第110話「正座で向き合う初夜:完璧執事が理性を捨て去るまで」
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ナラ・エンの森の奥深く。
白亜の双塔の最上階にある主寝室は、今夜、かつてないほどの静寂と、奇妙な緊張感に包まれていた。
神木の前で永遠の愛を誓い合った結婚式から数時間後。
「衣装を脱がせるのに三時間はかかります」というアルフォンスの予言通り、彼は儀式のように丁寧に、私の白無垢とドレスを解いていった。
そして今。
シャワーを浴びて身を清め、薄手のシルクのネグリジェ一枚になった私は、天蓋付きのキングサイズベッドの上にちょこんと座っていた。
「……遅い」
バスルームから水音が聞こえなくなって久しい。
私の心臓は、さっきから早鐘を打っている。
今までだって、何度も肌を重ねてきた。
彼の手の熱さも、唇の甘さも、彼が私をどう愛してくれるかも、体は全部覚えている。
けれど、今夜は違う。
私たちは「夫婦」になったのだ。
「……入ります、エルカ」
重厚な扉が開き、アルフォンスが入ってきた。
私は息を呑んだ。
いつもの燕尾服ではない。
かといって、温泉の時の全裸でもない。
彼は、濃紺のシルクのパジャマを着ていた。
ボタンは上まで几帳面に留められているが、濡れた銀髪が少しラフに額にかかり、眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、薄暗い間接照明の中で妖しく光っている。
清潔感の塊なのに、どうしようもなく色っぽい。
「……お待たせしました」
彼はベッドサイドまで来ると、動きを止めた。
いつもなら、流れるようにベッドに入り、私を抱き寄せてくるはずだ。
しかし、今の彼は、まるでエラーを起こしたゴーレムのように硬直している。
「……アルフォンス?」
「……失礼します」
彼は意を決したようにベッドに上がり――
私の正面に位置取った。
そして。
スッ。
彼は流麗な動作で、ベッドのふかふかのマットレスの上に「正座」をした。
背筋は定規が入っているかのように垂直。
両手は膝の上。
まるで茶道の師範代のような完璧な姿勢だ。
「……え?」
私は呆気にとられ、思わず自分も姿勢を正して正座をしてしまった。
広いベッドの上、薄着の新婚夫婦二人が、向かい合って正座をする。
なにこのシュールな図。
「あの、アルフォンスさん? どうしたの、改まって」
「……精神統一です」
「統一しちゃったの?」
アルフォンスは真剣な顔で、少し俯きながら答えた。
「エルカ。……私は今、かつてない危機に直面しています」
「危機?」
「はい。……これまで、私たちは何度も愛し合ってきました。貴女の肌の感触も、どこが敏感かも、全て把握しているつもりでした」
彼は苦しげに眉を寄せた。
「ですが……『妻』となった貴女を前にすると、私の脳内回路がショートするのです。尊すぎて、触れていいのか分からない。……いや、触れた瞬間に、私が貴女を壊すほど貪ってしまうのではないかと、己の本能が恐ろしいのです」
彼は拳を握りしめた。
美しい顔が、欲望と自制の狭間で歪んでいる。
余裕ぶった完璧執事の仮面の下で、彼は「妻」という存在の重みに押しつぶされそうになっていたのだ。
「……ばかね」
私は膝立ちになり、少しだけ彼に近づいた。
「もう知ってるでしょ? 私がどうなるか、あんたが一番よく知ってるじゃない」
「……ッ、近づかないでください。引火します」
「引火すればいいよ」
私は震える手を伸ばし、彼の熱い頬に触れた。
「私、もうあんたに人生めちゃくちゃにされたもん。……今さら、壊れることなんて怖くないよ。
夫なんでしょ? 責任とって、めちゃくちゃにしてよ」
ブツンッ。
私の耳元で、何かが切れる音がした。
アルフォンスの瞳から、「理性」という名の光が消え失せた。
「……言いましたね、奥様」
彼の手が伸びた。
私の腰を引き寄せ、正座していた私の体を、抗う間もなくマットに押し倒す。
覆いかぶさる彼の影。
天井の照明が遮られ、彼のアイスブルーの瞳だけが、獣のように爛々と輝いている。
「後悔しても、知りませんよ? ……もう、逃がしません」
「……アルフォンス……っ!」
彼は私のネグリジェのリボンに指をかけ、一息に引き解いた。
露わになる肌。
空気に触れる冷たさを感じる間もなく、彼の熱い手が、唇が、そこを埋めていく。
「……ああ、やはり」
彼が私の首筋に顔を埋め、深々と息を吸い込んだ。
「香りが違う。……『私の妻』になった貴女からは、今まで以上に甘い蜜の香りがする」
「……んッ……くすぐった……い……」
「くすぐったい? ……まだ、そんな余裕がありますか」
彼はニヤリと笑うと、私の太ももに手を滑り込ませた。
慣れた手つきだ。
私の体がどこに触れれば跳ねるのか、どこを撫でれば力が抜けるのか、彼は全部知っている。
「……ひゃっ!?」
彼の指先が、太ももの内側を這い上がり、際どい場所を掠めた。
ビクリと体が跳ねる。
「……ふふ。可愛い反応だ。以前より、敏感になっているのでは?」
「……だ、だって……っ」
「だって?」
彼は意地悪く問いかけながら、執拗に私の耳たぶを甘噛みした。
「……あんたが、夫だって……思うと……」
「……ッ」
その言葉は、彼にとって最強の媚薬だったらしい。
彼の息遣いが荒くなった。
余裕ぶっていた表情が崩れ、切羽詰まった色気に変わる。
「……ダメだ。もう、我慢できません」
彼は私の唇を塞いだ。
今度のキスは、深い。
舌が強引に入り込み、私の舌を捉え、絡め取る。
唾液が混ざり合い、呼吸が奪われる。
「……んむッ……ぁ……ふぁ……」
酸素が足りない。でも、離れたくない。
彼からの愛が、質量を持って流れ込んでくるようだ。
指輪をした左手が、私の指と絡み合う。
プラチナの冷たさと、彼の掌の熱さ。そのコントラストが、さらに私を狂わせる。
「……エルカ。……頂きます」
「……うん……して……」
私が頷くと同時に、彼は私の身体を割り、その身を沈めてきた。
「……ッ、あ……!」
初めてではない。
痛みもない。
あるのは、圧倒的な充足感と、熱い塊が私の中を満たしていく快楽だけ。
「……きつい……。何度抱いても、貴女は私を締め付ける……」
「……アルフォンス……すごい、奥まで……」
「……ああ、エルカ……! 私のエルカ……!」
彼が動くたびに、甘い痺れが全身を駆け巡る。
今までとは違う。
「恋人ごっこ」じゃない。「主従」じゃない。
魂まで繋がった「夫婦」の交わりだ。
繋がっている場所から、彼の魔力と、体温と、独占欲が注ぎ込まれてくる感覚。
「……っ、あ、そこ……! そこだめぇ!」
「ここですか? ……知っていますよ。貴女がここを一番好むことも」
彼は私の反応を楽しみながら、けれどその顔は汗ばみ、必死だった。
執拗に、そして正確に、私が気持ちいい場所を攻め立てる。
私の声が甘くなればなるほど、彼の動きは激しく、深く、重くなる。
「……可愛い。乱れた顔も、涙目も、その声も……全部、私だけのものだ」
「っ、アルフォンスぅ……! おかしくなる……!」
「おかしくなってください。私の腕の中で、理性を溶かして……ただ私だけを求めてください」
ベッドが軋む。
視界が白くチカチカする。
私は彼の背中に爪を立て、彼にしがみついた。
もう、自分が自分じゃなくなるみたい。
でも、それが最高に気持ちいい。
「……愛してるわ、旦那様……っ!」
「……ッ!!」
私の言葉に、彼が限界を迎えた。
彼は獣のような低い唸り声を上げ、最後の一突きを深々と打ち込んだ。
「エルカッ!!」
「あぁぁッ!!」
視界が弾ける。
世界が彼の色に染まる。
私たちは固く抱き合い、お互いの存在を魂に刻み込むように、果てた。
事後。
私はぐったりとベッドに沈んでいた。
体は重いけれど、芯から満たされたような、とろとろの幸福感に包まれている。
「……大丈夫ですか、エルカ」
隣に寝転んだアルフォンスが、汗で張り付いた私の髪を優しく払ってくれた。
眼鏡はどこかへ飛んでいき、素顔の彼は、満足げで、そしてどこか誇らしげだった。
「……うん。……溶けた」
「ふふ。可愛い人だ」
彼は愛おしそうに、私の首筋に残る赤い痕――キスマークを指でなぞった。
「こんなに痕をつけてしまった。……やはり、手加減できませんでした」
「……いいよ。これ、あんたの愛の証拠でしょ?」
私が微笑むと、アルフォンスは一瞬息を呑み、
それから困ったように笑った。
「……そんなことを言って。……まだ、私を煽るのですか?」
「……え?」
見ると、彼のアイスブルーの瞳には、まだ消えていない情欲の炎がゆらめいている。
むしろ、一度満たされたことで、さらに飢餓感が増しているようにも見える。
「ちょ、ちょっと? まだやるの?」
「当然です。……最初に言いましたよね? 『壊れるまで』と」
「うそ……私の腰が死んじゃう!」
彼は覆いかぶさり、私の耳元で甘く囁いた。
「ご安心を。私の回復魔法とマッサージ技術で、何度でも蘇らせて差し上げます。……今夜は長いですよ、奥様」
「……鬼! 悪魔! 変態!」
「はい、貴女の夫です」
彼は嬉しそうに私の唇を塞いだ。
ナラ・エンの夜は長い。
新婚夫婦の甘くて激しい宴は、太陽が昇るまで、まだまだ終わらないようだった。
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