第41話「侵入者は「大型ゴミ」につき」
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翌朝。
私が目覚めて最初に見たのは、窓の外を塞ぐ巨大な「泥の壁」だった。
「……なに、あれ」
寝室のカーテンを開けた私は、絶句した。
昨日、アルフォンスが撃退した魔法省の軍隊は、諦めるどころか戦術を変えてきたらしい。
塔から五百メートルほど離れた位置に強固なバリケードを築き、そこから見上げるような巨大な――泥と鉄で構成されたゴーレムを三体も配備していたのだ。
「……おはようございます、エルカ様」
背後から、氷点下の声が聞こえた。
振り返ると、アルフォンスが立っていた。
彼は完璧にプレスされた燕尾服を身に纏い、
白手袋を締め直しているところだったが、
その背後には黒いオーラが揺らめいているように見えた。
「ア、アルフォンス……ああれ、どうするの? 完全に包囲されてるけど……」
「……不愉快です」
彼は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹な目で窓の外を一瞥した。
「せっかくの美しい朝霧の風景が台無しだ。あのような悪趣味で、泥臭く、美学のかけらもない粗大ゴミを私の庭先に不法投棄するとは」
彼はサイドテーブルに置かれていた銀のトレイを手に取った。 さらに、掃除用具入れから愛用の「ミスリル合金製モップ」を取り出す。
「分別収集の時間です。少々『運動』して参りますので、貴女はそこで優雅に紅茶でも飲んでいてください」
「えっ? 魔法で撃退するんじゃないの?」
「魔法? ……あんな汚らわしい泥人形に、私の神聖な魔力を使うまでもありません」
彼はニヤリと笑った。
その笑顔は、執事のものではなく、獲物を前に舌なめずりをする捕食者のそれだった。
「たまには身体を動かさないと、鈍ってしまいますからね」
塔の前庭。
魔法省の精鋭部隊五十名と、巨大ゴーレム三体が待ち構える中、アルフォンスはたった一人で、優雅に歩み出た。
手には杖ではなく、長いモップ。
その姿を見て、指揮官が嘲笑う。
「ハッ! 弾切れか? 執事風情がモップで何ができる!」
指揮官の合図と共に、兵士たちが一斉に斬りかかった。 魔法で強化された身体能力を持つ近接戦闘のエリートたちだ。 剣速は疾風のごとく、前後左右、逃げ場のない同時攻撃。
だが。
「……遅い」
アルフォンスの姿が、掻き消えた。
「なっ!?」
兵士たちが剣を振り下ろした先には、誰もいない。 次の瞬間。
ドガッ!!
鈍い音が響き、先頭の兵士がピンボールのように弾き飛ばされた。 アルフォンスだ。
彼は兵士たちの包囲網の中央に「着地」していた。 上空からの急降下。 一瞬で跳躍し、兵士の頭上を飛び越えていたのだ。
「貴方たちの動きには無駄が多い。……埃の舞うような剣筋だ」
アルフォンスはモップを片手で回した。
ブンッ! 風切り音が唸る。
「やれッ! 囲め!」
再び兵士たちが殺到する。
しかし、アルフォンスは動じない。
切っ先が喉元に迫る寸前、彼はまるで流水のように上体を逸らし、剣を回避した。 最小限の動き。 紙一重の見切り。
そして、反撃は一瞬だった。
ガィィィン!!
モップの柄が、兵士の剣を弾き飛ばす。
すれ違いざま、彼は兵士の懐に潜り込み、白手袋をした掌底を、鎧の継ぎ目――鳩尾へと叩き込んだ。
「ガハッ……!?」
衝撃が鎧を貫通し、兵士が白目を剥いて崩れ落ちる。 魔法ではない。 純粋な体術。 人体構造を熟知し、急所を的確に破壊する「掃除屋」の技だ。
「次」
アルフォンスは止まらない。
三人、四人と襲いかかる兵士たちの間を、ダンスを踊るようにすり抜けていく。
モップの柄で足を払い、体勢を崩したところへ肘打ちを叩き込む。 後ろから斬りかかってきた兵士の腕を掴み、その勢いを利用して背負い投げ、別の兵士にぶつける。
「うわぁぁぁ!」
「な、なんだコイツ!? 速すぎる!」
「騒がしいですね。……静かに散りなさい」
アルフォンスは無表情のまま、燕尾服の裾を翻した。 その動きは洗練されており、戦場にいるとは思えないほど優雅だった。
返り血の一滴すら、彼の白いシャツには届かない。
「くそっ! ゴーレムだ! ゴーレムですり潰せ!」
指揮官が絶叫した。 ズシン、ズシン……!
高さ五メートルを超える泥の巨人が、アルフォンスに向かって拳を振り上げた。
質量数トンの暴力。
直撃すれば、人間など肉塊に変わる。
「アルフォンス! 危ない!」
塔の窓から見ていた私が叫んだ。
しかし、アルフォンスは逃げなかった。
彼は迫り来る巨大な拳を見上げ、眼鏡の奥で冷ややかに目を細めただけだ。
「……汚い手で、私の庭を踏み荒らすな」
ドォォォン!!
ゴーレムの拳が地面を粉砕した。
土煙が舞い上がる。
潰されたか――そう思われた瞬間。
ヒュンッ!
土煙の中から、銀色の影が垂直に駆け上がった。 アルフォンスだ。 彼はゴーレムの腕の上を、平地を走るかのような速度で疾走していた!
「なっ!?」
ゴーレムが反応するより速く、彼は巨人の肩へと到達した。 そして、空中で身を翻し、強烈な回し蹴りをゴーレムの顔面に叩き込んだ。
バゴォォォン!!
泥が弾け飛ぶ。 だが、ゴーレムは再生する。
泥がうごめき、再び形を作ろうとする。
「無駄だ! そのゴーレムは核を破壊しない限り無限に再生する!」
指揮官が勝ち誇ったように叫ぶ。
だが、アルフォンスは空中で優雅に回転し、着地しながら冷たく言い放った。
「核? ……ああ、この不法投棄物の『分別マーク』のことですか?」
彼の手には、いつの間にかバスケットボール大の「魔石」が握られていた。 ゴーレムの動力核だ。 あの一瞬の蹴りのインパクトの瞬間に、彼は泥の中に手を突っ込み、核を抜き取っていたのだ。
「……バカな……!?」
ズズズ……。
核を失ったゴーレムが、ただの泥山へと崩れ落ちていく。
「あと二体ですね。……効率よく片付けましょう」
アルフォンスは残る二体のゴーレムに向かって走り出した。 今度はモップの先端に魔力を纏わせる。
「『高圧洗浄断』」
彼がモップを薙ぎ払うと、超高圧の水刃が飛んだ。 スパァァァン!! 二体のゴーレムの足首が、豆腐のように切断された。 巨体がバランスを崩して倒れる。 その隙を見逃す彼ではない。
アルフォンスは倒れゆくゴーレムの背中を足場にして跳躍。 月を背にするように空中で静止し、重力を乗せた踵落としを、二体目の核めがけて振り下ろした。
ドッゴォォォン!!
衝撃波が広がり、ゴーレムが粉砕される。
さらにその反動を利用して横へ飛び、三体目の頭上へ。 彼は白手袋の指を鳴らした。
「『分解』」
パチン。 彼が触れた瞬間、三体目のゴーレムが砂のようにサラサラと崩壊した。 物質の結合を強制解除する、高度な錬金術の応用だ。
戦闘開始から、わずか三分。
前庭には、動かなくなった兵士の山と、ただの土砂に戻ったゴーレムの残骸だけが残されていた。
「ひ、ひぃぃぃ……!」
腰を抜かした指揮官が、後ずさりする。
アルフォンスは乱れた前髪を指で直し、コツ、コツ、と革靴の音を響かせて近づいた。
「……さて。散らかしてくれましたね」
彼はモップを地面に突き立て、ハンカチで額の汗を拭う仕草をした。
「この産業廃棄物の処理費用……魔法省に請求してもよろしいので?」
「あ、悪魔……!」
「執事です」
アルフォンスは指揮官の足元に転がっていた、
奇妙な鎖を拾い上げた。 対魔女用の捕獲拘束具だ。 ミスリル銀で作られた、頑丈で美しい鎖。
「……ほう。これはいい」
彼は鎖の強度を確かめるように引っ張った。
「錆びにくく、適度な重量感。……脱衣所のタオル掛けが古くなっていたので、ちょうどいい交換品になりそうです」
「き、貴様……それを何だと……!」
「リサイクル資源です。さあ、お引き取りを。これ以上、私の庭の空気を汚すなら……」
眼鏡が光る。
「次は貴方を『生ゴミ』として処理せねばなりません」
「うわぁぁぁぁ!!」
指揮官は悲鳴を上げ、這うようにして逃げ出した。 残された兵士たちも、這々の体で森の奥へと撤退していく。
「アルフォンスー!!」
私が玄関から飛び出すと、彼はちょうどモップについた泥を払っているところだった。
「凄いわ! 何あのかっこいい動き! 忍者みたいだった!」
「……忍者? いえ、ただの基本的な清掃動作です」
彼は涼しい顔で振り返った。
信じられないことに、あれだけの激闘を繰り広げたというのに、彼の服には泥一つ、皺一つついていなかった。 息も乱れていない。
「ゴーレムの頭を落とすには、少々ジャンプ力が必要だっただけですよ」
「ジャンプ力ってレベルじゃないでしょ! ……怪我は?」
「あるわけがありません。ゴミ掃除で怪我をする執事がどこにいますか」
彼は私に近づき、私の乱れた髪を優しく直した。 さっきまで人を殴り飛ばし、ゴーレムを粉砕していた手だとは思えないほど、その指先は繊細で優しい。
「それより、エルカ様。……外に出てはいけませんと言ったはずですが?」
「だって、あんたが心配で……」
「……困ったご主人様だ」
彼は苦笑し、拾った対魔女用拘束具を見せた。
「ですが、お土産ができました。……これで脱衣所が少しスタイリッシュになりますよ」
「……それ、私を縛るための鎖よね?」
「ええ。本来の用途としては不快ですが……デザインは悪くない。貴女のバスタオルを掛けるには十分な強度です」
彼は私を抱き上げ――本日二度目のお姫様抱っこだ――塔へと歩き出した。 背後に広がる惨状など、もう目に入っていないようだった。
「さあ、戻りましょう。……少し運動してお腹が空きました。ブランチにしましょうか」
「……あんた、本当に人間?」
「貴女だけの執事です」
彼の胸に顔を埋める。 汗の匂いはしなかった。
代わりに、爽やかな森の香りと、いつもの甘い蜜蝋の香りがした。 この男、本当に底が知れない。 でも、その強さが今は何よりも心地よかった。
「ありがとう、アルフォンス」
「お礼には及びません。埃を払うのも、害虫を駆除するのも、執事の仕事に大差はありませんから」
彼はさらりと言ってのけた。
閉ざされた扉の向こうで、最強の執事とポンコツ魔女の籠城生活は、こうしてさらに盤石なものとなったのだった。
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