表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/27

11魔女の小屋

11魔女の小屋


 冷たいけれど暖かい。炉端の温もりはこんなだっただろうか。少し固いものの上にいた。体の芯からの冷えが無くなっていた。湿気が消えている。ぱちり、と何かが小さくはぜる音がした。そうだ、森の中、力尽きて倒れたのだった。ということは、これは幻か。手を握ってみようと力を入れると体中にひどい痛みが走った。目を開けると、暗がり。少しすると大きな木の梁が見えた。ぱちり。また何かがはぜる音がした。薪が燃える音だ。イサクはやっとのこと上体を起こした。また激烈な痛みが全身を駆け巡って、倒れた。諦めて、頭だけを横に向けると、火が燃える炉が見えた。その前に、小さな女の子が、体を丸めて眠っていた。

「やっと目が覚めたか」

 後ろから声が聞こえた。

「何だ」

 怒ったように言って、イサクはとっさに振り返り、また痛みにうめいた。

「サラに感謝しな」

 また顔を横に向けて見ると、声の主は金の目をした黒猫だった。

「何なんだ?」

「何なんだはこっちの台詞だよ。全く何でこんな森の奥なんかに倒れていたんだか。サラは人がよくてよかったな。倒れたお前たちを自分の小屋まで運んで温めた上、たった一着しかない外套と、たった一着しかない替えの服をお前たちのために使ってやったんだから。そうでなかったら、今頃雪の中で凍えてたぞ」

 イサクは振り返った。先程から炉のそばで、安らかな寝息を立てている女の子は、ロンだった。

「弟さんにも感謝しなくちゃね」

 若い女の声が聞こえた。

「私たちが小屋の外に出ていると、森の茂みの中からよろめきながらやってきて、もと来た方を指さすとまた歩き始めてね。あなたが倒れている所まで私たちを案内してたどり着くと、力尽きて倒れたの」

 声がした方を見ると、一人の若い女が、椅子に座って手を動かしていた。年の程はイサクより二、三上くらいだろうか。破れた服を縫っていた。それは、イサクのものだった。イサクが話すのを見ると、サラと呼ばれた女は手を止めて、イサクの方に近づいてきた。とっさに剣を求めて腕を伸ばした。

「剣ならそこにあるよ」

 ぶっきらぼうに言った猫が顎で指した先を見ると、壁の下に置かれたイサクの剣があった。

「傷の具合はどう?」

 近寄ってきた女が傷口を確かめた。イサクは始めは抵抗したが、すぐに諦めてされるがままになっていた。終わると、女は椀を持ってきて、イサクの口に当てた。暖かいそれは煎じた薬草を溶け出させた湯だった。苦さが強く、クセがあったが、その奥に、ゆり根のようなかすかに甘い味がした。その味と、ほんの少しずつ効き始めたその作用から、イサクにはそれが、体に熱を与え、傷の治りを早めるものだと分かった。そして、強い呪がかけられているとも。飲む人の生命を、死の淵から救うときに使う呪。調合者の生命を削ってかける呪。ああ、ここなら、この人なら信用できる。イサクは肩の力を緩め、女の腕に身を委ねた。とても、温かかった。炉のそばで寝入っていたロンも、少しずつ頭を動かし始めた。

「しばらく休んでいくんだな。」

 またぶっきらぼうに、猫は言った。

 それから数日は、サラに介抱されて過ごした。傷に当てられた布を替えてもらい、薬草を煮出した湯(今度は命を削ってかけた呪はなかったが)を飲ませてもらい。

 すこしずつだが、着実に、体は回復していった。初めて重湯から粥に、食べるものが切替わったときには、固形物が口の中を通り抜ける感触に涙した。首を、上体を起こせるようになり、やがて壁を支えに立ち上がれるようになった。

 やっと、サラの手伝いができるようになった。最初は灰かきだった。炉で燃えた灰を箱に収めるしごと。その次は糸車の回し方を教えてもらい、糸を紡いだ。機織り機の踏み方を手ほどきしてもらって、布を織った。一日、黙々と糸を紡ぎ、布を織った。苦悩や、後悔を、忘れることができた。その横で、サラは二人を手伝いながら、布を断ち、それを縫った。燃える火のもと、暖かい部屋の中で。

 ある日、外に積んだ薪を取りに行った。寒い乾いた日のことだった。冷たさが、肌にしみた。薪を抱えて、ふと空を見上げた。青く、高く、澄み渡っていた。きれいだった。そよぐ風が、暖かい部屋から出た体に清々しく、心地よかった。きれい、心地よい。こんな感覚を持ったのはどれくらいぶりだろう。心も、確かに回復しているのだった。


 数週間が経ったある晩、食事を運んでくれたサラに、ロンが言った。

「どうしてサラさんは、こんな森の中にいて、僕らを介抱してくれたんですか?」

「人として当然のことでしょう。それに私自身いろいろあったから……」

 体を乗り出してもっと話して欲しげなロンに、サラと黒猫は顔を見合わせた。少し間を置いて、黒猫は語り始めた。

「サラは魔女狩りに遭ったんだ」


「子供の頃、サラは親しくしていた村の薬草師の死に立ち会った。そして、最期に手を握ったサラに、薬草師は言ったんだ」

「『ふたつの炎はひとつに、ひとつの炎はふたつに。ひとつが消えても炎は燃える』とね」

「薬草師は魔術を使って人々を癒していたんだ。けれど、村は北の教団が支配する領域で、村人たちは皆、北の教団の、人間の幸福とやらを、合理主義とやらを熱狂的に信奉していた。それで、薬草師は魔女であることを隠していたんだ。そして、死に際して手を握ったサラは、その隠していた力を受け継いでしまったんだ。薬草師から薬の知識は習っていたから、サラは薬草師に代わって村人に薬草を売り始めた。それと、不思議な力が使えるようになった。少し先のことが分かったり、猫の俺と話せるようになったりな。呪が使えるようになったサラは、ただ薬草を調合しているように見せかけて、病み疲れた人々を癒し、死にゆく人々の苦痛を和らげた。けれど、サラはそのことをずっと隠していた。教団の領土で魔女と分かれば命はないからな」

 イサクの脳裏に、港町での魔女狩りの光景が蘇った。柱に縛り付けられ、火に焼かれ、石を投げつけられる老婆。

「ある日、村の隅で旅の男が酷い傷を負って倒れていた。サラは駆け寄って、男を癒した。薬草なんてなかった。自らの命を削って。生命を賭した呪だった。けれど、男は北の教団の信者だった。傷が癒えた男は村に走り、叫んだ。『魔女だ、あの女だ。魔術を使った』それを聞いて、村人共は狂ったようにサラを追った。魔術への、理解できないものへの恐怖から。その先頭に立ったのは、サラの父親だったよ。自分の娘が魔女だと分かると、掌を返したようにサラを追った。身内に敵がいて、それを見つけられなかったことで世間体を気にしたからか。いや違う。自分の最も身近に、得体の知れない魔女がいたことに気付けなかった恐怖からだろう。

 サラは全てを失ったんだ。もう自分の家に入ることすらできなかった。逃げるしかなかった。その時抱いていた俺だけを連れて、着の身着のまま、呪で消耗した体に僅かに残った力を振り絞って。それに追い打ちをかけて、村の奴らは山狩りをかけた。逃げ惑うたった十三の少女一人にな。人が列を成して、森の茂みを、木の影を血眼になって探し続けた。サラは何日も逃げなくてはいけなかった、ひたすらに森の奥まで。やっと村人の捜索がなくなった頃、この樵の小屋を見つけた。主を失ったからか、小屋は荒れ果てていた。そこで雨露をしのぎながら、少しずつ、小屋を修理していった」


「最初は、寒くて、ひもじかった。けれど、少しずつ、屋根を直し、炉を直して住めるようにしていった。そのうちに、人を呼んで機織り機を作ってもらって。服を仕立て、人々を癒して暮らし始めた。だから私は、助けを求める人がいたら、その人を助ける。つらい思いをしている人を見捨てるのは、心が痛むでしょう」

 聞き終わったロンとイサクは、うつむいて黙っていた。

「そんな悲しそうな顔をしないの。まずは助かったことを天に感謝しなさい。さあ、今日はもう寝ましょう。明日も早いから。お皿を片付けましょう」

 寝床の中で、イサクは思った。追われる中、何も信じられなくなった自分と。心が痛むからと病める者、死にゆく者を消し去ろうとした主席の言葉と。たった今聞いたサラの言葉と。それらがぐるぐると、頭の中を回り続けた。


 数か月が経ち、次第に寒さが厳しくなってきた。来る日も来る日も、イサクとロンは糸を紡いで布を織り、サラはそれを断って縫い合わせていった。驚くほどの時間をかけてやっと、イサクとロンがやってきて、糸から作った外套が出来上がった。サラは二人に訊いた。

「そろそろ街に行ってみましょうか」

 二人は頷いた。

「それじゃあ、明日」

 

 次の日朝早く、三人は小屋を発って、近くの街に向けて歩き始めた。持って行ったのは、出来上がった服を一着と、羊毛で織った布を何反か、そして様々な薬草を大きな袋にいくつか。くるぶしあたりまで雪の積もった、寒い、冷たい森の中を歩くこと半日、やっと近くの街に着いた。街に入ると、サラは古着屋へ向かった。出来上がった外套を売って、銀貨をいくらか受け取った。

「どうして古着屋さんに売ってしまうんですか?」

「寸法を測って人毎に仕立てることはできないから。お店を構えられればいいのだけれど。もったいないけれどね。さあ、次は仕立屋さんに行きましょう」

 サラは仕立屋で持ってきた布を売って、また銀貨を何枚か受け取った。

「さて、次は」

 そう言って、サラは裏小路に入って行った。薄暗く、狭い小路の奥には、少し大きめの石があった。サラはそれに腰かけた。通りがかった人がサラを見ていった。何人目かが、サラを指さし、喜んだように走って行った。それからしばらくしてからだった、小路に人が集まり始めた。腰の曲がった者、背が丸まった者、青白い顔をした者に、痩せこけた者。明らかに死期が迫っているだろう重い病の者もいた。それらの人々が、長い列を成し、小路を埋め尽くした。サラが街にやってくるとここに座り、人々を癒すことを知っているのだろう。

 サラは列に並んだ人々を癒し薬草を売り始めた。こわばった肩を揉みほぐし、病める人々にいくつかの薬草の粉を混ぜて渡してやり。人々は次々に、感謝の言葉を残していった。涙する人々も多かった。ある老夫婦などは、感極まって涙を流し、サラに向かって手を合わせた。人々から、サラは銭貨を受け取ったが、貧しい者からは、僅かな銭貨しか受け取らなかった。イサクはそれに目を見張った。銭貨のことでも、涙する人々の様子でもない。サラが使っていたのは明らかに魔術だった。背を、腰を揉み解すように見せて、実際には、押しているのは気穴で、体の中の気の流れを正していた。明白に魔術を使うこともあった。薬草の中には偽薬も多かった。それには、その場で呪がかけられた。中には、恐ろしく体力を使う呪、命を削った呪もあった。サラは凄まじく体力を消耗していった。ここは北の教団が支配する地域だ。もし、この中の誰か一人でもサラが魔術を使っていることに気づき、そしてそれを誰かに吹聴すれば、たちまちに魔女狩りに遭って命はないだろう。それでも、サラは命を削って、人々を癒し続ける。

 日が落ちて星が空に昇り、治療を求める人も疎らになってきた。すっかり消耗し、疲れ切ったサラは、宿を申し出た貴婦人の家に泊まることにした。屋敷に着き、やっとのことで食事を済ませると、三人は客室に通された。寝台に横になり、眠ろうとしたサラにイサクは訊いた。

「どうしてこんなに体力を削って、それも魔女狩りに遭う危険を冒してまで人々を癒すのですか?」

「前にも言ったでしょう。私自身、魔女狩りに遭って村を追われて、ひもじく、寒く、苦しい中生きてきた。だから苦しむ人々を放っておけないの」

「称賛を求めて? 感謝の言葉を求めて?」

「そんなものはいらない。見つかる危険が増すだけでしょう?」

「なら、なぜ、見つかる危険を冒してまで?」

「命を賭した呪を使うのと、命を賭して多くの人々の苦しみを除くのと、どんな違いがあるの? 苦しむ人々を放っておけない。そして私にはその人達の苦しみを除く力を与えられている。私はただ、私の信じる、できることをするまで」

 よほど疲れていたのだろう、イサクが返事を考える間に、サラは寝息を立てはじめた。

「サラは、強い」

 イサクの口から、言葉がこぼれた。

 翌朝、サラは昨日受け取った銀貨で、針と、背負えるだけの羊毛を買った。小屋に帰り着いて一晩泊まると、今度は皆で織ったラシャ布と毛糸を背負えるだけ背負って近くの村へ行った。それを銭貨に替えると、今度は背負えるだけのパンを買った。何十日も日持ちするライ麦のパン。決して美味しいとは言えなかったが、サラはそれに満足しているようだった。

「人手が増えると助かるわ。布を織るのも早くなるし、荷もたくさん運べるし」

 それらを手伝うイサク達にサラは声をかけた。

「その代わり、食べ物の減りも早くなってしまうけれど」

 そう言って微笑んだ。

 また小屋に戻って、三人は黙々と糸を紡ぎ布を織った。それが一冬の間続いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ