第35話「魔法事故:執事がネコ耳に!?」
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「……もう、うるさいなぁ!」
私は研究室の机に突っ伏し、イライラと羽ペンを回していた。
原因は、この塔の管理者――アルフォンス・クラインだ。
『エルカ様、背筋が曲がっています。猫背は美の敵ですよ』
『野菜を残さないでください。ビタミン不足は肌荒れの原因です』
『お風呂上がりの保湿クリーム、まだ塗っていませんよね? 今すぐ塗ります』
朝から晩まで、小言、小言、小言! 愛されているのは分かる。溺愛されているのも自覚している。 でも、たまには息抜きがしたい。
彼に「管理」されずに、ダラダラとスナック菓子を食べながら、姿勢悪く漫画を読みたい!
「……こうなったら、魔法の力で黙らせるしかないわ」
私は怪しげな笑みを浮かべ、ビーカーを手に取った。 現在調合中なのは『精神鎮静薬・改』。
これを飲ませれば、あの口うるさい執事の神経伝達物質を一時的に抑制し、「まあ、いいか」という適当な性格に変えることができるはずだ。
「ベースはマンドラゴラの煮汁。そこに、リラックス効果のある『月の雫草』と……隠し味に、猫が好む『またたび粉末』を少々」
最後のは、気まぐれだった。
昔、近所の野良猫がまたたびでゴロゴロと大人しくなっていたのを思い出したのだ。あの完璧執事も、猫みたいに大人しくなればいいのに。
「……よし、仕上げに魔力を注入して……」
私が杖を振った、その瞬間だった。
「エルカ様。おやつの時間ですが……」
タイミング悪く、扉が開いた。
アルフォンスが紅茶のワゴンを押して入ってくる。
「わっ!? き、来ちゃダメェェェェ!!」
私の叫びも虚しく、ビーカーの中の液体が過剰反応を起こした。ボシュッ!! ピンク色の煙が、
爆発的に噴き出した。
「……ッ、ごほっ、ごほっ!」
視界が真っピンクに染まる。
甘ったるい、それでいて少し野性的な匂いが充満する。
「あ、アルフォンス!? 大丈夫!?」
私は慌てて煙を魔法で払った。
彼に直撃してしまった。
もし怪我でもしていたら、私は一生彼の奴隷になるしかない。まぁ今も似たようなものだが。
「……うぅ……」
煙が晴れた先。
そこには、床に座り込んだアルフォンスの姿があった。 燕尾服は無事だ。眼鏡も割れていない。
しかし、彼の頭頂部に――決定的な「異変」が生じていた。
「……え?」
銀色の髪の間から。 三角形の、ふわふわとした、銀色の「獣耳」が二つ、ピョコリと生えていたのだ。
「……あ、あるふぉんす……?」
私が震える声で呼ぶと、彼はゆっくりと顔を上げた。その瞳を見て、私は息を呑んだ。
いつもの、氷のような冷徹さがない。
アイスブルーの瞳孔が、黒く丸く拡張し、とろりと潤んでいる。まるで、親を求める捨て猫のような目。
「……エルカ、さま……」
声まで甘い。
彼はよろりと立ち上がると、ふらつく足取りで私に近づいてきた。
そして――。
すりっ。
「……へ?」
彼は私の肩に頭を押し付け、頬を擦り寄せてきた。 銀髪が首筋に当たってくすぐったい。
「……いい匂い……。エルカ様の匂い……落ち着く……」
「ち、ちょっと!? 何してるの!?」
「……もっと。もっと嗅がせて……」
彼は私の腰に腕を回し、首筋に鼻を埋めてクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。その吐息が熱い。
そして、頭の上の「ネコ耳」が、私の頬に触れてピクピクと動いている。
「……アルフォンス、あんた、どうしちゃったの……?」
「……分かりません。ただ……」
彼は顔を上げ、潤んだ瞳で私を見つめた。
「……身体が熱くて……貴女に触れられていないと、寂しくて死にそうなんです」
ドキン。 心臓が跳ねた。
普段の「管理してやる」という重圧とは違う。
これは、純度100%の「甘え」だ。
「……撫でて」
彼は私の手を取り、自分の頭に乗せた。
「……ここ。耳の付け根……ムズムズするんです。……エルカ様の手で、解してください」
「え、えぇ……?」
困惑しつつも、私は彼の頭を撫でた。
ふわっ。 すごい。
最高級のシルクよりも柔らかい。
そして、耳の付け根には温かい体温がある。
「……んぅ……そこ……」
私が指先で耳の裏をカリカリと掻くと、アルフォンスの喉から「ゴロゴロ……」という低い音が漏れた。 気持ちよさそうに目を細め、私に体重を預けてくる。
(……か、可愛い……!)
不覚にも、ときめいてしまった。
あの鉄壁の執事が。
私をゴミ扱いしていた男が。
今、私の手の中で、無防備に喉を鳴らしている。
「……もっと。……ブラッシングを所望します」
「ぶ、ブラッシング?」
「はい。……私の毛並みを整えるのは、主人の義務です」
彼は床に座り直し、私の膝の間に頭を埋めた。
完全に、飼い猫のポーズだ。
私は研究室の棚から、使い魔用の高級ブラシを取り出した。
「……仕方ないわね。じっとしててよ」
ブラシを彼の銀髪に入れる。 スーッ、スーッ。
美しい銀糸が、ブラシを通してますます輝きを増す。 そのたびに、頭の上の獣耳が嬉しそうにパタパタと動く。
「……あぁ……気持ちいい……」
アルフォンスが、蕩けた声を出す。
「エルカ様の手つき……最高です。……もっと強く、地肌まで……」
「注文が多いわね……」
文句を言いながらも、私の手は止まらなかった。 楽しい。 いつもは私が髪を梳かされる側だけど、やってあげるのも悪くない。
彼の髪の感触、体温、そして私に全幅の信頼を寄せて脱力している重み。支配欲のようなものが満たされていく。
「ねえ、アルフォンス」
「……にゃんですか?」
「今、噛んだ?」
「……気のせいです」
彼は私の太腿に頬を擦り付けながら、上目遣いで私を見た。
「……エルカ様。私、いい子にしてますか?」
「う、うん。今のところは」
「なら……ご褒美をください」
「ご褒美?」
「……ちゅー、して」
「ブッ!!??」
私は噴き出しそうになった。ちゅー!?
あのアルフォンスが、「キス」じゃなくて「ちゅー」と言った!?
「だ、ダメに決まってるでしょ!?」
「どうして? 私は貴女の猫ですよ? ……猫には優しくしなきゃダメでしょう?」
彼は私の手を握り、肉球のない掌を押し付けた。
そして、その掌をペロリと舐めた。
「ひゃっ!?」
「……甘い。……エルカ様の味だ」
ザリッとした舌の感触。
猫化しているせいか、舌触りまで変わっている気がする。 彼は私の指を一本ずつ口に含み、甘噛みしながら吸い付いた。
「……んむ、ちゅ……」
「ちょ、やめ……くすぐったい……!」
「ダメです。……もっと貴女を摂取しないと、乾いてしまう」
彼は私の膝に乗り上げるようにして、顔を近づけてきた。 獣耳がピーンと立っている。
興奮している証拠だ。
「……唇、ください」
「む、無理無理! 正気に戻ったら絶対後悔するから!」
「正気ですよ。今の私は、本能に正直なだけです」
彼の顔が迫る。
アイスブルーの瞳が、獲物を狙う猫のように細められている。 逃げ場がない。椅子に座ったまま、彼に覆いかぶさられている状態だ。
(……やばい、食べられる……!)
そう思った瞬間。
ボンッ!!
再び、小さな爆発音がした。
薬の効果が切れた音だ。
「……あ」
アルフォンスの頭から、獣耳が消えた。
瞳孔が元に戻り、いつもの理知的な光が宿る。
私の膝の上で、覆いかぶさるような体勢のまま、彼は動きを止めた。
静寂。 気まずい沈黙が流れる。
「あー、戻った? 戻ったわよね?」
私は恐る恐る尋ねた。
彼はゆっくりと眼鏡の位置を直し、自分の状況を確認した。 私の膝に乗り、私の指を舐め回し、
キスを迫っていた状況を。
「……ええ。戻りました」
彼の声は、いつものバリトンボイスだった。
絶対に恥ずかしがる。
あるいは、取り乱して謝罪するはずだ。
私はそう予想して身構えた。
しかし。
「……名残惜しいですね」
彼は涼しい顔で、そう言った。
「え?」
「エルカ様。……貴女、随分と楽しそうに私の頭を撫でていましたね?」
彼はニヤリと笑った。 羞恥心など微塵もない。
あるのは、弱みを握ったサディストの余裕だ。
「え、いや、あれはあんたが強要したから……」
「強要? ……私の記憶では、貴女は『可愛い』と呟きながら、恍惚とした表情で私をブラッシングしていましたが?」
「ッ!? き、記憶あるの!?」
「当然です。……全て鮮明に覚えていますよ」
彼は私の膝から降りることなく、さらに距離を詰めた。
「私が『ちゅーして』とねだった時の、貴女の真っ赤な顔。……私の指を甘噛みされた時の、甘い反応。……すべて、録画しておきたいくらいでした」
「うわぁぁぁぁ! 忘れて! お願いだから忘れて!」
「お断りします」
彼は私の耳元に唇を寄せた。
今度は猫としてではなく、執事として。
「……貴女が私にあそこまで『母性』を発揮するとは思いませんでした。……これは良いデータが取れましたね」
彼の指が、私の首筋をなぞる。
「これからは、私が疲れた時は……また猫のフリをして甘えれば、貴女は何でも聞いてくれるということですね?」
「……悪用しないでよ!」
「善処します。……ですが」
彼は私の唇を親指で弾いた。
「さっきの続きは、まだ頂いていませんよ?」
「……薬は切れたでしょ!」
「薬など関係ありません。……私の本能は、常に貴女を求めていますから」
チュッ。
彼は強引に、私の唇を奪った。
猫のような甘えるキスではない。
もっと深く、重く、所有権を主張するような大人のキス。
「……ん……っ」
唇が離れると、彼は満足げに喉を鳴らした。
耳は消えていても、その本質は変わらない。
彼は私を狩り尽くすまで離さない、欲張りな飼い猫なのだ。
「……さあ、おやつの時間に戻りましょう。……髪が乱れていますよ、エルカ様」
彼は何事もなかったかのように立ち上がり、
櫛を取り出して私の髪を整え始めた。
その手つきは優しかったが、鏡越しに見える彼の瞳は、さっきの獣のようにギラギラと輝いていた。
私は悟った。
ネコ耳が生えようが生えまいが、この男には勝てないのだと。
読んでくださってありがとうございます。
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