」


「貴女がその物体に頬擦りをするたび、私の心臓が不整脈を起こしそうなほど不快です。……嫉妬? いいえ、これは衛生管理者としての義憤です」


いや、完全に嫉妬だ。  

彼は深呼吸を一つすると、恐ろしいほど優しい声で告げた。


「エルカ様。……選択してください」


「え?」


「今すぐその物体を私に渡して『洗濯』させるか。……それとも、今ここで私がその物体を原子レベルまで『分解』するのを見るか」


彼の手のひらに、青白い消滅魔法の光が灯る。

本気だ。この男、本当にぬいぐるみを殺す気だ。


「わ、わかった!洗濯!洗濯でお願いします!」


「賢明なご判断です」


アルフォンスは光を消すと、私の腕からヒョイっとクマ吉をつまみ上げた。汚いものを持つように、指二本で耳の端を摘んでいる。


「……徹底的に、洗浄リニューアルさせていただきます。貴女の隣に置いても恥ずかしくないレベルまでね」


彼は邪悪な笑みを残し、クマ吉を連行してバスルームへと消えていった。残された私は、ただクマ吉の無事を祈るしかなかった。



数時間後。  

キッチンで毒入りの紅茶を飲んでまどろんでいた私の前に、アルフォンスが戻ってきた。  

彼は銀のトレイの上に、うやうやしく「それ」を乗せていた。


「……お待たせいたしました、エルカ様。……『クマ吉』の帰還です」


トレイの上に乗っていたのは、私の知るクマ吉ではなかった。いや、ベースはクマ吉だ。  

だが、その姿は劇的に変貌していた。


「……なに、これ」


ゴワゴワだった茶色の毛並みは、特殊な柔軟剤で洗われたのか、絹のように艶やかでフワフワになっていた。飛び出していた綿は最高級の羽毛に入れ替えられ、パンパンに張っている。  

欠損していた片目には、深く輝くサファイアの義眼が嵌め込まれていた。極め付けは――。


「……なんで、執事服着てるの?」


そう。クマ吉は、アルフォンスとお揃いの、ミニチュアサイズの燕尾服と銀縁眼鏡を着用していたのだ。


「裸ではみっともないですからね。私の古着をリメイクして着せておきました」


「……クマ吉が、アルフォンスみたいになってる……」


「名付けて『アルフォンス・ベア』です」


彼は誇らしげに胸を張った。  

確かに綺麗になった。清潔になった。  

でも、なんだろう。この漂ってくる「圧」は。


「さあ、抱きしめてみてください。……以前のような不快な臭いは消え、代わりに私の調合した『安眠アロマ』が香るはずです」


促されて、私は新生クマアルフォンス・ベアを受け取った。……悔しいけど、手触りは最高だった。 頬ずりしたくなるほど滑らかで、ふわりとレモンと蜜蝋、そして微かにアルフォンス自身の体香がする。


「うん……すごい。ふわふわ……」


「でしょう? 中身の綿も、吸湿発熱素材の魔法繊維に入れ替えました。抱いているだけで、貴女の体温を最適に保ちます」


「ありがとう、アルフォンス。これなら一緒に寝ても――」


私が素直に礼を言おうとした、その時だった。


『――エルカ様。姿勢が悪くなっていますよ』


クマ吉が、喋った。  

しかも、アルフォンスのイケボで。


「ひゃあっ!?」


私は驚いてクマ吉を取り落としそうになった。

薬で鈍った心臓が、早鐘を打つ。


「な、ななな、なに!?今、クマ吉が……!」


「おや、驚かれましたか?オプション機能です」


アルフォンスは涼しい顔で説明を始めた。


「腹部に音声再生魔法陣を組み込みました。

私が事前に録音した、貴女を管理するためのフレーズが、状況に応じてランダムで再生されます」


『――早く寝ないと、お仕置きですよ』

『――貴女は私のものです』

『――愛しています、ご主人様』


クマ吉から、甘く、重く、そして支配的なアルフォンスの声が次々と流れてくる。  

これではぬいぐるみというより、アルフォンスの分身だ。


「ちょ、ちょっと!こんなの落ち着いて寝れないわよ!」


「そうですか?私がそばにいない時でも、私の声が貴女を指導できる。……完璧なシステムだと思いますが」


彼はクマ吉の眼鏡の位置を直しながら自分の眼鏡を直すように、愛おしそうに目を細めた。


「これで、私がトイレや入浴で席を外している間も、貴女は寂しくありませんね」


「寂しくないけど、監視されてる気分よ!」


「監視?……いいえ、見守りです」


さらに、彼は声を潜めて付け加えた。


「それに……そのサファイアの右目には、視覚共有の魔法を付与してあります」


「つまり、そのクマを抱いて寝るということは、貴女の寝顔を至近距離で私が常に見つめているのと同義です。……興奮しますね」


「……っ!」


私は絶句した。  

この男、嫉妬の果てに、ぬいぐるみを「遠隔監視端末」に改造しやがった。私の癒やしグッズを、自分の支配ツールに変えてしまったのだ。


「さあ、今夜からはその子をたっぷりと可愛がってください。……その子が受ける抱擁の圧力、温度、湿度はすべてデータとして私に転送されますので」


アルフォンスは満面の笑みで言った。


「私が嫉妬しない唯一の相手は、私自身の分身だけですから」


その夜。  

私はベッドの中で、新生クマ吉を抱いて寝る羽目になった。捨てようにも、アルフォンスの魔力がこもっているせいで捨てられないし、何より彼が隣のベッドで「抱かないのですか?」と無言の圧力をかけてくるからだ。


『――エルカ様、いい匂いです』


抱きしめるたびに、クマ吉がアルフォンスの声で囁く。サファイアの瞳が、暗闇の中で怪しく光る。隣のベッドでは、本物のアルフォンスが、

私の心拍数モニターを見ながら満足げに寝息を立てている。


(……逃げ場がない……)


私はアルフォンスの声がするフカフカのクマに顔を埋めた。悔しいけれど、その声は毒に侵された私の脳に心地よく響き、手触りは最高で、私はあっという間に眠気に誘われてしまった。  

癒やしを求めた結果、より深い沼に引きずり込まれたことに気づきつつ、私は「アルフォンス・ベア」の腹に顔を擦り付けた。


『――おやすみなさい、私の愛しい人』


クマと執事、二重の重い愛に挟まれて、私の籠城生活の夜は更けていくのだった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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