第42話「籠城のルールは「同室」が鉄則」
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「……ふぁ……。体が、重い……」
籠城生活、二日目の朝。
私は泥のように重たい瞼をこじ開け、天蓋付きのベッドで身じろぎした。
指先に力が入らない。全身が甘い痺れに包まれているようで、起き上がるのさえ億劫だ。
でも、それも当然だった。
あの日――魔法省の先遣隊をアルフォンスが単身で壊滅させたあの日から、私は彼が淹れる「特製の紅茶」を飲み続けているのだから。
『今の三倍の濃度で投与します』
彼はそう言った。そして私はそれを受け入れた。
私の強すぎる魔力を消し、世界から隠れるために。
そして何より、この完璧で異常な執事に、一生養ってもらうために。
「お目覚めですか、エルカ様」
思考の靄を払うように、涼やかな声が降ってきた。
サイドテーブルには、湯気を立てるモーニングティーを持ったアルフォンスが立っていた。
朝日を背に受けるその姿は、神々しいほどに美しい。手袋の白さも、銀髪の輝きも、一分の隙もない。
「……おはよう、アルフォンス。……今日の紅茶も、香りが強いわね」
「ええ。『特製』ですから。……今朝は少しハーブを多めに配合しました。貴女の思考をよりリラックスさせ、無駄な抵抗心を削ぐ効果があります」
彼は悪びれもせず、毒(抑制剤)入りのカップを私の唇に寄せた。
私は半身を起こし、そのカップに口をつける。
甘い。
頭がくらくらするほど甘美な味。
これが私の魔力を殺し、私をただの人形に変えていく毒だなんて、誰が信じるだろう。
「……ん。美味しい」
「ありがとうございます。さて、栄養補給が済んだところで、重要なお知らせがございます」
アルフォンスは空になったカップを受け取ると、表情を引き締めた。
眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、スッと細められる。
「本日から、私の寝床をこの部屋へ移動いたします」
「……は?」
毒のせいで回転の鈍った頭が、その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
「……えっと、移動って……まさか、ここで寝るってこと?」
「左様です。文字通り、二十四時間体制での密着警護を開始いたします」
彼は淡々と告げると、寝室の隅――私のベッドからわずか三メートルほどの距離にあるデッドスペースを指差した。
そこには、いつの間にか彼のものと思われる折り畳み式の簡易ベッドが設置されていた。
簡易と言いつつも、シーツは最高級のシルクで、
枕元には愛読書と加湿器まで完備されている。
「ちょ、ちょっと待って!なんでそうなるのよ!」
私は慌てて抗議しようとしたが、呂律が少し回らない。
「いくら籠城中だからって、同室なんて……プライバシーがないじゃない!」
「プライバシー?貴女の魔力波長から生理周期まで管理している私に、今更何を隠すおつもりで?」
「そういう問題じゃなくて!乙女の寝室なのよ!?」
「ご安心ください。貴女が毒の影響で寝苦しそうにしていれば、即座に私が背中をさすり、子守唄を歌える距離です。これ以上の環境はありません」
彼は真顔で言いきった。
ダメだ、この男に常識は通じない。
しかも今の私は、彼に逆らう気力すら薬で削がれている。
「……はぁ。勝手にしなさいよ。……でも、どうして急に?」
私が尋ねると、アルフォンスの表情から温度が消えた。
彼は無言で窓際へ歩み寄り、分厚い遮光カーテンを数センチだけ開いた。
「……見てください。外の景色を」
促されてベッドから這い出し、隙間から外を覗く。息を呑んだ。
先日の戦闘で荒れ果てた森の向こうに、新たな軍勢が展開していたのだ。
それも、先日のような雑多な兵士ではない。
整然と並ぶ黒塗りの魔導装甲車。
そして陣頭に翻る、不気味な旗印。
――『双頭の蛇』。
「……あれは?」
「ヴァイゼ家の私兵団、および魔法省監査局の精鋭部隊です。……指揮官が変わりました」
アルフォンスの声が、地を這うように低くなる。
「ルシウス・ヴァイゼ。あなたも面識がおありですね……私の元上司であり魔法省長官、この国の『不潔な裏社会』を牛耳る男です」
ルシウス。
その名前を聞いた瞬間、私の脳裏に夜会の記憶が蘇った。
あの時、背筋を這い上がった不快な寒気。
アルフォンスが嵌めている革手袋が、ギリリと音を立てて握りしめられる音で、私は現実に引き戻された。
彼から放たれる殺気が、部屋の温度を一気に下げる。
「あの男は、先日の指揮官のような無能ではありません。目的のためなら手段を選ばず、最も効率的で、最も残酷な手を使ってくるでしょう」
彼は窓を閉め、私の方を振り返った。
その瞳には、恐怖と、それ以上の執着が渦巻いていた。
「もし、貴女があの男の手に落ちれば……単なる処刑では済まない。貴女の身体を解体し、魔力回路を摘出し、生きたまま実験材料にされる可能性が高い」
「……っ……」
「そんなことはさせない。……貴女の髪一本、指先の皮一枚たりとも、あのような不潔な男に触れさせはしません」
アルフォンスが歩み寄ってくる。
彼は私の両肩を掴み、至近距離で凝視した。
「だから、私の目の届く範囲にいてください。……トイレも、着替えも、睡眠中も。一秒たりとも、私以外の気配が貴女に触れることを許容できません」
「……アルフォンス……」
「これは警護ではありません。私の『所有権』の主張です」
その言葉は重く、鎖のように私を縛り付けた。
でも、不思議と嫌ではなかった。
毒で弱った身体には、彼の重すぎる愛が、むしろ心地よい重石のように感じられる。
外の世界には、私を解体しようとする悪意がある。
ここには、私を閉じ込めようとする狂気がある。
どちらが幸せか。
そんなの、考えるまでもなかった。
「……分かったわ」
私は彼の腕の中で、力なく微笑んだ。
「あんたの好きなようにして。どうせ私、あんたがいないと何もできない体にされちゃったしね」
「……ええ。賢明なご判断です、エルカ様」
アルフォンスは満足げに目を細め、私の額にキスを落とした。
「貴女はただ、私の作ったこの『檻』の中で、美しく呼吸をしていてくださればいいのです」
そして、同室生活初日の夜が訪れた。
魔法灯が落とされ、部屋は暗闇に包まれている。
……はずなのに、全然落ち着かない。
隣の簡易ベッドから、視線を感じるのだ。
物理的な視線というより、もっと粘着質な、
全身を舐め回すような気配。
「……ねえ、アルフォンス」
「はい、エルカ様。お水ですか?寝返りの介助ですか?」
即答。やっぱり起きてる。
「違うわよ。……あんた、こっち見すぎ。眠れないんだけど」
「見てはいませんよ。私はただ、貴女の寝息のリズムが一定であることを聴覚で確認しているだけです」
「嘘つけ。暗視魔法使ってるでしょ」
私が布団の中からジト目で睨むと、暗闇の中で彼の眼鏡がキラリと光った気がした。
「……バレましたか。ですが、仕方ありません」
「何がよ」
「貴女が無防備に眠る姿。……それは私にとって、世界で最も美しい芸術品なのですから。鑑賞する権利くらいは頂きたい」
彼はベッドから音もなく起き上がり、私の枕元まで移動してきた。
そして、布団から出ていた私の手を、そっと両手で包み込んだ。
手袋をしていない、素手だった。
彼の指先はいつもより熱く、私の体温を確かめるように脈打っている。
「……それに、今の貴女は『毒』の影響で魔力が不安定です。急な発熱や、悪夢にうなされるかもしれない。……私が手を握って、魔力循環を調整する必要があります」
「……ただ触りたいだけでしょ?」
「否定はしません。貴女の肌の感触だけが、私の精神安定剤なのです」
彼は私の手の甲に頬を寄せ、深く息を吸い込んだ。まるで、私の存在そのものを肺に取り込もうとするように。
「……エルカ様。少し、心拍数が上がっていますね?」
「う、うるさいわね……あんたが近くにいるからでしょ……」
「おや、光栄です」
アルフォンスは嬉しそうに微笑むと、空いた片手で空中に小さな魔法陣を描いた。
淡い青色の光が浮かび上がり、そこに折れ線グラフが表示される。
「部屋の四隅に設置したセンサーが、貴女の生体反応をリアルタイムで解析しています。……ふむ。羞恥と興奮、そして微かな『安心感』が混ざった、非常に良い数値です」
「はぁぁぁ!?あんた、それを記録してたの!?」
「ええ。貴女の心臓が奏でる音楽です。私にとっては、どんな名曲よりも心地よい子守唄ですよ」
彼はグラフを愛おしそうに眺め、そして再び私を見た。
「外にはルシウスがいます。世界中が貴女を狙っています。……ですが、この部屋の中だけは、貴女と私だけの世界です」
「……うん」
「誰も入れさせません。誰も触れさせません。……貴女の心臓が止まる最後の瞬間まで、その鼓動を聞くのは私だけでありたい」
重い。本当に、胃もたれするほど重い愛だ。
でも、毒で思考が溶かされた今の私には、その重さこそが必要だった。
彼の手の温もりが、痺れた指先から全身に伝わっていく。
「……分かったから。もう寝なさいよ、変態執事」
「おやすみなさい、私の愛しいご主人様。夢の中でも、私以外の男を見ないでくださいね」
彼は私の手を握ったまま、ベッドの脇に座り込んだ。どうやら、手を離すつもりはないらしい。
私は呆れながらも、握り返した手の力を少しだけ強めた。
彼の体温と、窓の外に広がるルシウスの気配。
この「同室」という檻の中で、私たちは甘く、
危険な夜を越えていく。
――こうして、毒と執着に満ちた、蜜月の籠城生活が幕を開けた。
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