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第112話「旦那様のライバルは黒猫!?仁義なき嫉妬戦争」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

ナラ・エンの森に、しとしとと雨が降る午後のこと。

新婚生活も板についてきた私たち夫婦の愛の巣で、ある「事件」が勃発していた。


「よしよし、ノワール。今日も毛並みがつやつやね〜。可愛い〜」


「みゃあ〜」


リビングのソファ。

私は膝の上に黒猫のノワールを乗せ、専用のブラシでブラッシングをしていた。

ノワールは喉をゴロゴロと鳴らし、私の手に頭を擦り付けてくる。

温かくて、柔らかくて、ほんのりお日様の匂い(実際は乾燥魔法の匂い)がする。

あまりの可愛さに、私はノワールの額にチュッとキスをした。


「ん〜っ! 世界一可愛い猫ちゃんね! 誰よりも愛してるわよ〜」


私がデレデレと猫可愛がりしていると。


カチャン……。


背後で、ティーカップをソーサーに置く音が、やけに冷たく響いた。


「……『誰よりも』、ですか?」


振り返ると、そこには完璧な紅茶を用意したアルフォンスが立っていた。

いつもの燕尾服姿。

銀髪は完璧に整えられ、眼鏡の位置も正しい。

けれど、そのアイスブルーの瞳は、絶対零度の冷気を帯びていた。

そして、その視線は私ではなく――私の膝の上でくつろぐノワールに、レーザービームのように突き刺さっている。


「……アルフォンス? 紅茶、ありがとう」


「……ええ。どうぞ。毒など入っておりませんよ。……貴女が愛してやまない『その獣』の毛が入る前に、お飲みください」


刺々しい。

言葉の端々から、隠しきれない棘が出ている。


「なに、怒ってるの?」


「怒ってなどいません。……ただ、ここ数日、貴女の『愛の配分』が著しく不公平ではないかと、客観的なデータを元に分析していただけです」


彼は懐から手帳を取り出し、ペラペラとめくった。


「昨日の貴女の行動ログです。

私への接触時間:計120分(入浴・睡眠時を除く)。

一方、あの黒猫への接触時間:計185分。

キスをした回数。私:朝と夜の2回。黒猫:15回。

……エルカ。これはどういうことですか?」


彼は眼鏡をクイッと押し上げ、私を尋問するように見下ろした。


「……暇なの?」


「暇ではありません! 私は常に貴女のことを考えているだけです!」


彼は私の膝の上のノワールを指差した。


「その獣は、何の労働もせず、ただ『にゃあ』と鳴くだけで貴女の愛を掠め取っていく寄生生物です。……不潔だ。私の管理する清潔なリビングに、毛を撒き散らすなど……」


「酷いこと言わないでよ! ノワールは家族でしょ? それに、あんたが綺麗にしてくれてるから不潔じゃないし」


私はノワールを庇うように抱きしめた。

すると、アルフォンスの表情がさらに険しくなった。


「……家族、ですか。……では、聞きましょう」


彼は一歩、私に詰め寄った。


「私と、その猫。……どちらが大切なのですか?」


「は?」


出た。

世界一しょうもない二択。


「比べられるわけないでしょ。ノワールはペットで、あんたは夫よ」


「その『夫』よりも『ペット』の方が、キスの回数が多いのはなぜですか!?」


「だって猫だもん! 可愛いんだもん! 仕方ないでしょ!?」


「仕方がなくありません! 私だって……私だって、にゃあと鳴けば可愛がってくれるのですか!?」


「……想像したくないわよ、そんな三十路男」


私が呆れて言うと、アルフォンスはショックを受けたようによろめいた。

そして、ギリリと歯噛みした。


「……分かりました。……貴女がそこまでその獣を優先するのなら」


彼はスッと背筋を伸ばし、冷徹な「仕事モード」の顔になった。

ただし、その内容は子供の喧嘩レベルだ。


「本日の夕食は、作りません」


「……はい?」


「私の手料理よりも、その猫の缶詰の方がお好きなようですからね。……今夜は、その猫にでも作ってもらってください」


彼はプイッと顔を背け、キッチンの方へと歩き出した。


「ストライキです。……私の機嫌が直るまで、ご飯も、おやつも、マッサージも、一切いたしません」


家事ボイコット宣言。

それは、生活能力ゼロの私にとって、死刑宣告に等しい。

美味しいご飯が食べられない?

ふかふかのお布団を用意してくれない?

そんなの、生きていけない。


いつもなら、ここで私が折れて「ごめんね」と言うところだ。

でも、今日の私は虫の居所が悪かった。

新婚生活で甘やかされすぎて、少し図に乗っていたのかもしれない。

それに、ノワールに罪はないのに「寄生生物」呼ばわりされたのが許せなかった。


「……ふーん。そう」


私は立ち上がり、ソファのクッションを掴んだ。


「分かったわよ。ご飯作ってくれないなら、いいわ」


「……ほう? 強がりを。貴女に何ができると……」


「その代わり!!」


私はクッションを、アルフォンスの背中に向かって投げつけた。

ポスッ。

軽い音がして、クッションが彼の背中に当たり、床に落ちた。


「……今夜は、一緒に寝てあげないから!!」


ピタリ。

アルフォンスの足が止まった。


「……はい?」


彼はスローモーションのように振り返った。

その顔から、さっきまでの傲慢さが抜け落ちている。


「……今、なんと?」


「聞こえなかった? 『寝室追放』よ!

あんたなんか、一人でソファで寝ればいいわ!

私はノワールと一緒に、あの広いベッドで寝るから!あんたの抱き枕なんか、もういらないんだからーッ!!」


私は叫び捨てると、ノワールを抱えて寝室へと走り、中から鍵をかけた。

ガチャン!!

重厚なロック音が、廊下に響き渡る。


「……エルカ? ……冗談、ですよね?」


扉の向こうから、アルフォンスの声が聞こえる。

少し震えている。


「開けてください。……話し合いましょう」


「やだ! ご飯作らない執事なんか知らない!」


「……ご飯は作ります! 前菜からデザートまでフルコースで作ります!」


「もう遅い! 私は怒ってるの!」


「エルカ! ……エルカァッ!!」


私は耳を塞ぎ、ベッドに飛び込んだ。

ふん。

たまにはお灸を据えてやらなきゃ。

いつも彼に管理されっぱなしなんだから、こういう時くらい私が主導権を握るんだ。


……そう思っていた。

最初の五分くらいは。


一時間後。

外は完全に暗くなり、雨音だけが響いている。

広いキングサイズベッドの真ん中で、私は膝を抱えていた。

隣にはノワールがいるけれど……。


「……寒い」


いつもなら、隣に人間湯たんぽのアルフォンスがいる。

彼が私を抱きしめ、最適な体温で温めてくれる。

彼の心音が聞こえて、彼の匂いがして、安心感に包まれて眠るのだ。


それが、ない。

広いベッドが、こんなに冷たくて寂しい場所だなんて知らなかった。


「……お腹、すいたな……」


アルフォンスの作る、絶品のシチューの味が恋しい。

彼が淹れてくれる、蜂蜜たっぷりのミルクティーが飲みたい。

そして何より……彼に「愛してる」って囁かれながら、頭を撫でてほしい。


(……言いすぎたかな)


後悔が押し寄せてくる。

彼があんなに嫉妬したのは、私を愛しすぎているからだ。

それを知っているのに、拒絶してしまった。

もし、彼が本当に拗ねて、どこかに行ってしまったら?


「……アルフォンス……」


不安になって、私はそっとベッドから降りた。

ドアノブに手をかける。

鍵を開け、少しだけ隙間を開けて外を覗く。


廊下には、誰もいない。

リビングの方も、静まり返っている。

電気が消えている。


(……うそ。本当に出ていっちゃったの?)


心臓がドクンと跳ねた。

どうしよう。

私、一人ぼっちになっちゃった。


「……アルフォンスぅ……」


涙目になりながら、リビングへと走った。

暗い部屋。雨の音。

雷が鳴り、窓ガラスがガタガタと揺れる。


「ひっ……!」


怖い。

一人は怖い。

私はソファの陰にうずくまり、名前を呼ぼうとした。


「……ここにいますよ」


すぐそばから、声がした。


「……え?」


ソファの向こう側。

床に、アルフォンスが座り込んでいた。

膝を抱え、まるで捨てられた子犬のように小さくなって。

いつもの完璧なオーラは消え失せ、どんよりとした空気を纏っている。


「……アルフォンス?」


「……エルカ」


彼が顔を上げた。

眼鏡がズレている。

そして、そのアイスブルーの瞳は……赤く充血し、涙で潤んでいた。


「……開けてくれないかと、思いました」


「……ずっと、そこにいたの?」


「はい。……貴女のいないベッドなど、私には氷の棺桶と同じですから」


彼はよろよろと立ち上がると、いきなりその場に土下座した。

フローリングの床に、額を擦り付ける勢いで。


「申し訳ありませんでしたァァァッ!!」


「えっ、ちょっ、アルフォンス!?」


「私が愚かでした! 傲慢でした! 嫉妬に狂った醜い男でした!!猫ごときに嫉妬し、あろうことか主人の食事を人質に取るなど……執事失格! 夫失格です!!万死に値する! いえ、一万回死んでも償いきれません!!」


彼は床に頭を打ち付けながら、早口で懺悔を始めた。


「貴女に『一緒に寝ない』と言われた時……私の世界から色が消えました。

心臓が停止し、呼吸ができなくなりました。

貴女の体温を感じられない夜が、こんなにも恐ろしいとは……!

ご飯は作ります! 掃除もします! 洗濯もします!

だから……だからどうか、寝室追放だけはご勘弁くださいィィィッ!!」


「……あ、アルフォンス、顔上げて……!」


必死すぎる。

あまりの必死さに、怒りなんて吹き飛んでしまった。

この最強の執事兼夫が、ただ「私と一緒に寝たい」というだけで、ここまでプライドをかなぐり捨てて泣いているのだ。


「……もう、いいよ。私も悪かったから」


「い、いいえ! 貴女は悪くありません! 全ては私の器の小ささが招いたことです!」


彼は私の足元に縋り付き、ルームシューズにキスをした。


「……許してくださいますか? また、私のご飯を食べてくださいますか? ……私の腕の中で、眠ってくださいますか?」


上目遣いで見上げてくる瞳。

捨て犬なんてレベルじゃない。捨て執事だ。

こんなの、断れるわけがない。


「うん。食べる。一緒に寝る」


「……あぁ、エルカ……!!」


彼は感極まって私に飛びつき、強く抱きしめた。

潰れそうなほどの力。

彼の体温と、レモンと石鹸の匂いが私を包み込む。

ああ、これだ。

この重さと温もりがないと、私はもうダメなんだ。


「……お腹、すいた」


「直ちに! 今すぐ世界一美味しいディナーをご用意します!!」


彼はバネ仕掛けのように飛び起き、キッチンへとダッシュした。

その背中からは、「歓喜」という文字が湯気のように立ち上っていた。



そして、その夜。

仲直りの印にと振る舞われた豪華フルコース(キャビアとフォアグラが出てきた)でお腹を満たした後。

私たちは寝室のベッドに入っていた。


「……んぅ……」


私はアルフォンスの腕の中にすっぽりと収まり、

彼の胸板に頬を寄せていた。

温かい。落ち着く。

やっぱり、ここが私の特等席だ。


「……エルカ」


「なぁに?」


アルフォンスが、私の髪を梳きながら低く囁いた。


「ノワールは、足元です」


「え?」


見ると、いつもは私の顔の横で寝ているノワールが、今日はベッドの足元、毛布の上に追いやられて丸くなっていた。


「……どうして? こっちおいでよ、ノワール」


「ダメです」


アルフォンスが、私を抱きしめる腕に力を込めた。


「……今夜は、ダメです。ここから先は、聖域サンクチュアリです」


彼の手が、私のパジャマの中に滑り込んでくる。

熱い掌が、私の腰を撫で、背中を這い上がる。


「……今日は貴女を失う恐怖で、寿命が縮みました。……その分、補給させていただかなければ」


「……補給って……」


「私の成分で、貴女を上書きするのです」


彼は私の首筋に噛みついた。

甘噛みじゃない。所有印を刻むような、少し強めのキス。


「……っ、アルフォンス……」


「貴女が可愛がるのは、私だけでいい。……貴女のキスも、撫でる手も、甘える声も……猫には渡しません」


彼のアイスブルーの瞳が、暗闇の中で妖しく光る。

嫉妬深い夫は、まだ完全には機嫌が直っていなかったらしい。

いや、これは機嫌が悪いんじゃない。

独占欲に火がついているのだ。


「……あの猫が見ていますよ」


「えっ、ノワール起きてる?」


「関係ありません。……見せつけてやりましょう。この家の主人が誰で、貴女が誰のものなのかを」


「……んッ……ぁ……」


彼は私の唇を塞ぎ、深い口づけを落とした。

足元のノワールが、呆れたように「ニャー」と鳴いて、ベッドから降りていく気配がした。


「……邪魔者は消えました」


アルフォンスはニヤリと笑い、私の体を組み敷いた。


「さあ、エルカ。……仲直りの儀式を始めましょう。家事をボイコットした罰として……今夜は貴女が気絶するまで、奉仕させていただきますから」


「……罰を受けるのは、私の方じゃない?」


「連帯責任です。……夫婦ですからね」


甘い屁理屈と共に、部屋の明かりが消された。

雨音はもう聞こえない。

聞こえるのは、私たち二人の熱い吐息と、愛を囁く言葉だけ。

ライバルの黒猫が部屋の外で「やってられない」と欠伸をする中、私たちの仁義なき嫉妬戦争は、とろとろに甘い敗戦処理イチャイチャによって幕を閉じたのだった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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