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第45話「秘密の書庫と、不潔な過去の残滓」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

「……ごちそうさまでした。幸せ……」


極上のステーキランチを終え、私はソファの上で満腹感と、薬効による気怠さに浸っていた。  

外の兵士たちには申し訳ないけれど、アルフォンスの料理は魔法そのものだ。

胃袋だけでなく、不安な心まで満たされていく気がする。指先の痺れはまだ続いているけれど、

それすらも心地よい微睡みの一部になっていた。


「お気に召して何よりです。……さて、腹ごしらえも済んだところで」


アルフォンスは手早く食器を片付けると、真っ白な手袋を新しいものに交換し、不敵な笑みを浮かべた。


「食後の運動と参りましょうか」


「運動?……無理よ。足に力が入らないもの」


「ご安心を。激しい運動ではありません。……探検です」


彼は指をパチンと鳴らし、バスルームの方角を指差した。


「数日前、貴女の泡風呂事件によって露出した『秘密の小部屋』……。あそこの調査と、徹底的な『消毒』を行います」


私たちはバスルームへ向かった。  

壁の一角が崩れ、ぽっかりと空いた暗い穴。

そこからは、何とも言えないカビと古紙の混ざった匂いが漂ってくる。


「……うっ、埃っぽい」


「マスクを着用してください、エルカ様。……計測によれば、内部のハウスダスト濃度は致死量に達しています」


アルフォンスは私にレースの装飾付き高機能マスクを手渡すと、自身も口元をハンカチで覆った。その目は、親の仇を見るように険しい。


「この塔の歴代の主は、どいつもこいつも整理整頓という概念を知らないようですね。……行きましょう。私の腕に掴まってください」


彼が差し出した腕に、私はしがみついた。  

毒のせいで平衡感覚が怪しい私には、この頑丈な腕だけが頼りだ。彼が指先から照明魔法を放ち、暗闇に足を踏み入れる。


中は、予想以上に広かった。  

小部屋というよりは、隠し書庫だ。

壁一面の本棚にはボロボロの羊皮紙や魔導書が詰め込まれ、床には得体の知れない実験器具や、

干からびた魔法生物の標本が散乱している。  

蜘蛛の巣がカーテンのように垂れ下がり、歩くたびに埃が舞い上がった。


「……汚らわしい。ここは地獄ですか?」


「わぁっ……すごい!お宝の山じゃない!」


私たちの反応は正反対だった。  

アルフォンスが顔をしかめて後ずさりする一方で、私は目を輝かせてゴミの山に手を伸ばした。


「見て見てアルフォンス!これ、『自立歩行するキノコ』の培養槽よ!枯れてるけど!」


「……直ちに焼却処分が必要です」


「こっちは『古代語のジョーク集』!……うわ、カビてて読めない!」


「バイオハザードです。触らないでください」


私が何かを拾い上げるたび、アルフォンスは「不潔です」「汚染物質です」と即座に却下する。  

彼は杖を指揮棒のように振り、周囲の空間に結界を展開し始めた。


彼の周囲だけ、埃が寄り付かない無菌空間が出来上がっていく。


「エルカ様。……貴女が興味を持つのは構いませんが、選別は私が行います。貴女の美しい指先が、カビ菌に冒されるのを見ていられません」


「過保護ねぇ。……ふらつくから、あんまり離れないでよ?」


「もちろんです。私の半径一メートル以内が、この世で唯一の安全地帯ですから」


彼は私を安全な場所に立たせると、ため息をつきながら本棚の奥へと進んでいった。  

どうやら、危険な魔道具がないか先にチェックしてくれるらしい。私はその背中を見送りながら、手近な木箱を漁り始めた。



(……なんだ、これは)


一方、部屋の奥で棚を調べていたアルフォンスの手が止まった。埃まみれの魔導書群の中に、一際異質なオーラを放つ、黒革のファイルが紛れ込んでいたのだ。魔法的な封印が施されているが、経年劣化で脆くなっている。アルフォンスは手袋をした指で、慎重に封印を解いた。


「……『魔法省・非公式任務遂行記録』……?」


表紙に刻まれた文字を見た瞬間、彼のアイスブルーの瞳が凍りついた。なぜ、こんなものがここにある?この塔は歴代の魔女の隠れ家だったはずだ。それがなぜ、魔法省の――それも「裏の仕事」の記録が?


嫌な予感が背筋を走る。彼はページを捲った。

そこには、10年前の日付と共に、無機質なリストが羅列されていた。


――『対象:反体制派魔導師団・幹部12名。処分完了』  

――『対象:第二王女・誘拐犯グループ。殲滅完了』  

――『対象:北の賢者。証拠隠滅完了』


見覚えのある案件ばかりだった。  

そして、全ての記録の「実行者」の欄に、同じコードネームが記されていた。


――『Cleaner(掃除屋)』。


「……ッ……」


アルフォンスは息を呑んだ。

これは、彼自身の記録だ。  

彼がまだ「アルフォンス・クライン」という名を持つ前。ルシウス・ヴァイゼの手駒として、国中の「汚れ」を掃除して回っていた時代の、血塗られた業務日誌。


(……なぜ、ここに……)


考えるまでもない。ルシウスだ。  

あの男が、かつてこの塔の先代の主と繋がりがあったのか、あるいは意図的にここに隠したのか。 どちらにせよ、これは「ゴミ」ではない。  

「爆弾」だ。


もしエルカがこれを見たら?  

彼女の愛する完璧な執事が、かつて何百人もの命を奪った冷酷な暗殺者だったと知ったら?


(……嫌われる……)

(汚いと、蔑まれる……)

(あの雨の日、私を拾ってくれた彼女に……失望される……)


恐怖で指先が震えた。  

毒を盛って彼女を無力化することには罪悪感を覚えない彼も、「過去の自分」を知られることだけは耐え難い屈辱であり、恐怖だった。  

今の自分は、彼女のために磨き上げられた「完璧な執事」でなければならないのだ。


「……アルフォンス? 何かあった?」


背後から、エルカの声がした。  

彼女がこちらへ歩いてくる足音がする。

少し引きずるような、頼りない足音。


「……いいえ。何も」


アルフォンスは振り返らなかった。  

表情を取り繕う余裕すらなかった。  

ただ、手の中にある「不潔な過去」を、彼女の目に触れさせるわけにはいかない。


「ただの……酷く汚れた、古いゴミを見つけただけです」


彼はファイルを持ったまま、掌に炎の魔力を集中させた。


ボッ。  

音もなく、黒いファイルが青白い炎に包まれる。


「えっ?ちょっと、何燃やしてるの!?」


炎の色に気づいたエルカが駆け寄ってくる。


「待って!中身も見ないで捨てるなんて、もったいない……」


「見る価値もありません!」


アルフォンスは鋭く叫んだ。  

その声の剣幕に、エルカがビクリと肩を震わせる。


「……害虫の卵が産み付けられていました。……貴女に見せられるものではない」


嘘だ。だが、真実よりはずっとマシな嘘だ。  

ファイルは瞬く間に灰となり、空中に霧散していく。灰の欠片がキラキラと舞う中、アルフォンスはようやく振り返った。いつもの「完璧な執事」の仮面を被り直して。


「……申し訳ありません、大声を出して。衛生管理責任者として、即時の処分が必要だと判断しました」


「……そ、そう……。びっくりした……」


エルカはまだ不審そうに、宙に舞う灰を見つめていた。その瞳が、何かを探るように細められる。 毒で思考が鈍っているとはいえ、彼女の勘の良さは侮れない。


「……ねえ。本当にただのゴミ?」


「ええ。貴女の人生には、1ミリも必要のない不純物です」


アルフォンスは微笑んだ。  

だが、その笑顔はどこか痛々しく、張り詰めていた。


「……ふーん」


エルカが一歩近づく。  

彼女の足元には、散乱した魔導書の山があった。 彼女がそれを踏み越えようとした、その時。


ズルッ!


「あっ……!」


薬の影響で踏ん張りが効かず、エルカの体が大きく傾いた。倒れる先は、埃と蜘蛛の巣だらけの床だ。


「危ない!」


アルフォンスは反射的に動いた。  

魔法を使うまでもない。鍛え上げられた肉体が瞬時に反応し、彼女の体を抱き止める。


ドサッ。


二人は重なるようにして、床に倒れ込んだ。  

舞い上がる埃の嵐。アルフォンスの燕尾服が、

エルカのローブが、瞬く間に灰色に染まる。


「……っ……い、痛ったぁ……」


「……お怪我はありませんか、エルカ様」


すぐ耳元で声がした。  

目を開けると、私のすぐ上にアルフォンスの顔があった。彼は私を庇うように背中から落ち、

私を胸の上に抱きとめていたのだ。


「あ……ご、ごめん! 私、足に力が入らなくて……」


私は慌てて飛び退こうとした。  

だって、彼は極度の潔癖症だ。  

こんな埃まみれの床に寝転がるなんて、彼にとっては拷問に等しいはずだ。しかも、私の服についた汚れまで彼に移してしまっている。


「ど、どいて! 私、汚いから……!」


「……動き回らないでください。埃が舞います」


けれど、アルフォンスの腕は解かれなかった。

それどころか、逃げようとする私の背中に腕を回し、さらに強く抱き寄せたのだ。


「え……?」


「……ああ、もう。貴女といると、私の秩序が台無しだ」


彼は天井を見上げ、深く溜息をついた。  

その端正な顔には、埃がついていた。  

いつも完璧に磨き上げられている眼鏡も、

少し曇っている。それなのに。どうしてだろう。

今の彼は、いつもの完璧な姿よりも、ずっと人間らしくて、胸が締め付けられるほど綺麗に見えた。


「……汚れてるよ、アルフォンス」


「ええ。最悪です。燕尾服はクリーニングが必要だし、髪も洗い直さなければならない。……この部屋に入ったこと自体が間違いでした」


彼は不機嫌そうに言った。  

でも、私を見つめる瞳だけは、熱を帯びて揺れていた。


「……ですが。貴女が怪我をするよりはマシだ」


彼の手が、私の頬についた煤汚れを親指で拭った。白い手袋が黒く汚れる。彼はそれを気にする素振りも見せず、私の顔を引き寄せた。


「……エルカ様」


「な、なに……?」


「私は汚れを嫌います。……過去の汚れも、現在の汚れも」


彼の言葉の意味が、私には半分しか分からなかった。さっき燃やしていた書類のことだろうか?


「ですが……貴女についた汚れだけは、私が引き受けましょう」


彼は囁くと、私の唇に、そっと自分の唇を重ねた。


「……んッ!?」


キス。甘い、というよりは、何かを隠すような、切羽詰まったキスだった。  

埃っぽい空気の中で、彼と私の触れ合う場所だけが熱く溶けていく。まるで、私を外界のすべてから隔離し、彼の「綺麗事」の中に閉じ込めようとするかのように。


「……ぷはっ……」


唇が離れると、銀の糸が引いた。  

アルフォンスは私の唇を親指でなぞり、満足げに目を細めた。その瞳の奥には、秘密を守り通した安堵と、暗い執着が渦巻いている。


「……消毒、完了です」


「……ばっ……バカじゃないの!?こんなゴミの中で……!」


「場所など関係ありません。……貴女がいれば、そこが私の聖域です」


彼は私を抱えたまま、軽々と立ち上がった。  

自分も埃まみれなのに、その姿はやっぱり、どこまでも優雅で格好良かった。


「さあ、戻りましょう。……書庫の調査は終了です。ここにあるのはゴミだけでした」


彼は振り返りもせず、燃えカスとなった灰の山に背を向けた。私は彼の肩越しに、もう一度だけ部屋の中を見た。あの一角だけ、空気が歪んで見えたのは気のせいだろうか。  

薬で痺れた頭では、それ以上深く考えることはできなかった。


「……お風呂、入らないとね」


「ええ。……もちろん、一緒に入りますよ。この汚れを落とすには、私と貴女の徹底的な相互洗浄が必要です」


アルフォンスは悪戯っぽく笑い、私をバスルームへと連れ去った。彼が隠した「過去」が、灰の下でまだ燻っていることなど、毒に侵されたこの時の私は知る由もなかった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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