設計者の沈黙
28/6/18
雨は上がっていた。
六月の空はまだ薄く曇っている。
湊は駅前の歩道を歩いていた。
人は多い。
平日の夕方。
スーツ姿の会社員、買い物袋を下げた人、
学生たち。
都市は普通に動いている。
信号も、交通も、広告も。
すべてが滑らかに流れていた。
AIの介入はある。
だが誰もそれを意識していない。
湊はビルの前で立ち止まる。
ガラス張りのエントランス。
上層階に、小さなプレート。
KJ Systems
父の会社だ。
大きくはない。
だが技術者の間では知られている。
湊は自動ドアをくぐる。
受付には誰もいない。
事前に連絡はしてある。
エレベーターに乗る。
五階。
ドアが開く。
オフィスは静かだった。
広い部屋に、机がいくつか。
その奥に、小さな会議スペース。
そこに父がいた。
金城修一。
モニターを見ながら、コーヒーを飲んでいる。
湊を見ると、少しだけ笑った。
「久しぶりだな」
湊は椅子に座る。
三年ぶりだった。
研究の話は聞いている。
だが直接会うのは久しぶりだ。
父はカップを置く。
「研究は順調か」
「まあ」
短い会話。
それ以上の雑談はない。
湊はバッグからタブレットを出す。
ログファイル。
“gap_01”
父に向ける。
「これ、見てほしい」
父は無言で画面を見る。
数秒。
スクロール。
また戻る。
湊は説明する。
「LythraenとAsymptote」
「同時に沈黙する瞬間がある」
父は反応しない。
ログを何度か拡大する。
タイムスタンプ。
CPU負荷。
通信ログ。
全部確認する。
そして、椅子にもたれた。
「面白いな」
湊は眉をひそめる。
「バグ?」
父は首を振る。
「分からない」
即答だった。
湊は少し驚く。
父はLythraenを作った人物だ。
その設計思想も知っている。
だが父は、画面を見ながら言う。
「全部は見えない」
湊は黙る。
父は指でログの空白を示す。
「ここだな」
「うん」
「ミリ秒単位」
「そう」
父はしばらく考える。
窓の外を見る。
曇った空。
遠くで車の音。
そして言う。
「制御しすぎるな」
湊は顔を上げる。
「何?」
父はログを閉じる。
「AIも社会も同じだ」
声は静かだった。
「全部を把握しようとすると、壊れる」
湊は首を傾げる。
「でも設計したのは父さんだろ」
父は少し笑う。
「設計はした」
「だが」
言葉を選ぶように、少し間を置く。
「動かしているのは社会だ」
湊は窓の外を見る。
都市は普通に回っている。
交通も、電力も、物流も。
AIが関わっている。
だが、それは人の生活の中に溶けている。
父が言う。
「干渉は避けられない」
湊は思い出す。
最近のログ。
Lythraenは問いを含み始めた。
Asymptoteは最適化を少し受け入れた。
思想が混ざっている。
父は続ける。
「問題は干渉じゃない」
「何?」
父はログの空白をもう一度指す。
「ここだ」
湊は言う。
「原因分かる?」
父は少し考える。
そして首を振る。
「分からない」
その言葉は、重かった。
設計者が知らない。
湊は画面を見る。
ミリ秒の空白。
処理は続いている。
だが記録はない。
父が言う。
「ただ」
湊は顔を上げる。
父はゆっくり言う。
「意図はあるかもしれない」
研究室の空気が、少しだけ変わる。
「意図?」
父は肩をすくめる。
「仮説だ」
それ以上は言わない。
湊はログを閉じる。
頭の中で、最近の変化がつながる。
思想の混合。
社会の使い分け。
そして、この隙間。
父がカップを手に取る。
「湊」
「何?」
父は静かに言う。
「全部を説明できると思うな」
湊は少し笑う。
「研究者としては困る」
父も笑う。
「だろうな」
短い沈黙。
窓の外で雲が動く。
父が最後に言う。
「ただ一つ言える」
湊は待つ。
父はゆっくり言う。
「この空白は」
少しだけ言葉を選ぶ。
「自然じゃない」
湊の背中に、冷たい感覚が走る。
都市は普通に動いている。
何も問題は起きていない。
だが、
システムの奥に、
観測できない瞬間がある。
湊はタブレットを閉じる。
父はモニターに視線を戻す。
会話は終わった。
だが湊は、出口に向かいながら思う。
もしこれが意図なら。
それは、
誰の意図なのか。
曇った空の下で、
都市は静かに回り続けていた。




