第116話「梅香る古都の夜宴」
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ナラ・エンの古都に、春の足音が聞こえ始めたある日のこと。
白亜の塔の衣裳部屋は、絹擦れの音と、甘いため息で満たされていた。
「……んぅ……苦しい……」
「我慢してください、エルカ。美しさとは、すなわち忍耐と重量です」
背後で帯を締めるアルフォンスの手が、容赦なく力を込める。
今日、私たちは先日命を救った「姫様」から招待を受け、彼女の邸宅で催される『梅花の宴』に出席することになっていた。
ドレスコードは「ナラ・エンの正装」。
つまり、私は今、この国特有の『十二単』を現代風にアレンジした、総重量二十キロにも及ぶ豪奢な着物を着せられているのだ。
「……重い。肩が凝る。これじゃ魔法どころか、息もできないわよ」
「ご安心を。貴女が呼吸をするたびに、私が横で酸素ボンベのように新鮮な空気を送りますから」
アルフォンスは涼しい顔で、最後の一枚――
薄紅色の『唐衣』を羽織らせた。
そして、私の前に回り込み、満足げに頷いた。
「……完璧だ」
彼の瞳が、熱っぽく揺れる。
「襲の色目は『紅梅の匂い』。幾重にも重なる襟元から覗く、貴女の白磁のような首筋……。ああ、なんと扇情的なのでしょう。このまま宴など欠席して、私が一枚一枚、朝までかけてこの衣を剥ぎ取りたい衝動に駆られます」
「……行かなきゃダメでしょ。姫様が待ってるんだから」
「チッ。……あのワガママ姫め」
アルフォンスは舌打ちをしつつ、自分の身支度を整えた。
彼もまた、ナラ・エンの貴族が纏う『直衣』をベースにした、漆黒の和装タキシードに身を包んでいる。
銀髪を高い位置で結い上げ、手には白扇。
その姿は、絵巻物から抜け出てきた「光源氏」か、あるいは国を傾ける「妖狐」かというほどの色気を放っていた。
「……あんたも、無駄に似合ってるわね」
「貴女の隣を歩くための装いですから。……さあ、お迎えが来ましたよ」
窓の外から、重厚な牛車の車輪の音が聞こえてきた。
「――お迎えに上がりました、薬師殿」
塔の前に到着したのは、漆塗りの豪奢な牛車だった。
御者を務めるのは、あの堅物な近衛武士・静時だ。
彼は私たちを見ると、一瞬目を見開き、それから深く頭を下げた。
「……見事な装いですな。姫様もお喜びになりましょう」
「どうも。……これ、乗り心地はどうなの?」
「最悪です」
アルフォンスが即答し、私を抱き上げて車内に乗り込んだ。
中は畳敷きで、お香の香りが漂っている。
ゴトゴト……。
牛車がゆっくりと進み出す。
揺れる。すごく揺れる。
私はバランスを崩しそうになり、隣のアルフォンスにしがみついた。
「……車酔いしそう」
「どうぞ、私にお掴まりください。……私の体幹は、どんな悪路でも微動だにしません」
彼は私を膝の上に抱き寄せ、安定させた。
密室の中、彼の体温と衣擦れの音が心地よい。
揺れるたびに、彼の手が私の背中や腰を支え直す。その手つきが、優しく、そしてどこかいやらしい。
「……アルフォンス、手」
「おや、着崩れを直しているだけですよ?」
「嘘つけ。帯の結び目いじってるでしょ」
「ふふ。……バレましたか」
そんな甘い攻防を繰り広げているうちに、牛車は姫の邸宅へと到着した。
「ようこそ参った! 待ちわびておったぞ!」
広大な庭園に設えられた宴の席。
上座には、満開の枝垂れ梅を背負った姫様が座っていた。
病み上がりとは思えないほど血色は良く、紅色の着物がよく似合っている。
「ご招待、ありがとうございます。姫様」
「うむ。そなたらの顔を見ぬと、どうも酒が不味くてな」
姫様は扇子で口元を隠し、ニヤニヤと私たちを見比べた。
「それにしても……。ふふ、予想通りじゃ。
その衣装、ナラ・エンの誰よりも似合っておるぞ、魔女よ」
「……恐縮です」
私が頭を下げると、周囲の招待客たちがざわめいた。
この宴には、ナラ・エンの名だたる貴族や文人たちが招かれている。
彼らの視線が、一斉に私に突き刺さった。
「おい、見ろ。あの方があの噂の……」
「なんと美しい。黒髪にアメジストの瞳……まるで夜の女神のようだ」
「隣の男もすごいぞ。あれが夫か? なんという美丈夫……」
好奇と、羨望と、そして明らかな「情欲」を含んだ男たちの視線。
私は少し居心地が悪くなり、身を縮めた。
すると。
バサッ。
視界が黒い布で遮られた。
アルフォンスが、その広い袖で私を包み込むように隠したのだ。
「……見すぎです」
彼の声は低く、地を這うような冷気を帯びていた。
そのアイスブルーの瞳が、周囲の男たちを一人一人射抜いていく。
「私の妻です。その美しい姿を網膜に焼き付けて良いのは、夫である私と、主賓である姫様だけ。……それ以上、不躾な視線を送るなら、その眼球を梅の木の肥料にしますよ?」
ヒィッ……!
男たちが青ざめて目を逸らす。
姫様だけが、「フッフッフ! 相変わらず嫉妬深い男よのう!」と楽しそうに笑っていた。
宴が始まった。
雅楽の調べが流れ、美酒が振る舞われる。
ナラ・エンの酒は、口当たりが甘く、花の香りがする。
「……おいしい」
私は盃を重ねた。
緊張が解け、体がふわふわと温かくなる。
アルフォンスが剥いてくれた果物を食べ、お酒を飲み、美しい梅の花を眺める。
極楽だ。
「……エルカ。飲みすぎですよ」
「いいじゃない、今日くらい。……ねえ、あの花きれい」
「貴女の方が綺麗です」
「ふふ、上手ねぇ」
私がトロトロの笑顔で彼にもたれかかると、周囲から再びため息が漏れた。
今度は男だけでなく、女たちも顔を赤らめている。
私の隣で甲斐甲斐しく世話を焼くアルフォンスの、その指先の美しさと、私に向ける眼差しの甘さに当てられたらしい。
「さて、興も乗ってきたところじゃ」
姫様がパンと手を叩いた。
「これより『歌合わせ』を行う!
テーマは『愛』!春の訪れに寄せ、己が胸の内にある情熱を歌にするがよい!」
歌合わせ。
ナラ・エンの貴族の嗜みだ。
即興で詩を作り、披露し合う。
次々と貴族たちが立ち上がり、歌を詠む。
「梅の花 色香に迷う 春の月」
「恋しけれ 君待つ夜の 長きかな」
どれも風流で、無難な歌だ。
そして、アルフォンスの番が来た。
彼は静かに立ち上がり、白扇を広げた。
夜風が彼の銀髪を揺らす。
その立ち姿だけで、会場の空気が張り詰めた。
「……では。僭越ながら、私の『すべて』である妻に捧げる歌を」
彼は私を見つめた。
その瞳には、会場の誰一人映っていない。
ただ私だけを、熱く、重く、射抜いている。
そして、彼は口を開いた。
会場の隅々まで響き渡る、透き通るようなバリトンボイス(イケボ)で。
『――春告ぐる 梅の香りも 霞みけり
我が君の 黒髪の艶 匂い立つ』
会場が静まり返る。
美しい声。完璧な韻律。
しかし、内容はただの「妻自慢」だ。
だが、彼は止まらない。
『白き肌 触れれば溶ける 淡雪か
閉じ込めたい 硝子の檻に 永遠にまで』
周囲がざわつき始めた。
「……ん? なんか不穏じゃない?」
「監禁願望?」
しかし、女たちはその声の良さと、瞳の情熱に酔いしれている。
「ああ、なんて激しい愛……!」
アルフォンスは一歩、私に近づいた。
『着せ替えし 絹の重みも 愛おしき
脱がせし後の 甘き蜜の味』
「ちょ、ちょっと!?」
私は酔いが覚めた。
それ、昨夜の話じゃない!?
『あな恋し 君なしでは 息もできぬ
我が心臓は 君の指にあり』
彼は私の前に跪き、私の手を取って、その指先に口づけを落とした。
『……愛しています、エルカ。たとえこの身が朽ち果てようとも、私の魂は貴女の影となり、貴女を永遠に守り続けるでしょう』
シーン……。
あまりの重さ。
あまりの甘さ。
そして、あまりの顔の良さ。
数秒の沈黙の後。
ドッ!! と会場が沸いた。
「きゃあぁぁぁぁぁッ!! なんて素敵な殿方!!」
「私のことも閉じ込めてぇぇぇッ!!」
「いや、俺もあんな風に愛されたい……あの奥方、羨ましすぎる……!」
女たちは黄色い悲鳴を上げ、男たちは感嘆のため息をついた。
狂気的な独占欲さえも、「究極の愛」として昇華させてしまうアルフォンスのカリスマ性。
ナラ・エンの貴族たちは、完全に彼と、彼に愛される私に魅了されてしまったのだ。
「ふふふふふ! 見事じゃ!!」
姫様が大笑いしながら膝を叩いた。
「ここまで清々しい惚気は聞いたことがない!
今宵一番じゃ! この夫婦に、褒美として最高級の梅酒を与えよ!」
「……あ、ありがとうございます……」
私は真っ赤になって俯いた。
恥ずかしい。
穴があったら入りたい。
でも、跪くアルフォンスの手は温かくて、彼の瞳は誇らしげで。
……まあ、悪い気はしない、かも。
宴は深夜まで続いた。
私はさらに酔っ払い、アルフォンスに「重たい歌うたわないでよ〜」と絡み、彼は「事実を述べたまでです」と涼しい顔でお酌をし続けた。
その仲睦まじい(?)姿は、ナラ・エンの語り草になったという。
翌朝。
宿酔でガンガンする頭を抱えて起き出すと、リビングが大変なことになっていた。
「……なにこれ」
床一面に、山のような手紙が散乱している。
色とりどりの和紙。甘い香りのする文。
「……おはようございます、エルカ。見ての通り、『ゴミ』の山です」
エプロン姿のアルフォンスが、冷徹な目で手紙の山を見下ろしていた。
彼は一通の手紙をトングで摘み上げた。
「これらは全て、昨日の宴の出席者たちからの『恋文』です。私宛が3割、貴女宛が7割ですね」
「……えっ、私に?」
「ええ。『儚げな酔い姿に心を奪われました』だの、『貴女のような女神とお近づきになりたい』だの……」
アルフォンスの手から、青白い炎が立ち上った。
ボッ!
手紙が一瞬で灰になる。
「……不愉快です。私の妻に、どこの馬の骨とも知れぬ男が『愛』を語るなど……万死に値します」
彼は次々と、私宛の手紙を魔法で焼却していく。
その手際は、かつての「掃除屋」のそれだ。
「……あ、あんた宛の手紙はどうするの? 3割もあるんでしょ?」
私が聞くと、彼はゴミ箱を指差した。
「読む価値もありません。資源ごみとしてリサイクルに出します」
「……ひどい」
「当然です。私の目には貴女しか映っていませんし、私の愛の言葉は貴女専用です。他の有象無象に使うインクなど、一滴たりとも持ち合わせていません」
彼は灰と化した手紙の山を、魔法の風で窓の外へと吹き飛ばした。
そして、綺麗なリビングで私を抱きしめた。
「昨夜、あれほど『私のもの』だと主張したのに、まだ理解していない愚か者が多いようです。エルカ。今夜はもっと、解らせて差し上げないといけませんね?」
「……え?」
「貴女の首筋に、もっとはっきりと『所有印』をつけておけば、虫除けになるでしょう」
「……また? 昨日の着物で肩凝ってるんだけど……」
「マッサージもセットです。……たっぷりと、愛して差し上げますよ」
彼の重すぎる愛は、宴が終わっても、季節が変わっても、決して色褪せることはないらしい。
梅の香りが残る古都の朝。
私たちは、懲りもせず甘い二度寝へと落ちていった。
読んでくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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