第18話「共同研究:甘い魔法薬のレシピ」
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「……何の音?」
午後のお茶の時間。
私が研究室に入ると、そこはいつもの静寂ではなく、小気味よいリズム音に支配されていた。
トントントントン。 正確無比で、軽快な刻み音。
「おや、エルカ様。休憩は終わりですか?」
実験台の前で振り返ったのは、白衣――ではなく、完璧なエプロン姿のアルフォンスだった。
彼の手には銀のナイフ。 そして目の前には、
色とりどりのハーブや鉱石が並べられている。
「休憩もなにも、あんたがここを占領してたら研究できないじゃない。……何してるの?」
「調合です。新しい『環境改善用芳香剤』の開発を試みていまして」
彼はナイフを置き、ビーカーの中の液体を優雅にかき混ぜた。
「貴女は来週のパーティーに向け、極度のストレスを感じている。その強張った神経をほぐし、かつ安眠を誘う、究極の癒やし効果を持つ香りを求めて」
「ふーん。相変わらず過保護ね」
私は興味なさげに肩をすくめた。
魔法薬学は、私の専門分野の一つだ。
だが、アルフォンスがやるような「生活を便利にする魔法」には、あまり食指が動かない。
私が興味あるのは、もっと根源的な、世界の理を解き明かすような大魔法だけだ。
「ですが、難航しています」
アルフォンスがわざとらしく溜息をついた。
「素材の下処理は完璧なのですが……魔力充填の工程で、どうもバランスが崩れる。私の魔力は『氷属性』が強すぎて、香りが冷たくなってしまうのです」
彼はチラリと私を見た。
眼鏡の奥のアイスブルーが、誘うように光る。
「……やはり、希代の天才魔女であるエルカ様の『深淵の魔力』をお借りしなければ、完成は不可能かもしれませんね」
「……」
上手い。
この男、私の操り方を完全に心得ている。
「天才」とおだてられ、しかも「自分にはできない」と弱みを見せられたら、研究者としての血が騒がないわけがない。
「……しょうがないわね。ちょっと見せてみなさいよ」
私はツカツカと実験台に歩み寄った。
アルフォンスは、待っていましたとばかりに場所を空け――いや、空けなかった。
私の隣にぴったりと並び立ち、ビーカーを私の目の前に差し出した。
「では、共同作業といきましょう」
そこからは、二人の即興演奏のような時間だった。
「マンドラゴラの根、三ミリ角に刻んで。断面は空気に触れさせないように」
「御意。……0・5秒で処理します」
シュバッ! 私が指示した瞬間、彼のナイフが閃く。目にも止まらぬ速さで刻まれた根は、酸化する暇もなく鍋へと投入される。
「次は月の雫石。粉末にして」
「粒子の細かさは?」
「ミクロン単位で。溶け残ると香りが濁るわ」
「お任せを。……この乳鉢で、シルクのような滑らかさに仕上げてみせます」
ゴリゴリゴリ……。
彼の手つきは、力強いのに繊細だった。
硬い鉱石が、彼の手にかかると瞬く間に微細な粉雪へと変わっていく。 その横顔は真剣そのものだ。 額に滲む汗。腕まくりした腕に浮き出る血管。 いつもの涼しい顔で紅茶を淹れる執事とは違う、「男の職人」の顔。
(……悔しいけど、手際はいいわね)
私は鍋の中を魔法の杖でかき混ぜながら、彼の作業に見惚れていた。 私の頭の中にある理論を、彼の手が完璧に具現化していく。
言葉を交わさなくても、呼吸が合う。
私が「次」と思った瞬間に、必要な素材が私の手に渡される。
「……悪くないわ」
この感覚。 誰かと一緒に研究をするなんて初めてだけど、こんなにスムーズで、心地いいものだったなんて。 孤独な研究室に、カチャカチャという実験器具の音と、二人の呼吸音だけが響く。
「さあ、エルカ様。ここが正念場です」
鍋の中身が黄金色に輝き始めた。
素材の魔力が活性化し、臨界点に達しようとしている。
「術式構築をお願いします。……この混沌としたエネルギーを、一つの『香り』として束ねてください」
「分かってるわよ。……見てなさい」
私は杖を構え、空中に複雑な魔法式を描き始めた。
紫色の光の軌跡が、空中に数式を刻む。
私の魔力が、鍋の中へ流れ込む。
同時に、アルフォンスも手をかざした。
彼の手から放たれる、冷たく澄んだアイスブルーの魔力。
「……混ぜ合わせるわよ」
「ええ。……私の全てを、貴女に注ぎ込みます」
ヒュンッ。 二つの魔力が、鍋の中で衝突し――そして、溶け合った。
「ッ……!」
背筋が震えた。 物理的な接触じゃない。
魔力という、魂の一部が触れ合った感覚。
私の熱くて重い魔力と、彼の冷たくて鋭い魔力が、螺旋を描いて絡み合う。
「……アルフォンス、魔力が……濃い……!」
「貴女こそ。……吸い込まれそうなほど深い」
私たちは無意識のうちに、身体を寄せ合っていた。 肩と肩が触れ合う。 彼の体温が、エプロン越しに伝わってくる。 鍋から立ち昇る蒸気が、私たちの顔を包み込む。
「……もっと。もっと深く混ぜて」
「望むままに」
彼は私の手の上から、自分の手を重ねた。
二人で一本の杖を握る。 魔力のパスが直結する。
ドクンッ。
心臓が跳ねた。
まるで、血管同士が繋がったみたいだ。
彼の中にある執着、独占欲、そしてドロドロとした重い愛情が、魔力を通じて私の中に流れ込んでくる。
逆に、私の中にある依存、甘え、そして彼への信頼も、彼の中に流れ込んでいく。
(……恥ずかしい)
裸を見られるよりも、ずっと恥ずかしい。
心の中身を、全部晒しているみたいだ。
でも、止められない。
この共鳴が、どうしようもなく気持ちいい。
「……完成、します」
アルフォンスが囁いた。
鍋の中身が、一際強く輝く。
黄金色の液体が、ゆっくりと淡いピンク色へと変化していく。
ポンッ。
小さな音と共に、最後の気泡が弾けた。
その瞬間。
「……わぁ」
私は息を呑んだ。
鍋から溢れ出したのは、蒸気ではなく「光の花」だった。アメジスト色とアイスブルー色が混ざり合った、幻想的な光の粒子。
それが花びらの形を成して、研究室中に舞い散る。壁を、天井を、そして私たち二人を、祝福するように包み込む。
そして、香り。
甘い。とろけるように甘いけれど、決してくどくない。春の陽だまりのような暖かさと、夜の静寂のような涼しさが同居している。
私の好きな花の蜜の香りと、彼の好きな蜜蝋と石鹸の香り。
二人の匂いが完全に融合した、世界に一つだけの香り。
「……すごい」
私は呆然と呟いた。
これは、ただの芳香剤じゃない。
吸い込むだけで、脳が痺れて、身体中の力が抜けていくような、極上の「安らぎの毒」だ。
「……ええ。素晴らしい出来映えだ」
アルフォンスもまた、舞い散る光の花を見つめていた。眼鏡の奥の瞳が、うっとりと細められる。
「私の計算を超えています。まさか、私たちの魔力がこれほどまでに相性が良いとは」
彼は私の方を向いた。
光の粒子が、彼の銀髪に降り注ぎ、キラキラと輝いている。 綺麗だ、と思ってしまった。
「これ、いい香りだわ。……なんか、すごく落ち着く」
私は鍋の湯気を手で仰ぎ、深呼吸した。
不安も、プレッシャーも、全部溶けていく。
ただ、この香りに包まれて、彼の隣にいたい。
そんな、とろんとした思考に支配されていく。
「……おや」
アルフォンスの手が伸びてきた。
彼の指先が、私の頬に触れる。
「……煤がついていますよ、エルカ様」
「え? 嘘」
私は慌てて手で拭おうとしたが、彼がそれを制した。
「私が取ります。……じっとして」
彼の親指が、私の頬を優しく撫でる。
煤なんてついていないことは、彼の目の色を見れば分かった。 これは口実だ。 完成した魔法薬の魔力に当てられて、彼もまた、理性の箍が緩んでいるのだ。
「……綺麗になりました」
彼はそう言いながらも、指を離さなかった。
頬から、唇の端へ。
親指の腹が、私の唇をゆっくりとなぞる。
「……アル、フォンス……」
「……この薬には、名前が必要ですね」
彼は私の唇を見つめたまま、夢幻のように囁いた。
「『愛の檻』……なんて、いかがですか?」
「……趣味悪いわよ」
「そうですか? 私は気に入りましたが」
彼はふっと笑い、私の唇を親指でグッと押した。 口を開けさせようとするかのように。
「……この香りを嗅いでいると、貴女をここから一歩も出したくなくなる」
彼の声に含まれる重力が、強くなる。
「外の世界の空気など吸わせたくない。一生、この部屋で、私と二人で作ったこの香りだけを吸って生きていてほしい」
それは、甘いプロポーズであり、恐ろしい監禁の予告でもあった。
でも、今の私には、それを拒絶する気力がなかった。 魔法薬の効果だろうか。
それとも、魂が混ざり合った余韻のせいだろうか。 彼の言う通り、このまま二人きりの世界に閉じ込められるのも、悪くないと思ってしまったのだ。
「……変な名前。……でも、いい香りだから、許してあげる」
私が目を閉じて答えると、アルフォンスは満足げに喉を鳴らした。
「感謝します、私の魔女様」
チュッ。 彼が私の額に口づけを落とした。
そのキスは、今までで一番優しく、そして一番深く、私の魂に刻印を押すような熱さを持っていた。
研究室を満たす光の花と、甘い香り。
そして、重なり合う二人の影。
完成した魔法薬は、確かに私たちの心を癒やしたが、同時に「お互いなしではいられない」という病巣を、さらに深く進行させたのだった。
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