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第113話「姫の呪いと夫婦のメス」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

ナラ・エンの古都は、千年の時を超えて呼吸を続けている。

その森の入り口に、『クライン薬局・診療所』という看板が掲げられてから数ヶ月。

今日もまた、静寂を切り裂くようにして、厄介な嵐が訪れようとしていた。


「――頼もう!! 薬師はおるか!!」


ドォォォン!!

診療所の扉が、ノックもなしに乱暴に押し開けられた。

カランカランと、可憐なベルが悲鳴を上げる。


「……チッ」


カウンターの奥で、調剤をしていたアルフォンスが舌打ちをした。

その手には、0.1ミリ単位で計量中の天秤がある。

彼は顔を上げず、氷点下の声で告げた。


「靴の泥を落としてください。……ここは診療所であり、豚小屋ではありません」


「無礼者! 貴様、誰に向かって口を利いている!」


入り口に立っていたのは、一人の屈強な男だった。

ナラ・エン特有の武家装束――袴に、二本の刀を差した「武士」の姿だ。

その背後には、市女笠いちめがさを目深に被り、豪奢な着物を纏った小柄な女性が震えている。


武士は柄に手をかけ、殺気を放ちながらアルフォンスを睨みつけた。


「我が主君の一大事だ! すぐに診察せよ! さもなくば……」


「さもなくば?」


アルフォンスが、ゆっくりと顔を上げた。

銀縁眼鏡の奥、アイスブルーの瞳が、武士の放つ殺気を正面から受け止め――

そして、倍の圧力で弾き返した。


「……私の妻が昼寝をしているのです。大声を出すなと言っている」


ピキッ。

空気が凍りついた。

武士が刀を抜こうとした、その瞬間。


「……やめなさい、静時しずとき


背後の女性が、凛とした、しかし苦痛に満ちた声で制止した。


「姫様! しかし……!」


「よい。……無理を言っているのはこちらだ」


女性は笠を取り、その顔を晒した。

その瞬間、診療所内の空気が変わった。

息を呑むほどの美貌。黒檀のような髪に、雪のような肌。

だが、その美しい顔の半分と、着物の襟から覗く首筋が――


「……これは」


私は奥の部屋から顔を出した。

彼女の肌には、紫色に輝く美しい、けれどおぞましい「結晶」が食い込んでいたのだ。


「『宝石病ジュエル・パラサイト』……」


私が呟くと、姫と呼ばれた少女は、力なく微笑んだ。


「……ほう。一目で言い当てるとは。噂通りの『賢者』と見える」


姫はその場に崩れ落ちそうになった。

武士が慌てて支える。


「頼む……! 姫様の命が危ないのだ! ナラ・エン中の名医に見せたが、誰も治せなかった。……この呪いは、美しさを食らって成長し、最後には宿主を宝石の像に変えてしまう!」


「美しさを食らう、か」


アルフォンスがカウンターを出て、私の隣に立った。彼は姫の容態を一瞥し、そして私を見た。


「エルカ。どうしますか?」


その問いに、私は白衣のポケットに手を突っ込み、ニヤリと笑った。

久しぶりだ。

この、ゾクゾクするような難題。


「やるに決まってるでしょ。……私の目の前で、女の子が『石』にされるなんて、趣味が悪いわ」


私は武士に向かって顎をしゃくった。


「その人を手術室へ運んで。……アルフォンス、準備を」


「御意。……直ちに『解体ショー』のセッティングを行います」



診療所の奥にある、真っ白な手術室。

結界によって無菌状態に保たれたその部屋のベッドに、姫は横たわっていた。

着物を肌蹴させると、その病状は深刻だった。

鎖骨から胸元にかけて、拳大のアメジストのような結晶が根を張り、心臓へと侵食を進めている。


「……痛む?」


「……いや。……ただ、体が冷たくて……重い」


姫は虚ろな目で天井を見つめていた。


「私は……このまま美しい宝石になって死ぬのなら、それも本望かと思っていた。……だが、静時が泣くのだ。私が死ねば、腹を切ると……」


「バカなこと言わないで」


私は姫の額に手を当てた。

熱い。魔力の暴走熱だ。


「あなたは死なないし、その堅物の武士も死なせない。……私が治す」


「……そなたに、できるのか? この結晶は魔法を弾き、刃を通さぬ」


「一人じゃ無理ね」


私は隣で器具を並べている銀髪の背中を見た。


「でも、私には『最高の助手』がいるから」


アルフォンスが振り返る。

彼は純白の手術着(燕尾服の上に着用)を纏い、銀のトレイには、メス……ではなく、なぜかピカピカに磨き上げられた食事用のナイフとフォークが並んでいた。


「準備完了です、執刀医殿ドクター。……いつでもどうぞ」


「よし。……静時さん、あんたは下がってて」


「断る! 姫様のお側を離れるわけには……!」


「邪魔よ。あんたの殺気で、手元が狂ったらどうするの?」


私が冷たく言い放つと、武士は唇を噛み締め、

部屋の隅へと下がった。


「始めましょう」


私は姫の患部に手をかざした。

アメジスト色の瞳を細め、魔力の流れを視る。

複雑に入り組んだ呪いの根。これは物理的に切除しようとすれば爆発し、魔法で干渉すれば吸収して巨大化する。

厄介極まりない「詰み」の呪いだ。

普通なら。


「……術式解析アナライズ。……対象、土属性変異型・呪術結晶」


私の脳内で、呪いの構造が青写真のように展開される。


「アルフォンス。……根の深さは血管スレスレ。魔力供給路を遮断するわ。私が『止めた』瞬間、切り離して」


「承知いたしました。……誤差の許容範囲は?」


「ゼロよ。……ミリでもズレたら、心臓が宝石に変わるわ」


「……ふっ。愚問でしたね」


アルフォンスは眼鏡の位置を直すと、右手にナイフ、左手にフォークを構えた。

その姿は、まるで晩餐会のメインディッシュを切り分ける執事のように優雅だ。

だが、その瞳は完全に「狩人」の色をしていた。


「――開始オペレーション・スタート


「……止まれッ!!」


私の掌から、圧縮された魔力が放たれた。

ドォンッ! という衝撃音と共に、姫の胸元の結晶が青白く発光し、その成長が一瞬だけ凍りつく。

魔力の流れを、私の魔力で強引に堰き止めたのだ。

今だ。


「――切断」


ヒュッ!!


音はしなかった。

アルフォンスの手が霞んだ。

銀色の閃光が、手術室の空気を切り裂く。


キィィィィィィン!!


耳をつんざくような高音が響いた。

ダイヤモンドよりも硬いはずの呪いの結晶が、アルフォンスのナイフによって、まるでバターのように両断されたのだ。

だが、まだだ。

根は深く、生き物のように再生しようと蠢いている。


「再生するわ! ……第三層、強制冷却!」


私は叫び、さらに魔力を注ぎ込んだ。

汗が額を伝う。

相手は「美しさ」を食らう呪い。

私の魔力すら餌にしようと食らいついてくる。


「……もうっ、貪欲ね!」


「焦らないでください、エルカ。……貴女が抑えている限り、私の刃は届きます」


アルフォンスの声は冷静だった。

彼はナイフを振るい続ける。

一秒間に数十撃。

肉眼では追えない超高速の斬撃が、結晶の根を一本一本、正確無比に削ぎ落としていく。

姫の皮膚一枚、血管一本傷つけることなく。

それはもはや手術ではない。神技による彫刻だ。


「……右、3ミリ! 深さ2!」


「御意」


「魔力逆流! ……抑える!」


「続けてください。……あと少し」


二人の声が重なる。

視線を交わす必要すらない。

私の思考を、彼が読み取り、実行する。

彼が切り開いた道を、私が魔力で埋めていく。

完璧な同期シンクロ

呼吸、心拍、魔力の波長に至るまで、私たちは完全に一つの生命体として機能していた。


隅で見ていた武士が、愕然と呟くのが聞こえた。


「……な、なんだあの二人は……。あんなデタラメな……」


「……ラスト! コアが見えた!」


結晶の奥底。ドス黒く脈打つ呪いの核。


「アルフォンス! お願い!」


「――お任せを」


アルフォンスが踏み込んだ。

床のタイルが踏み砕かれる。

彼は逆手に持ったナイフを、一閃。


ザシュッ!!


乾いた音が響き、宙を舞ったのは――

ゴルフボール大の、黒い宝石だった。

それは床に落ちた瞬間、黒い煙となって消滅した。


「……終わった、わ……」


私はガクッと膝をついた。

魔力の使いすぎで、目の前がチカチカする。


「……お疲れ様です、エルカ」


倒れそうになった私を、逞しい腕が抱き止めた。

アルフォンスだ。

彼は汗一つかいていない涼しい顔で私を支え、

ハンカチで私の額を拭った。


「完璧な指揮でした。……貴女の魔力制御がなければ、私の刃も通りませんでしたよ」


「あんたこそ。……よくあんな硬いもの、食事用ナイフで切れるわね」


「愛妻の命令ですから。世界など紙切れ同然です」


彼は私の髪にキスを落とした。

手術着には、返り血一つついていない。


「……う、うぅ……」


ベッドの上で、姫が身じろぎをした。

胸元にあったおぞましい結晶は綺麗に消え失せ、そこには傷跡一つない、白く滑らかな肌が戻っていた。


「……姫様ッ!!」


武士が駆け寄り、男泣きしながら平伏した。


「ああ……なんということだ……! 奇跡だ……!」



手術から一時間後。

診療所のリビングでは、優雅なティータイムが始まっていた。

完全に回復した姫と、まだ目を赤くしている武士が、ソファで紅茶を啜っている。


「……礼を言う。そなたらのおかげで、私は再び朝日を拝むことができた」


姫は深々と頭を下げた。

その顔色は良く、本来の美しさを取り戻している。


「いいのよ。仕事だもの」


私はスコーンを齧りながら答えた。


「それに、あんたのそのワガママなところ……ちょっと昔の私に似てて、他人事とは思えなかったし」


「……無礼だぞ、薬師」


武士が睨むが、そこにはもう殺気はない。


姫はクスリと笑い、アルフォンスに視線を移した。


「それにしても……そなたら、良い夫婦だな」


「……はい?」


姫は扇子で口元を隠し、悪戯っぽく私とアルフォンスを交互に見た。


「治療中のそなたらの呼吸……あれは、主従を超えた、魂の結びつきを感じた。言葉を交わさずとも通じ合い、互いの背中を預け合う。……羨ましいほどだ」


「恐縮です」


アルフォンスが、珍しく少し照れたように頭を下げた。


「私たちは、互いが互いの半身ですので」


「そうか。……ならば」


姫はニッコリと微笑み、とんでもない爆弾を投下した。


「子は、まだか?」


「ぶっ!!」


私は紅茶を吹き出した。


「な、ななな何を突然!?」


「いや、そのような優れた才を持つ二人の子が、国の宝にならぬはずがないと思ってな。……魔法の才と、剣の才。その両方を受け継ぐ子が生まれれば、ナラ・エンの未来は安泰であろう?」


姫は無邪気に言った。

武士も真面目な顔で頷いている。


「確かに。……あの男の身体能力と、薬師の魔力……。末恐ろしい傑物が生まれるに違いない」


「……い、いや、私たちはまだ新婚で……!」


私がしどろもどろになっていると、背後からアルフォンスが私の肩を抱いた。


「ご期待に添えるよう、善処いたします」


「はぁ!?」


振り返ると、アルフォンスは真顔だった。

いや、目が本気だった。


「国の宝などどうでもいいですが……エルカに似た愛らしい娘であれば、私としても大歓迎です。……ええ、想像するだけで尊い。私の人生設計に『育児』という新たなクエストを追加する必要がありますね」


「……あんた、気が早いわよ!」


「善処するそうじゃ。……楽しみにしておるぞ」


姫は楽しそうに笑い、謝礼として山のような金貨と、最高級の織物を置いて帰っていった。

嵐のような来客が去った後、診療所には静寂が戻った。


「……ふぅ。疲れた」


私はソファに沈み込んだ。

すると、アルフォンスが私の隣に座り、私の手を取った。


「……エルカ」


「……なに」


彼は私の左手の薬指を撫でながら、甘く囁いた。


「姫様の提案も、あながち悪くないと思いませんか?」


「……え?」


「貴女と私の子供。……きっと、世界一可愛いでしょうね」


彼の瞳が、優しく揺れている。

その眼差しに、私の胸がドクンと高鳴った。

子供。

私と、アルフォンスの。


「……まだ、わかんないけど」


私は赤くなりながら、彼の肩に頭を預けた。


「……もしできたら、あんたみたいに潔癖症にならないように育てなきゃね」


「おや。私に似れば、世界一優秀な子になりますよ?」


「それも困るわよ。……重すぎるもん」


私たちは笑い合い、窓の外の雨上がりを見つめた。

空には、綺麗な虹がかかっている。

騒がしくて、危険で、でも愛おしい日常。

もしかしたら、そう遠くない未来、このリビングに新しい家族の声が響く日が来るのかもしれない。

そんな予感を、虹が祝福しているようだった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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