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第115話「ちいさな魔女と過保護な守護者」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

ナラ・エンの森、白亜の塔。

その実験室ラボで、私は鏡を睨みつけていた。


「……むぅ」


鏡の中の私は、いつもの私だ。

黒髪はアルフォンスの手入れのおかげで絹糸のように艶やかだし、肌も十分に白い。

でも、昨日の夜更かしが祟ったのか、目の下にうっすらとクマがあるような気がする。


「やっぱり、アンチエイジングは早いうちから始めるべきよね」


私は薬学と魔術の権威だ。

「美」を食らう呪いさえ治せるなら、自分を少しばかり「若返らせる」薬なんて、朝飯前のはず。


「理論は完璧。副作用は……まあ、誤差の範囲でしょ」


私は机の上に広げた羊皮紙に、複雑な数式を書き殴った。


「よし、完成!」


ビーカーの中で、ピンク色の液体がポコポコと可愛らしい泡を立てている。

甘いベリーのような香り。

これを飲めば、私の肌は十代の頃のような、パンッと張り詰めた弾力を取り戻すはずだ。


「いっただっきまーす!」


私は一気にそれを煽った。

喉を通る甘い刺激。

胃の中に温かいものが広がり――そして、全身がカッと熱くなった。


「――っ!?」


視界がぐらりと歪む。

体が縮むような、骨が軋むような奇妙な感覚。

そして、ボンッ!! という派手な爆発音と共に、私の意識は白い煙の中に消えた。



「……エルカ? 大きな音がしましたが……」


ガチャリ。

扉が開き、いつものように完璧なタイミングでアルフォンスが入ってきた。

手にはお茶のセット。

しかし、彼の主人はどこにもいない。

あるのは、床に散乱した私の服と、白衣の残骸だけ。


「……エルカ?」


アルフォンスの表情が凍りつく。

彼はトレイを置き、服の山に駆け寄った。

まさか、実験の失敗で消滅してしまったのか?

焦燥感が彼の完璧な仮面を剥がしかけた、その時だった。


「……うぅ……」


服の山が、モゾモゾと動いた。

そして、ブカブカになったシャツの襟元から、

ひょこっと小さな頭が飛び出した。


「……あふぉん……しゅ?」


「……ッ!!」


アルフォンスが、息を呑んで硬直した。

そこにいたのは、私だった。

ただし、サイズが圧倒的に違う。

丸い瞳。プニプニの頬っぺた。短くなった手足。

推定年齢、三歳。

魔女エルカは、薬の過剰反応により、幼児化してしまったのだ。


「……え、るか……?」


「……あ、あれぇ?」


私は自分の手を見た。

クリームパンみたいに丸くて小さい手。

立ち上がろうとするけれど、足が短すぎてバランスが取れず、ペタンと尻餅をついてしまう。


(うそ……! 若返りすぎて、幼児になっちゃった!?)


中身はそのままなのに、舌が回らない。

思考もなんだかふわふわしている。

私は助けを求めて、目の前の巨大な銀色のアルフォンスを見上げた。


「……だっこぉ」


自然と、甘えるような声が出た。

両手を広げて、彼に求める。

その瞬間。


ドォォォン!!


アルフォンスの背後で、何かが爆発したような幻覚が見えた。

それは彼の「理性」が吹き飛び、「父性」という名の何かがビッグバンを起こした音だった。


「――ああ、神よ!!」


アルフォンスは膝から崩れ落ちるようにして、私を抱き上げた。

その手つきは、壊れかけの古代遺物を扱うよりも慎重で、そして震えていた。


「なんという……なんという愛らしさ!!

天使? いえ、天使などという言葉では陳腐すぎます。これは奇跡! 宇宙の真理そのものです!!」


「……くるし、い……」


「ああっ、申し訳ありません! あまりの尊さに、力の加減が……!」


彼は慌てて力を緩め、私の顔を覗き込んだ。

そのアイスブルーの瞳は、かつてないほどドロドロに溶け、怪しい光を放っている。


「……エルカ。わかりますか? 私は誰でしょう?」


「……あーふぉんしゅ。……しつじ……おっと」


「ッブハァ!!」


アルフォンスが鼻を押さえて仰け反った。

どうやら、私の幼児語攻撃はクリティカルヒットだったらしい。

彼は眼鏡を光らせ、ハンカチで鼻血(未遂)を拭うと、キリッとした顔で宣言した。


「……状況は把握しました。若返り薬の副作用ですね。解析によると、効果はおよそ半日。……つまり」


彼はニヤリと笑った。

その笑顔は、獲物を見つけた肉食獣のように獰猛で、そして最高に楽しそうだった。


「……半日間、私はこの『ちいさなエルカ』の保護者になれるということです」



それからの時間は、まさに「王侯貴族の育児ごっこ」だった。


「まずは、お召し物を」


アルフォンスは指をパチンと鳴らした。

彼の裁縫スキルと物質変換魔法が発動し、私のブカブカのシャツが、一瞬にして最高級シルクのベビードレス(フリル増量版)に変わった。


「……ふりふり、やだぁ」


「いいえ、お似合いです! 世界一可愛いです! 肖像画に残して美術館に飾りたいくらいです!」


彼は私を着替えさせながら、プニプニの二の腕やお腹を、さりげなく、しかし執拗に触ってくる。


「……ああ、なんと柔らかい……。マシュマロと雲を練り合わせたようだ……」


「……へんたい」


「最高の褒め言葉です、お嬢様」


彼は私を抱っこしたまま、リビングへと移動した。

足が床につかない。視線が高い。

アルフォンスの胸に顔を埋めると、いつものレモンと石鹸の香りに包まれて、なんだか猛烈に安心してしまう。

中身は大人の魔女なのに、本能が「この人に任せておけば大丈夫」と告げているのだ。


「さて、お食事にしましょう」


テーブルには、既に用意されていた。

カボチャのポタージュ、白身魚のムース、そして細かく刻まれた野菜のリゾット。

全てが離乳食仕様だが、香りは三ツ星レストランのそれだ。


「さあ、あーん」


「……じぶんで、たべる」


私はスプーンを奪い取ろうとした。

しかし、丸まった指先では銀のスプーンは重く、

カチャンとテーブルに落ちてしまった。


「……あぅ」


「無理をしてはいけません。……今の貴女の手は、私の指を握るためだけに存在しているのですから」


アルフォンスは優しく微笑み、スプーンを口元に運んでくれた。


「ほら、飛行機ですよ〜。ブーン」


「……こどもあつかい、しないで……」


抗議しようと口を開けた瞬間、絶品のポタージュが滑り込んできた。

甘い。濃厚。

とろけるような美味しさに、頬が勝手に緩んでしまう。


「……おいちい」


「でしょう? ……ああ、食べている姿も愛らしい。口元についたスープさえ宝石のようだ」


彼は私の口元をナプキンで拭い、その指先を愛おしそうに見つめた。


「……エルカ様。いっそ、このままの姿でも良いのでは?」


「……え?」


「このサイズなら、ポケットに入れてどこへでも連れて行けます。悪い虫も寄り付かない。私だけの『お人形』として、一生愛でて差し上げられるのですが」


彼の瞳が、冗談ではない色で光った。

ゾクリと背筋が震える。

この男、本気だ。

私が無力であればあるほど、彼の歪んだ庇護欲は満たされるのだ。


「……だめ。……おとなに、もどるもん」


「ふふ。冗談です(今のところは)」


食事が終わると、急激な眠気が襲ってきた。

幼児の体は燃費が悪い。お腹がいっぱいになると、強制的にスリープモードに入るらしい。


「……ふあぁ……」


「おや、おねむですか?」


アルフォンスは私を抱き上げ、ゆりかごのように優しく揺らし始めた。

大きな手。

広い胸板。

トクトクという心音が、最高の子守唄になる。


「……あるふぉんしゅ……」


「はい、ここにいますよ」


「……ずっと、そばに……いて……」


幼児化したせいか、素直な言葉がポロリとこぼれた。


「……ええ。誓います」


彼が私の額にキスをした。

その唇の熱さが、心地よくて、私は深い闇の中へと落ちていった。



目が覚めると、夕暮れ時だった。

窓の外が茜色に染まっている。


「……ん」


体の感覚が変わっている。

手足が長い。視点が低い(ベッドに寝かされている)。

どうやら、薬の効果が切れたらしい。


「……戻った?」


私は体を起こした。

ベビードレスは弾け飛び、今の私はシーツを一枚纏っただけの、ほぼ裸の状態だった。


「……お目覚めですか、エルカ」


ベッドサイドの椅子に座っていたアルフォンスが、本を閉じてこちらを見た。

いつもの冷静な執事の顔だ。

けれど、その手には、さっきまで私(幼児)をあやしていたガラガラが握られている。


「……見てたの?」


「ええ。一秒たりとも見逃しませんでした。……貴女が寝言で私の名前を呼び、私の指を握りしめて眠る姿を」


彼は立ち上がり、ベッドに近づいてきた。

その瞳の色が、昼間の「慈愛」から、夜の「情欲」へと変化している。


「残念です。ちいさなエルカは、天使のように素直で可愛らしかった」


「悪かったわね、生意気な大人に戻って」


私がふてくされて言うと、彼はシーツごしに私を抱きしめた。


「いいえ。……やはり、こちらの方がいい」


彼は私の耳元で、低く、熱っぽく囁いた。


「あんなに小さな体では、私の愛を受け止めきれませんから」


「……っ」


「それに……育児の予行演習は十分にさせていただきました」


彼の手が、シーツの下に滑り込んでくる。

大きな掌が、私のお腹を優しく撫でた。


「……早く、会いたくなりましたよ」


「……なにに?」


「貴女と私の、本当の子供に」


ドクン。

心臓が跳ねた。

彼の言葉の意味を理解した瞬間、顔が火に油を注いだように熱くなった。


「……き、気が早いわよ……」


「そうですか? ……準備は万端ですが?」


彼は私の唇を塞いだ。

昼間の「あーん」とは違う、大人のキス。

舌が絡み合い、唾液を交換し、互いの存在を確かめ合う濃厚な口づけ。


「……んぅ……っ……」


「さあ、エルカ。今夜は、おままごとではありませんよ」


彼は私を押し倒した。

茜色の光の中で、銀髪の守護者は、最愛の魔女を貪る狼へと変貌していた。


ちいさな魔女との育児ごっこは終わった。

けれど、その先に待っている「本当の未来」への期待が、二人の間に甘く、重く、確かな熱となって残っていた。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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