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第27話「魔法省の牙、セドリックの来訪」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

あの夜会から三日が過ぎた。

「毒」の洗浄という名目で行われた、長時間の甘く激しい「お風呂タイム」を経て、私の身体は完全にアルフォンス色に染め直されていた。


「……んぅ」


昼下がり。 私はリビングのソファで、膝掛けにくるまってまどろんでいた。

膝の上には読みかけの魔導書。

そして、サイドテーブルにはアルフォンスが淹れた完璧な温度のミルクティー。


平和だ。 静かで、清潔で、いい匂いがする。

外の世界の雑音なんて、ここには何一つ届かない――はずだった。


ピンポーン。


不意に、玄関の魔導チャイムが鳴り響いた。

機質な音が、穏やかな空気を切り裂く。


「……誰?」


「予約のない来客ですね」


キッチンから出てきたアルフォンスが、眉をひそめた。 彼は手に持っていた焼きたてのスコーンが乗っている銀のトレイをテーブルに置くと、懐から懐中時計を取り出した。


「郵便配達の時間ではありません。……嫌な予感がします」


彼の眼鏡の奥のアイスブルーが、鋭く細められた。 警戒色だ。 彼は手袋を締め直し、玄関へと向かう。


「エルカ様はそこでお待ちください。万が一、不潔なセールスマンだった場合、即座に焼却処分しますので」


「……穏便にお願いね」


私は苦笑したが、内心では不安が広がっていた。 この塔に客なんて来ない。

十年間、アルフォンス以外は誰も。

嫌な予感は的中した。


「――やあ、突然すまないね。近くまで来たもので」


玄関ホールから聞こえてきたのは、やけに響きの良い、しかしどこか粘着質な男の声だった。

私は思わず身体を固くした。 聞き覚えがある。

あの夜会で、私を値踏みするように見ていた男たちの声と同質の響き。


「……どなたですか?」


「セドリック・ヴァレンタイン。魔法省第三研究室の室長だ」


セドリック。 その名前に、私は息を呑んだ。

若くして魔法省の幹部に上り詰めたエリート中のエリート。 そして、あの夜会で私にダンスを申し込もうとして、アルフォンスに阻まれた男の一人だ。


「……何の御用でしょうか」


「エルカ・シュヴァルツ卿に会いに来た。公式な『研究協力』の要請だ。通してくれるね?」


ズカズカと足音が近づいてくる。

アルフォンスが止める間もなく、リビングの扉が開かれた。


「おや、ここにいたか」


現れたのは、仕立ての良い白のローブを纏った金髪の男だった。 整った顔立ちだが、その碧眼には隠しきれない傲慢さが滲んでいる。

彼は私を見るなり、ねっとりとした笑みを浮かべた。


「ごきげんよう、麗しの魔女殿。夜会では遠目に見るだけだったが、近くで見るとさらに素晴らしい」


「……セドリック、様」


「呼び捨てで構わないよ。これからは『同僚』になるかもしれないんだ」


彼は私の許可もなく、向かいのソファに腰を下ろした。そして、部屋の中を見回し、鼻を鳴らした。


「ふむ。……以前はゴミ屋敷だと聞いていたが、随分と小綺麗にしたものだ。……まあ、所詮は田舎の塔だがね」


「……何の用なの」


「単刀直入に言おう。君をスカウトしに来た」


セドリックは足を組み、尊大な態度で告げた。


「君の『古代魔法解析』の才能を、魔法省は高く評価している。……こんな辺境で燻っているのは損失だ。王都の研究所に来ないか? 最新の設備と、相応の地位を用意しよう」


「……王都?」


「ああ。君のような美人が、こんなカビ臭い塔に引きこもっているなんて罪だ。私が直々に、華やかな世界へエスコートしてあげるよ」


彼の言葉は、甘い蜜のように聞こえるが、

その裏には「支配欲」が見え隠れしていた。

私を研究対象として、あるいは装飾品として手に入れたいという欲望。

会で感じたあの不快感が、蘇ってくる。


「……お断りします」


私は膝掛けを握りしめて言った。


「私はここが好きなんです。……研究も、この塔で十分できていますから」


「強情だねぇ。……それとも、何か? ここに縛り付けられている理由でも?」


セドリックの視線が、私の背後に控えるアルフォンスに向けられた。彼はフン、と鼻で笑った。


「おい、そこの従者。……お茶くらい出したらどうだ? 気が利かないな」


空気が凍りついた。

アルフォンスを「従者」呼ばわりし、あまつさえ命令した。


「……申し訳ありません」


アルフォンスが静かに口を開いた。

声色は丁寧だが、室温が一気に五度は下がった気がした。


「当家では、招かれざる客にお出しする茶葉を切らしておりまして。……代わりに、殺虫剤ならご用意できますが?」


「……なんだと?」


「冗談です。……ですが、主人は現在、非常に繊細な研究の最中です。部外者の立ち入りは、魔力場を乱す原因となりますので」


「口を慎め、ただの執事風情が」


セドリックが睨みつけた。 魔圧が放たれる。

だが、アルフォンスは眉一つ動かさず、涼しい顔で受け流した。


「ただの執事、で結構です。……ですが、この塔の管理者は私です。主人の不利益になる『ノイズ』を排除する権限は持っております」


「ノイズだと? ……私が?」


セドリックの額に青筋が浮かんだ。

一触即発。 二人の男の間で、火花が散る。


「……まあいい」


セドリックは不愉快そうに舌打ちすると、手元の包みをテーブルに置いた。


「今日は挨拶代わりだ。これを受け取ってくれたまえ」


包みが解かれると、そこには豪華な花束が現れた。 真っ赤なバラと、見たこともない紫色の花々。 強烈な香りが、部屋中に広がる。


「南国の希少種『情熱の蘭』だ。……君の美しさにふさわしいと思ってね」


「……あ、ありがとう……」


受け取らないわけにはいかない。

私が手を伸ばそうとした、その時だった。


「――お待ちください」


シュッ。

白い手袋が、私の手と花束の間に割り込んだ。

アルフォンスだ。

彼は花束をひょいと取り上げると、眼鏡の位置を直し、ジッと花弁を凝視した。


「……綺麗な花ですね。ですが、検閲が必要です」


「検閲? 花にか?」


「ええ。……私の主人は、花粉アレルギーの気がありますので」


アルフォンスは花束に顔を近づけ、クン、と匂いを嗅いだ。そして、ニヤリと笑った。


「……やはり」


「なんだ?」


「成分分析完了。……この『情熱の蘭』の花粉には、微量の『幻惑毒チャーム・ポイズン』が含まれていますね」


「なっ!?」


セドリックが狼狽した。

アルフォンスは淡々と解析結果を読み上げる。


「吸い込めば判断力が鈍り、思考が定まらなくなる。……さらに、微量の媚薬成分も検出されました。これを密室で女性に贈るとは……随分と古典的な手口ですね」


「で、デタラメだ! それはただの珍しい品種で……!」


「それに」


アルフォンスはセドリックの言葉を遮り、冷徹に告げた。


「茎の内部に、盗聴用の使い魔が仕込まれています。……趣味が悪い」


彼は花束を持ったまま、キッチンの暖炉へと歩き出した。


「ちょ、待て! 何をする気だ!」


「消毒です」


アルフォンスは指をパチンと鳴らした。


ボッ!!


青白い炎が、花束を包み込んだ。

魔力で強化された高温の炎。

「ギャッ!」という虫の断末魔と共に、美しい花々は一瞬にして黒い灰へと変わった。


「……あぁ、スッキリしました」


アルフォンスは灰になった残骸をゴミ箱に放り込むと、にっこりと微笑んだ。

それは、害虫駆除を終えた後の清々しい笑顔だった。


「私の主人の部屋に、毒物を持ち込むなど万死に値します。ですが、今回は『うっかり』ということで見逃して差し上げましょう」


「き、貴様……!」


セドリックは立ち上がり、杖を構えた。

プライドを傷つけられたエリートの怒りは凄まじい。 部屋の空気がビリビリと震える。


「ただの執事が、魔法省の幹部に対して……! 後悔させてやる!」


「おや、やるのですか?」


アルフォンスは動じなかった。

彼はゆっくりと手袋を外し、懐のポケットにしまった。 露わになった素手。 血管が浮き出たその手が、ゆらりと構えられる。


「……構いませんよ。ですが、ここは主人の大切なリビングです。家具一つ傷つけずに、貴方を『掃除』させていただきますが」


眼鏡が光る。

その奥の瞳は、もはや人間のそれではない。

冷酷で、無慈悲な、捕食者の目。


「……ッ」


セドリックの動きが止まった。 彼は何かを感じ取ったように、アルフォンスの顔を凝視した。


「……その構え、その目。……まさか」


セドリックの顔色が変わった。

怒りから、驚愕へ。そして、恐怖へ。


「貴様……『掃除屋クリーナー』か?」


「…………」


アルフォンスは答えなかった。

ただ、静かに微笑んでいるだけ。

だが、その沈黙こそが、何よりの肯定だった。


「……噂には聞いていたが。まさか、こんなところに飼われていたとはな」


セドリックは杖を下ろした。

冷や汗が頬を伝っている。 彼は知っているのだ。

かつて魔法省の暗部で、邪魔な人間を痕跡もなく消し去っていた「掃除屋」の都市伝説を。


「……興が削がれた」


セドリックは強がって見せたが、その声は震えていた。彼は私を一瞥し、忌々しげに吐き捨てた。


「……いいだろう。今日は帰る。だが、忘れるなよ、エルカ君」


彼は捨て台詞を残した。


「君はいずれ、ここを出ることになる。その『狂犬』に首輪をつけておけるのも、今のうちだ」


バタン。

扉が閉まり、セドリックの気配が遠ざかっていった。


静寂が戻る。 リビングには、花が燃えた焦げ臭い匂いだけが残っていた。


「……アルフォンス」


私は恐る恐る声をかけた。

彼は扉を見つめたまま、動かない。

背中から立ち昇る殺気が、まだ消えていない。


「……掃除屋って、なに?」


「……昔の、つまらないあだ名ですよ」


彼は振り返った。

いつもの柔和な執事の顔に戻っていた。

だが、手袋を外したままの手は、微かに震えているように見えた。


「気にしないでください。それより、換気が必要です」


彼は窓を全開にした。 新鮮な風が入ってくる。

セドリックが残していった人工的な香水の匂いと、花の焦げた臭いを追い出していく。


「……不潔だ。空気が汚れた」


アルフォンスは消臭スプレーを撒きながら、独り言のように呟いた。


「あの男、貴女を『飼い殺し』などと言いましたね。そして、私を『狂犬』とも」


彼は私の前に来て、膝をついた。

素手のまま、私の頬に触れる。 熱い。

先ほどの殺気が嘘のように、その手は優しく、慈愛に満ちていた。


「……私は犬ではありません。貴女の忠実な下僕です」


彼の瞳が、私を映して揺れる。


「ですが、もし貴女を奪おうとする者が現れるなら……私は喜んで狂犬になりましょう。誰であろうと喉笛を食いちぎり、貴女の前から排除する」


「……アルフォンス……」


「約束してください、エルカ様」


彼は私の手を握りしめ、懇願するように言った。


「あの男の言葉になど、耳を貸さないと。……貴女が幸せになれる場所は、外の世界のどこにもない。この塔の、私の腕の中だけだと」


それは、洗脳に近い言葉だったかもしれない。

でも、セドリックの傲慢な態度と、アルフォンスの必死な守護を目の当たりにした今の私には、それが真実にしか思えなかった。


「……うん。分かってる」


私は彼の手を両手で包み込んだ。


「私はここから出ないわ。……あんたが掃除してくれる、この綺麗な場所がいい」


「……ありがとうございます」


アルフォンスは安堵の息を吐き、私の手の甲に額を押し付けた。


「貴女を守ります。私の過去も、未来も、全てを懸けて」


その言葉には、ただならぬ重みがあった。

「掃除屋」という過去。

彼には、私の知らない闇がある。

でも、その闇が深ければ深いほど、彼が私に向ける光…執着は強く、眩しい。


窓の外では、夕焼けが赤く燃えていた。

まるで、燃え尽きた花束のように。

魔法省という巨大な敵が牙を剥いた日。

私たちは、より深く、より逃げ場のない共依存の沼へと、自ら足を沈めたのだった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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