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第25話「夜会の果て、甘美な檻への帰還」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

ガタゴトと揺れる馬車のリズムが、次第に緩やかになっていく。

窓の外を流れる景色から、街の明かりが消え、

深い森の闇へと変わっていた。


「やっと、静かになった」


私は深い溜息をつき、隣に座るアルフォンスの肩に頭を預けた。 往路とは違い、帰路の車内には重苦しい沈黙はなく、戦場から生還した兵士たちが共有するような安堵感が漂っていた。


「お疲れ様でした、エルカ様。不快な害虫共の視線に晒され、さぞお疲れでしょう」


アルフォンスが私の髪を撫でる。

その手つきは優しく、しかしどこか執拗だった。 彼は私の髪の一本一本に絡みついた「他人の視線」という汚れを、指先で払い落とそうとしているかのようだ。


「……うん。疲れた。……もう二度と行きたくない」


「ええ。行かせませんとも」


彼は即答し、低い声で続けた。


「あのような不潔な場所、貴女の清浄な肺には毒すぎます。二度とあのような汚泥の中に、私の宝石を投げ込むような真似はさせない」


彼の言葉には、単なる労り以上の、昏い決意が込められていた。 今日の夜会で、彼は確信したのだ。 外の世界は敵だらけであり、私を守れる場所はこの塔だけなのだと。


キィィィ……。

ブレーキの音が響き、馬車が停止した。

塔の前に到着したのだ。


「さあ、着きましたよ」


アルフォンスが先に降り、私に手を差し伸べる。 夜風は冷たかったが、そこに含まれる空気は、

懐かしい森の匂いと、我が家の匂いがした。


「……ただいま、私の聖域」


私はよろめくように地面に降り立った。

重力魔法のかかったドレスが、最後の力を振り絞るように重くのしかかる。 足がもつれそうになった瞬間、ふわりと身体が浮いた。


「……っと」


「歩かなくて結構です。貴女の靴底を、これ以上土で汚したくありませんから」


またしてもお姫様抱っこだ。

もう恥ずかしがる気力もない。

私は彼の首に腕を回し、その胸板に顔を埋めた。 カツ、カツ、カツ。

アルフォンスの足音が、石造りの階段に響く。

その規則正しいリズムを聞いているだけで、強張っていた神経が一本ずつ解けていくようだった。


重厚な扉が開かれ、そして閉ざされる。

ドォン……。

重い音が響き、外の世界が完全に遮断された。


「……帰ってきた」


塔の中。

チリ一つない床。磨き上げられた手すり。

そして、ほのかに香る蜜蝋とレモンの香り。

それは、アルフォンスが作り上げた「完璧な世界」の匂いだ。


「おかえりなさいませ、エルカ様」


アルフォンスは私を抱いたまま、玄関ホールで一瞬立ち止まり、私を落とさない絶妙なバランスで深々と頭を下げた。


「ここからは、私と貴女だけの世界です。もう、誰も貴女を傷つけることはできません」


その言葉は、どんな防御魔法よりも私を安心させた。私は彼の腕の中で、小さく頷いた。


「……お風呂、入る」


「ええ。直ちに」


彼の目がギラリと光った。


「全身の毛穴という毛穴から、あの会場の薄汚れた空気を洗い流しましょう。……今夜は長くなりますよ」

       

寝室に戻ると、アルフォンスは私をベッドの端に座らせた。 そして、テキパキと準備を始める。

お湯の温度調整、タオルの用意、そして数種類のアロマオイルの調合。


「まずは、その拘束具ドレスを外さなければなりませんね」


彼は私の背後に回り込んだ。

冷たい指先が、背中の編み上げ紐に触れる。


シュルッ。 紐が緩む音が、静かな部屋に響く。


「……ふぅ」


締め付けられていた肋骨が解放され、肺に空気が入ってくる。 重かったミッドナイト・シルクが、重力魔法の効果を失い、足元へとするりと滑り落ちた。


「……綺麗な肌に、跡がついてしまった」


アルフォンスの指が、コルセットの跡が残る私の脇腹をなぞった。悔しそうな、愛おしそうな声。


「あのような場所へ行くために、貴女の柔らかい肌を締め付けるなど……やはり間違っていた」


「でも、みんな褒めてたわよ? 綺麗だって」


「当たり前です。誰が磨いたと思っているのですか」


彼は鼻で笑い、私の髪留めを外した。 パラリ。

結い上げられていた黒髪が、滝のように背中に広がる。


「ですが、奴らの『綺麗だ』という言葉すら、私には雑音に聞こえました」


彼は私の髪を掬い上げ、その香りを確かめるように顔を近づけた。


「奴らの視線が、貴女の肌を舐めるたびに……私はその眼球をスプーンで抉り出したくてたまらなかった」


「……猟奇的ね」


「純愛です」


彼は私の肩に唇を寄せた。キスではない。

私の肌に残る「外気」を吸い出し、自分の匂いで上書きするような、独占的な接触。


「……エルカ様」


「ん……?」


「約束してください」


彼の腕が、スリップ一枚になった私の身体を後ろから抱きすくめた。 強い力。

逃がさないという意思。


「もう二度と、私の目の届かない場所へは行かないと」


彼の声が震えていた。

今日のパーティーで、彼もまた傷ついていたのだ。

大切に守ってきた宝石を、無遠慮な他人の目に晒さなければならなかった苦痛。

奪われるかもしれないという恐怖。


私は振り返り、彼の手を握り返した。


「……行かないわよ」


私は本心から答えた。 今日の夜会で思い知った。 外の世界は、私には眩しすぎる。うるさすぎる。そして、残酷すぎる。

私には、この薄暗くて清潔で、甘やかしてくれる塔がお似合いなのだ。


「私、ここがいい。……あんたが管理してくれる、この檻の中がいい」


私の言葉を聞いた瞬間、アルフォンスの瞳が見開かれた。そして、とろけるような恍惚の表情へと変わる。


「……ああ、エルカ様」


彼は私の手の甲に頬を擦り付けた。


「貴女をそこまで堕落させることができて……私は執事冥利に尽きます」


堕落。 そうかもしれない。

でも、自立して孤独に震えるより、堕落して彼に愛される方が、ずっと幸せだ。


「さあ、お風呂へ行きましょう。……私が貴女を、生まれたままの姿まで洗い清めて差し上げます」


彼が再び私を抱き上げようとした、その時だった。


「……ん?」


アルフォンスの動きが止まった。

彼は私の顔を凝視し、眼鏡の奥の瞳を鋭く細めた。


「……エルカ様。少し、口を開けていただけますか?」


「え? なに急に……」


「いいから。早く」


いつになく真剣な、切羽詰まった声。

私は素直に口を開けた。

彼は懐から小さなペンライトのような魔道具を取り出し、私の喉の奥を照らした。

さらに、私の手首を掴み、脈を測る。


「……チッ。やはりか」


彼が舌打ちをした。

先ほどまでの甘い雰囲気は消し飛び、殺気だった空気が部屋を満たす。


「な、なによ。病気?」


「いいえ。……毒です」


「……えっ!?」


心臓が跳ね上がった。 毒? 私が? いつ?


「微量ですが、貴女の魔力回路に異物が混入しています。……遅効性の『魔力阻害薬マナ・ブロック』の一種ですね」


アルフォンスは私の唇を親指で強く拭った。


「今日の夜会で、飲み物を口にしましたか?」


「……アルフォンスがくれた水と、あとは……」


記憶を辿る。

そういえば、休憩中に令嬢たちに絡まれた後、

喉が渇いて……テーブルに置いてあった新しいグラスに口をつけたかもしれない。 アルフォンスが水を汲みに行っている間の、ほんの数分の隙に。


「……あの時か」


アルフォンスの表情が、能面のように無機質になった。 怒りを超えている。

これは、「殲滅」を決意した顔だ。


彼は空中に素早く解析式を描き、私の状態をスキャンした。


「……幸い、摂取量は極めて微量。命に別状はありませんし、魔力への影響も一時的なものでしょう。私の『中和魔法』ですぐに消せます」


彼は私の額に手を当て、淡い光を灯した。

温かい波が身体に広がり、少し重かった頭がスッキリしていく。


「……でも、誰が……?」


「あの令嬢たちか、あるいは……もっと別の勢力か」


アルフォンスは眼鏡を押し上げた。

レンズが冷たく光る。


「いずれにせよ、許し難い暴挙です。私の管理下にある貴女に、不潔な毒を盛るとは」


彼は私の肩を強く掴んだ。


「これは宣戦布告と受け取ります。……犯人が誰であろうと、必ず特定し、その口に同じ毒を樽ごと流し込んでやる」


「……アルフォンス、怖い」


「怖がらないでください。この怒りは、全て貴女を害する者へ向けられたものですから」


彼は私を抱きしめた。 その腕は震えていた。

私が毒を盛られたことへの怒りと、守りきれなかった自分自身への悔しさで。


「やはり、外の世界は危険だ」


彼は私の耳元で、呪いのように呟いた。

その声は、甘く、重く、私の逃げ道を完全に塞いでいく。


「もう二度と出しません。これからは、貴女が口にする水の一滴、空気の一吸いまで、全て私が検閲します」


「……うん。お願い」


私は彼にしがみついた。

毒を盛られた恐怖よりも、彼に守られている安心感の方が勝っていた。 私の世界は、もうこの塔と、彼しかいらない。


「さあ、消毒です」


アルフォンスは私を抱き上げ、浴室へと歩き出した。その足取りは、先ほどよりも速く、焦燥に満ちていた。


「毒の成分だけでなく、貴女についた恐怖の記憶ごと、私が洗い流します。……覚悟してくださいね、エルカ様」


浴室の扉が閉まる。

湯気の中に消えていく私たち。

夜会の果てに待っていたのは、安息ではなく、

より深く、より逃げ場のない「甘美な檻」への完全な幽閉だった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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