第38話「文通禁止命令」
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塔が世界から消えて一週間。
私の生活は、相変わらずアルフォンスに管理されるだけの、怠惰で甘美な日々だった。
だが、人間(魔女)というのは贅沢なもので、
衣食住が満たされると、次に欲しくなるのは「他者との繋がり」なのだ。
「……暇だ」
私は研究室のデスクで頬杖をついた。
アルフォンスは優秀な話し相手だが、彼との会話は常に「私の体調管理」か「彼自身の愛の告白」に帰結する。 たまには、もっとこう、魔女らしい世間話がしたい。
「そうだ、メリンダに連絡しよう」
思い出したのは、かつての魔女仲間である薬草オタクのメリンダだ。 彼女とは数年に一度、手紙や魔法通信で生存確認をし合う仲だ。
塔は異界にあるが、魔力波を使った通信なら届くはずだ。
私はデスクの引き出しから、通信用の魔道具「遠見の水晶」を取り出した。
「えーと、周波数を合わせて……」
水晶に手をかざし、魔力を注ぎ込む。
ブゥン……。
水晶が淡く発光し、ノイズ交じりの映像が浮かび上がろうとする。
『……もしもし? エルカ? 珍しいじゃない、あんたからかけてく……』
「あ、メリンダ! 久しぶり! 実は今、すごいことになってて……」
私が身を乗り出した、その瞬間だった。
パチンッ。
乾いた音がして、水晶の光が唐突に消えた。
映像も、メリンダの声も、プツリと途絶える。
「……え? 故障?」
私は水晶を叩いた。反応がない。
魔力回路が強制的に切断されている。
「故障ではありません。回線を切ったのです」
背後から、冷ややかな声が降ってきた。
振り返ると、銀のトレイを手にしたアルフォンスが立っていた。 その手には、配線を切断するための魔力ハサミが握られている。
「……アルフォンス? 何するのよ!」
「それはこちらの台詞です」
彼はハサミを置き、ハンカチで指先を拭いながら、汚いものを見るような目で水晶を見下ろした。
「許可なく外部回線に接続するなど……セキュリティ意識が低すぎます。ウイルスが入ったらどうするのですか?」
「ウイルスって……ただの友達よ?」
「友達? ……その『メリンダ』という魔女は、直近でいつ入浴しましたか? 彼女の部屋の湿度は? ダニの発生率は?」
「し、知らないわよそんなこと!」
「ならば『不潔』とみなします」
アルフォンスは断言した。
「外部からの通信回線は、言わば『情報の下水道』です。……どこの誰とも知れぬ雑菌だらけの思考や、愚痴、自慢話といった精神汚染物質が垂れ流されている」
彼は私の肩に手を置き、顔を近づけた。
「そんな汚れた電波を、貴女の清浄な鼓膜に入れるわけにはいきません。……耳が腐りますよ?」
「……極論すぎるでしょ!」
「事実です。よって、本日より当家における私的通信を全面的に禁止します」
彼は水晶を没収し、棚の高い位置に放り投げた。
「そ、そんな……! じゃあ、私は一生誰とも喋っちゃいけないの!?」
「私がいれば十分でしょう?」
「あんたは執事でしょ! 友達とは違うの!」
私が抗議すると、アルフォンスは少し傷ついたような顔をして、それから「ふむ」と顎に手を当てた。
「……確かに。貴女の『社交性』が完全に死滅するのは、管理者として本意ではありませんね」
「でしょ? だったら……」
「分かりました。妥協案を出しましょう」
彼は懐から、真新しい羊皮紙と羽ペンを取り出した。
「手紙なら許可します。……ただし」
彼の眼鏡がキラリと光る。
「私が代筆し、内容を適切に『校正』した上で送付するという条件付きですが」
一時間後。
私はソファに座り、アルフォンスがサラサラと筆を走らせる音を聞いていた。
「……いい? 要点は三つよ」
「はい。伺っております」
私は口述筆記を頼んでいた。
「一つ目は、『私は元気でやってる』ってこと。二つ目は、『最近、すごい執事が来て生活が変わった』ってこと。三つ目は、『また珍しい薬草があったら送って』ってこと。……以上よ」
「承知いたしました。魔女様らしい、簡潔で無味乾燥な文章ですね」
「うるさいわね。友達なんてそんなもんなのよ」
アルフォンスは優雅な手つきでペンを動かし続ける。 その横顔は真剣そのもので、まるで国家間の条約文書を作成しているかのようだ。
時折、「ふむ……ここは表現が弱いですね」「もっと情緒を込めねば」などと独り言を呟いているのが気になるが。
「……できました」
数分後。 アルフォンスは満足げに羊皮紙を持ち上げ、私に差し出した。
「私の文才を駆使し、貴女の想いをより正確に、より美しく表現しておきました」
「……へえ、気が利くじゃない」
私は手紙を受け取り、目を通した。
『拝啓、親愛なる友よ。 私は今、人生の絶頂にいます。 かつてゴミに埋もれていた私の世界は、一人の「完璧な執事」の到来によって、黄金の楽園へと変貌を遂げました』
「……は?」
出だしから雲行きが怪しい。
『私は元気などという言葉では表現できません。 毎朝、執事の愛のこもったキスで目覚め、彼の手料理で胃袋を満たし、夜は彼に全身を洗われる……。 そう、私は今、彼なしでは呼吸すらできない「幸せな捕虜」なのです』
「ちょっと待って!? 何これ!?」
私は叫んだ。 元気だなんて一言も書いてない。
ただのノロケだ。いや、ノロケというより、洗脳された信者の手記だ。
『貴女は薬草の研究をしているそうですが、無意味ですのでおやめなさい。この世で最も効能のある万能薬は、「アルフォンス・クライン」という存在だけなのですから。 追伸:私の肌艶が良すぎて、鏡を見るたびに彼に感謝の祈りを捧げています』
「送れるかぁぁぁぁぁ!!」
私は手紙をテーブルに叩きつけた。
「なによこれ! 恥ずかしすぎるでしょ! 私がバカみたいじゃない!」
「事実をありのままに書いただけですが?」
アルフォンスはキョトンとしている。 本気だ。
この男、本気でこれが「適切な校正」だと思っている。
「どこが事実よ! 私は捕虜じゃないし、祈りなんて捧げてない!」
「おや。……では、昨夜お風呂で『極楽~』と言いながら、私の背中にしがみついていたのは誰ですか?」
「そ、それは……!」
「今朝、私が着替えさせている時、『アルフォンスの手、あったかい』と猫のように喉を鳴らしていたのは?」
「うっ……!」
彼は一歩ずつ私に詰め寄る。
「貴女は私に依存している。私がいなければ生きていけない。……違いますか?」
「……そ、そうだけど……それを友達に言うのは違うでしょ!」
「なぜです? 真実を隠すことは、友情への裏切りですよ」
彼は私をソファの背もたれに追い詰めた。
壁ドンならぬ、執事ドンだ。
「……それとも、私との生活を他人に知られるのが恥ずかしいのですか?」
彼の顔が近づく。
眼鏡の奥の瞳が、少し悲しげに、そして妖しく揺れている。
「私は……こんなにも貴女を誇りに思っているのに。貴女が私の手によって美しくなり、堕落していく様を、世界中に自慢したくてたまらないのに」
「……っ」
重い。 愛が重すぎて、物理的な圧力を感じる。
でも、その真っ直ぐすぎる視線に、私の胸はドクンと高鳴ってしまう。
「……恥ずかしいに決まってるでしょ。……あんたとのことは、私だけの秘密にしたいの」
私が苦し紛れに言うと、アルフォンスの表情がパッと輝いた。
「……秘密?」
「そ、そうよ。……あんたが私を甘やかすのも、私がダメになるのも……二人だけの秘密」
「……なるほど」
彼は納得したように頷き、私の顎を指で持ち上げた。
「独占欲ですね。……私との関係を、誰にも見せたくない、と」
「……そういうことにしといて」
「可愛らしい人だ」
チュッ。 彼は私の言葉を塞ぐように、唇に口づけを落とした。 甘く、優しいキス。
手紙の内容に対する怒りが、急速に溶けていく。
「分かりました。この手紙は破棄しましょう」
彼は手紙を指先で摘み上げ、青い炎で瞬時に焼き払った。
「その代わり……通信など必要ありません。貴女が言葉を交わすべき相手は、私一人で十分です」
「……横暴ね」
「ええ。……これからは、貴女の口から出る言葉、耳に入る音、すべて私が検閲し、管理します」
彼は私の耳元に顔を埋めた。
「外部からのノイズなど、一ミリも入れさせない。……貴女の中を、私だけで満たしてみせます」
「……アルフォンス……」
私は彼の首に腕を回した。
文通禁止。情報の遮断。
それは客観的に見れば「監禁」だけれど、今の私には「守られている」という安心感しかしなかった。 世界から切り離され、彼だけの言葉を聞き、彼だけの愛を受ける。
それが、今の私にとっての唯一の真実なのだから。
その夜。
エルカが眠りについた後、アルフォンスは一人、リビングの暖炉の前に立っていた。 彼の手には、数通の封筒が握られていた。 それは、彼が今日一日で「遮断」し、エルカの目に触れさせなかった、外部からの手紙たちだ。
「……やはりな」
アルフォンスは冷徹な目で、手紙を開封した。
差出人は「メリンダ」や、その他の魔女仲間たち。 一見すると普通の近況報告だ。
だが、アルフォンスの解析眼は、そのインクに込められた微細な魔力を見逃さなかった。
「『認識誘導』……いや、『帰巣本能の刺激』か」
手紙の文章には、巧妙な精神干渉魔法が編み込まれていた。 『王都が恋しい』『研究施設に戻りたい』『今の生活に違和感がある』 読むだけで、エルカの深層心理に「ここを出て魔法省へ行きたい」という欲求を植え付ける、洗脳の手紙。
おそらく、魔法省がエルカの交友関係を洗い出し、友人たちを脅して書かせたのだろう。
「……腐りきっている」
アルフォンスは吐き捨てるように呟いた。
友人の言葉すら武器にする、卑劣なやり口。
もしエルカがこれを読んでいたら、彼女の情緒は不安定になり、自ら結界を解いて出て行ってしまったかもしれない。
「……汚らわしい言葉など、一文字たりとも彼女には読ませない」
ボッ! アルフォンスの手の中で、手紙が一気に燃え上がった。 友人の手紙も、外部からの情報も、すべて灰になる。
「エルカ様。……貴女は何も知らなくていい」
彼は燃えカスを暖炉に放り込み、静かに微笑んだ。
「貴女はただ、私の書いた『甘い嘘(ノロケ手紙)』に赤面し、私の腕の中で幸せな夢を見ていればいいのです」
守るということは、時に真実を隠すことでもある。 彼は完璧な執事として、主人の目と耳を塞ぎ、汚れた世界から彼女を隔離し続けることを、改めて炎に誓ったのだった。
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