鬼の力
フッと、突き上げるような突風を孕ませ、一息の内に彼女との間合いを詰める。
ケースは上体を低くした勢いのまま肩から滑り落ち、ロックの解除と共に弾けるように分離した。
私はその流れのまま刀を握り込むと、間断なく目の前の女怪へ振り下ろす。
「……!?」
ザンッ!と、容赦のない至近距離からの居合い抜きが目の前で放たれる。
「……ちっ!」
斬り払ったそこに彼女の姿はない。
私は振り下ろした刀を流れるように戻すと、すぐさまに構える。
彼女はなんの予備動作もなく、ひらりと後ろに飛び去って、建物の外壁の上から余裕気にこちらを見下ろしていた。
「いきなりね。思い切りの良さは賞賛するけど、もし私が人だったらどうするつもりだったの?」
「その時はその時です。けど確信はありました。
あなたなら必ず避けるだろうと。
そうでなければ私がここまで迷わされることもなかった」
そう言って歩幅を広げ、いつでも斬りかかれるように刀を上段に構える。
入り込むものがあれば、即座に切り捨てられるように。
「本気ってわけ?
いいの?これはあなたの独断でしょ?
私はまだあなたたちの組織から標的にされてないはずだけど?」
「……ええ、これは私の勝手な私情です。
私が見過ごせないから、あなたに私闘を持ち込んでるだけ。組織は関係ありません。
彼を慕う一同級生として私はあなたという存在を認められない。
だからこそ、この場で決着をつける」
「……どうしてそこまで彼に固執するの?
あなたにとっては別に珍しいモノでもないでしょうに」
「言ったはずです!彼に好意を抱いていると!
理由はそれだけで十分!」
「……………………」
「あなたは彼を不幸にする!
これから悪いことをすると分かっているのに、目の前にいる悪意を放っておくほど私は薄情じゃない!」
「そんなナリしといて、よく平然と偽善を吐けるものね。
歪つなのはお互いさまでしょう。そうやって闇の世界に片足突っ込んどいて、自分は正常を気取るつもり?」
「黙れ!
あなたのような完全なモノには分からない。私たち逸れ者の苦しみは。
例えこの身に背負う宿命が異端のモノであろうと、私は人間。
人間である限り守らなければならない教義がある。
それを捨て去ってしまえば、野にいる獣と何ら変わらない。
お前はそんな尊厳ともいうべきルールを容易く踏み越えた。それがどういうことになるか分かって……。
だからそうやって簡単に彼のことさえ手にかけられるんだ!」
「当然よ。人間は等しく私の物なんだから。
私がどのように扱おうと私の勝手でしょう?」
「……やはり、私は正しかった。
あなたはもう、理性無き獣。
人の街に降りてきていい存在じゃない。
あなたがこの街で私の親しい人間たちを貶めようというのなら、この刀を持って成敗する。
それが私の、執行者の責務だ!」
私はそう気勢を上げ、仕事用の貌に切り替える。
すると途端に私の心は殺人鬼のように冷たく凍った。
彼女から漏れ出る邪気を、なお強烈な殺気でもって滅するように周囲を凍てつかせていく。
人の世で生きるために培った理性も倫理も、その間だけは頭の隅へと切り離されていく。
ムゥウウウウウン…………と禍々しく溢れ出す妖気。
それは私の身体から溶け出すように立ち上り、私の身体を覆い隠していく。
変化は身体に顕著に現れた。
私の髪は能力の発現と共に薄っすらと赤みを帯び、皮膚は獣のように硬くなる。
目はギラギラと飢えた肉食獣の如く、赤く光る。
肉体変化は私が持つ固有の能力。他の執行者たちはその手に持つ器物を依り代として異能の力を発現させるが、
私は肉体そのものを力として転換することが出来る。
能力としては非常に希有で、不安定な力だ。
たまたま私の家が魔について耐性を持っていたから制御できたが、他の者が使えば、まず自分の業に耐え切れず自滅していただろう。
まさに命懸けの禁じ手。
だが、力とは、その代償が大きければ大きいほど強くなるものだ。
そして、自慢ではないが――この姿を取って、私はこれまで誰にも負けたことがない。
――――我が純潔を穢すこと、何人も叶わず。
そうして私は自らのルーツたる業を読み、概念そのものの権化となり果てた。
そこにはさっきまでの幼い少女の姿はない。
浅黒く変貌した赤髪の鬼女が立っているだけ。
「人の世に潜む魔を退治するのは私たち執行者の宿命です。
人をたぶらかす妖よ。
いざ、尋常に参られよ」
問答など無用とばかりに、私はむき出しの殺意をまき散らす。
目の前にいる女を屠るように。
いかに相手が妖怪の類でも、私の身体は魔を断罪する冥界の鬼の顕現。
彼女が僅かでもこの身に触れれば、たちまちの内にそれを切って捨てるだろう。
「………………………」
彼女は私の言葉をどう受け取ったのか、特に何も言わず、ただ面白そうにじっくりとこちらを観察している。
まるで新しい玩具を見つけたかのように。
「あなたが来ないというのであれば、こちらから参ります!」
ザザッと靴を滑らせ、間合いを詰める。
彼女は私の接近に、仕方ないとばかりに目を伏せると、指を鳴らした。
途端、濁った瘴気が立ち込める。
白く曇った霧のような瘴気が、見る見るうちに広がっていく。
それは瞬く間に私たちの身体を包み込み、周囲の景色までも白い霧の向こうへと覆い隠していった。
「!?」
(霧!?
これがこの女の能力……!?)
霧の発生と同じくして彼女の気配も次第に希薄になっていく。
「……………」
私はその場に留まり、周囲を索敵するようにオーラを伸ばす。
私を中心に広がったオーラはドーム状に固定される。
距離にしておよそ半径10M。
外敵を阻むほど強固な守りではないが、疑似的な神経を張り巡らせたので空気の震えやわずかな違和感も見逃さず敏感に感じ取ることが出来る。
私はその結界の中で腰を深く落とすと、居合の構えを取る。
たとえどこから来ようと必ず切り伏せて見せるように。
早斬り0.01秒。それが人を捨て、会得した私の必殺の居合い。
今の絶好調の私なら小さな虫一つさえ逃がしはしないだろう。
そうして神経を鋭敏に研ぎ澄まさせながら、私は彼女の気配を探った。
………………………。
聞こえる。奴の命の脈動が。
音やオーラを通してこの世ならざるモノの気配が感じられる。
「……………」
私は久しい強敵の出現に武者震いを浮かばせながら、慎重に柄に指を這わせる。
私が振るうのはこの世でただ一人の怨敵。
きっと、今までで最上の獲物となるだろう。
もしかしたら、この戦いの後に身体が壊れ、もう二度と刀が握れなくなっているかもしれない。
だが、それでもいい。
あの女だけは今ここで始末しなければならない。そう魂が命じている。
誰よりアレの存在を許容してはいけない。
アレは世を食い潰す女怪だ。
ここで屠らねば更に力をつけ、組織の手にも余るようになるだろう。
こうして対峙していても、あの女の異様さが窺い知れる。
彼女の底知れない、闇を……。
これまで葬って来たどの異形たちよりも、つかみどころがなく、無形。
それこそ自然を相手にしているかのように、底が見えない……。
気配はどこにでもあった。前にも後ろにも横にも上にも……。
それこそ周り全てに彼女が感じられた。
だが居るのに触れられない。聞こえるのに、存在しない。
この霧そのものが彼女のように、私の神経を怪しく逆撫でしていく。
触れず、離れず。
そっと焦らすように、私の心をもてあそびながら、霧の中で笑い声を反響させていく。
それがどうしようもない悪寒となって、私の心を打ちのめしにかかる。
そんな状況が、どれほど続いただろう。
いつまでも姿を現さないことに焦れた私は、彼女が向かって来るよりも早く、自ら動いてしまう。
「貴様が来ないのなら、こちらから向かうぞ!」
ジャリと地面を踏みしめ、前後も分からない白い視界の中を、気配を頼りに疾駆する。
そして手始めに前にいる彼女から斬った。
「……!」
私の居合を受けた彼女は一瞬驚いた顔を見せながら、霞とともに消えていく。
感触はある。だが手応えはない。
霧は刃によって一瞬掃われるが、また足元から吹き出して元の形状を取り戻していく。
続けざまに、右隣にいる彼女に横払いするように刀を薙ぎった。
「……!」
けど、また一緒。
ブンッと切り裂かれるとまた消えていく。
残るのは霞に濡れた刀だけ。
どこにでもいるのに、そのくせどこにもいない。
形のないモノを相手にしているように、とにかく手を焼いた。
そこに形が在るのならそれがどんな異形といえど、真っ二つにする自信はある。
優劣の違いがあれど、そこには物理的な手応えがあるだろう。
なのに、彼女はそれすらもこちらに与えてくれない。
ただ妖精のようにじっと生者を見つめ、人を惑わすだけだ。
それ以外の機能は持ちあわせていないとばかりに、慌てふためく者をあざ笑う。
……いいだろう。お前がそのつもりなら、ここにいる幻全て叩き斬るまでだ!
気持ちは焦っているはずなのに、不思議と心は踊っていた。
見たことも無い未知の生物を前にして、私はかつてないほど猛々しい武者震いを覚えている。
これを葬れば、きっと私の執行者人生の節目として、後世にその名を刻むことになるだろう。
今後、彼女以上の化け物と巡り合える気がしない。
彼女こそ、私の生涯の仇敵だ。
「………………」
私は不敵に唇を舌舐めずりする。
貴様がそのつもりなら、私も見せよう。
我が魂の業を。
なぜ、この身に刀の名を冠するのか。何故、その身は黒く染まってるのか。
その所以をな。




