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第106話「守護鬼への手紙、妻の嫉妬」

◆ 更新スケジュール ◆


この作品は、平日は毎日21時、土日祝は8時と21時に更新しています。

「続きが気になる」と思っていただけたら、ブクマで応援していただけると励みになります。

『クライン薬局・診療所』がナラ・エンの森の入り口に開院してから、二週間が経過した。

先日、石化病の少年を救った一件以来、私の評判はうなぎ登りだった。

「森の賢者様」「奇跡の魔女」……そんなこそばゆい二つ名で呼ばれることも増え、診療所は連日大盛況だ。


けれど。 最近、どうも客層がおかしい。


「……ねえ、アルフォンス」


「はい、エルカ。ハーブティーのおかわりですか?」


午後の診療の合間。 私はカウンターのベルベットの椅子に座り、不満げに頬を膨らませていた。

背後には、今日も完璧にアイロンがけされた白衣(下は燕尾服)を纏った、銀髪の夫が控えている。


「違うわよ。……見て、あの行列」


私が顎で示した先――ガラス戸の向こうには、

十数人の女性客が列をなしていた。

それも、明らかに病気ではなさそうな、着飾った若い女性ばかりだ。

彼女たちの視線は、薬を調合する私ではなく……私の背後に立つ、冷徹な美貌の執事に熱烈に注がれていた。


「キャー、今日も素敵……!」

「あの冷たい目がたまらないわよね……」

「銀色の髪、触ってみたい……」


ガラス越しでも聞こえてくる、黄色い声援。

そう。私の腕が評価されると同時に、この診療所にはもう一つの「名物」が誕生していたのだ。

それが、鉄壁のガードで魔女を守る『銀の守護鬼』――アルフォンス・クラインである。


「……鬱陶しいですね」


アルフォンスは眉ひとつ動かさず、氷点下の声で呟いた。


「あの女たち、呼気中の二酸化炭素濃度が高すぎます。化粧品の粉末も飛散している。……エルカの呼吸器系に悪影響を及ぼす前に、全員まとめて風魔法で森の外へ吹き飛ばしましょうか?」


「ダメに決まってるでしょ。……商売あがったりよ」


私はため息をついた。

彼は本気で彼女たちを「汚染源」としか見ていない。そのことは分かっている。

分かっているけれど――。


カランコロ〜ン。 昼休みのアナウンスをしようと、私が入り口の看板を裏返しに行った時だった。 ドアノブに、また「それ」が掛かっていた。


リボンで飾られた、ピンク色のバスケット。

中には、綺麗に包装されたクッキーや、刺繍入りのハンカチ、そして……大量の封筒が入っている。


「……まただ」


私はバスケットを手に取り、診療所の中に戻った。 封筒からは、安っぽい香水の匂いが漂ってくる。 宛名には、達筆な文字でこう書かれていた。


『麗しの守護鬼様へ』

『愛しの銀髪の貴公子様へ』


ファンレター。いや、もっと直接的なラブレターだ。 ここ数日、診療所の入り口や、森の結界の境目に、こうした贈り物が置かれるようになった。

すべて、アルフォンス宛てだ。


「……ふん」


私はバスケットをカウンターにドンッ! と置いた。

胸の奥が、チリチリと焼けるように痛い。

今まで、アルフォンスは私だけのものだった。

汚らわしいゴミ屋敷にいた頃から、彼だけが私を見つけ出し、磨き上げ、愛してくれた。

彼の視界には私しかいないし、私の世界も彼で埋め尽くされている。


それが当たり前だと思っていた。

でも、彼は客観的に見れば、国を傾けるほどの美貌と、万能な能力を持った超優良物件なのだ。

私が独占していていいのだろうか。

もっとふさわしい、家事もできて、上品で、彼の手を煩わせない女性がいるんじゃないだろうか。


「……エルカ? どうされましたか? そのように眉間に皺を寄せては、美しいお顔が台無しですよ」


アルフォンスが心配そうに覗き込んでくる。

彼から漂う、レモンと蜜蝋の清潔な香り。

それが、手元の手紙から漂う甘ったるい香水と混ざり合い、私の不快指数をマックスに押し上げた。


「……これ」


「はい?」


「あんた宛てよ。……読んでみれば?」


私は封筒の束を、彼に突き出した。


「……私に?」


アルフォンスはきょとんとして、白い手袋をはめた指先で封筒を摘み上げた。

そして、宛名を見た瞬間――。


ピキッ。


彼の表情筋が凍りついた。


「……『貴公子様』……だと?」


絶対零度。

診療所内の気温が一気に十度下がった気がした。


「……汚らわしい」


彼は吐き捨てるように言った。


「どこの馬の骨とも知れぬメス猫が、私の神聖な名前に、その不潔なインクで触れるなど……。万死に値する」


彼は封筒を汚物のように指先でつまみ、ゴミ箱へ捨てようとした。

いつもなら、それで「さすが潔癖症」と笑って終わる場面だ。でも、今の私は虫の居所が悪かった。


「……読まないの?」


「読む価値などありません。紙資源の無駄遣いです」


「でも、中には『あなたの銀髪に触れたい』とか『一度でいいからお食事を』とか書いてあるかもしれないわよ? あんたのこと、素敵だって思ってる人がたくさんいるのよ」


私の口から、止めどなく嫌味な言葉が溢れてくる。

自分でも驚くほど、声が震えていた。


「……私なんかより、ずっと上品で、掃除も洗濯もできる綺麗な人が……あんたのこと待ってるかもね」


「……エルカ?」


アルフォンスの手が止まった。 彼はゴミ箱へ向かおうとしていた足を止め、ゆっくりと私の方へ向き直った。 銀縁眼鏡の奥の瞳が、驚愕に見開かれている。


「……今、なんと?」


「だから! あんたはモテるって言ってるの! 私みたいなズボラな魔女の世話なんかやめて、そういう『普通に』素敵な人のところに行けばいいじゃない!」


言ってしまった。 最悪だ。

こんなこと、これっぽっちも思っていないのに。

彼がいなくなったら、私は一日たりとも生きていけないのに。目頭が熱くなり、視界が滲む。


私は逃げるように背を向け、調剤室へ籠ろうとした。


ガシッ!!


「……っ!」


背後から、強い力で抱きすくめられた。

アルフォンスの腕が、私の腰と肩をガッチリとロックしている。 彼の体温が、背中越しに熱く伝わってくる。


「……離して。仕事に戻るから……」


「いいえ、離しません」


耳元で聞こえる彼の声は、なぜか震えていた。

怒っているのだろうか。

理不尽な八つ当たりをした私に、愛想を尽かしたのだろうか。

怖くて、私は目を瞑った。


「……ククッ、……フフフッ……!」


「……え?」


聞こえてきたのは、怒声ではなく、押し殺したような笑い声だった。


「……ああっ、素晴らしい……! なんという甘美な響きでしょうか……!」


アルフォンスは私の首筋に顔を埋め、深々と息を吸い込んだ。


「エルカ。貴女、もしかして……『嫉妬』してくださっているのですか?」


「……はぁ!?」


私は慌てて振り返ろうとしたが、彼の拘束は緩まない。


「否定しないでください。その潤んだ瞳、紅潮した頬、そして棘のある言葉……。すべてが、貴女の独占欲の証明だ!」


魔力のパスを通して、彼の脳内の絶叫が流れ込んでくる。


(神よ! 感謝します!! あのズボラで、されるがままだったエルカが! 『私を他の女に取られたくない』と思ってくれた! 私の価値を、所有物として再認識してくれた!! ああっ、最高だ! この手紙を書いたメス猫たちには、一周回って感謝状を贈りたい気分だ! いや贈らないけど! 焼却処分するけど!!)


「……ち、違うわよ! ただ、仕事の邪魔だから……」


「嘘ですね。貴女の心臓の音は、こんなにも激しく私を求めている」


彼は私の体を反転させ、カウンターに押し付けた。 至近距離。

彼のアイスブルーの瞳は、歓喜と情欲でギラギラと燃え盛っている。


「……あの手紙の山を見た時、胸が痛みましたか? 私が他の誰かのものになる想像をして、怖くなりましたか?」


「……うるさい」


「言ってください。……私が欲しいと。私以外いらないと」


彼の指先が、私の唇をなぞる。 その甘くねっとりとした誘導尋問に、私は完敗した。

どうせ、彼には何も隠せない。


「……そうよ。嫌だったの」


私は彼の胸元、燕尾服のラペルを強く握りしめた。


「あんたは……私の執事でしょ。私の夫でしょ。……他の誰かに、あんたの綺麗な髪とか、冷たい目とか、……優しい手とか、知られたくない」


私は上目遣いで彼を睨んだ。


「あんたは、私だけのものよ。誰にも渡さない」


その瞬間。 アルフォンスの理性の糸が、プツンと音を立てて切れた。


「…………ッッッ!!!!」


彼は言葉にならない悲鳴を上げ、私を抱きしめる力を極限まで強めた。肋骨が軋むほどに。


「ああ……あぁ、エルカ! 愛しています、崇拝しています、私の女神!!」


彼は私の顔中に、雨あられとキスを降らせた。

額に、頬に、瞼に、鼻先に。


「貴女だけのものです! 私の髪の一本、爪の先、流れる血液の一滴まで、すべて貴女に捧げられています! 他の女など、私にとっては路傍の石ころ以下の有機物! 視界に入れる価値すらありません!」


彼は興奮のあまり過呼吸気味になりながら、

カウンターの上のバスケット――嫉妬の原因となったファンレターの山を睨みつけた。


「……さて。貴女を不安にさせた、この不浄なゴミどもですが」


彼は片手をかざした。

その掌に、青白い浄化の炎が渦巻く。


「――塵へと還れ。絶対焼却アブソリュート・インシネレーション


ボオォォォォォォッ!!


一瞬だった。 ファンレターの山は、青い炎に包まれ、煙すら上げずに原子レベルで消滅した。

後に残ったのは、綺麗なままのバスケットだけ。


「あーあ。バスケットごと燃やすかと思った」


「バスケットは洗浄すれば使えますからね。貴女が摘んだ薬草を入れるのに使いましょう」


アルフォンスは涼しい顔で炎を消すと、再び私に向き直った。

その顔には、憑き物が落ちたような、それでいて粘着質な笑みが張り付いている。


「これで、障害物は消えました。……ですが、私の心火は消えそうにありません」


「……え?」


「貴女の可愛すぎる嫉妬のせいで、私の理性が焼き切れました。……責任、取っていただきますよ?」


彼は私の膝裏に手を回し、軽々と持ち上げた。

「お姫様抱っこ」だ。


「ちょ、アルフォンス!? まだ昼休み中……」


「診療所は臨時休業です。……午後は、『夫婦の愛の再確認』の時間に充てさせていただきます」


彼はスタスタと奥の居住区――そして塔へと続く転移扉へと向かう。


「待って! 患者さんが来るかも……!」


「結界を張りました。『本日は猛獣(私)が出没したため休診』と看板も出しました」


「猛獣って……」


「ええ、今の私は飢えた獣です。貴女という餌を、骨の髄まで味わい尽くすまでは止まりませんから」


彼は私の首筋に、ガブリと甘噛みした。

所有の証。 痛くて、熱くて、甘い。


「……覚悟してくださいね、私の愛しい独占欲の化身よ」


扉が閉まる。 こうして、守護鬼へのファンレター騒動は、私の完敗と、アルフォンスの重すぎる愛の勝利によって幕を閉じた。

……まあ、彼がこんなに嬉しそうなら、たまには嫉妬してみるのも悪くないかもしれない。

明日の朝、私がベッドから起き上がれる保証はどこにもないけれど。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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