第27話「魔法省の牙、セドリックの来訪」
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あの夜会から三日が過ぎた。
「毒」の洗浄という名目で行われた、長時間の甘く激しい「お風呂タイム」を経て、私の身体は完全にアルフォンス色に染め直されていた。
「……んぅ」
昼下がり。 私はリビングのソファで、膝掛けにくるまってまどろんでいた。
膝の上には読みかけの魔導書。
そして、サイドテーブルにはアルフォンスが淹れた完璧な温度のミルクティー。
平和だ。 静かで、清潔で、いい匂いがする。
外の世界の雑音なんて、ここには何一つ届かない――はずだった。
ピンポーン。
不意に、玄関の魔導チャイムが鳴り響いた。
機質な音が、穏やかな空気を切り裂く。
「……誰?」
「予約のない来客ですね」
キッチンから出てきたアルフォンスが、眉をひそめた。 彼は手に持っていた焼きたてのスコーンが乗っている銀のトレイをテーブルに置くと、懐から懐中時計を取り出した。
「郵便配達の時間ではありません。……嫌な予感がします」
彼の眼鏡の奥のアイスブルーが、鋭く細められた。 警戒色だ。 彼は手袋を締め直し、玄関へと向かう。
「エルカ様はそこでお待ちください。万が一、不潔なセールスマンだった場合、即座に焼却処分しますので」
「……穏便にお願いね」
私は苦笑したが、内心では不安が広がっていた。 この塔に客なんて来ない。
十年間、アルフォンス以外は誰も。
嫌な予感は的中した。
「――やあ、突然すまないね。近くまで来たもので」
玄関ホールから聞こえてきたのは、やけに響きの良い、しかしどこか粘着質な男の声だった。
私は思わず身体を固くした。 聞き覚えがある。
あの夜会で、私を値踏みするように見ていた男たちの声と同質の響き。
「……どなたですか?」
「セドリック・ヴァレンタイン。魔法省第三研究室の室長だ」
セドリック。 その名前に、私は息を呑んだ。
若くして魔法省の幹部に上り詰めたエリート中のエリート。 そして、あの夜会で私にダンスを申し込もうとして、アルフォンスに阻まれた男の一人だ。
「……何の御用でしょうか」
「エルカ・シュヴァルツ卿に会いに来た。公式な『研究協力』の要請だ。通してくれるね?」
ズカズカと足音が近づいてくる。
アルフォンスが止める間もなく、リビングの扉が開かれた。
「おや、ここにいたか」
現れたのは、仕立ての良い白のローブを纏った金髪の男だった。 整った顔立ちだが、その碧眼には隠しきれない傲慢さが滲んでいる。
彼は私を見るなり、ねっとりとした笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、麗しの魔女殿。夜会では遠目に見るだけだったが、近くで見るとさらに素晴らしい」
「……セドリック、様」
「呼び捨てで構わないよ。これからは『同僚』になるかもしれないんだ」
彼は私の許可もなく、向かいのソファに腰を下ろした。そして、部屋の中を見回し、鼻を鳴らした。
「ふむ。……以前はゴミ屋敷だと聞いていたが、随分と小綺麗にしたものだ。……まあ、所詮は田舎の塔だがね」
「……何の用なの」
「単刀直入に言おう。君をスカウトしに来た」
セドリックは足を組み、尊大な態度で告げた。
「君の『古代魔法解析』の才能を、魔法省は高く評価している。……こんな辺境で燻っているのは損失だ。王都の研究所に来ないか? 最新の設備と、相応の地位を用意しよう」
「……王都?」
「ああ。君のような美人が、こんなカビ臭い塔に引きこもっているなんて罪だ。私が直々に、華やかな世界へエスコートしてあげるよ」
彼の言葉は、甘い蜜のように聞こえるが、
その裏には「支配欲」が見え隠れしていた。
私を研究対象として、あるいは装飾品として手に入れたいという欲望。
会で感じたあの不快感が、蘇ってくる。
「……お断りします」
私は膝掛けを握りしめて言った。
「私はここが好きなんです。……研究も、この塔で十分できていますから」
「強情だねぇ。……それとも、何か? ここに縛り付けられている理由でも?」
セドリックの視線が、私の背後に控えるアルフォンスに向けられた。彼はフン、と鼻で笑った。
「おい、そこの従者。……お茶くらい出したらどうだ? 気が利かないな」
空気が凍りついた。
アルフォンスを「従者」呼ばわりし、あまつさえ命令した。
「……申し訳ありません」
アルフォンスが静かに口を開いた。
声色は丁寧だが、室温が一気に五度は下がった気がした。
「当家では、招かれざる客にお出しする茶葉を切らしておりまして。……代わりに、殺虫剤ならご用意できますが?」
「……なんだと?」
「冗談です。……ですが、主人は現在、非常に繊細な研究の最中です。部外者の立ち入りは、魔力場を乱す原因となりますので」
「口を慎め、ただの執事風情が」
セドリックが睨みつけた。 魔圧が放たれる。
だが、アルフォンスは眉一つ動かさず、涼しい顔で受け流した。
「ただの執事、で結構です。……ですが、この塔の管理者は私です。主人の不利益になる『ノイズ』を排除する権限は持っております」
「ノイズだと? ……私が?」
セドリックの額に青筋が浮かんだ。
一触即発。 二人の男の間で、火花が散る。
「……まあいい」
セドリックは不愉快そうに舌打ちすると、手元の包みをテーブルに置いた。
「今日は挨拶代わりだ。これを受け取ってくれたまえ」
包みが解かれると、そこには豪華な花束が現れた。 真っ赤なバラと、見たこともない紫色の花々。 強烈な香りが、部屋中に広がる。
「南国の希少種『情熱の蘭』だ。……君の美しさにふさわしいと思ってね」
「……あ、ありがとう……」
受け取らないわけにはいかない。
私が手を伸ばそうとした、その時だった。
「――お待ちください」
シュッ。
白い手袋が、私の手と花束の間に割り込んだ。
アルフォンスだ。
彼は花束をひょいと取り上げると、眼鏡の位置を直し、ジッと花弁を凝視した。
「……綺麗な花ですね。ですが、検閲が必要です」
「検閲? 花にか?」
「ええ。……私の主人は、花粉アレルギーの気がありますので」
アルフォンスは花束に顔を近づけ、クン、と匂いを嗅いだ。そして、ニヤリと笑った。
「……やはり」
「なんだ?」
「成分分析完了。……この『情熱の蘭』の花粉には、微量の『幻惑毒』が含まれていますね」
「なっ!?」
セドリックが狼狽した。
アルフォンスは淡々と解析結果を読み上げる。
「吸い込めば判断力が鈍り、思考が定まらなくなる。……さらに、微量の媚薬成分も検出されました。これを密室で女性に贈るとは……随分と古典的な手口ですね」
「で、デタラメだ! それはただの珍しい品種で……!」
「それに」
アルフォンスはセドリックの言葉を遮り、冷徹に告げた。
「茎の内部に、盗聴用の使い魔が仕込まれています。……趣味が悪い」
彼は花束を持ったまま、キッチンの暖炉へと歩き出した。
「ちょ、待て! 何をする気だ!」
「消毒です」
アルフォンスは指をパチンと鳴らした。
ボッ!!
青白い炎が、花束を包み込んだ。
魔力で強化された高温の炎。
「ギャッ!」という虫の断末魔と共に、美しい花々は一瞬にして黒い灰へと変わった。
「……あぁ、スッキリしました」
アルフォンスは灰になった残骸をゴミ箱に放り込むと、にっこりと微笑んだ。
それは、害虫駆除を終えた後の清々しい笑顔だった。
「私の主人の部屋に、毒物を持ち込むなど万死に値します。ですが、今回は『うっかり』ということで見逃して差し上げましょう」
「き、貴様……!」
セドリックは立ち上がり、杖を構えた。
プライドを傷つけられたエリートの怒りは凄まじい。 部屋の空気がビリビリと震える。
「ただの執事が、魔法省の幹部に対して……! 後悔させてやる!」
「おや、やるのですか?」
アルフォンスは動じなかった。
彼はゆっくりと手袋を外し、懐のポケットにしまった。 露わになった素手。 血管が浮き出たその手が、ゆらりと構えられる。
「……構いませんよ。ですが、ここは主人の大切なリビングです。家具一つ傷つけずに、貴方を『掃除』させていただきますが」
眼鏡が光る。
その奥の瞳は、もはや人間のそれではない。
冷酷で、無慈悲な、捕食者の目。
「……ッ」
セドリックの動きが止まった。 彼は何かを感じ取ったように、アルフォンスの顔を凝視した。
「……その構え、その目。……まさか」
セドリックの顔色が変わった。
怒りから、驚愕へ。そして、恐怖へ。
「貴様……『掃除屋』か?」
「…………」
アルフォンスは答えなかった。
ただ、静かに微笑んでいるだけ。
だが、その沈黙こそが、何よりの肯定だった。
「……噂には聞いていたが。まさか、こんなところに飼われていたとはな」
セドリックは杖を下ろした。
冷や汗が頬を伝っている。 彼は知っているのだ。
かつて魔法省の暗部で、邪魔な人間を痕跡もなく消し去っていた「掃除屋」の都市伝説を。
「……興が削がれた」
セドリックは強がって見せたが、その声は震えていた。彼は私を一瞥し、忌々しげに吐き捨てた。
「……いいだろう。今日は帰る。だが、忘れるなよ、エルカ君」
彼は捨て台詞を残した。
「君はいずれ、ここを出ることになる。その『狂犬』に首輪をつけておけるのも、今のうちだ」
バタン。
扉が閉まり、セドリックの気配が遠ざかっていった。
静寂が戻る。 リビングには、花が燃えた焦げ臭い匂いだけが残っていた。
「……アルフォンス」
私は恐る恐る声をかけた。
彼は扉を見つめたまま、動かない。
背中から立ち昇る殺気が、まだ消えていない。
「……掃除屋って、なに?」
「……昔の、つまらないあだ名ですよ」
彼は振り返った。
いつもの柔和な執事の顔に戻っていた。
だが、手袋を外したままの手は、微かに震えているように見えた。
「気にしないでください。それより、換気が必要です」
彼は窓を全開にした。 新鮮な風が入ってくる。
セドリックが残していった人工的な香水の匂いと、花の焦げた臭いを追い出していく。
「……不潔だ。空気が汚れた」
アルフォンスは消臭スプレーを撒きながら、独り言のように呟いた。
「あの男、貴女を『飼い殺し』などと言いましたね。そして、私を『狂犬』とも」
彼は私の前に来て、膝をついた。
素手のまま、私の頬に触れる。 熱い。
先ほどの殺気が嘘のように、その手は優しく、慈愛に満ちていた。
「……私は犬ではありません。貴女の忠実な下僕です」
彼の瞳が、私を映して揺れる。
「ですが、もし貴女を奪おうとする者が現れるなら……私は喜んで狂犬になりましょう。誰であろうと喉笛を食いちぎり、貴女の前から排除する」
「……アルフォンス……」
「約束してください、エルカ様」
彼は私の手を握りしめ、懇願するように言った。
「あの男の言葉になど、耳を貸さないと。……貴女が幸せになれる場所は、外の世界のどこにもない。この塔の、私の腕の中だけだと」
それは、洗脳に近い言葉だったかもしれない。
でも、セドリックの傲慢な態度と、アルフォンスの必死な守護を目の当たりにした今の私には、それが真実にしか思えなかった。
「……うん。分かってる」
私は彼の手を両手で包み込んだ。
「私はここから出ないわ。……あんたが掃除してくれる、この綺麗な場所がいい」
「……ありがとうございます」
アルフォンスは安堵の息を吐き、私の手の甲に額を押し付けた。
「貴女を守ります。私の過去も、未来も、全てを懸けて」
その言葉には、ただならぬ重みがあった。
「掃除屋」という過去。
彼には、私の知らない闇がある。
でも、その闇が深ければ深いほど、彼が私に向ける光…執着は強く、眩しい。
窓の外では、夕焼けが赤く燃えていた。
まるで、燃え尽きた花束のように。
魔法省という巨大な敵が牙を剥いた日。
私たちは、より深く、より逃げ場のない共依存の沼へと、自ら足を沈めたのだった。
読んでくださってありがとうございます。
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