第33話「究極のジャンクフード・バトル」
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塔が世界から消えて数日。
私たちの生活は、穏やかで、清潔で、そして――
健康的すぎた。
「……飽きた」
ランチタイム。
目の前に並べられた「完璧な栄養バランスの食事」を見て、私はフォークを置いた。
・鶏むね肉の低温調理(ハーブ添え)
・十五品目のオーガニックサラダ(ノンオイルドレッシング)
・玄米とキヌアのリゾット ・白湯
美しい。間違いなく美味しい。
アルフォンスの料理の腕は超一流だ。
でも、違う。そうじゃない。
私の脳髄が求めているのは、もっと暴力的で、
不潔で、背徳的な味なのだ。
「どうなさいました、エルカ様。食欲がありませんか?」
給仕に立っていたアルフォンスが、心配そうに顔を覗き込む。今日のエプロンも純白で、一点のシミもない。
「……アルフォンス。私、限界よ」
「限界? 昨夜のマッサージが強すぎましたか?」
「違う! ……油よ! 油と塩と化学調味料が足りないのよ!」
私はテーブルをバンと叩いた。
「私は魔女よ! 混沌を愛する生き物なの! こんな浄化された精霊の食事みたいなものばかり食べてたら、魔力が枯渇して死んじゃうわ!」
「……栄養学的には完璧ですが」
「うるさい! 私は今すぐ、ギトギトで、茶色くて、カロリー表示を見たら気絶しそうな『悪い食べ物』が食べたいの!」
叫んだ。
屋台の焼きそば。
揚げたてのフライドポテト。
チーズたっぷりのピザ。
想像しただけで、口の中に涎が溢れる。
あの下品な味が恋しい。
禁断症状で手が震えるほどに。
「却下です」
アルフォンスは冷徹に言い放った。
「貴女の胃腸は、長年の不摂生で弱りきっています。……あのような酸化した油や、質の悪い小麦粉を摂取すれば、直ちに肌荒れと胃もたれを引き起こすでしょう」
「知ったことか! 肌荒れ上等! 私は食べるわよ!」
私は席を立ち、研究室へと走った。
こうなったら実力行使だ。
アルフォンスが作ってくれないなら、魔法で呼び出すしかない。
研究室にて。
私は床に「物質召喚」の魔法陣を描いていた。
塔は異界にあるが、座標さえ特定すれば、外界の物体を引き寄せることは可能だ(理論上は)。
「いでよ、王都の下町食堂『豚のあぶら亭』の名物……『全部乗せ魔獣バーガー』!!」
私は魔力を注ぎ込んだ。
記憶の中にある、あの茶色い輝き。
バンズからはみ出る肉、滴るソース、溶けたチーズ。 さあ、私の元へ!
ボムッ!
魔法陣から煙が上がり、そこには――
「……おや。これは何ですか?」
召喚されたのはバーガーではなく、冷ややかな目をした執事だった。アルフォンスが、魔法陣の中央に仁王立ちしている。その手には、私が召喚しようとしたバーガーの残骸が握られていた。
「……あ」
「検閲しました」
彼は黒焦げの物体をゴミ箱に放り投げた。
「成分分析の結果、致死量の飽和脂肪酸と、出所不明の合成肉、そして床に落ちたものを拾って調理した痕跡が検出されました」
彼はハンカチで手を拭きながら、私に詰め寄った。
「エルカ様。……私の管理下で、このような『汚物』を体内に摂取しようとするなど……自殺願望ですか?」
「だ、だって食べたかったんだもん! 綺麗なものばっかりじゃ、心が満たされないのよ!」
私が駄々をこねると、アルフォンスは深いため息をついた。そして、眼鏡の奥で瞳を怪しく光らせた。
「……分かりました」
「えっ? 分かってくれた?」
「そこまで『悪いもの』がお望みなら……私が用意しましょう」
彼はエプロンの紐を締め直した。
「私が、貴女の理性を破壊するほどの『究極のジャンクフード』を作って差し上げます。……その代わり」
彼はニヤリと笑った。
「一度口にしたら、もう二度と、他の食べ物では満足できない身体になることを覚悟してくださいね?」
一時間後。
ダイニングテーブルの前で、私はゴクリと喉を鳴らした。厨房から漂ってくる香りが、すでに暴力的だった。 焦げたバターの香り。肉が焼ける香ばしい匂い。そして、濃厚なチーズの熟成香。
「お待たせいたしました、エルカ様」
アルフォンスがワゴンを押して現れた。
彼が恭しく銀のクロッシュを開ける。
「……うそ」
そこにあったのは、暴力の塊だった。
高さ二十センチはあろうかという、巨大なタワーバーガー。
「『執事特製・背徳のA5ランク・トリプルチーズバーガー』でございます」
彼は淡々と解説を始めた。
「パティは最高級黒毛和牛のシャトーブリアンを粗挽きにし、つなぎを使わず300グラム使用。ソースは黒トリュフとフォアグラを煮込んだ特製グレイビー。そして……」
彼が別添えのポットを持ち上げる。
「仕上げに、四種のチーズ(ゴルゴンゾーラ、チェダー、モッツァレラ、ラクレット)をブレンドした『溶岩チーズソース』をおかけします」
トロトロトロ……。
熱々のチーズが、肉の塔の上から滝のように注がれる。 茶色と黄色のコントラスト。立ち昇る湯気と、脳髄を直撃するカロリーの香り。
Total Calories = 12,000 kcal
「……いちまん、キロカロリー……?」
「ええ。貴女が求めた『悪い食べ物』の頂点です。……さあ、召し上がれ」
アルフォンスはナイフとフォークを――置かなかった。 代わりに、彼自身が手袋を外し、素手に薄いビニール手袋を装着した。
「……え、自分で食べるわよ」
「ダメです。こんなに大きくて汁気の多いものを、貴女の小さな手で持てば、汚れてしまいます」
彼はバーガーを専用のペーパーで包み込み、両手で持ち上げた。ズシリ、と重そうな音がする。
「私が支えます。貴女はただ、口を開けてかぶりつけばいい」
「……は、恥ずかしいわよ……」
「恥ずかしがっている場合ですか? チーズが固まってしまいますよ」
バーガーが目の前に差し出される。
圧倒的な肉の壁。
匂いだけで、理性が飛びそうだ。
私は観念して、大きく口を開けた。
ガブッ!
「……んんッ!!??」
噛み締めた瞬間、口の中で爆発が起きた。
肉汁の洪水。
カリッと焼かれたバンズの香ばしさ。
そして、濃厚すぎるチーズとフォアグラの旨味。
美味しい。 美味しいなんて言葉じゃ足りない。
脳みそが痺れるほどの快楽物質がドバドバと溢れ出す。
「……どうですか?」
「……おいひぃ……! なにこれ、すごい……!」
言葉にならない。
ただひたすらに咀嚼し、飲み込む。
喉を通り抜ける重厚な脂質が、身体中の細胞を歓喜させる。
「よろしい。……いい食べっぷりだ」
アルフォンスは、私の口の端から溢れたソースを、手袋をした指ですくい取った。
そして、それを自分の口へと運ぶ。
「……うん。塩加減も完璧ですね」
「っ!? なにしてんのよ!」
「味見です。……さあ、次の一口を」
彼は休ませてくれない。
バーガーの角度を変え、一番美味しい部分、
肉とチーズが絡み合っている場所を私の口元に押し当てる。
「ほら、もっと大きく口を開けて。……この溢れる脂を、一滴残らず受け止めるのです」
「……あむっ、んぐ……」
私は無我夢中でかぶりついた。
アルフォンスの手が、バーガーを押し込んでくる。 まるで、雛鳥に餌を与える親鳥のように。
いや、もっと強制的で、支配的な「餌付け」だ。
「……苦しい……でも、止まらない……」
「そうです。止まらなくていい。……貴女の胃袋の許容量は、私が計算済みです」
彼の瞳が、ギラギラと輝いている。
私がジャンクフードに溺れ、理性を失って貪り食う姿を見て、彼は興奮しているのだ。
「その必死な顔。……汚れても構わず食らいつく本能。……ゾクゾクしますね」
彼の手が、私の頬についたチーズを拭う。
「貴女を満たすのは、屋台の残飯ではありません。……私が厳選し、私が調理し、私の手で与えるこの『毒』だけだ」
毒。 そう、これは毒だ。
あまりに美味すぎて、これを食べてしまったら、
もう元の粗食には戻れない。
彼の料理なしでは生きられない身体に作り変えられていく。
「……うぅ、もう、入らない……」
半分ほど食べたところで、私の胃袋が悲鳴を上げた。 さすがに量が多すぎる。
「おや、もう限界ですか? まだ半分ありますよ」
「無理……お腹、はち切れる……」
「いけませんね。……残すのは教育上よくありません」
アルフォンスはバーガーを皿に置くと、私を椅子ごと後ろに倒した――わけではなく、私を抱き上げて自分の膝の上に乗せた。
「……え?」
「胃の圧迫を解放しました。……これなら、もう少し入りますね?」
「入らないってば!」
「入ります。……私が食べさせてあげるのですから」
彼はバーガーを小さくちぎり、私の口に運んだ。
バックハグの状態。 逃げ場はない。
「はい、あーん」
「……ん……」
拒否できない。
彼の指が唇に触れると、条件反射で口が開いてしまう。 美味しい。悔しいけど、まだ美味しい。
「……いい子だ。……私に胃袋を掴まれ、私に養分を与えられ、私の腕の中で太っていく」
彼は私の食べ過ぎて膨らんでいるぽっこりと出たお腹を、愛おしそうに撫でた。
「貴女の肉体を作るタンパク質も脂質も、すべて私が管理する。……ああ、なんて素晴らしい」
変態だ。
この執事は、私が太ることすら「管理の成果」として楽しんでいる。
結局、私は一万キロカロリーのバーガーを、
彼の巧みな誘導と強制によって完食させられた。
「……うぅ……動けない……」
食後。 私はソファに沈み込み、死んだ魚のような目をしていた。 お腹が重い。
全身の血流が胃に集中して、指一本動かせない。
「満足されましたか、エルカ様」
アルフォンスが、食後のハーブティーを持って現れた。彼は満足げに微笑み、私の口元をナプキンで丁寧に拭った。
「……満足よ。……もう、ジャンクフードなんて見たくない」
「それは重畳。……ですが、また食べたくなったら言ってください」
彼は私の耳元で囁いた。
「次は、ピザでも、カツ丼でも。……貴女が廃人になるほどのカロリー爆弾を作って、口移しで流し込んで差し上げますから」
「……鬼」
私は呻いたが、その声には抗議の力はなかった。 胃袋も、心も、完全に彼に屈服していたからだ。 究極のジャンクフード・バトルは、私の完全敗北と体重増加の懸念で幕を閉じたのだった。
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