32.バハード家
「どうやら、旦那様とルイーゼ様の間では認識の齟齬があるようですね。旦那様は現在、王城へ出向いて留守にされております。お戻りになられましたら、お話をされた方が良いかと存じます。
それまでに、身支度を整えてしまいましょう。お食事もご用意しております。さぁ、まずは湯殿へ参りましょう」
リュジュが歩み寄りながら片手をあげると、部屋の奥にあった扉がガチャリと音を立てて開く、ここからでもわかる。金のかかっているであろう、浴室が視界に入る。
そして思い出す。貴族の頃の入浴を……悪魔もそうとは限らないけど念のため確認する。
「あの、お風呂は自分で入れますので……」
「なりません。人間というのは非常に脆弱です。風呂でおぼれて溺死する事故がよくあると聞き及んでおります。旦那様の大事なお方であるルイーゼ様を危険な目に合わせるわけにはまいりません」
静かそうに見えて、意外としっかりと意思を伝えてくるなリュジュさん……。この年齢になって、人に世話を焼かれながら風呂に入るというのは非常に嫌だ。さて、どうやって逃れようかと考えている間に、フワリと体が軽くなるような感覚
「えっ…」間抜けな声をあげる間もなく、スイィーとそのままベッドから出されて風呂場へ浮いたまま連れていかれる。
「待って!待ってください!」
「魔法の使用はやむを得ないと判断いたしました。
旦那様がお帰りになる前に、手早く済ませねばなりません」
「なっ、何でですか!?リュジュさんが怒られるとか?」
「旦那様の辞書にはデリカシーという文字はございません。
ルイーゼ様が目覚められたと聞けば、湯あみの最中でも扉を開けて確認しに来られるでしょう。察するに、ルイーゼ様は旦那様とまだそのような関係ではないのではありませんか?」
「お察しの通りでございます。
直ぐお風呂入ります。今すぐ入ります!!」
確かにリュジュさんという通りだ。私の部屋に数えきれないほど無許可で出入りし、くつろいでいたあの男にデリカシーというものを一欠けらも感じた事はない。城に行って留守にしている今がチャンスというのはなるほど納得である。ここで問答している時間などないという事だ。もう、腹をくくろう。クッと歯を食いしばったと同時に、浴室の扉が閉まる音が響いたのだった。
「はぁー、夢のようだー、ここは楽園か」
「いいえ、悪魔の住まう世界です」
と、すかさずリュジュさんの突っ込みがはいる。いやしかし、そうは思えないほどのVIP待遇、風呂で体力と精神力をゴリゴリに削られた後、良い香りのオイルマッサージを施され、化粧と髪をセットされて部屋に戻れば、どこの高級レストランのフルコース!?と言わんばかりの豪勢な料理に舌鼓を打ち、今は大変香りのよい紅茶を頂いている。
今着ている服も、さぞ高級品なのだろう。デコルテが広く空いている黒のワンピースというシンプルなものではあるが、肌触りが非常によく、袖や襟に施されているレースも柔らかいのに模様が凝っていて、間違いなく高い!!
実はこれ夢なんじゃないの?朝起きたらクロックいたのも、実はまだ私が起きていないだけで夢見てるだけなんじゃないの?
はぁ~、紅茶美味い~となごんでいると、突然バンッ!!という音を立てて部屋の扉が勢いよく開いた。そして、カンカランという音を立ててドアノブがこちらに転がってくるのを、流れるような所作でリュジュさんが拾いあげる。
なっ、何事!?戦闘態勢を取るように、カップを放り出し立ち上がりドアへ体を向ける。するとリュジュさんが身を正す。
「お帰りなさいませ旦那様」




