13王との謁見
13王との謁見
ロンの手当てを終えると、二人は近くの街へと駆けた。早馬を借りて旅を進めた。王の紋章のある宿屋、王党派の諸侯の城ではためらうことなく王の紋章を見せた。そうでないところでは、ロンが変じた黒竜の姿を見せれば十分だった。無論、追っていた小僧がまだ生きていたこと、それも、それが求めていた黒竜であったことも、北の教団の知るところとなった。だが、そんなことはどうでもよい。北の教団が諸侯を陥落させてしまう前に王城につき、王党派の諸侯を糾合し、教団を討たなければならない。駆け続けること七日、イサクの生まれた村と同じ、大陸の南、夏に乾燥する地域にやってきた。この地域では、夏は乾燥し、ほとんど雨はないが、秋から冬にはまとまった雨が降る。
さらに数日を駆け、王城の前を流れる大河のほとりへとやってきた。滔々と流れるそれは、まるで流れる湖のよう。渡し舟を頼み、東から西へ、大河を渡った。乾季で水量が減っているとはいえ、その川幅と流れに難儀した。
渡河を終え、イサクは目を見張った。西の方、山の斜面、東に向いて、巨大な街が朝日にきらめいていた。古の、名を言うも憚る冥王との戦いにも耐えた城。天突く尖塔が立ち並び、白亜の崖となった斜面を、白い壁に青みがかった灰褐色の屋根が葺かれた大小様々な建物が覆う。そして、それらは山を穿ち、宙に架かる回廊で結ばれている。その全体を、千丈と思われる城壁が取り囲んでいる。
「これが王城か」
きっと、これだけの城を築き、保つことができる王なら、その武力と威光で、北の教団へと攻め入ってくれるだろう。
二人は城門の前に立った。ロンは歩みを止め、城壁を見上げた。暫く目を瞑る。ロンの体が輝く。人の背丈の二倍ほどの大きさになったところで止まり、輝きはきらめきへと変わった。
城壁の警備に当たっていた人々がざわめいた。異常を知らせた伝令が王宮へと向かい、それが、今現れた黒竜が伝説の竜王の子であることが伝えられたのだろう。城壁に、山の斜面に歓声が響き渡った。門が開かれ、イサクたちは城内へと招き入れられ、王宮へと導かれた。
山の中を穿つ通路を、二人は案内されていった。通された部屋には、何着もの服が用意されていた。これから王に謁見するのに、泥まみれの衣服では失礼に当たるからだろう。正装に着替えさせられた。ぼろぼろの服を処分しようとする女官に、他の服では慣れずに戦いに障るのだと駄々をこねて、服は捨てないでもらうことができた。
イサクとロンの衣服を着せつけながら女官は言った
「王は大変なご老体です。くれぐれもご負担をお掛けなさいませぬよう」
まさか、とイサクは思った。王には戦陣の先頭に立って諸侯を率いてもらうことを考えていた。それが、謁見だけで体に障るようでは。イサクの中で一抹の不安が芽生え始めた。
再び衛兵に導かれて、玉座の間へと通された。夜空かと見まがうばかりの高い天井を持つその中央を通っていく。玉座の真正面に立ったイサクの周囲に、高官たちが集まり始めた。礼装に身を包んだ高官たちの足音が、布の擦れる音とともに近づいてくる。いや、何かがおかしい。先ほどの嫌な予感が当たってしまったようだった。近づいてくる足音が極端に少ない。七人分の足音と、その小臣が、イサクの両側に並び、腰を下ろした。振り返ると、一人の男が立ち上がり、話し始めた。
「私は元帥。将軍を率い、軍事を統帥している。こちらは」
細身の男が立ち上がる。
「右軍将軍、騎兵長を務めている。こちらは」
肩幅の広い、がっしりした男が立ち上がる。
「中軍将軍、歩兵長を務めている。こちらは」
若い、知性を感じさせる男が立ち上がる。
「近衛兵長、王の身辺を警護する。こちらは」
初老の、灰の髭をたくわえた男が立ち上がる。
「神官長であらせられる。王宮の神事と卜事を司られる。こちらは」
年を重ねた女がすらりと立ち上がる
「医官長、王の医務と、医術の研究を担う」
長身、がっしりした女が立ち上がる
「護民官、古からの役職で、市民の保護のため、王権の監視を行う」
「それでは、以上の参議により、謁見の議を行う」
「少し待ってください。今日参加される方々はこれだけですか?」
イサクは尋ねた。王といえば、数多くの群臣を従えているものではないのか。大諸侯ですら麾下の兵は多くいるのに。
「そうだが」
「右軍、中軍ということは、左軍もいなくてはでしょう」
「左軍将軍はこの数年来欠けてしまっている。登用しようにも、将校がもういないのだ。もはや主だった貴族や列臣は、北の教団との戦いに、あるいは教団側の諸侯との戦いに、またあるいは、謀叛をたくらむ諸侯の征伐に出払っている。いや、その多くが、討ち取られ、戦陣に斃れてしまっている」
「それでは」
「これ以上詮索しないでいただきたい。敵、いや、味方の大諸侯にも隠しているのだ。これらが明らかになれば、間違いなく、王位を簒奪しようと謀るものが現れよう」
鐘が鳴らされ、謁見が始まることが告げられた。イサクは跪き、顔を伏せた。イサクの中の不安と危機感はさらに強まった。玉座に歩んでくる足音は一人ではなく三人分、それも侍従を従えているのではない。二人は重い何かを抱えるような足音、そして、おそらく王だろうもう一人は、弱々しい足取り。二人に介助されてやっと玉座に着いた。顔を上げるよう言われ、イサクは視線を王に移した。玉座の王は、老いながらも、威光と気品があった。しかし、その身体は縮まり、節々が曲がり、病が重いことは明白だった。
「使者殿よ、よくぞここまで黒竜を連れてこられた。そして黒竜殿、よくここまで無事でおられた。黒竜殿は……」
「ロンと申します。私は記憶を失っておりました。それが、陛下の臣下の魔法使いの村に降り立ち……」
そう言って、ロンは今までの旅の経緯を話した。
「おお、それは黒竜、いやロン殿よ、どうか敬意を表させて頂きたい。失礼だが、使者殿とともにこちらへ。体がきかなくなっているので」
ロンとイサクは、玉座へと歩み寄った。老王はロンの手を取ると、その甲に接吻した。イサクは瞠目した。ロンも同じく目を見開いていた。この世の最高の権威とされる王が、子供に敬意を表しているからだけではなかった。王の左手、その薬指にはめられた指輪。黒光りするそれは、高貴な身分を示す金の指輪ではなく……、奴隷の身分を示す鉄の指輪だった。
「ああ、これか」
イサクとロンの驚きに気付いて、王は話し始めた。
「これはご覧の通り、下僕の指輪だよ」
「古の世、我ら王家の高祖の時代、人が鉄を手に入れたときの話だ。鉄器を使うことで、木を伐り、森を拓くのが格段に速くなった。山野は瞬く間に農地に、牧草地に変わり、川には堤が、渓谷には貯水池が築かれた。人は急速に力をつけ、自然の領域を、自らの領分へと組み込んでいった。人は、さらなる鉄を、鉄がもたらす豊かさを求め、砂鉄を掘るために山々を削り、炭を焼くために森を伐り倒していった。
竜王は怒った。自らの領域が侵され、その統べる生き物達が狩られるのを見て。竜の軍を率いて、人の王、我らの祖先に戦いを挑んだ。竜の大軍は、だがしかし、少数の人の軍の前に無力だった。人の作り出した鉄の剣は、槍は、鏃は、固い竜の鱗を刺し貫き、その毒で幾多の竜を死に追いやった。まさに人の王が、竜の王の居る森へと攻め込まんとしたとき、世界を災厄が襲い始めた。旱、大雪、豪雨に疫病、あらゆる苦しみが人の世に解き放たれた。竜の統べていた世界の法理が弱まったのだ。
人の王は和睦を乞うた。竜の王もまた和睦を乞うた。人の王は、戦いで傷ついた竜の王の剣を抜き、自らの血で鉄の毒を癒した。竜の王は、爾来、天に還って世界の新たな理となった。そののち、地上には生まれ変わりの一子が残された。巷間の伝説では、竜の子は人の王のもとで人の世について学ぶとされているが、実は、竜の子は、人が、人の王が自らの無限の欲望を戒め、天の理を敬っていることを確かめに来るのだよ。王族は幾多の竜を刺し貫いた剣を変じて、奴隷の身分を示す鉄の指輪とし、人の代表として常に身に着けることで、天の下僕たる人の傲りを正すのだ。竜の子、ロン殿よ、明日懺悔の儀式を行おう、我ら人の王の家に伝わる」
いや、しかし。イサクは思った。それだけでなく、この鉄の指輪、どこかで見たことがあるような。
「陛下」
声が響いた。振り返ると神官長が立ち上がっていた。
「夕刻の礼拝の時刻です。皆日没の方向に向かって祈りを」
小臣から将軍たちまで、その場にいた全員が一斉に夕日の差し込む窓に向けて平伏した。王だけは平伏はしていなかったが、侍従に助けられて跪いている。これが古からの政祭一致の王宮の日常か。
小脇をつつかれてイサクは我に返った。立ち尽くしていないで礼拝をせよ、ということなのだろう。慌てて平伏し、見様見真似で祈りの言葉を唱えた。
神官長の合図で礼拝が終わると、謁見も終わりとなり、王がまた老いた体を介助されながら退くと、各自館に戻っていった。
承客殿に案内され、先ほど礼装を着付けてくれた女官に、イサクは尋ねた。
「一体、王宮では何が。なぜこれほどまでにご老体の王が執務を行っておられるのか。王には太子はいらっしゃらないのか?」
「お止め下さい」
女官は慌ててイサクの話を遮った。
「その話は王宮の中では禁忌です」
「そこをどうにか」
首を横に振り続ける女官に、イサクは何度も食い下がり、やっと話を聞きだした。
「王太子は亡くなられました。少なくとも、そう言われています、王宮の中では。『王太子は謀叛を企てた。王位を簒奪しようと、自ら武器を懐に忍ばせ、お眠りの王に近づいた。しかし、天の奇蹟により、偶然通りかかった近衛兵に見つかり、地下の牢に捕らえられた。その後、自らの天に唾吐く行いに羞じ入って自死なされた。亡骸は礼に従って地下の王宮の墓所に葬られた』と、王宮に使える者達には知らせがありました。
けれど、王宮の下官の中にそれを信じる者はいません。王太子は孝の徳に篤いお方でしたから。老いた王を支え、その跡を継ぎ、仁政を施そうと語っておられました。王太子謀叛の説を唱える者は、現状の危機迫った事態を早急に打破するために、自ら即決できる王位を得ようと太子が王を弑逆しようと試みたと言いますが、王もまた王太子に信を置いておられました。王に進言されればよかっただけの話です。何者かに暗殺され、いわれのない罪を着せられているに違いありません。
その一件以来、剛健だった王は、すっかり老いてしまいました。典礼に基づき、神官長を筆頭とする群臣が協議して政祭を行っています。王亡き後は、典礼の規定により、神官長が王の代理を務める執権となるでしょう」
イサクとロンは押し黙って聞いていた。
「けれど、信じてください。王太子、わたくしがお仕えしていた王太子殿下はそんなお方ではありません。自死されるようなお方でもありません。間違いなく暗殺です。私と一緒に王太子に仕えていた者の話です。王太子が捕まったとされる夜、太子は秘密裏に外出されていましたが、何者かが奴隷商人が使う馬車で太子の館に乗り付けて窓を破って盗みに入り、南の城門から出て行ったのです。そしてその直後、警邏の者が太子の館を訪れました。王太子の不在を知っていたかのように盗みが入ったこと、そして直後に呼びに行ってもいないのに警邏の者がやってきたことを怪しいと思った彼女は、馬車は東門に向かっていったと嘘を教えました。戻って太子妃に盗人が入ったこと、それを分かっていたかのように警邏の者がやってきたことを伝えようとすると、館の二階にあった王太子妃の寝室はもぬけの殻。そして生まれたばかりの王のたった一人の孫娘が揺りかごごといなくなり、守り刀も一緒に無くなっていました。後日、彼女は王太子謀叛の話を聞き、王太子は事情を知って逃げようと計画していたものの見破られ、城外で暗殺されたに違いない、そう直感したといいます。彼女は、わたくしに事の次第を話した後、王宮に、真相を調べるように直訴に赴きました。しかし、数日後、彼女はあざだらけになって帰ってきて、以来何も語らなくなりました。他にも王太子を慕う者達が真相を探ろうとしましたが、戻ってくることはありませんでした」
イサクは何故か気になって口を開いた。
「それは一体何年ほど前のことですか」
「はい。ちょうど十四年と九か月になります」
十四年。イサクの脳裏に九か月前つまり事件から十四年後の、時に14歳の少女の話がよみがえった。十四年前、奴隷商人の馬車、赤子、守り刀、そして鉄の指輪。ああなんということだ。壮年の王太子が、いやその子息がいればそれだけで事態は違ったのに。そしてその娘、姫君はあの少女で間違いない。初めての戦で出会い、イサクを救ってくれた少女。グージュの話は真実だったのだ。グージュは強い。もし戻ってきてくれたなら。けれどグージュはもうあの無益な戦いの中に斃れてしまっただろう。
暗澹たる思いで、イサクは寝床に向かった。
翌日、謁見の行われた玉座の間で懺悔の儀式が行われた。昨日、玉座に座ったのは王、イサクとロンは階の下に跪いたが、今回は文字通り立場が逆だった。ロンが玉座に座り、王はその足下に平伏した。絞り出すような声で、王は竜王の子に赦しを乞う言葉を述べる。
「人は万物の霊長にあれども、地上の王として天に代わりて万物に慈しみを施すこと、自らの欲のために、天地の絆を危うくした人のかつての過ちを決して繰り返さぬこと、天と竜の王とへの契約を尊び守ることをここに誓約する。どうか赦し給え」
「……赦す」
王とロンの口からは、王家に伝わる通りの、人の懺悔と竜の赦しの言葉が述べられた。しかし、その儀式が形だけのものであることは明白だった。
人と天との絆は、北の教団の横暴によって、かつてない危機に瀕しているのだから。




