第246話 呼ばれる前の名
夜。
水面に月が落ちる。
揺れている。
小さく。
だが。
確かに。
止まっていない。
ノルヴァル水都の水は。
まだ弱い。
だが。
もう。
完全には止まっていなかった。
エレノアは水路の縁に立つ。
ネファルが言う。
(安定している)
ラグナが言う。
(消えねぇな、これ)
ヴェルナシアが囁く。
(続く)
エレノアは目を閉じる。
感じる。
流れ。
新しい線。
欠けたままの存在。
そして。
“寄ってくるもの”
水面が揺れる。
自ら。
静かに。
形になる。
輪郭。
崩れない。
昨日より。
はっきりと。
セレイアがそこにいる。
「……ここ」
短く。
途切れない。
ラグナが言う。
(普通に喋ったな)
ネファルが言う。
(繋がりが保たれている)
ヴェルナシアが囁く。
(まだ浅い)
エレノアは目を開ける。
そして。
言う。
「……いますね」
セレイアがわずかに頷く。
動きは小さい。
だが。
“意志がある”
リゼルが少し離れた場所で見ている。
言葉はない。
ただ。
見ている。
逃げない。
エレノアはセレイアを見る。
「……分かりますか」
短く。
セレイアは少しだけ考える。
間。
そして。
「……すこし」
まだ不安定。
だが。
繋がっている。
ネファルが言う。
(認識が戻っているな)
ラグナが言う。
(でも全部じゃねぇ)
ヴェルナシアが囁く。
(欠け)
エレノアは頷く。
「はい」
否定しない。
そのまま。
受け取る。
そして。
言う。
「……名前を」
リゼルが反応する。
一瞬で。
「やめろ」
低く。
強く。
だが。
エレノアは続ける。
「……呼びません」
沈黙。
リゼルが止まる。
言葉が続かない。
ネファルが言う。
(意図的だな)
ラグナが言う。
(ああ)
ヴェルナシアが囁く。
(境界)
エレノアはセレイアを見る。
「……まだ」
短く。
そして。
続ける。
「必要ありません」
その一言。
セレイアが揺れる。
「……な……い?」
問い。
ラグナが言う。
(来たな)
ネファルが言う。
(不安だ)
ヴェルナシアが囁く。
(揺れ)
エレノアは答える。
「はい」
落ち着いて。
変わらず。
「今は」
間。
「ここにいることが大事です」
沈黙。
水面が静まる。
揺れが落ち着く。
セレイアが小さく言う。
「……ここ」
繰り返す。
今度は。
迷いが少ない。
ネファルが言う。
(固定されているな)
ラグナが言う。
(いい流れだ)
ヴェルナシアが囁く。
(通る)
リゼルが小さく呟く。
「……名前を」
言いかけて。
止まる。
言えない。
言いたくない。
エレノアは水を見る。
そして。
静かに言う。
「……呼ばれなくても」
間。
「在れます」
それだけ。
セレイアが揺れる。
だが。
崩れない。
消えない。
「……い……る」
短く。
だが。
確かに。
ネファルが言う。
(成立したな)
ラグナが言う。
(ああ)
ヴェルナシアが囁く。
(在る)
エレノアは立っている。
何も変わらない。
だが。
関係が変わった。
名前がなくても。
欠けていても。
ここにいる。
それだけで。
繋がる。
月が水に映る。
揺れる。
広がる。
消えない。
セレイアはまだ完全ではない。
名前も戻らない。
だが。
もう。
“呼ばれる前の存在ではない”
そこに在る。
それだけで。
意味を持ち始めていた。




