雪辱の行方
「……何をしている?」
「………………………」
彼女は何も言わない。自分の宝物を見つけて、呆けたように彼を見下ろすだけ。
外界にいるモノの視線など目もくれず、ただ己が欲望のままに自らの世界に酔っていた。
歩み寄る私の足音さえ耳に入ってないように。
「……綺麗でしょ」
ポツリと言葉が零れる。
特に誰に対して言ったわけでもない、うわ言のような呼びかけ。
同意を求めるようなその声に、私は視線を下げ蹲る彼を見る。
そして彼女に視線を戻した。
「……………………」
何か言おうと思ったが、寸前で思いとどまる。
きっと彼女は他人の感想など求めていない。今の言葉もただ熱に浮かされて出てきた言葉だ。
反応したところでまず会話は成立しないだろう。
実際彼女は今も私を見ていないのだから。
私が目の前にいるというのに、なんて無防備な姿を晒しているのか。
それが私が追い求め、望んだ宿敵の姿か。
私は怒る気持ちを抑えきれず、ズンズンと彼女に近づく。
今ならば簡単に御してしまえそうな気がする。
それとも、この状況すら魔女の策略だというのか?
まっとうな戦士タイプである自分には分かりようがない。
私の見つめる先にいる彼女に、さっきまでの凶暴さはない。
放つ空気も、気配も、どこにでもいる人間のそれだ。
あれほど私を威圧した化生の気配がみじんも感じられない。
そうして私が彼女の動向をしばし眺めていると、彼女はやがて彼を撫でることに飽いたように、「フゥ……」と息を吐く。
そして何を思ったのか、彼の首に自らの爪を伸ばした。
「やめろ!」
言葉よりも速く、私は動いていた。
スン……ッと振り抜いた白刃は二人の間を分かつように空間を裂き、地面に深い亀裂を走らせる。
「…………………………………」
彼女はそれを見て、事もなげに私を見る。
その視線は私を憐れむようなものだった。
その目が伝えてくる。そんなことにもう意味はないのだと。
もう既に終わったことなのだからと、彼女は何もかも悟った賢人のように、部外者たる私にただ同情の視線を送った。
その視線に私はムッと顔を顰める。
「どうして止めるの……?」
「お前と決着をつけるためだ。
そいつを殺されたら、私がここに来た意味がなくなる」
「あなたに、私は殺せないのに?」
「………………………………」
それが既に決定事項だというように、物の道理の分からぬ子供を諭すように彼女が私に語りかける。
その何もかも知ったような物言いに私は腹が立ち、手に持った刀を強く握りこむ。
そして再び刀を構えようとして、私はその異変に気づいた。
「!?」
睨みつける彼女の身体は、先と違って人間の気配を色濃くしていた。
化生としての威圧や雰囲気は既に霧散していて、何も感じない。
まるで本当の人間のように無害と化している。
……どういうことだ?
彼女は魔女のはずだ。
どうやったって、人間のような定命の存在になれない。
どれほど精巧に偽装し隠しても、生まれ持った人外の魂がオーラとなって世界に異変を齎す。
それが……今はない。
私はその彼女のありえない変容に言葉を失い、即座に彼と彼女の変化を確認する。
そして愕然とした。
どういうわけか二人の存在の波長が互いに共鳴し合うように同期していたのだ。
まるで二人が同一の生命体であるかのように。
まさか、彼女は彼の夢に手をかけた時に、同時に自らの生命もその手にかけていたのか?
だからこんなにも彼女から人間特有の生気が満ちている……。
元々彼女は現世にいる彼を依り代に引きずられるようにして、この世界に発現した存在。
その心も殻も、彼が用意した幻想だ。
彼女が望みさえすれば彼が望む通りの本当の人間へと変化出来てしまうだろう。
……あくまで理論上の話で、だが。
実際はそんな馬鹿げた望みのために精霊としての格を放棄するヤツはいない。
それを、彼女はあっさり捨てた。
たった一人の人間の男に愛されるために……。
自分の理想を実現させるために。
今の彼女は本当に人間そのものだった。
彼の内に秘めた闇さえ、その胸に抱いている。
そうして人としての機微を得たから、彼女は私に憐みの視線を向けるのだ。
「…………キッ!」
どうしてそんなことを理解出来てしまったのか。
普通は気づかないであろうことさえ、今の私は敏感に知覚してしまう。
これもきっと一時的にとはいえ、彼女の闇に触れたからだ。
どこかで彼女との回線が残っていて、知らなくていい事実まで拾ってしまった。
……自分の観の良さを今日ばかりは恨めしく思う。
「……貴様ぁーーーーっ!」
私はなりふり構わず彼女へと歩み寄り、グイっと胸倉を掴み、その身体を持ち上げる。
「そんなことは許さない!
お前は化生だ!人類に仇名す敵だ!
そうやって勝手に戦場から足を洗い、一人幸福を得られると思うな!
そんなこと私が認めん!認めてたまるか!」
そんな私の行動に彼女は何の反応も示さず、ただ黙って見届ける。
抵抗するそぶりさえ見せず。
例えこの場で私に斬り殺されようと、満足したと言わんばかりに。
もうこの世に対して何も未練はないと、清清しいほどの微笑さえ浮かばせている。
それが益々私の癇に障った。
怒りのままに彼女の首筋に刀を当てると、その首筋から赤い血がつぅ……と流れた。
今ここで彼女を殺せば、彼女のラインと繋がってる彼も死んでしまう。
自分の復讐のために彼を巻き込むことは出来ない。
それを知ってか、彼女は私を見て同情するような視線を向ける。
「折角の復讐の機会を失くしてごめんね」、と。
その目がそう、言葉以上に私に如実に伝えていた。
彼女にしてもこのような結末は想定外のことだったのだろう。
私と決着をつけるためにここに来たつもりが、彼の魂を食らいその真意を知り、うっかり自分の人生に終止符をつけてしまっていた。
今の彼女はただの廃人だ。
自分の望みを手に入れた反動で、他の全てがどうでもよくなっている。
だから簡単に命を投げ捨てられる。
彼を殺せる。
「やめろ……。そんな目で私を見るなっ!
お前は私の敵だ!敵でなければいけないんだ!
もう一度あの時のように私を見て嘲笑しろ!
最後まで悪ぶって見せろよ!?魔女っ!」
「……ごめんね」
「~~~~~~っ!!!」
言われなくても分かってしまう。
言葉じゃなく魂で理解してしまう。
もうその機会は二度と来ないことに。
彼女は彼と繋がることで、その権利を放棄してしまった。
こんな抜け殻のような彼女を殺して何の名誉になるのか。
今戦えば確かに私が勝つだろう。
しかしその場合……、彼が死ぬ。
私が掲げる大義が失われてしまうのだ。
何より、今の彼女には私に対し敵意がない。
むしろ感謝さえしていた。
彼と繋がらせてくれてありがとう、と。
恩人に浮かべる微笑さえ浮かべている。
「……フザケルなぁっ!!!」
私は乱暴に彼女を蹴り飛ばし、その眼前に刀を突きつける。
そんな私を彼女は悲し気に見つめる。
むき出しの刃が眼前に突きつけられても、彼女は何ら抵抗しない。
ただ黙って自らの身体を差し出すのみ。
―――どうぞお好きになさって。
どこまでも儚く弱弱しい、存在と化していた。
化生としてのプライドさえ残っていない。
その事実が益々私の心を動揺させる。
「お前は、そうやって私から立ち上がる機会さえ奪うというのか……?
それでいいのか、貴様はっ!?
こんな小娘にいいように言われて何とも思わないのかっ!?
私は……、私にはもう……、お前しかいないんだよぉおおおっ!!」
私の慟哭だけが洞窟内に虚しく響き渡った。




