キュイ?との夕食
『さあ。誰だろうね。』
僕のでも、カイルのでも、ましてやキュイの声でもない男の声。
二人でバッと振り返る。靄には薄く人の顔のようなものが浮かんで、笑っていた。
「誰だてめぇ。人が飯食ってんのにいきなり現れやがって。」
カイルがパンを飲み込みつつ立ち上がる。僕も冷たくなって食べづらくなった肉を飲み込んだ。
『ボク、お兄様がいると思ってこんな大掛かりな魔法使ったのに。お兄様いないじゃん。お兄様の魔力はどこぉ?』
カイルの質問を綺麗にスルーして周りをきょろきょろ見回す男。カイルの顔が引きつっている。
靄はあっちこっちとふわふわ移動し、僕の部屋の前で止まった。
『あは。ここ~』
「ちょっとやめてよ! そこにはキュイが寝てるんだから。」
手を伸ばして靄を掴もうとするが、靄は僕の手をすり抜けて、僕の手に痺れだけを残していった。伸ばした右手を見ると、細かく赤い傷ができていた。
靄が振り返る。
『キュ、イ? だぁれ?それ。ここにはボクのオニイサマの、偉大なるガティスター様がいるはずなんだけど? ん~。この魔力。やっぱり真っ黒だねぇ。さすがお兄様。』
魔力を吸い込み、おかしそうにきゃらきゃら笑う、男。
「ガティスター? 誰それ。」
聞いたことのない名前だ。しかもすごい発音しづらい。
「おい、月夜。やべぇぞ。」
よくわかってない僕の横で、カイルが小さく首を横に振りながら僕の腕を掴んだ。ちょっと顔が青くなっている。
え、僕やらかした?
目の前の靄も、ちょっと怖くて素敵な笑みになっている。
「なに。そんなすごい人なの?」
「……300年くらい前に天の世界を滅ぼしかけた悪魔だよ。だからまあ、闇の世界の英雄だな。その魔力は闇に愛され、近寄れば平伏せざるを得ないと俺のじいさんに聞いた。それならあの魔力も納得だな。」
なにそれ。でもそうか、闇の世界からしたら天の世界を滅ぼすのは、正義、なのか。
『そう! お兄様はすごいんだ! そしてボクは弟のディザトイック。そのうち歴史に名を遺すつもりだから、よろしく~。』
すっかりご機嫌な顔でニコニコと手を振るディザトイック。すごくムカつく顔だ。
僕がイラっとして何か言おうと口を開いた瞬間。ぶわっと僕の部屋から魔力が噴き出てきた。
黒く、禍々しい。圧倒的魔力の前で足の力が抜ける。僕が膝から崩れ落ちると、カイルが椅子を掴んで必死に倒れるのを耐えているのが見えた。靄は少し霞んで、すぐにさっきよりも大きな靄になった。中からディザトイックの狂ったような声が聞こえる。
『キャハハハハ!!! ガティスターお兄様!!! 弟のディザトイック、ただいまここに!!』
ドアが勝手に開く。魔力の流れからディザトイックが開いたのだとわかった。
上から押し付けるような圧がずんっと増え、すぐに魔力が濃くなる。息も満足に吸えない。
はぁっ、かはっ…ひ、 は、は
懸命に息を吸い、涙目になりながらドアのほうをみやる。
そこには目に光がひとかけらもなくなったキュイが仁王立ちしていた。
さっきまで着ていた部屋着の周りに、魔力のベールが展開している。濃い紫色の圧縮された魔力がキュイを隠すようにふわりふわりと、キュイの動きに合わせて動いていく。
そうか、キュイは弟がいるって言ってた。じゃあキュイの本当の名前が、ガティスター……
キュイは三歩ほど歩き、おもむろに黒い靄のほうに手を伸ばす。
「ディザ。どうしてここに来た。」
キュイが声を発する。静かな声には怒りが含まれており、僕に向けられたものじゃないのに全力で床にへばりついて許しを乞いたくなった。
それでもディザトイックはうっとりしたような顔で、キュイの手に口付けた。
『お兄様! ボク…わたくしめは、偉大なるお兄様のもとに少しでも早く駆けつけようと、魔力体ではありますが参った次第です! ああお兄様! ご命令を!』
心酔しきった声。言葉遣いも丁寧になっている。
それに対してキュイは
「ディザ。おれはもうああいう事はしない。言ったはずだ。あんな大ゲンカまでして、まだ諦めないか。」
そう言ってキュイは僕が這いつくばっているのをちらりと見る。氷の彫刻のような冷たい顔が少しだけやわらぎ、ふぅ。と息をつく。そのあとチチッと舌を鳴らすと、今までかかっていた圧が嘘のようになくなった。
「え……ありが、とう。」
「……ごめん、月夜。」
キュイが本当に申し訳なさそうに謝る。
「あとで、話してね。」
「うん。」
キュイが小さく頷く。それはさっきまで一緒にご飯を食べていたキュイと全く同じ表情で、ほっとする。カイルは服をぱんぱんとはたき、キュイを一瞥だけするとディザトイックのほうを睨みつけた。
ディザトイックは目を見開き、僕とキュイを見比べた後、恐ろしい目をしてキュイを睨め付けた。
『お兄様…… そんな魔力量がお兄様の爪の先ほどにも満たない者どもを傍に置くのですか? 美しいベールも消してしまって…… もっとお兄様の素晴らしい魔力に触れさせてくれないのですか?』
ディザトイックの瞳が魔力でギラリと光る。靄は魔力の渦となって、ぱちぱちと黒い光を静電気のように発しながら、ぐるぐる渦巻いている。
「ディザ。帰れ。」
にべもなくキュイは言い放つ。
ディザトイックが悔しそうに口を噛む。 そのとき
「ガティスター様。ようこそ、この世界においでになりました。」
カイルの隣にシュワっと音を立てて、ドレスを着た綺麗な女の人が現れた。引きつった赤い瞳に病的なほど白い肌。ワインレッドの口紅のついた唇からは牙がちらりと覗いており、美しい彼女の周りには凍えそうなほどの冷気が漂っていた。
「セリアナ、様。」
カイルが目を見開く。
これが、セリアナ様。この世界の王女。綺麗だ。冷たい、冷たい美しさだ。
どこかキュイと似たような雰囲気を感じる。
「姫か。大きくなった。おれが最後に見たときは、こんなにちっちゃかった。」
そう言ってキュイは自分の肩幅くらいに手を広げる。
ほんとに小さい時だな。キュイとセリアナ様って何歳なんだろう。
セリアナ様は完璧な微笑みを浮かべて、はい、と答える。
「貴方様には、生まれたときに祝福を頂いたと、国王から聞いています。ありがとうございます。」
ドレスを少しつまみ、上品に礼をする。キュイはそんな美しい悪魔を何の感情もなく見下ろしていた。
その横でディザトイックは爪を噛みながら黒い靄をバチバチとスパークさせている。
『ああ 邪魔が入った。お兄様のスバラシサはボクだけが讃えればいいのに! おい、そこの女。名を何という。』
ディザトイックが高圧的に尋ねる。
少しも怯むことなく、セリアナ様は笑顔のまま丁寧に答える。
「セリアナでございます。ガティスター様の弟君。」
少しも怖がらなかったセリアナ様にイラっとしたのだろう。スパークがセリアナ様の鼻先でバチンとはぜる。
『覚えた。いつかその顔恐怖で歪ませてやる。』
それと、 そう言ってディザトイックがこちらを振り向く。
射殺されそうな鋭い視線。目がギラギラ光っている。
『月夜。お前はいつか必ず殺す。お兄様を誑かした罰だ!! お前の愛する者どもを目の前で殺してから、じりじりと……アハハハハハ! お前の殺してくれっていう懇願を早く聞きたいな!!』
キャハハハハ!と狂ったように笑いながら、黒い靄が消滅する。
殺すって… しかも僕の愛する人を。
愛する人、ですぐに思いつくのは、4人。ゆいと、両親と、かぐやさん。
あの4人が殺されてしまったら、僕は……
気が狂いそうだ。
「おい月夜。大丈夫か。真っ青だぞ。あんな奴のいう事、真に受けるんじゃねぇよ。」
カイルがぐしゃぐしゃと僕の頭をかき回す。
元気づけてくれているのだ。
でも、ディザトイックの狂った声が耳から離れない。
「カイル。取り込み中悪いのだけど、ガティスター様はどこ? お姿が見えないわ。」
セリアナ様の困った声で、はっと気が付く。そうだ、キュイはどこだ。
さっきまでキュイが立っていたところを見ると、そこには誰もいなくなっている。少し視線をずらしてソファのあたりをみると、隅っこにうずくまったはりねずみ。
キュイ……セリアナ様に呼ばれてるけど。
声を掛けようとすると、頭でぱちっと音が鳴り、キュイの声が聞こえてきた。
『言わないで! おれ王宮とかだいっきらいなんだ。』
びっくりして、見ると小さな手を胸の前で組んで、目をうるうるさせている小さなはりねずみ。
可愛い。
テレパシーか。便利な魔法だな。
テレパシーを送りかえしたりするのは僕には無理なので、小さく頷いて了解を伝える。
「カイル。キュ……ガティスター、様はもうお帰りになったみたいだよ。」
カイルが眉を顰める。
お願い。気づいて。
じっと見つめると、カイルの口が小さく動き、セリアナ様に向きなおった。
「セリアナ様。もうここにはいらっしゃらないようなのでお帰りになって大丈夫ですよ。見つけたら俺がお待ちいただけるよう、頼んでみます。」
セリアナ様は頬に手を当て、ほう、とため息を吐くと、
「もう魔力も感じませんし、そうなのでしょう。悪かったわねカイル。いきなり家に入ったりして。」
「大丈夫ですよ。お気をつけておかえりください。」
カイルが微笑みながら言う。
おお、珍しい。カイルが笑ってる。
セリアナ様が扇を開きつつ、魔法陣を自身の足元に展開する。
「そうですね。そこの方も、悪かったわね。 ふっ。」
合図の息をはいて、セリアナ様の姿が消えた。
あとに残ったのは、僕と、カイルと、はりねずみになったキュイと、冷めきった夕食。
はぁ。
二人してため息をつく。
なんで夕食食べるだけだったはずなのに、こうなるんだろう。
ディザトイックの声が耳にこだまする。
愛する人を、殺す。か。
みんなが狙われた時、僕はみんなを守ることができるのだろうか。
僕が好きだっただけで、僕のせいで、みんなが殺されるのは、嫌だ。
「月夜。だいじょう、ぶ?」
いつの間にヒト型に戻ったキュイがうつむいてしまった僕の背中をさする。
「おまっ。いつの間に。元はと言えばお前のせいだってのに……」
カイルが突然出てきたキュイにぶつくさと愚痴をこぼす。こぼしながら、近づいてきて僕の肩を優しくたたいた。
「俺も力になるから。そう気に病むな。」
その優しさがありがたくて、視界が涙で揺らめいた。
「あり、がとう。二人とも。」
涙声でお礼を言うと、カイルがにやっと笑い、キュイが控えめに微笑んだ。
「よし。おいキュイ。全部吐けよ。」
カイルがキュイと肩を組みながらテーブルまで連行する。キュイはうん。と言いながらもほっとしているようだ。
「スープ冷めちゃったね。あっためなおそうか?」
「おお。そうだな。おいキュイ。パン食うか?」
「え、いいの? 食べたい、な。」
「おお。食え食え。」
カイルも聞きたいことも、問い詰めたいこともいっぱいあるだろうに。
そうしてまた和やかな夕食がスタートした。
氷華です
あともう一個、こんな感じのが続きます




