33.バハード家当主
「お帰りなさいませ旦那様」
そう言って恭しく頭を下げる姿を、旦那様……とポカンとしながら眺めていると次の瞬間、ガシリと何者かに両肩を掴まれる。瞬きの間というほどの速さで、全く対応できなかった。これ、朝もあった……。
「目が覚めたのだな、良かった。お前が目覚めなかったらと心配した。ここまで不安になったのは生まれて初めての事だ。あぁ…本当によかったルイゼ」
こちらに覆いかぶさる勢いで、まくしたてるように話す目の前の男はクロックではない知らない男、えっ!?誰!?と言うか肩が痛い!
「旦那様、人の身であるルイーゼ様の肩が折れてしまいます」
リュジュの静かな言葉に、男はハッとしたように手を放す。
「ルイゼ本当にすまない。肩は大丈夫か?」
長い爪と細い指が私の顔と肩をそっと撫でる。その男の顔は不安である。というのが一目見てわかるほど、動揺しているように見えた。
クロックとは似ても似つかぬ目の前の男は、黒く長いストレートの髪に、頭には二股に分かれた赤黒い角、そして死人なのか!?と思うほどの青白い肌は体格を見なければ女と見まごうほど、はかない美人の顔だ。だが、その瞳孔は真っ赤で、人の瞳とは全く異なる色をしている。そして、話す度に見え隠れする牙が、捕食されるのではという薄ら寒さを感じさせる。
「どっ……どちら様ですか……」
クロックじゃない!?誰ぇーーーーー!?と叫びたいのを必死に堪えて、ひねり出した声はかつてないほど裏返っていた。
その言葉の後、数十秒ほどの無言になった目の前の男は私の目をじっと見つめると、不意にそらしてリュジュさんを見る。
「席をはずせ」
低い声で言い放つと、リュジュさんは恭しく頭を下げるとパチンと指を鳴らす。すると手品のように、テーブルの上にあった皿達が一瞬で消え、代わりに新しいティーセットが現れた。そして、そのまま部屋から静かにリュジュさんは出ていくと、私の顔を見ると一礼して出て行った。
リュジュさん置いて行かないで―!と心の中で叫んでみたが駄目だった。最後の一瞥は健闘を祈る。だったのかもしれない。知らない悪魔と二人きりなんて嫌だ!っていうか、クロックどこ行ったの!?そんな考えをしていると、男は私から数歩離れる。
「お前にはこちらの姿の方が話しやすいか」
そう言うと、その男の足元に魔法陣が現れると一瞬で光が全身を覆う。そして次の瞬間現れたのは
「え゛っ!?クロック!?」
「そうだ。これは人間界にいる時の仮の姿だ」
お道化たように両手を広げるクロックは、先程の美丈夫とは似ても似つかない。
「まぁ、座れルイゼ、身体もまだ本調子ではないんだろ」
「え゛っ!?ほんとにクロック!?…他人を気遣うって事できたっけ!?」
嘘でしょ!?誰!?という疑いの眼差しを送れば、クロックは一瞬呆気にとられるも次の瞬間、手で顔を覆い笑い始める。
「ククッツ!ッツハハハハッ!!本当にお前は面白い!俺にそんな事を言うのはお前くらいのものだぞアハハハッ!」
何がそんなに面白いんだか、と、思いつつ椅子に腰かける。すると、ひとしきり笑ったクロックが軽く指を振ると、ひとりでにティーポットが浮き上がり私のカップと自称クロックのカップに紅茶を注ぐ、先程とはまた違った爽やかな香りが辺りを包む。
「さて、俺が本当にクロックかどうか昔話を交えながら証明してやろう。何故、悪魔である俺が、お前の願いを無償で叶えようとしているかも気になっているんだろ?」
そう言いながら紅茶を口に運ぶクロックを見ながら、頷き紅茶に口をつける。すると、クロックが小さく笑うと視線を紅茶に落とした。




