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第34話「宅配員は「不潔な侵入者」」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

異界の狭間に浮かぶ、私たちの塔。

窓の外は相変わらず白い霧に覆われているが、

塔の中は快適そのものだ。

アルフォンスの完璧な家事と、私の堕落した生活。ここはまさに、地上の楽園――のはずだった。


ピンポーン。


静寂を破る電子音が、玄関ホールに響き渡った。


「……えっ?」


ソファでゴロゴロしていた私は、思わず飛び起きた。 おかしい。 この塔は空間座標をズラして隠蔽したはずだ。魔法省のレーダーにも映らない「無」の場所にある。 それなのに、なぜインターホンが鳴るのか。


「……アルフォンス、誰か来たわよ?」


「ああ、本日は『定期便』の日でしたか」


キッチンから出てきたアルフォンスは、全く動じていなかった。 彼はエプロンを外し、代わりにゴム手袋と、医療用のような厳重なマスクを装着し始めた。


「……定期便?」


「はい。いかに自給自足といえど、最高級の紅茶葉や、貴女の肌に合うシルクの生地などは、外界から調達せねばなりませんから」


彼は玄関へと歩き出しながら説明した。


「玄関のドアノブの『一点』だけ、空間をねじ曲げて外界の特定座標とリンクさせています。……そこを通じてのみ、物資の受け渡しが可能なのです」


「……なるほど。ネットショッピング的な?」


「似たようなものです。……ただし」


彼は玄関の前で立ち止まり、殺気立った目でドアを睨みつけた。


「荷物を運んでくる『運び屋』という名の有機物が、極めて不潔であるという点を除けば」

          

アルフォンスは私に「そこで待機してください。半径三メートル以内への接近を禁じます」と命じ、ドアを細く開けた。


「……はい」


ドアの隙間から、男の声が聞こえた。

若そうだが、少し気怠げな声だ。


「魔法郵便省、定期連絡課のジミーです。……シュヴァルツ卿宛の定期物資と、省からの回覧板をお持ちしましたー」


「ご苦労。……そこに置いてください」


アルフォンスの声は、汚物処理班のように冷徹だった。


「あのー、受領印が欲しいんですけど」


「必要ありません。私の網膜認証で結構です」


「いや、規定なんで……ちょっと、ペン貸しますんでサインを……」


ズイッ。

宅配員の手が、ドアの隙間から差し込まれた。

その指先には、少しインクの染みがついていた。


「ッ……!」


アルフォンスが、まるで毒蛇を見たかのように大きくのけぞった。


「汚い!」


「へ?」


「その指! 爪の間に微細な垢が詰まっています! さらに、そのペンの持ち手……皮脂汚れの数値が基準値を大幅に超えている!」


「は、はぁ?」


「そのような不潔な棒を、私の神聖な領域に差し込まないでいただきたい!」


シュッシュッ!


アルフォンスは懐からスプレーを取り出し、宅配員の手に向かって容赦なく噴射した。


「うわっ!? なんですかこれ!」


「高濃度アルコールと聖水を混合した『対・外界人浄化液』です。……下がれ、菌が飛ぶ!」


「ひどっ!?」


私は柱の陰からその様子を見て、呆れてしまった。 いくらなんでも失礼すぎる。

相手はただの仕事熱心な配達員なのに。


「ちょっと、アルフォンス。可哀想じゃない」


私は思わず声をかけ、近寄ろうとした。

社会性を失いつつある私だが、最低限のマナーくらいは覚えているつもりだ。


「ごめんなさいね、うちの執事が潔癖症で……」


私が顔を出そうとした、その瞬間。


「あ、シュヴァルツ様ですか? 本人確認できてよかったー」


宅配員が私に気づき、ドアの隙間から顔を覗かせようとした。 目が合った。

茶髪の、そばかすのある普通の青年だ。

彼が私を見て、ニカッと笑った――ただ、それだけのことだった。


しかし。


「――貴様」


地獄の底から響くような声がした。 次の瞬間。


ダンッ!!


アルフォンスが、鉄の扉を全力で叩き閉めた。

宅配員の鼻先数ミリで、外界とのリンクが遮断される。


「……え?」


「……見ましたね?」


アルフォンスは閉ざされたドアに背を預け、

ガタガタと震えていた。

マスク越しの呼吸が荒い。


「あの男……あのような濁った眼球で、私のエルカ様を直視しましたね?」


「い、いや、見たっていうか……挨拶しようとしただけで……」


「網膜に焼き付いているはずだ。貴女の姿が。……許せない。今すぐ追いかけて、記憶消去の魔法を……いや、眼球ごと洗浄しなければ気が済まない!」


「落ち着いて! 犯罪よ!」


アルフォンスはマスクをむしり取った。

その顔は、嫉妬と憤怒で美しく歪んでいた。


「エルカ様! 直ちに洗眼を!」


「はぁ!?」


「あのような凡俗な男の顔を見てしまった貴女の水晶体が汚染されています!今すぐ上書き保存しなければ!」


彼は私に詰め寄り、私の顔を両手で挟み込んだ。

そして、至近距離で自分の顔を見せつけた。


「さあ、見てください。私を」


「……ち、近いってば」


「瞬き禁止です。……私の顔を見て、網膜のデータを更新してください」


彼の顔は、悔しいほどに整っていた。

長い睫毛、透き通るような肌、宝石のようなアイスブルーの瞳。 芸術品のように完璧な美貌が、視界いっぱいに広がる。


「……どうですか? あの男の残像は消えましたか?」


「……うん。消えた。あんたしか見えない」


私が正直に答えると、彼は満足げにふわりと微笑んだ。


「よろしい。……貴女の瞳に映っていい男は、世界で私一人だけです」


「あんたのその自信、どこから来るのよ」


「貴女への愛からです」


彼は私の瞼にキスをした。


「不潔な侵入者は排除しました。ですが、まだ安心できません。ドアノブの消毒と、空気の入れ替えが終わるまで、貴女は私の背中に隠れていてください」


「はいはい」


私は彼の背中にしがみついた。

面倒くさいけれど、この「鉄壁の守り」があるからこそ、私は安心して引きこもっていられるのだ。


          

その後、アルフォンスは宅配員が置いていった荷物を、火バサミでつまんで回収した。

段ボール箱一つ一つに検知魔法をかけ、表面を消毒液で拭き上げる徹底ぶりだ。


「……中身は、紅茶と……魔法省からの書類ですね」


彼はゴム手袋をしたまま、封筒を開封した。


「……ふん。くだらない」


彼が一通の手紙を見て、鼻で笑った。


「なに? また呼び出し?」


「いいえ。……『勧誘』のようですね」


彼は手紙を私に見せないように折り畳んだ。


「最近流行りの健康食品のチラシです。……貴女には必要ありません」


「ふーん。なら捨てていいわ」


私は興味を失い、届いたばかりの紅茶の缶を開け始めた。 だから、気づかなかった。

アルフォンスがその手紙をポケットにしまう瞬間、彼のアイスブルーの瞳が、凍りつくように冷たく光ったことを。


手紙の差出人は、匿名の『告発者』。 そして、その内容は健康食品などではなく――彼の過去に関する、致命的な暴露文だったのだ。


『元・魔法省直属の掃除屋、アルフォンス・クラインへ。 貴様が十年前の「血の粛清」で何をしたか、我々は知っている。 その薄汚れた手で、高潔な魔女に触れる資格があると思うか?』


アルフォンスはポケットの上から手紙を握り潰した。


(資格など、とうの昔に捨てている)


彼は心の中で独りごちた。

キッチンで紅茶を淹れる準備をする彼は、いつもの完璧な執事の顔に戻っていた。


(私は汚れている。だからこそ、誰よりも潔癖に、誰よりも執拗に、彼女を守り抜くのだ)


「エルカ様。……今日のお茶請けは、マドレーヌにしましょうか」


「わぁ、やった! アルフォンス大好き!」


私の無邪気な声に、彼は優しく微笑み返した。

その笑顔の裏にある、ドロドロとした闇と決意に、私が気づく由もなかった。

宅配員は去ったが、彼が運んできた「不潔な真実」は、静かに塔の中に根を下ろしたのだった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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