夢の終わり
もう、幾ばくの猶予もない。ぐだぐだしていると円藤が後ろから追いついてくるだろう。
その前に終わらせないと……。
こうして時間を稼いだ意味がなくなるというもの。
私は走りながら自分の刀を見る。
本来の用途ではない無機物の岩を斬ったが、妖刀は少しの刃毀れも見せていなかった。
私の腕が上がったためか、それともこの刀自体が神秘の業物だったためか。
本来備わる機能さえも超えて、私たちの繋がりはより一層強くなったようだった。
柄を握りこむだけでよく分かる。
内側からとてつもない力の波動を感じることに。
あの時……、肉体の枷を外すように、するりと刃が動いた。
まるで身体と刀が一体化したように、軽く腕を上げる程度の極自然な動作で、私は刀を抜き放っていた。
物を斬ったという感触すら手に残っていない。
「早い早いと思っていたが、とうとう私の業は音まで越えたか。
その名通りの神速を冠するまでになっていたとはな……」
彼女との一戦を得て、私は人としての限界を超えてしまったのかもしれない。
今ならば悪魔や悪鬼の類と敵対しても生き残る自信がある。
そうだ。
あのような怪物を殺すには、この迅さでなければ届かない。
彼女の口から面妖な呪術が紡がれる前に、それごと断つ。
そのくらいの出鱈目さがなければ、自然が具現化したようなあの怪異とは戦えない。
敵の言葉に耳を貸すな。道徳も倫理も今ばかりは邪魔だ。
ただ敵を殺すための装置となるんだ。
人としての機能を極限まで削らなければ、たちまち魔女の誘惑に毒される。
刃となれ。身も心も鋼になれ。
「………………」
刀は既に抜かれた。もう戻ることは出来ない。
剥き身の刃はいずれ、私から帰る居場所を奪うだろう。
だがそれでも構わない。
それら全ての未来をかなぐり捨てても、あの女を斬る価値がある。
私はもう自分の我を通すと決めた。
あの時彼女に記憶(大切なモノ)を奪われた時から、私の道は狂ってしまったのだ。
日常という建前を奪われ、私の尊厳さえ奴に奪われた。
もはや私は肉体のない亡霊。
この世で生前の無念を晴らす為にただ存在する、思いの具現。
たとえこの身を失ったとしても、この心、この刃が、彼女の急所を貫くだろう。
手負いの獣ののように。
私の意志はこれ以上ないほどに固まっていた。
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果たして、彼女たちはそこにいた。
洞窟の奥深く、蹲る彼を見下ろす形で彼女が立っている。
瑛子は頭を抱えて苦しむ新宮を呆然とした表情で眺めている。
私が足止めくらっている間に何かあったのだろう。
彼は耳を塞ぎ、目を瞑り、目の前の悪意から必死に心を逸らし続けている。
その顔は子供のように泣き腫らしていて、目の端からはボロボロと滂沱の涙を流していた。
あんな感情的に泣いている彼を私は見たことがない。
おそらく彼女が壊したのだろう。
彼が信じている妄想の矛盾を突きつけて。
これまで自身の味方だと信じていた彼女から世界の真実を告げられ、その幸せの反動に耐え切れずに彼の心が爆発したのだ。
その妄想が楽しければ楽しいほど、綺麗であれば綺麗であるほど、彼の心は壊れ妄想は軋みを上げる。
それを信じたくないとばかりに彼は嫌々と頭を振り乱して、現実を否定していた。
どうやら既に遅かったようだ。
魔女は愛しい彼の狂気を弄び、その魂へとついに手をかけたのだ。
彼を自身だけのモノとするために……。
けれど、どうしたことか?
自分の目的を遂げたというのに、彼女は少しも嬉しそうな表情をしていなかった。
そればかりか彼を見て、申し訳なさそうな表情さえ浮かべていた。
壊してゴメンと、許しを請うように……。
さっきは私の前であんな風に言っていたけど、彼女は本当に彼のことが好きだったのではないだろうか?
もしかすると私はとんでもない誤解をしていたのかもしれない。
「……うっ」
突如、私の耳に何かが流れる。
……誰かの声?
いや、誰かの記憶?
幻聴は目の前の彼と彼女の間から流れてくるようだった。
――――ごめん……。ごめん……。
少年は、ただ懺悔するように誰かに謝り続ける。
自分の過ちを、自分の言動を後悔するように、これまでの自身の人生を懺悔する。
そんな彼を責め立てるように、いろんな場所から声が聞こえてきた。
これは彼の記憶か?
子供時代の彼が周囲の子供たちに囲まれ、侮蔑を受けているようだった。
お前が悪い。お前は嘘を言っている。
どれもそんなニュアンスの言葉ばかり。
何らかの事情があって、彼がやり玉にあげられたのだろう。
虐めのよくあるケースだ。
彼は小さい時から、周囲の罵声を浴びて生きていた。
故に彼は日々を生きるために、自分を否定する術を身に着けなければいけなかった。
皆が否定するから、自分は間違っている。
正しいのは周囲。
なら、自分が思う逆をして生きていけばいいんだ。
幼い彼の心には相手の悪性を受け入れる器量はなく、そんな馬鹿げた考えに頼るしか他に答えを得ることが出来なかったようだった。
当然ながらそんなことをしたって自分の境遇がよくなるわけがなく、更に状況は悪化していく。
次第にいじめは過激になっていき、教師や学校を巻き込んで大きなものになっていった。
誰もが彼を否定し、お前さえいなければ、と連呼し続ける。
それを彼は全て受け入れて、自らを否定する。
自分がいなければ、世界は綺麗なんだ。
そう信じるかのように。
彼にはそうすることでしか、自身の疑問に答えを付けることが出来なかった。
そうしなければ、彼にとってこの世界は汚いものにしか映らなかったから。
そんな彼を誰よりも理解し、支えとなったのが彼女だった。
彼女だけは本当の姉のように彼の苦しみを理解していた。
彼が自分を否定するたびに、彼女は彼を肯定する。
彼が世界を恨むたびに、彼女が記憶を消去する。
二人は互いに互いを必要とし、お互いになくてはならない関係となっていた。
平たく言えば、共依存の関係。
彼は彼女が存在できる場所を与える代わりに、多くの幻想をこの街に齎していたのだ。
その一つが、おそらくこの街で発生した、集団妄想の発現…。
彼が何かで失敗し傷つく度に魔女は、周りの人間の精神を操作し、誰も傷つけない優しい虚像を作っていた。
彼や周りがその嘘に気づかないように、街を瘴気で覆って、思考を鈍化させていた。
この街の住人がうつろな表情を浮かべていたのはそれが原因だろう。
ただ彼が望む優しい世界を作るという、理想の実現の為に。
だからこそこの幻想はけして壊してはいけない、二人にとっての大事な絆だった。
それを彼女は壊した。
自らの手で、「そんなものは無いんだよ」と自分たちの幻想に終止符を打ったのだ。
今まで隠し通してきた、化生という真実すら彼女は開け放ち、何もかも無かったことにしていく。
彼の記憶、彼の心、彼の意思、その全てを自分色に染められるように真っ白に。
彼の気持ちなど知らないとばかりに、ただ彼女は自分の欲望のまま、愛しい人を手に入れようとした。
それが二人の苦しみを解き放つ方法だといわんばかりに……。
……なんという歪な愛か。
二人の愛はどちらか一方が自分の要望を諦めないと叶わない望みなのだから。
どちらも苦しめずにはいられない。
二人の夢が二人を縛り続けるから、こんなにも世界が歪んでしまう。
二人の理想があまりにも歪で対極にあったから、いつまでも像として形に結びつかない。
だからいつまでも同じ事を繰り返し続けてしまう。
同じ狂言を回し続けてしまう。
いっそどちらかが自分を優先し独り占めしてしまえば、こんなに苦しみ続けることもなかっただろう。
……けれど、彼はそんな選択絶対に選ばない。
彼はどんな時も彼女を優先し、尊重するから。
例え己を犠牲にすることになっても、自らの望む幻想を回し続けるだろう。
それを彼女はよく分かっていたから、彼女は彼を壊すことにした。
彼の起こしてしまった罪を祓うように。
「……っ……あっ……!」
呻く彼。そんな彼を見て彼女はふふっと柔らかな笑みを浮かべる。
その細く美しい指で彼の頬を撫でると、まるで壊れ物を扱うように愛おしく愛撫する。
そんなわずかな刺激でさえ今の彼にとっては辛いのか、過敏なまでに反応した。
むき出しとなった心はガラスのように軋みをあげ、今にも砕け散りそうだった。
そのまま一息に力を入れれば、彼の心は壊れて何も残らなくなるだろう。
それを彼女は理解した上で、壊さず、撫であげる。
ただ愛するものの反応を楽しむ様に、優しく彼の頬を愛撫するだけ。
もう欲しいものは全て手に入れたのだとばかりに、彼の一挙一動を見続けるのみ。
心を失った彼にはそれに抗う余力はない。
ただ彼女の欲望を受け止める傀儡としてあり続けるだけだった。
「…………ふふ」
玩具とさんざん弄んでいたくせに、彼を労わる彼女の表情はとても穏やかなモノだった。
苦しみもだえる彼を見て、恋人以上に深い慈しみを抱いている。
種族や時の流れすら関係ないというように、自らの理想に自己陶酔していた。
そこに化生という矜持は存在しない。
一人の女としての顔があるだけだった。
「……………………」
私はそんな二人を見て、表情を硬くする。
誰が悪いとか、誰が何を得ようとかそんなことはどうだっていい。
私の目的はただ一つ。
過去の敗北に決着をつけること。
そのためにわざわざこの場所を選び、古巣とも別れを告げてきたのだ。
それさえ叶うのなら、事件の解決など二の次。
私は戦う為にここへ来たのだから。




