第164話 乾いた土の匂い
工房の扉を開けると、木屑が静かに舞った。
昨日と同じ匂い。
だが、どこか違う。
エレノアは何も言わず、木材を一本持ち上げる。
重さを確かめ、耳元で軽く叩く。
乾いた、澄んだ音。
ラグナが低く笑う。
「湿ってねぇな」
「うん」
それだけ返す。
削り刃を当てる。
薄く、一定に。
削りすぎない。
一度止める。
角度を変える。
木目が素直に出る。
ネファルが静かに言う。
「急いでいないな」
「急ぐと、割れる」
ラグナが鼻を鳴らす。
「火も同じだ」
炎が小さく灯る。
強くはない。
安定している。
エレノアは小箱の縁を整える。
歪みはない。
指でなぞり、引っかかりを確かめる。
ルミナが柔らかく光る。
「きれい」
エレノアは笑わない。
ただ、頷く。
⸻
昼前、ミラが入ってくる。
靴の裏に土がついている。
「北の畝、少し乾き早い」
エレノアは顔を上げる。
「どれくらい?」
「一日、半日分くらい」
ミラは腰を下ろし、手袋を外す。
指先に土が残っている。
「でも枯れてない」
エレノアは小さく頷く。
「水、増やす?」
ミラは首を振る。
「増やすと根が甘える」
間。
「少し深く耕す」
エレノアは削り刃を置く。
「手伝う」
ラグナが笑う。
「土いじりか」
ネファルが低く言う。
「観察だ」
⸻
午後、錬金の炉を起こす。
砂鉄を皿に広げる。
ラグナが炎を落とす。
強くない。
均一。
エレノアは目を細める。
「そのまま」
炎が揺れない。
ネファルが告げる。
「外の乱れを拾っていない」
ルミナが小さく震える。
「静か」
皿の上で、砂鉄がゆっくり変わる。
焦らない。
色が揃うのを待つ。
エレノアは息を止めない。
呼吸のまま、熱を見る。
外では、風が抜ける。
強くはない。
ただ、長く続く。
ミラが窓の外を見る。
「風向き、変わった?」
「少し」
エレノアは皿を傾ける。
光が均一に返る。
「今日は崩れない」
ネファルが低く言う。
「今日は、な」
ラグナが炎を引く。
「崩れるなら燃やすだけだ」
「燃やさない」
エレノアは短く返す。
ラグナは何も言わない。
⸻
夕方。
畝を耕す。
土は軽い。
だが、奥が少し硬い。
ミラが鍬を入れる。
「ここ、流れが薄い」
エレノアも同じ場所に刃を入れる。
力を入れすぎない。
崩すのではなく、ほぐす。
土が、少しだけ柔らかくなる。
ルミナが光る。
「戻ってる」
ネファルが言う。
「戻している」
ラグナは黙っている。
遠くで、風が抜ける。
嵐ではない。
ただの風。
エレノアは空を見ない。
土を見る。
鍬をもう一度入れる。
均一に。
深く。
削らない。
崩さない。
ただ、整える。
ミラが立ち上がる。
「明日、様子見る」
「うん」
短い返事。
それで足りる。
工房へ戻ると、小箱が机の上にある。
歪みはない。
蓋を閉じる。
静かに収まる。
ラグナが小さく言う。
「面倒なやり方だ」
エレノアは答えない。
ネファルが静かに続ける。
「長く続くやり方だ」
外で風が鳴る。
ほんの少し、強く。
エレノアは顔を上げる。
何も見えない。
だが、気配はある。
測られているのか。
それとも、見守られているのか。
答えはない。
手を拭き、灯りを落とす。
今日の仕事は終わり。
壊れてはいない。
それだけで、十分だった。




