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12竜の泉

12竜の泉


 少しずつ日が長くなっていった。糸をつむぐ指先のかじかみが減ってきた。サラと黒猫は、雪の下になっている小さな菜園に今年は何を植えるかを話し合い始めた。

 もう一着、皆で仕立てた服が出来上がったころ、イサクとロンは小屋を発つことにした。

 出発の日、イサクはサラに別れの挨拶をした。

「今までありがとうございました。一冬も逗留させて頂いて」

「こちらこそありがとう。寒い冬を独りで過ごさなくてよかったから」

 そう言って、サラは二人に小さな袋を手渡した。布の袋はずっしりと重い。

「サラが今までに貯めてきた銭貨だ。もう無茶するんじゃないぞ」

 深々と頭を下げて感謝の意を伝えると、手を振るサラを背に、小屋を後にした。


 以前サラに連れて行ってもらった街に着くと、イサクは旅の物資を補充した。今回の旅は路銀が少ない。どうしたものかと思案していると、旅の芸人の一座が目に入った。天幕の後ろには、大きな幌馬車が何台か止まっていた。もしや、と思い、金を払って天幕の中に入った。中では剣舞が演じられていた。一人の男が剣を片手に、体を躍らせ舞う。うん、と頷くと、イサクは天幕を出た。そして夕刻再び幌馬車の所に戻ってきた。団員だろう一人が水を運んでいた。

「頼みたいことがある。団長に会わせてもらえないだろうか」

 怪訝そうな顔をされたが、奥に通された。

 座っている団長にイサクは言った。

「雇って頂きたい。剣舞ができます」

「うちにはもう剣舞ができる団員が一人いる。帰った、帰った」

「その前に一度見ていただきたい」

 イサクは剣を抜き、宙に舞った。飛び上がって回り、地に着いては足を床に滑らせた。剣を横に、縦に、体の回転に合わせて弧を描く。剣を持ったまま側転し、舞い終わったその目は、しかと団長を見つめていた。

「よろしい。次は二人で舞ってみよ」

 一人の男が立ち上がった。二人は狭い馬車の間、視線で火花を散らしながら、宙を飛び、入れ替わり立ち替わり、突き出された剣を躱して舞った。剣は、相手の剣の、いや、それどころか、体の、顔のすれすれをかすめた。緊張が場を支配した。二人が同時に剣を突き出し、互いの胸にきっ先を突き付けたところで舞いは終わった。二人は剣を収めた。

「それから、用心棒もできる」

「分かった。連れて行こう。その小僧はどうする?」

「雑用として同行させていただきたい。何でもさせる」

 話はまとまった。次の日、一行は街を出た。馬車の旅だったが、馬車に載せるのは芸に使う道具のみ。人間は荷を背負って荷車の後をついていった。まさかこうなるとはな、とイサクは軽く笑いながらロンを見た。ロンは下を向いて黙々とついてきた。振り返ってみれば丈夫な奴だ。イサクはまた前を向いて足を速めた。


 一行は街道を南下していった。数日後、一行がまた街に着くと、天幕が張られ、公演が始まった。イサクは剣舞を演じる。イサクが加わり、剣舞が元の一人から増えたからだろう、観客の反応は上々だった。一方でイサクは一つ舞台を終わらせる度に消耗していった。宙に舞い、転げ、飛び、剣を突き出し、相手の胸元寸でのところで止める。どれも実戦では使わないものばかりだった。体の節々が痛む。

 また一舞台終えて、イサクは舞台の裏、天幕の外で休んでいた。ロンは馬の水桶を洗っている。演目は小説(しょうぜい)に移ったようだった。旅することができない人々に代わって、各地を旅する一座が、遠方で見聞きした物事を人々に語るのである。今回は、数月前、また教団が領土を拡大した話だった。東方で、また一つ広大な領土を持つ大諸侯の城が陥落した。

 天幕の中の人々には、喜びの空気と、哀しみの空気が満ちた。教団の信者にとっては、彼らの理想とする世界が近づいたことを示すものであり、そうでない者にとっては、これから、自らの街に対して教団が行った行為の数々がその街の人々にも行われることを示すものであるから。しかし、声を上げる者はいない。教団の領土において、教団の統治の是非について語るのは禁忌なのである。公演を終え、一座は街を発った。


 さらに南下を続け、王党派の領土に入った頃だった。山道を行く一行の前に、二、三の男が躍り出た。振り向くと背後にも二人の男、いずれも手には抜き身の剣を持っている。

「荷を置け、そうすれば命だけは」

「我々とて、これがなければ飢えるしかないのでな」

 座長は剣の柄に手をかける。抜こうと手を動かした刹那、賊の一人が刃を突き出す。座長はそれを躱し、剣に一撃を加える。剣舞の団員は横から飛びかかる男に応戦する。イサクは馬車の後ろに回り込む。後ろの賊が突き出す剣をひらりと横に避け、ロンは二人目の賊が飛びかかるのを後ろにさがってかわす。しゃがみ込んだロンの上を飛び越え、イサクは賊に斬りかかる。ロンは地面を転がり、斬撃を避けた。剣を交えることしばし、賊の男たちは勝ち目がないとみると、茂みの中へと逃げ込んでいった。

 一行は、剣を収め、恐がりいななく馬達を鎮めると、互いの無事を確認した。

「若造、ちゃんと用心棒できるじゃないか」

 言われてイサクは、傍らのロンに目をやる。立ち上がり、服に着いた埃を払っていた。こいつも、前よりも確実に成長している。戦いに震えおののくだけだった子供が、自らの身を守ることができるようになった。そしてその前に、教団の城では、さとりの術に陥ったイサクを守ってたった一人敵に対峙し、冬の森では、イサクの居場所をサラに知らせてそれを助けた。まるで、それらを通して、少しずつ何かに目覚めているような。


 盗賊の襲撃の数日後、一行は小さな宿場町に差し掛かった。いつもの町とは何か様子が異なる。天幕を張ろうと荷をほどき始めると、近くの市場の店主が駆けてきた。

「旅の方々、悪いことは申しません。この町で荷を広げるのはおやめください」

「いったい何が」

「この辺りには竜が出ます。畑を荒らし、村落を襲い、道行く人々を喰らっています。幸いこの町にはまだ現れておりませんが、いつやってくるとも知れず。街道筋を逸れますが、安全な道があります。どうぞそちらへお回りください。日数が増える分の物資はわたくしが安く調達いたしますので」

 団長は一座の人々としばし話し合う。

「私たちはここで。今までどうもありがとうございました」

 言ったのはロンだった。迂回路の話に聞き入っていたイサクははたと気づいた。今やすっかり忘れてしまっていたが、旅に出た目的は竜を探すことだった。

「今まで大変お世話になりました。何かお手伝いできることがあれば言ってください」

 突然の言葉に団員たちは驚きを隠せなかったが、そのきっぱりとした口調と、真摯な視線に、団長は離団を許してくれた。


 旅の一座と別れ、物資をそろえると、二人は人通りのない街道を歩いて行った。先に立って歩くのはロンである。途中いくつかの村を通り過ぎたが、皆人影はない。街道沿いの農地は全く手入れされた様子がなく、草が繁茂している。途中の村の朽ち始めた家で宿を取りながら歩くこと二日、森の中の街道の脇、一本の獣道の前でロンは立ち止った。

「ここだ」

 きっぱりと言うと、ロンは獣道に足を踏み入れた。イサクには何の変哲もなく見えるそれを、ロンは草木を掻き分け進んでいく。ロンの後を、イサクはただついていく。まるでいつかの海辺の逆だな、イサクは小さく笑った。ロンは、時々イサクがついてきているかを振り返って確かめたが、全く足をゆるめる気はないようだった。


 少し開けた場所に出た。そこは泉だった。人の背丈数人分の崖があって、大きな洞窟が口を開けている。その奥から滾々と水が流れ出している。

 ロンは水際に立った。洞窟の奥を睨みつける。突如、その場の気の流れが変わった。洞窟の奥から、尋常でない気配が向かってきた。

 しばらくして現れたのは、一頭の竜だった。人の背丈の二、三倍はあろうかという巨大な竜は、背を伸ばし、イサクとロンを見下ろした。全身を覆うのは逆立った血に濡れた赤い鱗、湾曲した鉤爪は今にも振り下ろされんばかりにかかげられている。足は地を踏み鳴らし天に轟くうなり声を上げた。二人を見下ろすその赤黒い目には、怒りと憎悪がみなぎっていた。

 すくむイサクを横目に、ロンは一人その視線と対峙する。

「どうした小僧。なにゆえここにやってきた」

「竜を探して。里盧(むらむら)を荒らし、旅人を襲う竜とはお前のことか」

「いかにも」

「その理由を問おう。なにゆえ人を襲う」

「お前に何の関係がある」

「答えよ、答えぬか」

「人が憎い。ただそれだけだ」

「なぜそれほどまでに人を憎む」

「人の、人間の残虐さが憎い」


「あの、北の教団といったか、なんだ、その信者の傍若無人の悪行は! 森に火を放ち獣達をなぶり殺しにし、滝壺には爆薬を投げ込み川の魚達を皆殺しにした。我が友を、我が長年の友を!」

「幾百の年月、私は彼らとともに生きてきたか! 春にはそよ風に遊び、夏には燃ゆる命に歓喜し、秋には枯れゆく草花を悼み、冬には木々とともに眠った。生まれる命を見守り、老いる命を気遣い、病める命に涙し、死にゆく命を弔った。木々は芽吹いて実を結び、鳥たちはそれを運んだ。川は澄み、魚達が踊った。そうして私は、我ら竜は生きてきた」


「その営みは、あの教団の信者によって、一瞬にして奪われた。人間が憎い。目につく限りの人間、全て殺し尽くしてやる」

「それが無辜の人々を殺してよい理由になるか。地を耕し、家畜を育て、慎ましく日々を生きる人々を」

「何を言うか、それならば、他の種族、無辜の種族を傷つけ、殺し、滅ぼし去ろうとする種族は何なのか! そんな人間という種族を憎んで何が悪い!」

「教団は憎い。だが、傲れるとはいえ、人も自然の一部。それを殺し尽くしてよいなどという行いをすることは許されない。私怨に溺れ忘れたか。人と天と自然の営みとを繋ぐという我ら竜の契約を!」

「何を偉そうに、お前に一体何ができる。取るに足らぬ、ちっぽけな竜よ」

 そう言って、泉の竜は、その鉤爪をロンの顎の下に当て、その顔を持ち上げた。

 そのときだった。ロンの体が輝き始めた。光を放ちながら形を崩し膨らんでいく。光の塊は人の背丈の二倍ほどの大きさになった。光は少しずつきらめきに変わり、形を成し始めた。きらめく漆黒の雲母の鱗、黒光りする三日月のような長い鉤爪、顔には黒真珠の目、そこには生命の息吹が燃えていた。現れたのは、一頭の麗々しい黒竜だった。

 赤い泉の竜は一瞬呆気に取られたようだった。しかし、すぐに事の重大さに気が付いた。このままでは怒れる黒竜の前に己の命はない。黒竜が視線を合わせる間もなく、赤竜は鉤爪の斬撃を繰り出す。それは黒竜の胸に大きな傷をつけた。黒竜は後ろにのけぞったが、すぐに体勢を立て直し、拳を突き出す。突き飛ばされる赤竜はまた、頭をめいっぱいに振り上げ、それを黒竜に振り下ろす。二頭は組み合い、辺りには水しぶきが撥ね飛んだ。組み合ったまま、旋風を起こし、枯葉の暴風とともに空高く舞い上がる。体をくねらせ、渦巻き、ぶつかり、斬り合い、拳を突き出す。日影に陰陽の文様を描きながら戦う二頭の竜。互いに動きが鈍り、荒く巻いた息も喘鳴に変わるころ、両者は地に落ちた。上に乗るのは黒竜、赤竜を動かぬよう地に組み伏せ、一瞬目を瞑り、赤竜の喉を掻いた。

 力尽きた赤竜を地に置くと、黒竜はイサクに向って歩み寄ってきた。身をかがめた黒竜に、イサクは自らの外套を掛けてやった。ふっと周囲の気が弛み、外套からロンが顔を出した。満身創痍、数え切れぬ傷から血が染み出ている。


 ああ、それで。傷だらけのロンに困惑しながらも、イサクの脳裏には、今までの冒険でのロンの不思議な力の記憶が駆け巡っていた。竜には竜の気配が分かると、いつかの領主は言った。ロンは街道から外れ、何の道しるべもない森の中を全く迷いなくこの竜の泉まで歩んできた。その前に、いつかの海辺の洞窟では、竜の鱗に触れそうになったイサクを止めた。教団の主教座では、ガラスのドームの中央、竜の命を吸い取る機械にロンが歩み寄った途端、「エネルギー」が供給され始めた。それは、ロンの黒竜としての力があふれ出したからではないか。そして、修練の終わらない子供にしては並外れた、長旅に耐える体力、忍耐力、さとりの術もはね返す精神力。何よりも、旅立つ時、竜の子は稲妻と雷鳴の間に落ちてしまったと聞いたではないか。嵐の夜の翌朝、記憶を失って村に立っていた、村の誰とも違う黒い髪、黒い瞳の幼子。その名を古の文字で地面に書いた。読みは「ヘイロン」。東の果て、志那の国の字書を読んだとき、この読みはどこかになかったか。そうか、こうして全てがつながった。どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。

 イサクは我に返り、また腕の中のロンを見た。そうだ、この傷、早く手当てをしなくては。慌てるイサクをしかと見て、ロンは語り始めた。

「今まで、僕はちっぽけな子供に過ぎなかった。教団に追われ、王党派に追われ、ただあなたの後をついていくだけで。けれど、見ただろう、今や私達二人には、並外れた竜王の力が与えられている。力を与えられた者には、その命を賭してでも、与えられた試練に立ち向かい、人々を救うためにその力を使う義務がある。命を賭して私達を救ってくれたサラさんのように。ただ逃げ回るのは、その義務から逃げるのに等しい」

「そして、赤竜の言葉の通り、この世界では、天と人の営みが綿々と続いてきた。それは人にとっては厳しいものだが、その(のり)を人間に都合よく変えるのは、ただの一存ではできない、人知の及ばぬ御業だ。それなのに、いつかガラスのドームの下で聞いただろう、北の教団の主席は、それをただ一人の独善で行おうとしている。それも、それに異議を唱える人々、自らと異なる人々を排斥しながら。これは世界を破滅に追いやりかねない。北の教団は危険、あれは理性の皮を被った人間の狂気だ。その危険を知った私達には、その持てる力を使って、それを止める義務がある。王とその威光と力を合わせれば、敵を打ちのめせる。その先にどんな未来があるかは分からない。けれど、今は、それが私たちの試練だ」

 その表情には、怯え惑うだけの幼子の残像はなかった。

「行こう、王城へ!」


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