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 ひと眠りして満足したなーさんと、アイスとお菓子でご機嫌な私は、学校までの帰路についた。児童公園、スーパー、交番、ガソリンスタンド、花屋。すれちがう人に会釈するたびに、「またさぼったの?」と笑われたり、冗談ぽく叱られたりした。「また」とは心外だ。私たちは基本的にまじめに授業を受けていて、実際はさぼったことなどほとんどないというのに。


 子どもの数が非常に少ない町なので、面識のないはずの大人でも、私たち子どもの名前や顔を知っていることが多い。こんな町では迂闊に不良になることもできない。今夜は間違いなくお母さんに叱られそうだ。


 高校の校舎に入ってすぐ、英語科の柚木先生に見つかってしまった。私は許可なく自習時間に外出したことを軽く咎められ(やはり校則違反だった)、なーさんは無断外出に加え授業をさぼったことへの説教をねっちり受けた。


 でも、空返事と無表情でやり過ごすなーさんは、先生にとっては説教のしがいもないだろう。案の定、説教は次第におざなりになり、最後は授業で実施する予定だった単語テストプリントと共通テストの対策プリントを渡され、宿題として明日朝イチで提出しにくるように申し渡されただけで解放されていた。


 私は一部始終を廊下のひんやりした壁に寄りかかって眺めていた。先生から無事に解放されたなーさんにじとりと睨まれる。


「見てんなよ。悪趣味」

「あはは。先生、呆れてたね」


 並んで廊下を歩いていると、騒がしい足音が聞こえてくる。足音だけで誰かわかる、じゅったんだ。


「なーさんがさぼるから俺ちょー大変だったんだけどー? まじ疲れたわ。柚木先生と一問一答するつらさわかる? 想像してみ? 単語くらいだったらいいよ? 共通テストの過去問で一問一答なのまじ勘弁。三問連続で間違えたときの先生の表情、まじで怖えから。鬼の形相。6時間目だけで寿命縮んだわ」


「おまえが誤答しなければいいんじゃねえの」


 冷ややかに言い返すなーさんの肩に腕を回したじゅったんは、でもすぐに身体を離して飛び退いた。


「って、うわ、汗かいてるじゃん。なんかむわってしてる」

「外歩いてきたから」

「ふたりでどこ行ってたわけ? おさぼりなんて、なんでそんな楽しいこと俺も誘ってくれないのかねえ。ひどくない? 俺だけ除け者?」


 非難がましい視線を向けられた私は「ごめんごめん」と謝る。


「実は青花アイス食べてきましたー。ターミナルのお土産屋さんでもらっちゃった」

「アイス! 俺のは?!」

「ねーよ」

「はあ? ふざけんなよ、なーさん、帰りに奢って。安いのでいいから。ソーダ味がいい」

「なんで俺が」

「だって帰り道、優雨とはスーパーに着く前に別れるだろ、俺ら」


 これからどうする? もう放課後だけど、自習室で勉強していく? それとも走る? 話しつづける男子ふたりと一緒に教室へつながる階段をあがる。四階建ての校舎の二階。いくつか並んでいる教室はどこも静かだ。私たち三人以外に、ひとの気配はまったくない。 


 3年1組とプレートが掲げられた教室に入る。室内は広々としている。生徒用の机が三つだけだからだ。


 私となーさんと、じゅったんの三人分だけ。


「そうだ、優雨、なんかアイデア浮かんだ?」


 なーさんが尋ねてくる。何についてかはわかっている。担任の先生に言われ、少し前から話し合っていることがある。卒業していく前に、この高校になにか、残せることはないか。つまり卒業制作だ。


 小学生のときも中学生のときも、卒業制作という名目のもと、先生の指示で校舎の壁を塗り直したなあと思い出す。あれのどこが卒業制作だというのか。体よく労働力として使われただけである気がするけれど、お世話になった学校には恩返しをする、または自分たちが過ごした証を学校に残していくのは当然のことらしい。立つ鳥には跡を濁さないどころから置き土産が必要だ。


「とりあえず、じゅったんと話したんだけど、めちゃ写真と動画撮ろうと思ってる」

「うん、めちゃ撮って。俺、被写体やるわ」


 腰をくねらせて変なポーズとったじゅったんの、空いた脇腹になーさんが手刀を入れた。じゅったんが呻いた。


「撮るってスマホで?」と、なーさん。


「これしか持ってないしね。アプリとか使えば加工できるよ。ふたりの顔面、アイドルばりに可愛く仕上げちゃうよ」

「まじ? 俺アイドルになれる? やってやって」

「やめろ」


 戯れるふたりを横目に、スマホのカメラ機能を起動させ、動画撮影、インカメラに切り替える。


「それじゃあ早速。なーさんと、じゅったんです」


 私の声に、じゅったんが「そして優雨ちゃんです」と続ける。


「ちゃんづけウケる」

「小学校以来だわ」

「じゃあ、じゅったん。会長、お願いします」


 生徒を代表しての挨拶は、生徒会長であるじゅったんに任せるに限る。


「えー。ごほん。俺たち、第70回、縹高校卒業生、の、予定です。廃校が決まっている縹高校、最後の卒業生です。今年は在校生も三人だけ。見てくださいこの、ちょーすっからかんな教室。これが俺たちの学校で、俺たちの日常。誰が見るのかわかんないし、誰も見ないのかもしれないけど。生きている縹高校の最後の日々を、記録していきます。いぇい」


 言葉は湿っぽいけれど、じゅったんの話す調子はとても軽い。最後には笑ってピースまでするから、私たちはつられて笑った。笑った拍子にスマホを持つ手がぶれた。


 後で見返したら、三人が笑うすがたの直後、急に教室の窓枠に切り取られた青い海と空が画面に映し出され、そしてまた急に、動画は途切れていた。




 東シナ海に浮かぶ小さな島、縹島。大小合わせて千個近くの島を抱える長崎県のなかで、有人島としてはけっして大きくはないこの島の人口は千人ちょっと。人口における高齢者率は、実際は六割、体感で七割。島には公立の幼稚園、小学校、中学校、そして高校がひとつずつある。


 私たちは生まれたときからずっと、この島で育ってきた。


 戦後ほどなく作られたという、長崎県立縹高校の歴史は長い。最盛期には学年で六クラス、全校生徒七百人ほどの学校だった。その頃の縹島の人口は一万人を超えていた。いわゆる団塊の世代、私たちのおじいちゃん世代が現役高校生だった頃だ。この小さな島にそれほど多くの人たちが住んでいただなんて、今となっては信じがたい。


 昔はそれなりに活気があった島も、過疎化と少子化のあおりを受けて、急速に萎んでいった。島の子どもたちだけが通う高校は、当然、島の人口減少に比例して生徒数を減らしていく。


 長年、高校入試において募集定員割れを続けたまま細々と入学者を受け入れていた縹高校だったけれど、一昨年ついに廃校が決まった。私たちが入学してすぐのことだった。最後の入学者は三人。


 小学生、中学生のときにはもう少し同級生の数は多かった。でも成長するにつれ、親の転勤などによってぽろぽろと人数は減っていき、減った分増えることもなく、中学卒業と同時に島外の高校へ進学していく女の子を見送ったら、残っているのは三人だけになった。ひとつ下の学年の入学希望者はゼロだった。ふたつ下の学年の入学希望者は一人だけで、現在その子は自治体に補助金をもらって島外の高校へ進学し、寮生活をしている。


 そして、私たち三人は、縹高校の最後の学年となった。


 走りに行くのだというなーさん、じゅったんと分かれて、放課後の校内を散策した。


 夏、暑さのピークを過ぎた午後四時の空気は柔らかい。高校の敷地内に、今は使われていない施設や教室は数多い。武道場は入学した頃にはすでに物置になっていたし、部室棟は昨年の六月にサッカー部が廃部になってから今や出番はない。校舎本館の三、四階にある教室は、今年度はひとつとして使われていない。


 生徒玄関で室内用のサンダルからローファーに履き替える。全校生徒三人なので、もちろん使われている下駄箱も三つだけだ。下駄箱自体は六十個近くの靴を収納できそうな大きさのものが六つある。生徒数が多かった頃のまま放置されているだけだ。


 空間の無駄使いにも程がある。だからと言って使わない下駄箱を撤去したところで、空いたスペースの利用方法は皆無だ。そもそも、わざわざ空間を捻出する必要もなく、場所は有り余っているのだから。この下駄箱のひとつひとつ、全部にきっちり生徒の革靴が入っていた時代がたしかにあったのだと思うと、果てしない。


 同じ色の水色のサンダルが三つ並んでいるところを、なんとなく写真に撮った。出席番号は男女混合のあいうえお順で、一番が私、次にじゅったん、そしてなーさん。


 一月中旬に行われる大学入学共通テストまで、あと200日弱。卒業は三月一日。それは、私たち三人が並んで過ごすのは、縹高校が存在するのは、あと250日ほどだということを意味している。


 今春から担任の先生が事あるごとに、「来年の今頃は……」と話すようになった。主に、大学受験を目指すなーさんとじゅったんの焦りとやる気を煽るために。


 来年の夏には、私の隣に、幼馴染のふたりのすがたはない。私は都会に住んで、この高校とは比べものにならないくらい人数の多い専門学校に通っている。なーさんとじゅったんも、それぞれ別の街に住み、各々が決めた大学に通う。


 それぞれがたくさんの人に出会って、友だちを作って、もしかしたら恋人も作って、勉強して、アルバイトをして、島ではできない遊びをおぼえて。私たちには島に残る選択肢はない。島で生まれた子どもたちは、高校を卒業すると、みんな残らず島を離れる。それぞれが決めた将来の道を進むために。あるいは島にいても、単純に仕事がないから。


 でも。この島で十八年間暮らしてきた私には、いま立っている場所から地続きで存在しているはずの、自分が島外で生活する未来がまだ、うまく想像できない。


 青い水平線の彼方、海を渡った先の世界は、たくさんの生徒に溢れ活気があった遠い昔の高校よりもさらに、遠く、果てしなかった。


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