勝利と虚無編 第六章 影の縁の里第二次防衛戦 節一 取引
項一 矜持
「翡翠!翡翠!」
「‥‥んぅ‥」
呼びかけ続けた朱里の耳に、微かな声が聞こえた。
「よかった‥生きてる‥生きてる」
止めどなく涙が溢れてくる。
朱里は自分と翡翠の首巻きを包帯代わりに、それを翡翠の胸にきつく巻き、応急で止血をしていく。
「これは綱糸‥そうだったのか」
翡翠の胸には綱糸が巻かれてあった。
翡翠は開成に勝負をかける際、咄嗟に自分の胸部に綱糸を巻きつけ、斬撃による致命傷から免れていたのである。。
間も無くして、翡翠の意識が回復した。
「‥やりましたわね、朱里」
翡翠が微かに笑う。
「うん‥」
ーーーーー。
朱里が翡翠を抱えながら、二人して天守から降りていく。
「これは‥」
「いったい何ですの‥」
本丸から出ると、気絶した城守備隊がいたる所で倒れていた。
静寂さすら漂う中、派手に破壊された城門まで辿り着くと、二人を見つけた流星が駆け寄って来た。
「姿が見れて安心したぞ。降りて来たのが開成だったら即時撤退だったからなーー翡翠‥大丈夫か?」
流星は言いながら、朱里が抱える翡翠の状態を見て、シスターズに手当てを指示した。
「開成は倒した」
「そうかーー決着がついたんだな」
「それにしてもこれ‥凄いな、この大人数をたった五人で‥」
城内に倒れる城守備隊を見回した朱里が、流星に聞いた。
「‥‥うん、まぁ色々あってなぁ‥とりあえずコイツらが起きる前に城外へ出ようか」
横目でシスターズを見た流星が言葉を濁した。
ーーーーー。
長良川沿い、舟の上で翡翠の手当てを続けていく。
「応急処置はこれでいいだろう。後は里に帰ってからだなーーしかし、翡翠がここまでやられるとは。開成はやはり強豪だったんだな」
「そうですわね。隙もないし、絶望しましたわ」
「だが、これでようやく龍隠との因縁も終わるか」
「そうだ流星さん。聞きたいんですけど、師範とはどういう繋がりだったのですか?」
「‥碧英さんか。白蓮様と親しかったようだが、詳しくは知らないなーー白蓮様とは三河様繋がりだと言っていたかーー里によく来ていて、それで話すようになったんだ」
「それで、あの手紙と刀を流星さんが、私に?」
「‥そうだな。碧英さんも龍隠の襲撃は予測されていたのかも知れない。いつだったか、お会いした時に直接頼まれたんだ」
「そうだったのですね。その節はいろいろとありがとうございました」
「‥気にしないでくれ。こういう格好をしているとよく頼まれるのさ」
流星が穏やかに笑う。
「さぁ、ここも長居は危険だ。翡翠の容態も落ち着いたようだし、舟を出そう」
流星は舟に積まれてあった葛籠から、船頭が着る半纏と、筵を取り出した。
「川回船に見せかけて川を下る。皆んなは城下を出るまでこの筵を被っていてくれ」
流星はそう言いながら、半纏を重ね着していく。
「なぁ流星、あれ里の伝令じゃないか」
白い蓮の花が描かれた手拭いでほっかむりをし、船頭の格好をした男が近づいてくることに、夏が気づいた。
「しろ」
「はす」
合言葉で船頭の格好をした男を確認すると、やはり里からの伝令だった。
「内容を言ってくれ」
流星が伝令に聞く。
「龍隠幹部金剛の部隊が里に向かい大坂を進行中。各自は判断して里へ帰投せよ。との事です」
「それはいつの情報だ」
「昨日の早朝です」
「容赦ないな開成。まさか裏をかいていたのか‥」
流星が伝令に指示を返す。
「承知した。今からこの舟で伊勢国桑名まで一気に川を下る。船方として一緒に乗ってくれ」
舟は長良川を順調に下り、桑名に到着した。
流星が向き直り、言う。
「秋と春は翡翠の手当てをしながら帰還、俺と冬と夏、朱里は先に里へ急行だーー伝令の者。すまないが怪我人がいる。峠越えには男手が必要だ、頼めるか」
「承知しました」
開成は倒したのに、どうして四凶が‥。
朱里の脳裏には、纏の言葉が過ぎっていた。
その頃、里は想定外の敵襲に騒然となっていた。
「入り口を塞げ!守備隊は分散せずにまとまって防御に徹するんだ!」
今の守備隊では正直、戦力が足りな過ぎる‥。
里の民の避難と同時に、仁景の指示で守備隊が迎撃準備を進めていく。
「白蓮様も早く、奥の間へ移動をお願いします」
「私の事はよい。ここで敵状を見ておる」
避難を強く勧める仁景の言葉を退け、白蓮は大広間で、自身の魔眼によって敵状の予見に徹していた。
金剛‥やはり堂々正面から入ってくる気か‥。
「敵は十人くらいだが、油断せずにな」
白蓮が仁景に指示を出していく。
「敵、来ました」
守備隊から報告が上がる。
「来るぞ!鉄砲、弓は攻撃開始!前衛は突入に備えろ!」
仁景が号令をかけていく。
自ら囮となって朱里達を岐阜城へ誘き出し、その隙に金剛に里を襲撃させる狙いであったか、開成ーー私もまだまだ甘いな‥。
守備隊が、逃げ遅れた民を庇いながら応戦していく。
「仁景殿!前衛、龍隠と戦闘中!押されています」
龍隠は幹部金剛とその護衛十名の小部隊だったが、戦闘力は高く、守備隊戦力を徐々に削いでいく戦況だった。
ーーそれにしてもこの部隊‥女、子、民は手にかけておらんようだが‥龍隠にしては異質な部隊か‥。
襷かけした白蓮が、神棚に掛けられてあった槍を手に取り、外へ出ていった。
前線に立った白蓮の槍が敵を討ち払い、その姿に鼓舞された守備隊が奮起して敵部隊を押し返していく。
「扇流槍術かーーなるほど、お前が白蓮だな」
守備隊を吹き飛ばし現れたのは、厚い筋肉を持った大男、龍隠四凶の金剛だった。
黄色の狐面を被り、金色の短い髪に、金色の瞳。黒く生地の厚い、作務衣のようなものを着ている。
「俺は金剛。よくぞ、逃げずにいたものだ。褒めてやろう」
手にした二節棍に付いた血を、金剛が振り払う。
‥この眼の違和感はやはり魔眼使い‥しかしこの者、魔眼は使わぬのかーー使えば民を巻き込むからか‥。
白蓮が金剛を見据える。
「問おう。其方の狙いは何かーー私の命か、この里の壊滅か」
振るう槍を止めた白蓮が毅然と言う。
「俺が受けた命は白蓮、お前を殺すことだ」
金剛が白蓮に向き直る。
やはりこの男ーー茉莉も纏も失った。これ以上朱里、お前に背負わせるわけにはいかぬ‥‥そして、お前は死ぬな。必ず生きて戻るのだぞ。よいな‥。
岐阜城へ向かう朱里の後ろ姿が、白蓮の脳裏に浮かんだ。
「左様かーーなれば一対一、私が其方の相手をしよう。さすれば他の者たちが無駄に命を落とす必要もなかろう」
「ほう、俺とサシで勝負か‥よかろう面白いーーそれで条件は何だ。ただ犬死にする気ではなかろう」
白蓮が静かに笑う。
「やはり、其方は義を持つ者であったな。察しがよく有難いーーこの勝負、戦うは私と其方のみ。結果どちらが勝っても、残った者達の命は奪わない。それで良いか」
金剛が白蓮を見下ろしている。
「白蓮様!おやめ下さい。私たちが命と引き換えてでも、必ずお守りします!」
仁景が白蓮の前に立つ。
「すまぬな、仁景ーーだが今のその体、無理をするではない。其方が居なくては帰って来る朱里達が困るであろう」
「慕われているな白蓮。よかろう、受けて立つーーお前達は一切手を出すな。結果だけを開成様に報告しろ」
金剛が護衛達に振り返り、そう言い放つ。
「白蓮様‥」
「そう言うことだ、仁景。私はいい。守備隊は民を守る事に徹せよ。良いな」
仁景を退かした白蓮が、そう言って槍を構え直していく。
あやつは二節棍。間合いならこちらが有利だが‥あの体、一連撃で急所を仕留めなければ、二撃目を入れる余裕はおそらく無かろう‥そして、あやつは私の先手を待ち、二撃目前に仕留めに来るはず‥。
「白蓮か、大した女よ」
白蓮と金剛が構え合う。
守備隊、護衛達が見つめる中、緊迫した空気が立ちこめ、二人の呼吸音だけが流れていく。
風が二人の髪を揺らす。
「いざ!扇流槍術奥義ーー貫撃連槍!!」
「奥義ー絶影」
一閃の如く踏み出し、白蓮の槍が金剛の左足、右腕を瞬時に刺していく。
「くっ、硬い!‥」
貫撃連槍とは、踏み込んだ一連の槍撃で、相手の機動力と攻撃力を弱め、確実に急所を仕留める奥義である。
しかし、鍛え抜かれた強固な金剛の筋肉は、白蓮の予測以上に硬く、それが連撃の速度を僅かに鈍らせていた。
急所である首への突きを、すんでのところでかわした金剛が目を細める。
その視線に、空気が歪むような圧が走った瞬間だった。
構えていた棍が、重い音と共に白蓮の鳩尾へ突き刺さる。
「がはっ‥」
白蓮が血を吐き出す。
時が静止したかように、白蓮と金剛の動きが止まる。
白蓮の白装束がみるみる赤く染まり、金剛が小さく息を吐く。
「見事だったな。技も心も」
白蓮を讃えた金剛が棍を引き抜くと、血飛沫と共に白蓮の体は、金剛に寄りかかるように倒れていった。
「白蓮様!」
守備隊が叫ぶような声をあげ、膝から崩れ落ちていく。
白蓮様‥そんな‥。
刀を持つ仁景の手が震え出す。
寄りかかる白蓮を静かに寝かせた金剛が、立ち尽くす守備隊を見回していく。
やがて背を向けた金剛は振り返る事なく、護衛達を連れ、夕暮れの中へと消えて行った。
その後、播磨国に戻った金剛の元へ、岐阜城からの伝令が現れ、一通の書状が届けられた。
ーーーそうか‥お前の勝ちだったな、白蓮。
書状を読んだ金剛は、それを握り潰し、被っていた黄色の狐面を外した。




