第40話「監査官の影、そして本当の「毒」」
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「エルカ様。申し訳ありませんが、本日のティータイムは少し遅れそうです」
泡騒動から一夜明けた朝。
塔の中は、昨日の惨劇が嘘のようにピカピカに磨き上げられていた。アルフォンスが徹夜で復旧作業を行ったのだ。しかし、その空気は張り詰めていた。
「……アルフォンス、外……」
「見ないでください」
私が窓に近づこうとすると、アルフォンスが素早くカーテンを引いた。
彼の顔には、いつもの柔和な笑みはなく、冷徹な仮面が張り付いている。
「少し、大きなゴミの処分が必要です。埃が舞いますので、貴女は一番空気の綺麗なこの寝室でお待ちください」
「ゴミって……昨日のビーコンで呼び寄せられた、魔法省の人たちでしょ?」
「……ええ。害虫駆除業者が、逆に害虫を連れてきたようなものです」
彼は私をベッドに座らせ、ふわりと毛布をかけた。
「ここなら結界密度が最も高い。私が『掃除』を終えるまで、決してここから出ないでくださいね」
「……掃除って、戦うつもり?」
「いいえ。一方的な『廃棄処分』です」
彼は私の額にキスをした。
その唇は冷たく、そして微かに震えていた。
恐怖ではない。
獲物を前にした猛獣の、武者震いのように。
「行って参ります」
ガチャリ。
重厚な扉が閉ざされ、外から鍵がかけられる音がした。 まただ。 また彼は、私を蚊帳の外に置いて、一人ですべて背負い込もうとしている。
「……バカ」
私は毛布を握りしめた。
言うことを聞く義理はない。
私はベッドから飛び降り、カーテンの隙間から外を覗いた。
「……うそ……」
息を呑んだ。
塔を取り囲む森の木々が切り倒され、そこには黒い制服に身を包んだ数百人の兵士が展開していた。 上空には、魔導砲を搭載した飛行船が三隻。 完全に戦争の配置だ。
たった一人の魔女と、一人の執事を捕らえるために、これだけの戦力が投入されたのか。
一階、玄関ホール。
アルフォンスは、優雅に白手袋を締め直し、玄関の扉を大きく開け放った。
「――おやおや。随分と騒々しい朝ですね」
目の前には、数十人の重装歩兵が杖と剣を構えていた。 その中心に、一人の男が進み出る。
魔法省監査局、局長補佐の男だ。
「アルフォンス・クラインだな! そして奥に潜んでいるのは『ゴミ屋敷の魔女』エルカ・シュヴァルツ! 貴様らに、国家反逆罪および禁忌魔法使用の容疑がかかっている!」
局長補佐が高らかに宣言した。
「抵抗は無意味だ! この塔はすでに『対魔女用結界』で完全に包囲されている! 大人しく投降しろ!」
「……投降?」
アルフォンスは小首をかしげた。
「何を言っているのですか? ここは私有地ですよ。……アポイントメントもなしに土足で踏み込み、芝生を荒らし、騒音を撒き散らす……」
彼は懐から杖――ではなく、銀色のトレイを取り出した。
「マナー違反にも程がある。……全員、粗大ゴミとして焼却処分いたします」
「なっ……たかが執事風情が! やれッ!」
号令と共に、一斉に攻撃魔法が放たれた。
炎弾、氷槍、雷撃。 塔を消し飛ばすほどの火力が、アルフォンス一人に集中する。
ドォォォォン!!
爆煙が上がり、玄関ホールが揺れる。
二階の寝室にいた私も、その振動に悲鳴を上げた。
「アルフォンス!!」
煙が晴れる。
兵士たちが勝利を確信した、その時。
「……埃っぽい」
煙の奥から、無傷の影が現れた。
アルフォンスだ。 彼は片手で鼻を押さえ、もう片方の手でトレイを掲げていた。 そのトレイの表面には、複雑な幾何学模様の魔法陣が展開されている。
「全反射。……お返しします」
カッ!! トレイから閃光が放たれた。
兵士たちが放った魔法が、倍の威力となって彼らに跳ね返ったのだ。
「うわぁぁぁッ!?」
前列の兵士たちが吹き飛ぶ。 悲鳴と怒号。
アルフォンスは一歩も動かず、ただ冷ややかにそれを見下ろしていた。
「……私の燕尾服に煤がつきました。……クリーニング代、高くつきますよ?」
彼が顔を上げる。 眼鏡の奥の瞳が輝いた。
いつもなら、冷徹なアイスブルーのはずだ。
だが、今の彼の瞳は違っていた。
アイスブルーの中に、妖艶なアメジスト色の光が混ざり合い、不気味な紫色に発光していたのだ。
「……あれは……」
窓から見ていた私は気づいた。『血の契約』だ。
私の魔力が彼の中に流れ込み、彼自身の強大な魔力と融合して、異次元の出力を生み出しているのだ。
「ひ、ひるむな! 第二波、撃てぇ!!」
指揮官が叫ぶが、兵士たちは足がすくんで動けない。 目の前の執事から放たれるプレッシャーが、ドラゴンのそれをも凌駕していたからだ。
「……遅い」
アルフォンスが指をパチンと鳴らした。
「『超広域・瞬間洗浄』」
ヒュンッ!! 空間が歪んだ。
次の瞬間、兵士たちの足元の地面が、底なし沼のような「洗浄液」に変わった。
「な、なんだこれは!? ぬめるぞ!?」
「足が……沈んでいく!?」
「強力な界面活性剤を含んだ魔法泥です。……鎧の隙間に入り込み、貴方たちの動きを封じ、ついでに汗臭い身体も洗って差し上げましょう」
アルフォンスは優雅に掃除用のハタキを指揮棒の様に振った。 もがけばもがくほど、泡立つ泥が兵士たちを飲み込んでいく。
「さて、リーダーの方は……貴方ですね?」
彼は泥沼の上を滑るように歩き、指揮官の目の前に立った。
「ぐっ……化け物め……!」
「よく言われます」
アルフォンスは指揮官の胸ぐらを掴み上げた。
「一つ聞きましょう。……何を使って、彼女の魔力を探知しましたか?」
「は、はぁ? 何を言って……」
「とぼけないでください。……私が張った隠蔽結界は完璧でした。ビーコンが発信されたとはいえ、ピンポイントで彼女の居場所を特定するには、別の『マーカー』が必要なはずです」
アルフォンスの声が低くなる。
「貴様ら……彼女に何を仕込んだ?」
「……ふん。気づいていなかったのか?」
指揮官は苦し紛れに笑った。
「我々は何もしていない。……彼女自身が、強烈な魔力を垂れ流しているのだ。どれだけ隠そうとしても、あの『特異点』のような魔力は、世界中から観測できる!」
「……ほう」
アルフォンスの目が細められた。
「つまり、私の隠蔽工作が足りなかったと?」
「そうだ! あの魔女の力は、一介の執事が隠せるような代物ではない! 諦めて引き渡せ!」
「……なるほど。理解しました」
アルフォンスは指揮官をゴミのように投げ捨てた。
「やはり、外側からの隠蔽だけでは不十分でしたか。……ならば」
彼は懐から、小さな小瓶を取り出した。
中に入っているのは、透明な液体。
彼はそれを太陽にかざし、どこか悲しげに、
しかし狂気を孕んだ瞳で見つめた。
「……内側から、消すしかありませんね」
戦闘は一方的だった。
前衛部隊は壊滅し、飛行船もアルフォンスの撃ち出した「対空用高圧水流」によって撤退を余儀なくされた。
「……終わった……?」
私は窓辺でへたり込んだ。
勝った。 アルフォンスが、たった一人で軍隊を追い返したのだ。
ガチャリ。 寝室の鍵が開いた。
「……エルカ様」
アルフォンスが入ってきた。
衣服に乱れはなく、返り血一つ浴びていない。
ただ、その表情は能面のように硬かった。
「アルフォンス! すごい、本当に追い払っちゃうなんて……」
「……申し訳ありません」
彼は私の称賛を遮り、ベッドの脇に跪いた。
そして、サイドテーブルに置かれていた、飲みかけのティーカップを手に取った。
今朝、彼が淹れてくれた紅茶だ。
「……え?」
「私の見積もりが甘かった。……外部からの遮断だけでは、貴女の光を隠しきれなかったようです」
彼はティーカップの中身を、床に捨てた。
バシャッ。 茶色の液体が、白い絨毯に染みを作る。 そこから、ジュワッ……と微かな煙が上がった。
「……なに、これ」
「『魔力抑制剤』の原液を、希釈したものです」
アルフォンスは淡々と告げた。
「この一ヶ月。……貴女にお出しする紅茶、スープ、水……すべてに、これを混ぜていました」
「……は?」
頭が真っ白になった。
抑制剤? 毒?
私が毎日、美味しいと飲んでいたものに?
「微量なら、魔力波長をボカす程度の効果ですが……。長期服用すれば、魔力回路そのものを変質させ、外部から探知不可能な状態にします」
彼は顔を上げ、私を見つめた。
その瞳は、懺悔の色などなく、昏い独占欲で濁っていた。
「……つまり、貴女の魔力を『殺して』いたのです」
「……なんで……」
震えが止まらない。 彼を信じていたのに。
私の身体を気遣ってくれていると思っていたのに。 彼は、私の才能そのものを、自分の手の中に隠すために、毒を盛っていたのだ。
「貴女を奪われたくなかった」
彼は私の足首を掴んだ。 手袋越しの力が強い。
「貴女の才能が輝けば輝くほど、外の世界のハイエナどもが群がってくる。……だから、光を消そうとしました。誰にも見つからないように。私だけの暗闇に閉じ込めておけるように」
「……ひどい……」
「ええ。酷い男です」
彼は私の足の甲に頬を擦り付けた。
「ですが、まだ足りなかった。……これからは、濃度を上げます」
「……えっ?」
「今の倍……いえ、三倍の濃度で投与します。そうすれば、貴女の魔力は完全に消え、ただの人形のように無力になるでしょう。……そうすれば、もう魔法省も貴女を追尾できません」
狂っている。
魔女から魔力を奪うなんて、翼をもぐようなものだ。 でも。
「……怒りますか? 私を軽蔑しますか?」
彼が見上げてくる。
捨てられた子犬のような、それでいて絶対に離さないという執着に満ちた目。
不思議と、怒りは湧いてこなかった。
むしろ、そこまでして私を隠したいという彼の想いが、空っぽだった私の心を満たしていくのを感じた。
「……バカね」
私は溜息をつき、彼の髪を撫でた。
「……魔力がなくなったら、私、本当にただの穀潰しよ?」
「構いません。私が一生養います」
「研究もできなくなるかもよ?」
「私が代筆します。……貴女はただ、私の隣で笑っていてくださればいい」
彼は私の掌にキスをした。 毒を盛られた手。
でも、そのキスは甘く、痺れるほどに愛おしい。
「……分かったわ」
私は彼を受け入れた。
毒だろうが何だろうが、彼が淹れる紅茶なら飲む。 それが、私たちが選んだ「共依存」という形の愛なのだから。
「淹れてきて。……とびきり濃いやつを」
私が命じると、アルフォンスは蕩けるような笑みを浮かべた。
「御意。……最高の『毒』をご用意いたします、私の愛しいご主人様」
窓の外では、まだ黒い煙が上がっていた。
しかし、塔の中は再び静寂と、甘い紅茶の香りに包まれようとしていた。
世界中を敵に回しても、毒を飲み干してでも、
私たちはこの「檻」の中で生きていくのだ。
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