第108話「魔女の休日、湯煙の甘い罠」
◆ 更新スケジュール ◆
この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。
「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。
『クライン薬局・診療所』の開業以来、私たちは目の回るような忙しさに追われていた。
石化病の治療、風邪の流行、そして「銀髪の執事様」目当ての女性客の対応(これらはアルフォンスが物理的に排除したが)。
充実してはいるものの、さすがの私も少し疲れが溜まっていた。
「……ふあぁ」
休日の午後。
塔のリビングで、私はソファに溶けるように寝そべっていた。
膝の上には黒猫のノワール。
彼もまた、私の気怠さが伝染したのか、とろーんとした目で喉を鳴らしている。
「……温かいわね、ノワール」
撫でてみると、ノワールの体がいつもよりポカポカしていることに気づいた。
というか、少し湿っている?
「ん? どこ行ってたの?」
「みゃあ」
ノワールは窓の外、塔の裏手に広がる岩山の方角を前足で指し示した。
そこは霧が深く、人が立ち入ることのできない険しいエリアだ。
「……裏山?」
「おや。ノワールの毛皮から、微量ですが『高純度の魔力水』の反応が検出されます」
いつの間にか背後に立っていたアルフォンスが、
ノワールをひょいと持ち上げ、眼鏡を光らせて観察していた。
彼はクン、と鼻を鳴らす。
「……硫黄の臭いはありません。代わりに、古の精霊力が溶け込んだ甘い香りがします。……これはもしや」
アルフォンスの目が、探求者のそれになった。
「エルカ。少々、調査に行ってまいります」
「え、私も行く」
「いいえ。貴女はここで休んでいてください。……もし私の予想が正しければ、貴女にとって最高のご褒美が見つかるかもしれませんから」
彼は意味深に微笑むと、風のように窓から飛び出していった。
それから数時間が経過した、夕暮れ時。
戻ってきたアルフォンスは、かつてないほど興奮した様子で、燕尾服の袖を捲り上げていた。
「エルカ! 大発見です!」
「な、なによ藪から棒に」
「裏山の岩盤の奥に、伝説の『魔力回復の秘湯』が湧き出ていました! 古文献にしか記述のない、浸かるだけで魔力回路を修復し、肌を陶器のように磨き上げる奇跡の泉です!」
「へぇ、すごいじゃない」
「ええ! ですが、現状ではただの野湯です。苔は生え放題、落ち葉は浮き放題、岩はゴツゴツして座り心地最悪……。貴女の柔肌を浸すには、あまりに環境が劣悪すぎます」
彼は眼鏡をクイッと押し上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「……ですので。今夜一晩で、私が『リフォーム』いたします」
「はい?」
「明日の朝を楽しみにしていてください。貴女を天国へご案内しますよ」
そして、翌朝。
私はアルフォンスにお姫様抱っこをされ(「足裏保護のためです」と言い張られた)、裏山へと連れて行かれた。
霧の深い森を抜け、岩肌をくり抜いたような隠れ道を進んだ先に、その場所はあった。
「……嘘でしょ」
そこには、昨日までは存在しなかったはずの、
総檜造りの美しい露天風呂が完成していた。
滑らかに削り出された木枠。
足元には、汚れ一つない白玉砂利が敷き詰められている。
周囲は断崖と深い霧に囲まれ、鳥さえも近づけない天然の密室だ。
湯船には乳白色のお湯がたっぷりと満たされ、
湯気と共に、花の蜜のような甘く神秘的な香りが漂っていた。
「一晩で、これを作ったの?」
「はい。木材の伐採、加工、組み上げ、そして源泉の濾過システム構築まで。……貴女のためなら、この程度の土木工事、朝飯前です」
アルフォンスは涼しい顔で言い放ち、私を脱衣所の藤椅子に降ろした。
「さあ、エルカ。……服を」
彼の手が、私のドレスの背中のファスナーにかかった。
もはや、恥じらいなどない。
彼の魔法のような手つきで、ドレスが、下着が、一枚ずつ剥ぎ取られていく。
朝の冷気の中、露わになった肌に、彼の熱い視線が突き刺さる。
「……美しい。やはり貴女の肌は、最高級のシルクよりも滑らかだ」
彼はうっとりと呟き、私を抱き上げると、そのまま湯船へと運んだ。
チャポン……。
温かいお湯が、体を包み込む。
とろりとした肌触り。芯から凝りが解けていくような極上の感覚。
「……はぁ……気持ちいい……」
私は思わず吐息を漏らし、檜の縁に頭を預けた。
魔力を含んだ蒸気が、毛穴から染み込んでくるようだ。
「お気に召しましたか?」
「うん、最高。……極楽だわ……」
私が目を閉じていると、背後でチャプ、と水音がした。
気配が変わる。
いつもの衣擦れの音がしない。
目を開けて振り返ると――そこには、一糸纏わぬ姿のアルフォンスが、湯船に入ってくるところだった。
「……っ」
月明かりのような銀髪。
湯気に濡れた、白い肌。
無駄な肉が一切ない、彫刻のように引き締まった肉体。
普段は燕尾服に隠されているその肢体を、今は何も隠さずに晒している。
「……見すぎですよ、エルカ」
「……だ、だって……」
彼は悪戯っぽく微笑みながら、私の隣に腰を下ろした。
肌と肌が触れ合う。
お湯越しでも分かる、彼の体温と筋肉の感触。
「……誰も来ませんよ」
彼は私の肩を抱き寄せた。
「ここは断崖の奥深く。霧が私たちを隠してくれている。……結界など張らなくても、ここは世界から切り離された二人だけの楽園です」
「……うん」
「さあ、背中を流しましょう。……じっとしていてください」
彼の手が、石鹸の泡と共に私の背中を滑る。
大きく、ゴツゴツとした男の手。
でも、その動きは壊れ物を扱うように繊細で、
優しい。
うなじから背骨、そして腰のくびれへ。
「……んぅ……そこ、気持ちいい……」
「最近、頑張りすぎです。筋肉が張っている」
彼は私の肩を揉みほぐしながら、首筋にチュッとキスをした。
お風呂の熱気と、彼の唇の熱さで、頭がくらくらする。
一通り洗ってもらった後、私はふと思い立って振り返った。
「ねえ、アルフォンス」
「はい?」
「次は、私の番」
私は彼の手から手ぬぐいを受け取った。
「あんたの背中も、流させて」
「……えっ?」
アルフォンスが、珍しく目を丸くして固まった。
眼鏡が少し曇っている。
「い、いえ、滅相もありません! 主人に体を洗わせるなど、執事として……」
「今は夫婦でしょ? ……ほら、背中向けて」
私が強引に促すと、彼は「……うぅ」と嬉しそうな、困ったような声を漏らしながら、ゆっくりと背中を向けた。
広い背中だ。
筋肉が盛り上がり、白くて綺麗な肌。
傷一つないのは、彼が圧倒的に強すぎる証拠だ。
でも、その背中が、私の手ぬぐいが触れた瞬間、ビクリと可愛らしく震えた。
「……あ……」
「どう? 力強くない?」
「……いいえ。……最高です」
彼の声が上擦っている。
「貴女の小さな手が……私の背中を。ああ、これぞ至高の幸福……。このまま石鹸になって泡と消えてしまいたい」
「消えないでよ」
私はクスクス笑いながら、彼の銀髪にも泡をつけた。サラサラの髪。
指を通すと、気持ちよさそうに目を細める彼の横顔が見える。
「……いつも、守ってくれてありがとうね」
「……当然のことをしているまでです」
「ううん。この背中におんぶされた時、すごく安心したの。……だから、お礼」
私は彼の背中に、ぎゅっと抱きついた。
泡だらけの背中に、私の胸とお腹を密着させる。
「……ッ!!?」
アルフォンスが硬直した。
心臓の音が、ドクン、ドクンと背中越しに伝わってくる。
「……エ、エルカ……?」
「……大好きよ、アルフォンス」
その言葉が、引き金だった。
バシャッ!!
次の瞬間、世界が回転した。
アルフォンスが振り返り、私を抱きすくめ、
そのまま湯船の縁に押し倒したのだ。
泡がついたままの体で、彼は私を貪るように見つめている。
その瞳は、情熱と独占欲でとろとろに溶けていた。
「……もう、限界です」
彼の熱い息が顔にかかる。
「そんな可愛いことをされて……理性を保てるはずがない」
「……アルフォンス……」
「泡ごと……貴女を食べてもいいですか?」
返事をする間もなく、唇が塞がれた。
お湯の中、裸の体同士が密着し、擦れ合う。
隠すものなど何もない。
彼の硬い胸板も、情熱的な反応も、すべてがダイレクトに伝わってくる。
「……んッ……あ……」
深いキスの合間に、彼の手が私の体を愛撫する。
お湯の音と、水濡れた肌が触れ合う音だけが、
霧の森に響く。
甘くて、熱くて、頭が溶けそうだ。
ひとしきり愛し合った後。
私たちは肩を並べてお湯に浸かり、ぼんやりと空を見上げていた。
霧が晴れ、満天の星空が広がっている。
アルフォンスは私の左手を取り、水中から引き上げた。そして、濡れた薬指に、恭しく口づけを落とした。
「……エルカ」
「なぁに」
彼は濡れた銀髪をかき上げ、真剣な眼差しで私を見つめた。
「一つ、提案があります」
「提案……?」
彼は居住まいを正し、湯船の中で跪くようにして、私の手を取った。
「私たちは、あのゴミ屋敷を出て、共に生きることを誓いました。……事実上の夫婦として、日々を過ごしています」
「……うん」
「ですが、私は欲張りなのです。もっと確かな、永遠に消えない『契約』が欲しい」
彼の瞳が、星空よりも美しく揺れていた。
「結婚式を、挙げませんか?」
「……えっ?」
予期せぬ言葉に、私は目を見開いた。
「け、結婚式って……あの、ドレス着たりする……?」
「はい。ナラ・エンには、古くから伝わる『神木』があります。その前で誓いを立てた二人は、魂が尽きるまで……いえ、輪廻転生してもなお、結ばれ続けると言われています」
彼は私の手を、両手で包み込んだ。
「貴女を、誰にも渡したくない。神にすら、貴女の所有権を主張したいのです」
「アルフォンス……」
「明日は、吉日です。もし貴女が許してくださるなら、二人だけの……ささやかで、世界一重い結婚式を挙げさせていただけませんか?」
湯気で滲む視界の中、彼の表情はどこまでも真摯で、そして愛に溢れていた。
こんな風に見つめられて、断れるわけがない。
いや、私だって望んでいたのだ。
彼との、永遠の証を。
「……うん」
私は涙で潤んだ目で、微笑んだ。
「……挙げる。……あんたのお嫁さんに、して」
「……ッ!!」
アルフォンスの顔が、歓喜に歪んだ。
彼は勢いよく私を抱きしめ、湯船のお湯が盛大に溢れ出した。
「ああ……エルカ! 愛しています! ありがとう、ありがとう……!!」
「ちょ、アルフォンス! お湯がなくなる!」
「構いません! 私の涙で満たしますから!!」
「汚いってば!」
私たちは笑い合い、そしてまた深く口づけを交わした。
湯煙の向こう。
静寂の森の中で、私たちの甘い時間は、お湯が冷めることを知らずに続いていった。
明日は、きっと最高の日になる。
この重すぎる愛を、永遠のものにする日が来るのだから。
読んでくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。




